ここ近年の日本のアニメ漫画、特撮などサブカル人気の勃興は凄いもので。
かつてはジブリぐらいだったアニメのテレビ取材も、いまはオタクっぽいマニアックな作品まで取り上げられることがあってびっくりしています。
オタクが高齢化しているせいか、十数年前に人気を博した話題作がスピンオフや続編、あるいはリブート作品として新たに生みだされています。
メディア戦略もしたたかで、大手情報サイトにリークされることも多く、ネット上ではすぐに情報を得られ、拡散していきます。とくに数年間充電状態だった気鋭のクリエーター氏の作品だと感慨もひとしお。
…のはずが、いざ鑑賞してみたら、なんとなく違和感がある。なぜか胸躍らない、なんてことがよくあります。大概「つまらない」「面白くない」のひと言で片付けがちで、作品を解する努力を免責してもらっている感覚になるのですが、後味が悪い。だって、一度は旗振り役に回った側だもの。
もちろん、その主因の大半は、感情の老成だったり、倫理が幅を利かせすぎたり、われわれ個々人に起因するものだったりする。ただ、単純にそうだとも言いきれない面もあります。
その作品が好きだったのは、たまたま自分が好む要素がもりだくさんだっただけだったとか。それを拾い読みしていただけなのだとか。
たとえば、私は十数年前にある魔法少女アニメを熱烈に応援していました。でも、そのアニメ、主人公が大人に近い三期が好きで、世代間の軋轢と和解やら、軍隊的な組織の力学とかが描かれていたからで。一般的に人気があるアニメ無印の、小学生時代の可愛さや、いかにも変身魔法少女です、みたいな夢のある部分はさほど好きではなかった…のかもしれない。
同じように、あるキャラが必ず出てくるシリーズものを狂ったように愛していたけれども。
そのキャラが和風の装いで、風光明媚な田舎にいて、互いを想いあい、偲びあう奥ゆかしい言動をしている旧作はいい。しかし、新作のいかにも都会ナイズドされた世界で、したたかに計算高い女の子になっていて、自己利益のために相手を騙すが、あとからその行為が愛ゆえに補完されて許されるという筋書きについて、あんまりときめかない。そんな現状にいささかモヤモヤしています。旧作をあまりに理想化しすぎていたのかもしれない。
別にその萌えな少年少女が好きなのではなくて、その背景にあった、廃墟や神殿や意匠や武具や、なんらかのギミックに惹かれていただけ、みたいな。作品ではなくて、作者の美意識や嗜好になんとなく共感していただけで。ある作品のある部分ではお互いにうまく好きが噛み合っていたのに、ある日、綻びが見えてしまうんです。作者と読者との共犯関係で築き上げていたブランドが、その瞬間、もろくも崩れてしまう。作者が何がしか粗相をしたわけでもなしに、なぜか読者側がそう感じ取ってしまう。
その時代だから許された表現だとか、大胆な遊びとかがあって。
あるいは、まだこちらが若かったからその不快さや不気味さに気づけなかった演出や言い回しもあって。二次元で単純にステレオタイプにされてしまった情動とか、振る舞いとか、飽きてしまう。人間の描き方ってそうじゃないだろう、と思ってしまう。年々、そういうのに馴染んでいくのがしんどいなと感じるようになってしまったんです。
これは物語のみならず、アイドルや歌手や役者でもなんでも、表現にまつわるものはそうなりやすい。アスリートみたいに強さや勝利が点数化されないだけに。
だから、最近はあまりアニメや漫画の類はあまり多く摂取しないようにして。ドキュメンタリーや社会性のある実写のドラマを極力楽しむようにしています。作り手のテーマが自分のうちに取り込みやすいからです。
(2021/07/04)