陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「プライベート Attacker」(二)

2011-10-27 | 感想・二次創作──マリア様がみてる

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都立病院行きのバスの扉から吐き出された人は少なかった。
乗り込んだバスは、あいにく、一席しか空いていなかった。加東景はその相手と相席になった。降りるのは停留所を三つか四つ経過したところ。すこぶる健康体の景ならば、相手かまわず、腰を下ろしたりはしない。なにせ、行き先が行き先だけに。父親の看病をしたことがある彼女だからこそ、病を得た者が腰を下ろす場所を欲しがっているのは痛いほどわかるのだ。

けれども、彼女をその最後の空席に引き寄せたのは、十代の女の子だったからだけではない。その手もとに開かれたものだった。

イヤホンを耳に入れて、英語がびっしり書かれた本を読んでいる少女。どこかで見たことのある顔だと思った。いったいどこだったのだろう? それは雨の日だったような気がする。さて、彼女はこんな地味な髪型だったかしら。

「あの…なにか?」
「いえ、おじゃまだったのならごめんなさい」
「もしや、こちらの本に興味がおありなのですか?」

声にツンとした張りがある。先輩にも平気でもの言えそうな。赤毛の前髪を一直線に切りそろえているものだから、眉間のしわがひときわよく見える。瞳は印象的で人形のように愛らしいのに、なぜこんな顔をするのだろうか。そういう顔をしないと自分を守れなかった、そんな人生を歩んできたのかもしれない。実家が大変だった時期の自分もそうだったのかしら。

「うん、そうなの」
「そうですよね。たいがい、集中しているときの私に声をかけてくる、酔狂な人なんていませんから」

なあんだ。本に没頭していたから、あの顔か。ご機嫌が悪いわけではないらしい。こういう子、どう扱えばいいんだろう。聖さんみたいな人だったらおちょくるだろうけども、こじらせそうだし。あの祐巳ちゃんみたいなタイプなら、あんがい、うまく懐かせるのがうまかったりするのかもしれない。

「ずいぶんつれないこと言うのね。貴女可愛いから声かけてくる男性も多いと思うけど?」

言ってみてから、第二の言葉は自分ながら蛇足だと感じた。
こんな美少女をさらりと口説くようなこといえるなんて。まったく聖さんの口調が乗り移ってきたのかしら。そうは思いつつ、景はまんざらでもない自分がいるのを認めた。

「褒め言葉は本気にしないようにしてるんです。我が家の四百年来の家訓ですから。ご先祖様は言いました──『人生は重き荷を背負いて歩むがごとし』だと」
「…そう」

景のつぶやきがことのほか頼りなげだったのは、思考が別のほうへ飛んだからだった。
その台詞、天ぷらにあたってぽっくり逝ったある歴史上の人物の台詞じゃなかったっけ? ほら、NHKの大河ドラマで戦国時代あたりだと、何度も登場する、あの有名な。自分で薬を調合して健康に気をつかっているわりには、あっさりした最期だったもんだと拍子抜けしたものだ。してみると、この少女は旧華族の出で、しかもあの江戸城にお住まいだった一族の関わりか。名前が分からないので、さしあたって、トクガワさんと名づけておくことにしようか。こういった名づけも、あの悪友からの影響に違いない。

自分がトクガワさんと会話したなんて知ったら、あの志村早記がどんな顔するやら。
なにせ大阪人でもとりわけ大阪城近くに生家があったという彼女は、とにかく徳川と名のつくものをとことん毛嫌いしているらしい。

「それで、こちらの本がどうかされましたか?」

景がちらちらと視線を止めているのを気にしたのか、トクガワさんはその本を持ち上げて、表紙を指さした。
頑丈な装丁のハードカバーと、手軽な廉価版のペーパーバックといった違いはあるが、まちがいない。それはまさしくあの本だ。表紙の絵が変わろうと、そのタイトルが別物であろうはずがない。景の口もとに微笑が浮かぶ。知っている本を手に取る読者がいると嬉しい──それは本に携わる仕事をする人間の職業病なのかもしれない。買ったのか、それとも、図書館で借りたのか。表紙にはラミネート貼りしたコードは見当たらなかった。



【マリア様がみてる二次創作小説「いたずらな聖職」シリーズ(目次)】





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