先日(6月19,20日)、NHK・BS1で「夏のスイスアルプス」が放映されました。
1993年7月に初めてのスイス旅行で、忽ちスイスフリークに陥った私はその後5回も通いました。
初回はJtbのツアーでしたが、スイスは安全な国と判ったので、その後はフライト,ホテルとも自分で手配しました。
下記は初めてのツアーの時の写真です。
クライネシャイデックからユングフラウヨッホに行く アイガー北壁
登山電車の終点
先日(6月19,20日)、NHK・BS1で「夏のスイスアルプス」が放映されました。
1993年7月に初めてのスイス旅行で、忽ちスイスフリークに陥った私はその後5回も通いました。
初回はJtbのツアーでしたが、スイスは安全な国と判ったので、その後はフライト,ホテルとも自分で手配しました。
下記は初めてのツアーの時の写真です。
クライネシャイデックからユングフラウヨッホに行く アイガー北壁
登山電車の終点
昨夜のNHK・Gテレで、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアが放送されました。
私は1996年4月にセビリヤの春祭りに合わせて、15日間のスペイン旅行に参加しました。
その最終到着地がバルセロナでした。
勿論、お目当てはサグラダ・ファミリアでしたが、その他ガウディの建築物を色々と見物しました。
ガウディ作品集
1993年7月にJtb旅物語のパックツアーで初めてのスイス旅行して以来、
スイスが大好きになりスキーツアーを含め5回も行きました。
スイスは安全で鉄道も発達していますので、初回以降は個人旅行にしました。
そして2000年7月には1ヶ月のスイス半周旅行を慣行しました。
23年前の7月27,28日は旅行の終盤を迎え、ティトリス山とリギ山を観光していました。
ティトリス山の回転ロープウエイ ティトリス山(3,238m)の稜線
キャビンがゆっくり回転しながら上り下りする 頂上付近は夏スキーが出来る
頂上付近からアイガー・ユングフラウなどの眺望 ロープウエイ頂上駅の雪原で遊ぶ観光客
ルツェルン湖の外輪船 外輪の拡大写真
リギ山登山鉄道のSL(フィッツナウ駅にて) ゴルダウ側のリギ山登山鉄道
1871年に開通したヨーロッパ最初の登山鉄道
リギ山登山鉄道からルツェルン湖を望む リギ山頂上への面白い道標
毎度 古い写真で失礼いたします。
今朝のNHK・BSP「世界ふれあい街歩き」は バルセロナでした。
初めてのスペインは、“西洋とイスラム文化の華麗なる融合の世界”「スペイン・アンダルシア物語」なる
キャッチコピーと有名な“セビーヤの春祭り”が見られることに惹かれてのパックツアーでした。
このツアーは1996年4月21日から5月5日までの15日間の長いものでしたが、
ゴールデンウィークに繋がるので,5日間の休暇で済みました。
参加者は25名でそれぞれスペインに思い入れが深い人が多く、フラメンコを習っているお嬢さんや、
スペイン語を勉強している人など、女性が16名と断然多いグループでした。
ツアーは、マドリード→トレド→セビーヤ→グラナダ→アンダルシア→バルセロナ とスペインの主要観光地を巡る贅沢なものでした。
最後のバルセロナでは3泊し有名なサグラダファミリアなどの市内観光を楽しみました。
サグラダ・ファミリア教会
1882年に着工されたが、未だ工事中です。完成にはあと200年は掛かると言われています。
グエル公園 カサ・バトリョ
以上は「ガウディ作品集」です。
1992年のオリンピック・スタジアム
モンジュイックの丘からバルセロナ港を見渡す。
日本の客船が入港していると聞きましたが、特定できませんでした。
バルセロナの北西約50Kmの岩山に聳え立つ、モンセラット修道院
熱中症を気にしながら、我が家に於ける私の作業担当である部屋掃除をしていたら、
暇を持て余している家内が書棚から29年前のスイス旅行で撮った記念写真を見付けて、
掃除中の私にわざわざ見せに来ましたので、懐かしくしばし見とれてしまいました!
ユングフラウヨッホに行く登山電車の出発駅クライネシャイデックにて(1993年7月26日)
プライバシーの問題がありますが、29年前なので人相も変わっていると思いますので、敢えて補正はしませんでした。
このところ円安が進行していて、海外旅行も気軽には行けない時代になってしまいました。
もっともコロナ禍で海外どころか国内旅行も腰が引けてしまいますが!?
私達が盛んに海外に出掛けていた2000年頃は円高時代でした。
米ドル圏内の旅行は殆んど無く、スイスに行くことが多かったのでスイスフランとの比較で円高を検証してみます。
現在(2022年7月)のレート:約143円/1スイスフラン
2000年7月のレート :約 65円/1スイスフラン
約2.2倍の開きがあります。ヨーロッパの中ではスイスは物価が高いと言われていますが、三ツ星ホテル(2食付き)
でも5000~6000円程度で泊まれました。
本当に良き時代でした!!
ミューレンのホテル。部屋からアイガー、ユングフラウの眺望が良い。
オーナー夫婦の人柄が良く、料理も美味くて、また来たくなるホテルでした。
4泊しましたが、円高だった当時のレートで1泊2食付き6,111円(1名分)でした。
22年前の今頃(2000年7月)は、30日間スイス半周旅行に出掛けていました。
丁度今頃(7月1~5日)は、ダボスに5泊してスキーの偵察を兼ねて周辺を歩き回っていました。
夏のダヴォスはオフシーズンなので、空いていてホテルも安く、ハイキングコースも沢山あり、穴場です。
ベルニナ特急の終着駅ティラノに行く。イタリア領なのでパスポートチェックがある。町には見るものは何も無い。
ピザかスパゲッティを食べて帰るだけ。
ループ橋を行くベルニナ特急。絶好の撮影ポイントです。本当は外から撮った方がループの全体像が把握出来るのですが!
ラーゴ・ビアンコ(白い湖)に面したベルニナ特急の最高標高点「オスピッツオ・ベルニナ」駅(標高2,253m)
ダヴォス・ドルフからワイスフルーヨッホに行くケーブルカー。背景はダヴォス湖
ヤコブスホルンのロープウエイ終点から登り約30分のヤッツホルン頂上
ヤッツホルンからデルフリ村までのハイキングコース
古いCDを整理していたら、19年前(2002年9月)バリ島に観光旅行した時の写真が出て来ました。
この頃はまだフィルムカメラの時代で、ポジフィルムをスキャナーで電子データに変換して保存していました。
当時はJALを使って盛んにヨーロッパ旅行に行っていたので、マイレージポイントが結構貯まりました。
丁度その頃、“JALマイレージバンク”で9月出発限定のディスカウントマイルキャンペーンが行われました。
乗客の少ない路線だけですが、バリ島の場合通常35,000マイル必要なのが、
20,000マイルで往復航空券が貰えるということなので、さっそく飛びついた次第です。
豊かな伝統文化と自然、快適なリゾートライフなどバリ島の魅力はつきませんが、
“山”党の私たちにはちょっと場違いな所に来てしまったかなとの思いも残りました!
沢山撮った写真の中から抜粋してバリ島を紹介します。
ニッコー・バリ・リゾート&スパ
日本航空系のホテルで、バリ島唯一の15階建て高層リゾート。部屋から海の展望が眼下に広がります。
ホテルのプール
ホテル前の海岸にある庭園風景
「ニッコー・バリ」を選んだ理由は、日の出の写真を撮りたいためでした。
部屋も室料が高い“Deluxe Beach Front”にしました。
ホテルの野外シアターで週3回バリダンスのディナーショーが行われています。
心身を清める聖なる泉の寺“ティルタ・エンブル”・・・ウブドとキンタマーニ高原の中間にある
キンタマーニ高原からの帰途に立ち寄った観光村。
典型的なバリの村として居住したままの家々を観光資源として公開しています。
家の屋根は割った竹で葺いています。
32年前(1989年)6月4日は、あの有名な天安門事件があった日です。
この日は海外出張でイングランド北部のニューキャッスルに滞在していました。
以下の文章は、その時に感じた事を記録した雑文です。
『かの有名な天安門事件が起こった日('89.6.4)に、ニューキャスルに到着しました。
明くる朝のテレビで繰り返しその様子が放映されていたのですが、
私の語学力では何がなんだか、さっぱり判りませんでした。
まさか、一枚岩の中国で騒擾事件が起きたなんて想像も出来ませんでした。
時代は、日本のバブル絶頂期にあたり、逆に英国は経済不況の真っ最中でした。
しかし、ニューキャスルからロンドンへ列車で移動中、車窓に映る田園と住宅の風景に、
豊かな社会資本の蓄積を感じさせられました。
日本人は、せいぜいバーバリーやエルメスのブランド品を買い漁る
程度の豊かさで、経済一流国と錯覚していたようです。
(実は、私も娘に頼まれたブランド品をロンドンで捜し廻っていました)』
以下の写真は、2008年3月に観光旅行で北京を訪れた時に撮影したものです。
(北京には会社の出張で1982年3月に初めて行ってます。)
天安門広場
天安門楼上から天安門広場を望む
先週末、NHK・BSPでアルプス最高峰の白い山(モンブラン)のイタリア側のトレッキングが放映されました。
日本の白い山と言えば ❝白山❞で 私は1964年に登っていますが、モンブランは高嶺の花で手も足も出ませんでした。
登れませんでしたが、北から南から眺めて来ていますので、その時に撮った写真を紹介します。
2000年4月 シャモニーの有名な山岳スキーコース・ブランシュ氷河の出発点:エギュー・デュ・ミディからのモンブラン
下記の画像は、氷河滑降の前日にシャモニー郊外のグラモンテスキー場で撮った写真です。
グランモンテ頂上からのモンブラン(4,807m) グランモンテ頂上の眺望左手の岩峰は“ドリュ”、
前側右手の岩峰が“エギュイユ・デュ・ミディ(3,842m) 右奥がモンブラン
2000年7月 シャモニーのエギュー・デュ・ミディからのモンブラン
2004年1月、モンブランの南側にあるフランスのスキー場:Les 2 Alps からのモンブラン(中央最奥の山)
北側のシャモニーから見る山容に比べると切り立って見えます。
またまたネタ切れ対策として、性懲りもなく昔の写真でお茶を濁させて頂きます。
2000年6月29日~7月30日に「30日間スイス半周旅行」を敢行しました。
ちょうど今頃(7月1日~5日)は、第1ステージのライン川沿いの観光を終え、第2ステージのダボスに滞在し、
周辺を歩き回っていました。
ワイスフリーヨッホへのケーブルカー ヤッツホルンからのハイキングコース
ヤッツホルン頂上
ワイスフルーヨッホへのロープウェイ
ティラノ行きベルニナ特急の最高標高点「オスピッツオ・ベルニナ駅」(標高2,253m)
ループ橋を行くベルニナ特急列車
ベルニナ特急の終着駅・ティラノ(イタリア領)街には観るものは何もない。ピザかパスタを食べて帰るだけ!
昨夜(5/16)の「世界ふしぎ発見!」(TBS)で、エジプトのピラミッドが放送されました。
私たち夫婦は18年前(2002年3月)に、結婚40周年記念旅行で永年の憧れだったエジプトに行き大感激しました。
その時撮影した写真の一部をご紹介いたします。詳しくはホームページをご覧ください。
左から、クフ王,カフラー王,メンカフラー王の各ピラミッド
カフラー王のピラミッド
クフ王のピラミッドとスフィンクス
カフラー王の肖像と言われるスフィンクス
スフィンクスとカフラー王のピラミッド
アブシンベル神殿 高さ20mに及ぶラムセス二世の4体の坐像
新型コロナウイルスによる外出自粛が5月末まで延長となり、憂鬱な日々が続きます。
新ネタも生まれないので、昔の写真で当分の間は取り繕って参りますので、ご容赦下さい。
と云うことで、今日は昭和58年(1983年)4月24日から5月21日迄、サンパウロ大学
技術研究所での試験立ち合いでブラジルに出張した際、世界三大滝の一つイグアスの滝を
観光した写真をアップします。(因みに他の三大滝は、ナイヤガラとビクトリアの滝です)
イグアスの滝は高さは余りありませんが、水量では他の三大滝を遥かに凌いでいます。
この観光は、5月の土・日を利用してサンパウロの日系旅行社のパックツアーに参加しました。
サンパウロ~イグアス間は航空機で往復しました。
この地域はブラジル・アルゼンチン・パラグアイの三ヵ国の国境にあり、自由に行き来できます。
パラグアイにはカジノがあり、スロットマシンで1,000クルゼイロ損しました。
詳しくは、ホームページで!
最近のテレビ番組は、再放送ものが非常に多くなっています。
これも新型コロナ戒厳令の為、スポーツ中継やのど自慢などの公開放送ものが出来なくなった放送局の苦肉の策と同情します。
一方、私のブログも加入している八つの地域サークルの活動休止と、外出自粛でお出掛けが出来ずネタ不足なので、テレビ局を見習って昔の記事でお茶を濁させて頂きます。
今回は、1997年4月に娘がイタリア・フィレンチェで結婚式を挙げた時の写真をアップします。
詳しくは、ホームページをご覧ください。
娘がフィレンツェ近郊の教会で二人だけの結婚式を挙げることになりました。
私達夫婦は、これに便乗して挙式当日だけフィレンツェで合流して式に参列させて貰うことにしました。
そこで、4月22日にフィレンツェに滞在するパッケージツアーを捜したところ、ミラノ,フィレンツェ,ローマに
それぞれ3泊、ヴェネツィアにも1泊し、移動日以外は全て自由行動の格好なツアーを見付けました。
新日本トラベルの「ルネッサンスの美に感動・イタリア周遊12日間」と称するツアーで一人当り¥198,000でした。
ミラノのドゥオーモ屋上 ミラノスカラ座の内部(見学料約400円)
ゴンドラと云えばヴェネツィアの代名詞
サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会から対岸のサンマルコ寺院の鐘楼を望む
朝、ピサに出掛ける予定で駅に行ったら、山猫ストで鉄道が混乱していました。
イタリアはこれがあるので、個人旅行は気を付けないと大変です。
たまたまピサ方面行きの列車が1本来たので、帰りのことは何とかなると思って飛び乗ってしまいました。
帰りの列車も大分待たされましたが、何とかフィレンツェに戻れました。
トレヴィの泉 スペイン広場
昨今のローマは、新型コロナウイルス騒ぎで、さぞや閑散としていることでしょう!
19年前の7月10日~15日は、30日間スイス半周旅行のようやく中盤に差し掛かり、
フランスの山岳都市シャモニーに滞在していました。
既に、本ブログ(2010/9)や私のホームページに写真を掲載していますが、今回は未公開の
写真を選んでアップしました。
シャモニーからエギュー・デュ・ミディ行きのロープウエイ
エギュー・デュ・ミディから望むモンブラン(4,807m)
クライマー達はエギーユ・デュ・ミディからヴァレーブランシュ氷河に下りモンブラン登山を目指すが,新雪雪崩の危険があるので、引き返さざるを得なかったようだ。
エギーユ・デュ・ミディの展望台からシャモニー市街を見下ろす
クライマーの憧れ:グランドジョラス
シャモニー針峰群
バレーブランシュ氷河末端(登山電車終点のモンタンヴェール駅付近から)