肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

最後の晩餐

2011-11-24 00:52:41 | 日記

今日は祝日。
息子も学校がお休みでした。
数日前に約束していた実家に夕飯を食べに行きました。
家で大豆の煮物、山芋と昆布と油揚げの煮物、ジャガイモのジェノベーゼ合えを作りました。

5時頃に実家に行くと兄は買い物に出かけていて帰ってから麻婆豆腐と山芋とおくらのお焼きを作ってくれました。
食事の用意が出来たのでベットに行きます。
ベットから食卓はすぐですが移動も一人では出来ないので迎えに行きます。
テーブルに着くと沢山あるわねと言っていました。
いつも向かいに座る私はいつの間にか母の様子を良く見るようになりました。
とてもしんどそうです。
でもお薬も飲まなくてはいけないし作ってくれたんだなと気も使っているんだと思いますが
やはり食べる事自体が辛いようで深いため息をつきながらごめんね、食べれなくて。
こんな感じで一緒に食べても美味しくないよねと申し訳なさそうに言います。
そんな事ないんだよと言ってもごめんねばかり。
私は一緒に食べれるだけで幸せなのに。

最後の晩餐だねと母が言いました。
私も実家に行く前はそんな事ばかりが頭の中にあり辛かったのですがそれでは楽しく過ごせません。
涙を流しながらの食事はもう嫌です。
ホスピス言ったって共用のキッチンもあって料理を作って楽しんでいるそうです。
最後じゃないんだよ、ホスピスで皆でご飯食べれるし外泊して家にもかえれるんだからねと話します。

母は息子も来ていて食事をしていたので気をつかったのかお愛想も言えなくてごめんねと言いました。
息子はきにしていません。兄が作ったマーボー豆腐を気にいり一生懸命食べていました。
そして、ごめんね、色々話したいんだけどしんどくて横になりたいのと小さく言いました。
食事の時も食べるのがしんどいと言い数日前の時よりまた衰弱したように感じました。
悲しいけどやはりタルセバの威力は期待出来ないのだと感じました。
当たり前に思っていた生きる事って実はとても大変なんですね。

明日は学校があるので夕飯を食べてからバスで帰ります。
ベットで横になっているのにいつもいつも人の事が気になります。
バスの時間は大丈夫?良く忘れ物をする私に対して大丈夫?息子の用意は出来た?寒く無い?
とにかくベットで横になっているのに気持ちはいつも人の事ばかり。
もっと人に任せて待っていれば良いのに気になって仕方ありません。

帰る時にベットに行き今日は帰るからね、明日迎えに来るからねと伝えました。
母は涙を流し最後だね、今までありがとうねと言いました。
ホスピス行ったら薬も飲まなくなるしどうなるのかしらと不安を言葉にしていました。
私はずっと分からずにどうしたらいいのかも考えられなかったのですが正直な気持ちを言いました。
母も今でも揺れているとおもいます。
だからホスピス行って薬を飲まない事や一人で淋しいならいつでも帰ってきたらいいじゃないと言いました。
これはお医者様やホスピスにとっては迷惑な話だと思いますがやはり薬を断って生きるのは並の考えでは出来ません。
痛みに苦しみ、その痛みから解放されたいといった状態では無いし意識もしっかりしたは母にとっては
揺らぐと思います。
帰っておいで、薬を飲まない事で不安になったり一人でさびしかったりするなら遠慮なく帰っておいで。
それは周りに迷惑を掛ける事だとは分かっていますが終末期に入った患者が揺らいだりする事をどうか
許して欲しいです。
毎日、ろうそくが消えてしまうのかもと気にして生きて行く事がどれだけ辛い事か。
分からないけど分かりたいです。
たまたま知り合いの方がホスピスに行ったのを両親は何人か聞いています。
苦痛が無く過ごせると思ったのがきっかけです。
でも今の母は痛みで寝れない苦痛はありません。でも違う苦しみはあります。
それならホスピスでは無くても先生も最後まで面倒をみると言ってくださったので家族一緒いたいと思ってしまいます。
何が母にとって良いか何度も言いますが分かりません。
ただ最後位思いっきりわがままを言って周りをふりまわしても良いと思っています。

とにかく明日の朝9時に迎えに行き10時までにホスピスに行く予定です。
ぶっきらぼうの兄も来てくれるみたいで安心です。
父は泊る予定だそうです。
私は息子の6時間授業が終わる前に帰る予定です。
余り息子の流れも変えたくありませんがいずれそれも無理な時が来るとは思います。
最後じゃないんだよ、ホスピスでだって一緒にご飯食べようね、泊ろうねと皆とも息子も話します。
どうか叶いますように。。。
クリスマスもお正月も一緒にお祝できますように。
一生懸命美味しいおせちをまた作るからまた皆で家で食べようね、、ママ。

自分の誕生日と母

2011-11-23 00:20:47 | 日記

今日は私事ですが誕生日でした。
この年になるとお祝いなんて感じではありませんけど。
が、母は毎年忘れずにお祝をしてくれました。
これが最後かもしれないからと言いながらお祝いをくれました。
今まで私達はずっとお祝をお互いにしていました。
何が気にいるか分からないけれどその都度色々考えながら買い物をしていました。
それがとても楽しかったです。
でも今年は買い物にも出れる体では無いしおめでとうでは無くてありがとうと言われました。
こんなの全然嬉しく無い。
でも形にだけは残したいから掃除機買いました。
そうしないとお金っていつも気がつけば無くなっている事があるので。。。

母の誕生日はお雛さまの日です。
母は本当に朗らかで明るくていつも人が側にいて笑顔の絶えない雰囲気の人でした。
デパートで働き華やかでおおらかでセンスがあり憧れ素敵でした。
お友達と旅行に行ったり飲みに行ったりと楽しそうに10年以上働いていました。

でもそのきっかけは私の家出でした。
私はやんちゃでした。
心配、苦労を考えると可愛そうになる位心配性の母には辛かったかと思います。
若気の至りとは言いますが突然に娘が居なくなる事は本当に寝れない毎日だったと思います。
久しぶりに会った母はとても痩せていたのを今でも忘れられません。
余りに母が心配しすぎ変わりはて、父が働いて気持ちを変える事を勧めたのがきっかけです。
こんな娘ですが母親っこで学生が済んだら一人暮らしをしたのですが毎週実家には帰っていました。
学生の頃は嫌いだった両親でしたが友達以上に大事になり気が付いたらもっともっとの存在に。
結婚して子供を産む時に母が陣痛の時にずっと手を繋いでくれていました。
病院は完全看護でしたので夜になったら身内も帰らないといけなかったのですがギリギリまで
母は側に居てくれていました。
私は手を繋いでくれている事が本当に心から不安が取れて心のよりどころになりましたが
夜になり母が帰ってから一人になり不安と淋しさでいたたまれませんでした。
母が手を握ってくれたのがどれだけ心に残った事か。。。

私の母は明るくおおらかでひまわりや太陽の様な人です。
母がいるだけで周りに人が集まり楽しくなり羨ましく思ったものです。
私は逆の性格なのでいつもそう思っていました。
その母が今は笑う事がなくなりました。
大きな声で笑っていた母はいなくなり今はほほ笑むだけです。
もう心から楽しく笑う事はないのかもしれません。
気を使いほほ笑む母を見るだけです。
パパが何してるか気になるからフラフラしながら見に行くのと言います。
ざっくばらんだったけどキチンとした人でいつも部屋が綺麗に掃除されていました。
父は母に任せっぱなしだったので気になる事が沢山あるみたいです。
年を取りのろのろと時間が掛かるのがとても気になるようでイライラもするみたいです。
前には無かった事です。
でもお互いにごめんね、ありがとう、悪いねといいながら支え合っている両親を見ると
結局、夫婦の中には立ち入れません。
本当に憧れて羨ましくお互いに大事にする姿を見ていると今後の事に関して私が言っても
違うと感じます。

今でも私はなにが良いのか分かりません。
タルセバの量を減らしポララミンを飲んだ事により夜中のかゆみが一回に減っているし
見た目も落ち着きました。
その時にホスピスの電話は私にとってとても複雑でした。
ぎりぎりまで頑張らせるのは可愛そうと思いつつ家で過ごさせたい、一緒にいたいと思う
気持ち、それに母の揺れる思いをキチンと整理させる事を周りが出来るはずがありません。

なんとなく見た映画が大切な人を亡くすものでその横になっている人が自分の母だと思ったら
いたたまれなくなりせっかく誕生日を祝ってくれた家族の前でずっと泣いていてしまいました。
息子には不安を感じさせている日々で不安定な気持ちにさせている事で可愛そうな思いをさせています。
本当にごめんね。言わなくていい事も言って不安にさせている。でも子供が母の事を気にしないで
いられるのも嫌で言っちゃう。
未熟な親を持つと本当に子供は可愛そうです。

ホスピスから電話

2011-11-21 13:32:41 | 日記

出先で父から電話がありました。
ホスピスから電話があり明日に決まりました。
いつも急で心が付いていけません。
私の都合が悪く1日延ばして貰うように電話して貰ったら24日にもベットが開くそうで変えて貰いました。
足りなかった母の薬を届けるので顔を出しに実家に行きました。
母の側に行くと、ついに決まったわと淋しそうに話始めました。
今まで有難う、最後まで面倒掛けるわね。こんな病気になってごめんね。もっと長生きするつもりだったのにね。
もうお別れの様な言葉の数々。
こうやって話をしているのにどうして死んでしまう話をしなくてはいけないのでしょうか。
ふらついてだるくてしんどいけど、それが死に繋がるなんて思えない。
いっぱい話たい事が山ほどあるのに浮かばないって。
手を握らせてと言われ繋ぎました。
いつも冷たくなっていた手は温かかったです。
強く握りさすり撫でて叩いて私の手を大事に繋いでくれました。
溢れる涙はもう止める事は出来ませんでした。
涙を見せない様に背中を見せていたら肩を抱いてくれました。
涙を流しているのが分かりました。
何故こんな辛い事が現実にあるのでしょうか。
この先が怖くて仕方ありません。

実家

2011-11-19 17:22:21 | 日記

実家に泊りで行きました。
兄がいて先に茶碗蒸しの用意をしてくれていました。
母の為に喉越しの良いものを考えたのでしょう。
くわいも入って母も喜んでいました。
青森のせんべい汁は昼に叔母が作っていってくれたみたいです。
私はイベリコ豚のきのこクリームソースと根菜のきんぴらです。
美味しく食事をしました。

ところが母が急に泣きだしました。
皆と一緒にいたい、淋しい、いつまで生きられるか。
声を出してボロボロと流す涙は辛く辛く悲しいものでした。

ホスピスからの電話

2011-11-17 18:06:42 | 日記

昨日の午前中に父は先生とホスピスに電話をしました。
ホスピスは2~3週間待つと言われたそうです。
余りに待つので母は自分が持つのか不安もあったようで地域連携室の方に相談しました。
連携室の方がホスピスに電話をしてくれ話をして下さいました。
そして今日、ホスピスから電話があり明日ならと言われたそうです。

さすがに早く行きたいとは思いますが今日の明日では心の準備が出来ません。
その為に父が1週間程延期して欲しいと伝えたそうです。
でも明日に開くベットは待っている他の患者さんが入りますので次がいつに
なるかは分かりません。
ホスピスに行く体力があるうちに移れればと思います。