今日は祝日。
息子も学校がお休みでした。
数日前に約束していた実家に夕飯を食べに行きました。
家で大豆の煮物、山芋と昆布と油揚げの煮物、ジャガイモのジェノベーゼ合えを作りました。
5時頃に実家に行くと兄は買い物に出かけていて帰ってから麻婆豆腐と山芋とおくらのお焼きを作ってくれました。
食事の用意が出来たのでベットに行きます。
ベットから食卓はすぐですが移動も一人では出来ないので迎えに行きます。
テーブルに着くと沢山あるわねと言っていました。
いつも向かいに座る私はいつの間にか母の様子を良く見るようになりました。
とてもしんどそうです。
でもお薬も飲まなくてはいけないし作ってくれたんだなと気も使っているんだと思いますが
やはり食べる事自体が辛いようで深いため息をつきながらごめんね、食べれなくて。
こんな感じで一緒に食べても美味しくないよねと申し訳なさそうに言います。
そんな事ないんだよと言ってもごめんねばかり。
私は一緒に食べれるだけで幸せなのに。
最後の晩餐だねと母が言いました。
私も実家に行く前はそんな事ばかりが頭の中にあり辛かったのですがそれでは楽しく過ごせません。
涙を流しながらの食事はもう嫌です。
ホスピス言ったって共用のキッチンもあって料理を作って楽しんでいるそうです。
最後じゃないんだよ、ホスピスで皆でご飯食べれるし外泊して家にもかえれるんだからねと話します。
母は息子も来ていて食事をしていたので気をつかったのかお愛想も言えなくてごめんねと言いました。
息子はきにしていません。兄が作ったマーボー豆腐を気にいり一生懸命食べていました。
そして、ごめんね、色々話したいんだけどしんどくて横になりたいのと小さく言いました。
食事の時も食べるのがしんどいと言い数日前の時よりまた衰弱したように感じました。
悲しいけどやはりタルセバの威力は期待出来ないのだと感じました。
当たり前に思っていた生きる事って実はとても大変なんですね。
明日は学校があるので夕飯を食べてからバスで帰ります。
ベットで横になっているのにいつもいつも人の事が気になります。
バスの時間は大丈夫?良く忘れ物をする私に対して大丈夫?息子の用意は出来た?寒く無い?
とにかくベットで横になっているのに気持ちはいつも人の事ばかり。
もっと人に任せて待っていれば良いのに気になって仕方ありません。
帰る時にベットに行き今日は帰るからね、明日迎えに来るからねと伝えました。
母は涙を流し最後だね、今までありがとうねと言いました。
ホスピス行ったら薬も飲まなくなるしどうなるのかしらと不安を言葉にしていました。
私はずっと分からずにどうしたらいいのかも考えられなかったのですが正直な気持ちを言いました。
母も今でも揺れているとおもいます。
だからホスピス行って薬を飲まない事や一人で淋しいならいつでも帰ってきたらいいじゃないと言いました。
これはお医者様やホスピスにとっては迷惑な話だと思いますがやはり薬を断って生きるのは並の考えでは出来ません。
痛みに苦しみ、その痛みから解放されたいといった状態では無いし意識もしっかりしたは母にとっては
揺らぐと思います。
帰っておいで、薬を飲まない事で不安になったり一人でさびしかったりするなら遠慮なく帰っておいで。
それは周りに迷惑を掛ける事だとは分かっていますが終末期に入った患者が揺らいだりする事をどうか
許して欲しいです。
毎日、ろうそくが消えてしまうのかもと気にして生きて行く事がどれだけ辛い事か。
分からないけど分かりたいです。
たまたま知り合いの方がホスピスに行ったのを両親は何人か聞いています。
苦痛が無く過ごせると思ったのがきっかけです。
でも今の母は痛みで寝れない苦痛はありません。でも違う苦しみはあります。
それならホスピスでは無くても先生も最後まで面倒をみると言ってくださったので家族一緒いたいと思ってしまいます。
何が母にとって良いか何度も言いますが分かりません。
ただ最後位思いっきりわがままを言って周りをふりまわしても良いと思っています。
とにかく明日の朝9時に迎えに行き10時までにホスピスに行く予定です。
ぶっきらぼうの兄も来てくれるみたいで安心です。
父は泊る予定だそうです。
私は息子の6時間授業が終わる前に帰る予定です。
余り息子の流れも変えたくありませんがいずれそれも無理な時が来るとは思います。
最後じゃないんだよ、ホスピスでだって一緒にご飯食べようね、泊ろうねと皆とも息子も話します。
どうか叶いますように。。。
クリスマスもお正月も一緒にお祝できますように。
一生懸命美味しいおせちをまた作るからまた皆で家で食べようね、、ママ。