近所を散歩していると「田代宿高札場」の標識があります。
その下の道路には「長崎街道 伊能忠敬測量基準点」とあります。
伊能忠敬とは地図を書いた方ですね。
長崎街道とどんな関係があるのでしょう?パソコンで伊能忠敬について資料を調べてみました。
『伊能 忠敬は、(延享2年)1745年~文化15年(1818年)は、江戸時代の商人であり測量家でした。
寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量して「大日本沿海輿地全図」を完成させました。
九州では、文化6年(1806年)~文化8年(1811年)にかけて小倉を出発し東九州や長崎街道を測量ました。』
第8次 伊能忠敬測量日記 第19巻
(文化9年7月23日~文化9年10月13日)
経過日 : 291
宿泊日 : 文化9年9月23日
西暦 : 1812年10月27日
宿泊地 : 鳥栖市田代町 本陣 荒木孫治 長崎屋善九 角屋甚兵衛
(以上、伊能忠敬資料館の資料より)ありがとうございました。
また『ふるさと佐賀探訪記』を書かれた方の写真と記事は詳しくてビックリしました。
近所に住んでいながら私は何も知りませんでした。
『田代宿外町の天満宮前に、荒木家が勤める本陣がありました。ここには幕府の測量方・伊能忠敬も泊まりました。』と書いてありました。
これを知って、伊能忠敬さんが急に身近に感じられました。
今迄こんな偉人の方が通られた長崎街道をぼーっと歩いていました。
これからは、高杉晋作さんや伊能忠敬さんを少しでも思いながら散歩しましょう(^_^)