さて、定期観光バスは次ぎの目的地
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ
入り口で、説明をしてくれるおばちゃんと合流します。
おばちゃんのあとについていく参加メンバー
はっきり言って、すばらしいです。
ただ、こちらの云われは
坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷の頭悪路王を成敗し、
この勝利は毘沙門天のおかげと言う事で、
京の清水の舞台をまねて造り、百八躰の毘沙門天を祀ったとの事。
しかし、度重なる野火にあい、現在では二十八躰となっている。
毘沙門天は戦いの神でもあるため、伊達家にも大切されたそうな。
分かりにくいですが、
ド真中あたりに顔があります。
日本最北の磨崖仏(まがいぶつ)です。
先人の技術に感嘆しながら、
毛越寺(もうつうじ)へ向かいます。
奥州藤原氏の二代目、藤原清衡(ふじわらのきよひら)により建立
とにかく、庭園がすばらしく
ぶーくんのデジカメでは広くて美しい庭園を撮ることは不可能でした。
あやめまつりが開催されてました。
しかし、超ダメな写真です。
中尊寺へ向かいます。
中尊寺へ向かう為
最強角度の月見坂を登ります。
ぶーくんもかなりきついと思うような坂を
一緒のバスの70歳のはずのおじいちゃんが、
さっくっさくと、登っていきます。
回りをみると、杖をついたおばあちゃんも登ってました。
中尊寺の金色堂を目指しますが
金色堂はかなり遠いです。
弁慶堂
等身大弁慶の立像が安置されてますが、撮影NGです。
途中、松尾芭蕉の像が立ってました。
有名な、
夏草や兵どもが夢の跡
この歌は奥州藤原氏の滅亡と義経・弁慶について歌われているのですね。
その地に立って改めてこの歌を詠むと胸にしみます。
登って、登ってようやく到着ですが、
金色堂は撮影不可で、外観もなんとなく撮影してはいけないような気持ちになったので、写真はなしです。
中尊寺は、
奥州藤原氏一代目にあたる
藤原清衡(ふじわらのきよひら)により造られます。
清衡は、戦いに継ぐ戦いで民が疲弊しているのを見かね、
平和な世の中を願い中尊寺を建てたたとのこと。
金色堂は金箔と螺鈿細工により、煌びやかで荘厳で当時の奥州藤原氏の力がよくわかります。
のちに、マルコポーロがジパングの黄金伝説として伝えてます。
金色堂の美しさに感激しながら、
おみくじを引きました。
ブラボー!!
大吉です。
お参りを済ませて、
来た道をもどりますが、すっかりお腹がペコペコです。
おそばの義家さんです。
旦那さまは、ざるそばと丼物セットです。
ぶーくんはせっかくなので平泉式のわんこそばです。
これを、
薬味と一緒に自分のペースで食べます。
いろいろな味を楽しめるので、大変楽しくおいしかったです。
わんこは12枚1重ですが、自信がなく1重で食べましたが多分3重くらいないらイケそうです。
そして、中尊寺を後にして最後は猊鼻渓(げいびけい)を目指します。
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ
入り口で、説明をしてくれるおばちゃんと合流します。
おばちゃんのあとについていく参加メンバー
はっきり言って、すばらしいです。
ただ、こちらの云われは
坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷の頭悪路王を成敗し、
この勝利は毘沙門天のおかげと言う事で、
京の清水の舞台をまねて造り、百八躰の毘沙門天を祀ったとの事。
しかし、度重なる野火にあい、現在では二十八躰となっている。
毘沙門天は戦いの神でもあるため、伊達家にも大切されたそうな。
分かりにくいですが、
ド真中あたりに顔があります。
日本最北の磨崖仏(まがいぶつ)です。
先人の技術に感嘆しながら、
毛越寺(もうつうじ)へ向かいます。
奥州藤原氏の二代目、藤原清衡(ふじわらのきよひら)により建立
とにかく、庭園がすばらしく
ぶーくんのデジカメでは広くて美しい庭園を撮ることは不可能でした。
あやめまつりが開催されてました。
しかし、超ダメな写真です。
中尊寺へ向かいます。
中尊寺へ向かう為
最強角度の月見坂を登ります。
ぶーくんもかなりきついと思うような坂を
一緒のバスの70歳のはずのおじいちゃんが、
さっくっさくと、登っていきます。
回りをみると、杖をついたおばあちゃんも登ってました。
中尊寺の金色堂を目指しますが
金色堂はかなり遠いです。
弁慶堂
等身大弁慶の立像が安置されてますが、撮影NGです。
途中、松尾芭蕉の像が立ってました。
有名な、
夏草や兵どもが夢の跡
この歌は奥州藤原氏の滅亡と義経・弁慶について歌われているのですね。
その地に立って改めてこの歌を詠むと胸にしみます。
登って、登ってようやく到着ですが、
金色堂は撮影不可で、外観もなんとなく撮影してはいけないような気持ちになったので、写真はなしです。
中尊寺は、
奥州藤原氏一代目にあたる
藤原清衡(ふじわらのきよひら)により造られます。
清衡は、戦いに継ぐ戦いで民が疲弊しているのを見かね、
平和な世の中を願い中尊寺を建てたたとのこと。
金色堂は金箔と螺鈿細工により、煌びやかで荘厳で当時の奥州藤原氏の力がよくわかります。
のちに、マルコポーロがジパングの黄金伝説として伝えてます。
金色堂の美しさに感激しながら、
おみくじを引きました。
ブラボー!!
大吉です。
お参りを済ませて、
来た道をもどりますが、すっかりお腹がペコペコです。
おそばの義家さんです。
旦那さまは、ざるそばと丼物セットです。
ぶーくんはせっかくなので平泉式のわんこそばです。
これを、
薬味と一緒に自分のペースで食べます。
いろいろな味を楽しめるので、大変楽しくおいしかったです。
わんこは12枚1重ですが、自信がなく1重で食べましたが多分3重くらいないらイケそうです。
そして、中尊寺を後にして最後は猊鼻渓(げいびけい)を目指します。
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