肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

自分の誕生日と母

2011-11-23 00:20:47 | 日記

今日は私事ですが誕生日でした。
この年になるとお祝いなんて感じではありませんけど。
が、母は毎年忘れずにお祝をしてくれました。
これが最後かもしれないからと言いながらお祝いをくれました。
今まで私達はずっとお祝をお互いにしていました。
何が気にいるか分からないけれどその都度色々考えながら買い物をしていました。
それがとても楽しかったです。
でも今年は買い物にも出れる体では無いしおめでとうでは無くてありがとうと言われました。
こんなの全然嬉しく無い。
でも形にだけは残したいから掃除機買いました。
そうしないとお金っていつも気がつけば無くなっている事があるので。。。

母の誕生日はお雛さまの日です。
母は本当に朗らかで明るくていつも人が側にいて笑顔の絶えない雰囲気の人でした。
デパートで働き華やかでおおらかでセンスがあり憧れ素敵でした。
お友達と旅行に行ったり飲みに行ったりと楽しそうに10年以上働いていました。

でもそのきっかけは私の家出でした。
私はやんちゃでした。
心配、苦労を考えると可愛そうになる位心配性の母には辛かったかと思います。
若気の至りとは言いますが突然に娘が居なくなる事は本当に寝れない毎日だったと思います。
久しぶりに会った母はとても痩せていたのを今でも忘れられません。
余りに母が心配しすぎ変わりはて、父が働いて気持ちを変える事を勧めたのがきっかけです。
こんな娘ですが母親っこで学生が済んだら一人暮らしをしたのですが毎週実家には帰っていました。
学生の頃は嫌いだった両親でしたが友達以上に大事になり気が付いたらもっともっとの存在に。
結婚して子供を産む時に母が陣痛の時にずっと手を繋いでくれていました。
病院は完全看護でしたので夜になったら身内も帰らないといけなかったのですがギリギリまで
母は側に居てくれていました。
私は手を繋いでくれている事が本当に心から不安が取れて心のよりどころになりましたが
夜になり母が帰ってから一人になり不安と淋しさでいたたまれませんでした。
母が手を握ってくれたのがどれだけ心に残った事か。。。

私の母は明るくおおらかでひまわりや太陽の様な人です。
母がいるだけで周りに人が集まり楽しくなり羨ましく思ったものです。
私は逆の性格なのでいつもそう思っていました。
その母が今は笑う事がなくなりました。
大きな声で笑っていた母はいなくなり今はほほ笑むだけです。
もう心から楽しく笑う事はないのかもしれません。
気を使いほほ笑む母を見るだけです。
パパが何してるか気になるからフラフラしながら見に行くのと言います。
ざっくばらんだったけどキチンとした人でいつも部屋が綺麗に掃除されていました。
父は母に任せっぱなしだったので気になる事が沢山あるみたいです。
年を取りのろのろと時間が掛かるのがとても気になるようでイライラもするみたいです。
前には無かった事です。
でもお互いにごめんね、ありがとう、悪いねといいながら支え合っている両親を見ると
結局、夫婦の中には立ち入れません。
本当に憧れて羨ましくお互いに大事にする姿を見ていると今後の事に関して私が言っても
違うと感じます。

今でも私はなにが良いのか分かりません。
タルセバの量を減らしポララミンを飲んだ事により夜中のかゆみが一回に減っているし
見た目も落ち着きました。
その時にホスピスの電話は私にとってとても複雑でした。
ぎりぎりまで頑張らせるのは可愛そうと思いつつ家で過ごさせたい、一緒にいたいと思う
気持ち、それに母の揺れる思いをキチンと整理させる事を周りが出来るはずがありません。

なんとなく見た映画が大切な人を亡くすものでその横になっている人が自分の母だと思ったら
いたたまれなくなりせっかく誕生日を祝ってくれた家族の前でずっと泣いていてしまいました。
息子には不安を感じさせている日々で不安定な気持ちにさせている事で可愛そうな思いをさせています。
本当にごめんね。言わなくていい事も言って不安にさせている。でも子供が母の事を気にしないで
いられるのも嫌で言っちゃう。
未熟な親を持つと本当に子供は可愛そうです。