肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

無呼吸

2012-02-05 21:33:15 | ホスピス

今日は初めて電車で母の所に行きました。
車と違い時間が結構掛かりました。
行くと母は寝ていました。

父に聞くと今日の昼から無呼吸の状態が出始めたとの事でした。
2,30秒の間、無呼吸をして大きな呼吸をするのをずっとしているようです。
声を掛けても目を開けてはくれません。
ずっと喉もゼロゼロしていていますが吸引しても取れずにいます。
看護師さんには家族を呼んでも良いかもと言われたようで叔母に電話をしている時に
偶然父と病院の外で会いました。
私にも電話をしようとした時だったようです。

ずっと声を掛けたりマッサージをしたりしましたが反応はありませんでした。
叔母は風邪をひいたから来週に行くと先日言っていたのですが父と電話をして
母の状態を聞いたら心配になり後から来てくれました。
皆でずっと声を掛けたりします。
一度看護師さんが体の向きを変える時に目を開けましたがしばらくしたら目を閉じてしまい
声を掛ける事が出来ませんでした。

ただ脈はしっかりあるからと言われ子供の学校もあるし5時頃に一度帰宅する事にしました。
父に外でご飯を食べて帰りなと言われお金を貰ったので息子と行きました。
食べている時に父から電話があり叔母が帰った頃から無呼吸が落ち着いたそうです。
安心してご飯食べなと言われました。
少し安心出来ました。
後から看護師さんが来て話してくれたのが肺も呼吸をするのが疲れてしまうそうです。
無呼吸は体を守る為に休憩したのでしょう。
明日、叔母と一緒に午前中に行くつもりです。
私が見た状態より落ち着いてくれていると信じて会いに行きます。

父や息子が部屋を出ている時に手を繋いだり頬と頬を合わせたり、足をマッサージしたりしました。
歩かなくなった足はこんなになるのかと涙が出てきます。
ゆっくりクリームを塗るとしっとりします。
眉や口元の産毛もまた生えてきたので綺麗にしました。
病気の頃に目も見えなくなり気になっているけど出来ずにいて頼まれていました。

色々の話をしながらお手入れしました。
看護師さんは聞こえているからいっぱい話しかけて下さいねと言っていましたが今日の母には
本当に聞こえているのか分かりません。
でもだからこそ言えたのかもしれません。
今まで心配ばかり掛けてごめんね、今度もまた私を産んでね、その時は親孝行の子供になるから、
良い子になるからと伝えました。
いっぱい大事にしてくれてありがとう、心配掛け過ぎて病気にさせてごめんね、一緒のお墓に入る事に
したんだよ、ずっと一緒だよと言いました。
多分、目を開けていたら言えなかったと思います。
ちゃんと伝えられなかったですがこれが精一杯でした。

母の転移は多分体中に散らばっている事でしょう。
3か月前の脳の転移も凄くて驚きましたがそれ以上の物になっているのだと思います。
でもその為に痛みを感じていないのかもと先生がおっしゃったそうです。
今の状態だともの凄く苦しく痛みに耐えられないようですが母はモルヒネも4のままです。
転移のせいで痛みが無いのなら本当に救われます。
ずっと癌以外にも沢山の物が重なった母にはもう苦痛は必要ありません。
あと一度だけでも母とコンタクトが取りたいです。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
親子の絆 (由美)
2012-02-05 22:43:48
お母様に伝える事が出来て良かったですね

必ず聞こえていらっしゃいますよ。
そして心で応えていらっしゃいます。

生まれてきてくれて有難う。
元気に成長してくれて有難う。
親孝行してくれて有難う。
良い子で有難う。
きっとそう思っていますよ。

明日、穏やかなお母様に会える様願っています。

返信する
ありがとうございます。 (yon)
2012-02-06 09:02:39
2度もコメントありがとうございます。
いつも力になって頂いている気がして頑張れます。
ただ残念ですがいよいよその時が来たようです。
今から行ってきます。
返信する

コメントを投稿