──人間の中身は、その人が読む本の質で決まる。
…なんて、しゃちほこばったことを誰が言ったのだろう。
本なんてものは、自分を装うための小道具にすぎない。私たちが共通のグループに属することを、そこに服従することを示すための、格好のアイテム。
たとえば、このぎっしりと座席の埋まったバスを見渡してみてもわかる。
一人目は斜め前に座っている中年紳士。
たいていは日本経済新聞を広げているけれど、私は知っている。彼がひそかに三国志をアレンジしたライトノベルを愛読していることに。彼がそれを読むのは、きまって、三丁目バス停前を通り過ぎてからだ。それまでは彼の同僚が、同乗していることがあるからだった。彼のカモフラージュは完璧なもので、そのライトノベルの表紙にはわざと吉川英治版の文庫本の表紙をかぶせてあるのだ。だからちらっと覗きこまれても、劉備だの、孔明だの、それらしき名前があれば疑われることなどない。会社の上役から、偉人の歴史小説を読むことは許されるのだろう。その大陸の英雄が実はじつは女体化されていることなんて、自分は仕事していますと言いたげな、社会の顔した大人たちは知る由もない。
二人目は奥の座席のコギャルふうの女子高生。
彼女はいま真剣な面持ちで、マニキュアをした手で、工学系の教科書をめくっている。手に職をつけるのに必死なのだろう。彼女はきっと学校では、ゆるいケータイ小説の話題などで盛り上がっているに違いない。でも、誰も知り合いが見ていないこの車内で、彼女ぐらいの女の子たちがケータイをいじっていたり、化粧をしていたり、ぼんやりと窓の外を眺めていたりする、その人生の余白のような時間を、彼女は必死に将来のために充てているのだ。
三人目は男子大学生。
パーカーを着て裾のほつれたジーンズを履いている、どこにでもいそうな学生。オタク風でもない彼が読んでいるのは、最近話題になっている少女漫画。しかも胸がきゅんとするラブロマンス。
男が少女漫画なんか目にしていると気味が悪いというご意見もあるけれど、それはかなりの偏見。あの男子学生はガールフレンドが多くて、仕入れ先に不自由しないのだろう。話題作りのために読んでいるだけだ。
ああ、いけない。いつもの癖で人間観察が過ぎてしまった。
ずれ落ちそうになっていたイヤホンが、私をきょうの日課に連れ戻してくれる。いつもの巻き髪がないせいで、どうも調子が狂ってしまう。けれど、それは致し方ないこと。役になりきるためには、日常茶飯事、「そのご本人」として一日を送るのが効果てきめん。いまの私は、英語の勉強をしている女子学生。それ以下でも、それ以上でもない。
【マリア様がみてる二次創作小説「いたずらな聖職」シリーズ(目次)】