2019年12月5日
朝、目が覚めると母の様子がおかしい
実際、退院してすぐのことだから、体調を崩してもおかしくない状況。
姉が母の体調チェックをしていると、体温が39度オーバー
母をそのままお別れ会に参列させるのは無理があるのと、治療も必要ということで
姉が母を連れて病院へ行くことに
お別れ会は義兄を中心に行うことに。
ただ、簡易的にお別れ会という形をとったので、ここではお坊さんを呼ばずに火葬場へ
義兄の車についていく形で出発
父とのお別れをして、焼却炉へ入っていくのを見送ったあと、
焼けるまでの間、待合室で食事をする
少し山にあるので、雪は解けてません。
お弁当はとても美味しかった
タイミングが悪いというか
私は、焼きあがる前に旦那を空港まで迎えに行かないといけないのでここで一旦離脱。
義兄と姪、甥にお願いすることになりました。
考えてみると、娘二人とも骨を拾ってあげていないですが、
可愛がっていた孫3人に拾ってもらえたからいいのかな・・・
空港まではちょっと山道になるため
ちょいちょい、アイスバーンになってました。
途中、きつねまで出てきたり・・・
空港まで旦那を迎えに行くと、義兄からLINEが
「お骨を葬儀社に持って行ったから受け取って家に戻って」とのこと
旦那の運転で帯広市内に向かいます。
旦那が「この車って、直進制動とか悪くね?事故車じゃねえの?」
私は、ブレることはあまり気にしないんですが・・・
旦那は7日に帰る、わたしは10日に帰る・・・
心の中で
『あんたは、7日に帰るからいいけどわたしは10日まで乗らなきゃいけないのに、今、それ言う?デリカシー0じゃね?』と、悪態ついてました・・・言葉に出すのが嫌でもあった(わたしもそんな気がしたから・・・)
お骨と、祭壇に飾った花や果物を積み込んで自宅へ
自宅に戻ると、母も病院で点滴をしてもらったとのことで、少し顔色もよくなってました。
私たちが到着するまで、
姉がお坊さんにお経をいただこうということで連絡を取っていたのですが、なかなか連絡がつかなかったとのこと。
到着後、もう一度電話したら、住職さんは(息子さん)さすがに師走ということであっちこっち走り回っているそうで、大先生(前住職)が電話にでて20分後に迎えに来てくださいとのこと。
旦那と二人で迎えに行くと、大先生が待っていてくれましたが視力がほとんど無いということでした。
たしかに、足元がおぼつかず心配してましたが、うまく歩いているのがすごいな~と思った次第。
車のなかでいろいろとお話をしていただいた中で、お寺さんと我が家は遠縁にあたるとのことで、本来なら葬式をお寺でやらず、お経だけというのは失礼にあたるようなのですが、遠縁とういことでお経をあげてくださるとのことでした。
大先生は母の状況もわかってくださっているため、通常の作法である
七日、七日、七日・・・を四十九日までやり、春まで月命日にお経をあげて雪が解けたら納骨ということらしいのですが、明日(6日)に納骨を済ませましょう。雪が降る前にやっておいたほうがいいと教えてくれました。
先に納骨をすることで本来の作法の手順を踏まなくてもいいですよとのことでした。
そこで母が、墓の中に砂利を買ってきて入れたいと話をしたら
大先生が「墓の中に砂利などを入れる必要はない」と、言ってましたが、母がかたくなに砂を入れたいといっていて、姉が朝、帯広から買ってくると伝えると
大先生が「売っている石は人工的にくだかれ、モノによってはコーティングしてることもあるので、それを使うことはあまりよくない。もし、入れたいなら海の砂などを入れるほうがいい」と説明してくださったので、私と旦那で朝とってくることにしました。
その夜は、遺骨のある部屋に旦那と私が布団を並べて寝たのですが、私の左隣に旦那、右は押入れでした。
深夜、寝ていると右側に何かが無理やり私と押入れの間に入ってくる(グイグイと押される感じ)感覚があり、こりゃ目を開けちゃいけん気がして、ぎゅっと目をつむっているとしばらくするとスッと感覚がなくなりました。
力をお落としでしょうが、お父様の為にも元気でいらして下さいますよう。
本当に突然だったので、やることが多くてあたふたしているうちに、そういえば、父さんも穏やかだったし、食道癌が悪化して苦しむことが無くてよかったな~とかそんな感じでした。
これから、いろいろと思い出したりするのかもしれないです。