陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

「夜の眇(すがめ)」(二十二)

2009-09-30 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女

おもむろに、姫子が自分の袖口のなかをごそごそと探り出した。
おしとやかに袖後ろの振りから手を突っ込まない。肌襦袢が覗いてはしたないのではないかと目を逸らしたくもなるが、姫子は袖口を絞るようにして持ちつつ、器用に探しものをする。着物は洋服よりも隠し場所が多いものであるが、かりそめにも巫女として育てられたはずの千歌音には、不浄が溜まるからといって、多くを身に潜めないようにしている。袖が重いのも、軽がるしく振り回し過ぎるのも、なんとも野暮ったい。そもそも、千歌音は自分で何もかも身に着けて暮らすような用意周到さに欠けていた。いつも誰かが鞄になってくれ、蔵が用意されていた。

永遠に見つからなかったら、姫子はどうするのだろう。
からだを探りながら、ふしぎと着崩れない姫子を凝視するのが悪い気がして、千歌音は木漏れ日がうつろう梢に視線を上げた。しばらくして、千歌音は手首をくいっと回された。

ひろげたてのひらのうえに、桜色が散らばった。
花びらのような淡い色合いのそれは、可憐な二枚貝だった。人の爪のようにつるりと光っている。指の付け根にくいこんで、握ろうとすれば、かりりと軽やかな音がした。桜といっても、色の層があって蜜柑にも近ければ、紅にも、葡萄いろにも見えた。

「千歌音を苦しめる悪い夢は、私が買いとってあげる。お代はこちらでいかが?」
「…まさか、これをずっと持っていたの?」

千歌音は遠くの星に不思議な影を見出したかのように、まるで信じられないといった態で、桜貝に目を落とし、そして姫子を見た。まばたきひとつせずに。

これは、幼き日のみぎりに、あの古井戸に落とし込んだ宝物であった。
すっかり忘れていたが、これを友にして夢中で遊んだものだった。この桜貝は並みの桜貝ではなかった。亡き月の大巫女が別誂えでつくらせたもので、いわゆる骨牌(かるた)の原点である、あの二枚合わせにして雅に遊ぶものではない。大巫女の館では、神事のあいまに無聊を慰めるために行われる囲碁のようなものであった。要するに、駒や碁石を貝殻にした陣取りの盤上遊戯である。表に穴が開いていて、その穴の数や大きさ、さらには縞の太さや濃さなどで攻め方、進み方が異なる。さすがに賭け事めいてはいなかったが、姉巫女たちがこれにのめりこんでいた。ひとの思考の裏をかいたり、感情を逆立てたり、なだめたりしながら競うことに面白さを感じないわけがない。しかし、千歌音はこれで誰かを相手にして勝つことも負けることもなかった。大巫女の孫娘に挑みたがる者はいなかったからだ。したがって、誰にも奪われることはなかった。そもそも、千歌音の持ち分だけは競うための穴がつけられていなかった。千歌音の遊び方といったら、おはじきのように指ではね飛ばすか、床に並べて絵文字でも描くしかない。あるとき、そのうち二枚だけがきっちり重なり合ってしまって、どうにもこうにも外れない。気味悪くなって、千歌音はそれに触れなかった。それでも、それは大切な想い出のひとつに違いなかった。

子どもにとって、きれいで大事なものは、みんな自分だけに通用する秘密の貨幣のようなものだった。やがて、そんな玩具は日常から締め出されてしまう。値札のつけられる価値を求めるのが、大人になることだと信じはじめた頃からそうしてしまう。大人の顔になるために、そうしてしまう。はじめて出会ったときには、井戸にがらくたを投げ込んで、と揶揄した姫子だったのに、こんなものまで後生大事に保管していたのだろうか。あのときは、子どもっぽさをあざ笑われたのだと思っていたのだ。そして、いまでは、千歌音もそれを正しくがらくただと思っていた。そのがらくたを、姫子は袖の奥深くにしまいこんでいた。

「この貝殻を一枚いちまい、毎日、泣き惜しんで古井戸に投げ込んだ女の子はね、いつも神様にお願いごとをしていたの。祝詞がうまく言えますように。舞いが上手になりますように。お作法が美しく、おばあ様に褒められますように、姉巫女さまにからかわれないように。願いの貝殻はいつか尽きて、しまいには、どんどん高価なものが見境なく落ちてきた…」

姫子が恬淡として語りだした話を、千歌音は目を閉じて聞いていた。
瞼がおのずと熱くなる。そう、たしかに、あのころ、自分は生活の中心から花びらを一枚ずつむしりとるように、井戸へとなけなしの宝物を放り込んでは、そこから夢が湧きあがるのを、かたくなに信じていた。楽しみを失くしていくのが楽しいはずがなかった。

「ものを無体に捨てたのではない、お礼やお別れを丁寧に告げてから、心をこめたそれらを手放していった。その子が、最後に自分の一番の想い出を棄てたとき、それでも、その重すぎる願いは叶ったわけではなかった…。彼女の大切なひとは、二度と還ってはこなかった。次に、その女の子が井戸に戻ってきたとき、わたしは、はじめてその祈り手の願いを否定しようと思った。あなたは、ほんとうは、そんなこと、これっぽっちも願っていないのだと言いたかった」

姫子は知っていたのだろう。
身寄りがなくなって、大巫女さまのお邸の井戸に立ち寄った私が、最後に何を棄てようとしたのかを。絶望というものが、いかにひとを生きながらの骸(むくろ)に近づけさせるのかを。私が姫子を井戸の底から拾ったのではなかった。私の命を姫子が拾ってくれたのだ。私が井戸から身を躍らせたとしても、姫子ならば受けとめてくれたかもしれない。けれど、喪失は隕石を胸に受けるように、誰かを押しつぶす。絶望の重みでひとを倒すよりは、ほんのわずかだけ、もたれかかって休ませてもらうだけでいい。病に倒れたおばあ様の命乞いで井戸に奉納したあの這子(ほうこ)は、姫子に生まれ変わって戻ってきたのだ。積もりつもった憤懣と悲嘆、生まれてきたことへの呪詛めいた思いとが、洗い流されていった。



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