旅先で、聞いた悲しい話です。
夫の葬式をすませたあと、妻は親しい友にもらしました。
「神さまは、ほんとうにいる。」
夫は80歳を前にして、まさに突然死にました。何一つ兆候もなく、朝、起き
てこないので、寝室をのぞいたら、眠るようにしんでいたのです。
夫は、典型的な男尊女卑、女好きで、家ではいばりちらし、いつも命令一つ
で、妻を自分につかえさせました。
朝、ひげをそるときは、お湯をたらいに入れて、妻が運ぶ。熱すぎても、
ぬるすぎても、どなって突き返す。夜中でも食べたいときは、妻に命令して
それを作らせました。「はい」と返事をしてすぐに取りかからないと、手が飛
んでくるのでした。
突然死で、妻に喜ばれた人は、なんと不幸な人生を、いきていたことでし
ょう。
「神さまなんか、居ない。」とつぶやきつつ、苦労で、塗りたくられた人生
を、夫を恨み、妻を恨みつつ、先に終えていかなければならない人達も、居
るでしょう。天国でその苦労を解かれてほしいものです。
人生60年も生きると、勉強や経験をたくさん重ねて、人間大成してよさそ
うなものですが、たやすくないというのが大方の反省ではないでしょうか。
高齢期に進むにつれて、ケチな人はケチの完成に向かうそうです。
ウソをつく人は、ウソの成熟に、自分勝手な人は、本能が自分勝手をき
わめようとするそうです。
心を貧しく生きた人は、不要な競争心で、実績やお金や名誉や肩書を残
そうと焦り、醜くなります。
根に劣等感を持つ人も同じです。
自分で、自分を変えることは、本当にむずかしいことです。
しかし、だれにも、かえなければならない自分があります。
自分の幸福のため、ともに生きる人たちの為にも、年齢相応に自分を変え
なければなりません。
「神さまは、ほんとうにいる。」
互いに元気な間に、神様からのすくい頂いて、「まあ、合格かな」の自分を
いきようではありませんか。
ミッション2001伝道者 岸 義紘
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