坂本龍馬の幼馴染・野老山吾吉郎の池田事件の調書が発見!
坂本龍馬の幼馴染・野老山吾吉郎の池田事件の調書が発見!
幕末のクライマックス池田屋事件は新選組が、勤皇の志士たちを一斉に捕縛、惨殺した事件だが、現場に居合わせ逃げた土佐脱藩浪士・野老山吾吉郎(ところやま あきちろう、弘化3年10月10日(1846年11月28日) - 元治元年6月27日(1864年7月30日))の供述調書が現存することがわかった。今年高知県が買い取った土佐京都藩邸の資料の中に残されており、池田屋事件の新情報が明らかになるかもしれない。
この野老山吾吉郎は、1846年11月28日に高知城下・山野辺寿満平(野老山は縁戚の姓)の次男として生まれており、龍馬より10歳年下だが古くから面識もあり、土佐勤皇党に加わるなど志士として積極的に活動していた。
定説では、元治元年(1864年)6月5日夜、藤崎八郎と共に儒学者の板倉槐堂を訪問しようとしたところ、三条小橋にて池田屋騒動の直後逃走した志士たちを追っている最中の新撰組(会津藩兵とも)と遭遇し斬り合いになってしまい、河原町御池の長州藩邸にどうにか逃れるものの、傷が深いため武士らしく割腹したと言われていた。
一方、野老山吾吉郎は藤崎とは別行動をとっていたという説もあった。池田屋事件の現場に居合わせおり、新撰組と戦い背中を中心に三太刀斬られ、どうにか逃げ出し、長州藩邸門前で自害を図るが失敗し、長州藩士に助けられ治療されたが、傷が悪化し、死亡したとも言われていた。
この人物の最後に関しては、二つの説があったが、今回、池田屋事件に関する調書が出てきたということは、野老山が現場にいたということが歴史的事実として確定したということだ。また、土佐藩が池田屋事件に関して多大なる興味を持っていたこともわかった。
ちなみに墓所は、京都市東山区霊山と、高知市薊野真宗寺山にある。
(文・山口)
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この野老山吾吉郎は、1846年11月28日に高知城下・山野辺寿満平(野老山は縁戚の姓)の次男として生まれており、龍馬より10歳年下だが古くから面識もあり、土佐勤皇党に加わるなど志士として積極的に活動していた。
定説では、元治元年(1864年)6月5日夜、藤崎八郎と共に儒学者の板倉槐堂を訪問しようとしたところ、三条小橋にて池田屋騒動の直後逃走した志士たちを追っている最中の新撰組(会津藩兵とも)と遭遇し斬り合いになってしまい、河原町御池の長州藩邸にどうにか逃れるものの、傷が深いため武士らしく割腹したと言われていた。
一方、野老山吾吉郎は藤崎とは別行動をとっていたという説もあった。池田屋事件の現場に居合わせおり、新撰組と戦い背中を中心に三太刀斬られ、どうにか逃げ出し、長州藩邸門前で自害を図るが失敗し、長州藩士に助けられ治療されたが、傷が悪化し、死亡したとも言われていた。
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