goo blog サービス終了のお知らせ 

神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

世界の名言  杉原千畝

2016-12-17 10:05:24 | キリスト教

世界の名言(244)人道、博愛精神第一という結論 

世界は大きな車輪のようなものですからね。
対立したり、あらそったりせずに、
みんなで手をつなぎあって、...
まわっていかなければなりません…。

私のしたことは外交官としては、
間違ったことだったかもしれない。
しかし 私には頼ってきた何千人もの人を
見殺しにすることはできなかった。
でなければ私は神に背く。

大したことをしたわけではない。
当然のことをしただけです。

恐らく百人が百人、東京の回訓通り、
ビザ拒否の道を選んだだろう。
それは何よりも昇進停止、乃至、
馘首が恐ろしいからである。
私も何をかくそう、回訓を受けた日、
一晩中考えた。

ユダヤ民族から永遠に恨みを買ってまで、
旅行書類の不備だとか、
公安上の支障云々を口実に
ビザを拒否しても構わないというのか?
それが果たして、
国益に叶うことだというのか。

苦慮、煩悶の揚句、私はついに、
人道、博愛精神第一という結論を得た。
そして私は、何も恐るることなく、
職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、
今も確信している。

杉原千畝(1900~1986年)、第二次世界大戦中のリトアニアで、ナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人に対して、日本政府の命令に背いて日本通過ビザを発給し、約6千人もの命を救ったとされる外交官。自らの工場で働くユダヤ人を救ったことで知られるドイツ人実業家、オスカー・シンドラーになぞらえて、「日本のシンドラー」とも呼ばれている。

1900年1月1日、岐阜県八百津町生まれ。早稲田大学高等師範部英語科を中退、外務省の官費留学生として満州(現・中国東北部)のハルビンでロシア語を学んだ後、同省に採用される。満州、フィンランドなどでの勤務を経て、39年にリトアニアの日本領事館に領事代理として赴任した。「命のビザ」を発給したのは、40年夏。

ポーランドを追われてきた大勢のユダヤ人避難民が、ソ連・日本を経由して第三国に移住しようと日本通過ビザを求めてきた。杉原は、要件を満たさないユダヤ人避難民にも人道上ビザの発給を認めるよう外務省に願い出たが認められず、悩んだ末に独断で発給を決断。領事館は既に閉鎖が決まっていたが、出国直前までの約1カ月間、発給を続けたという。

その後、チェコ、ルーマニアなどで勤務し、46年に帰国。翌年、外務省を退職した。訓令違反のビザ発給を理由に退職に追い込まれたとの思いから、退職後は外務省関係者との交流を断ち、86年7月31日に死去した。

「命のビザ」のエピソードが知られるようになったのは、69年にイスラエル政府が杉原に勲章を授けてからだという。85年1月にはイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」として表彰され、91年にはリトアニアの首都にある通りの一つに「スギハラ通り」と名前が付けられた。

もっと見る
画像に含まれている可能性があるもの:1人、座ってる
自動代替テキストはありません。
 
<form id="u_ps_jsonp_5_0_9" class="commentable_item" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{"><input type="hidden" name="fb_dtsg" value="AQF7QlAOM_UK:AQEH_AHrtnJJ" /><input type="hidden" name="ft_ent_identifier" value="924918837642839" /><input type="hidden" name="data_only_response" value="1" />
超いいね!
いいね!
超いいね!
うけるね
すごいね
悲しいね
ひどいね
 
コメントする
 
</form>