肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

100ヶ日

2012-05-21 12:15:04 | 日記

5月18日に母の100ヶ日がありました。
父と叔母二人、私と夫でお墓参りに行きました。
荒れて変わりやすいと言っていたお天気でしたが青空が出て気持ちの良い新緑を楽しめる日でした。

母は来た事を分かったでしょうか?
仏様になったのでしょうか?
遠くから見ているのでしょうか?

お墓参りが終わってから実家に行き皆でお昼を食べました。
実家のご位牌の前には相変わらず沢山の花で囲まれていました。
そしていつも花を添える父と毎食変わるお供えを用意してくれている兄に感謝しています。
多分、私には出来ないと思っています。

こんな私を母には見られたくないです。
こんな子だったんだって知られたくないです。

次の日に去年、母と一緒に行ったマルシェに行きました。
叔母と父と息子と同じメンバーです。
今年も同じ位に良いお天気に恵まれました。
写真は去年に撮った空。同じ空でした。
去年の今日には母が一緒に新緑の木陰でランチをしていたんだねと話しました。
信じられない位の早さで全てが変わってしまった事に改めて気付かされました。

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2 コメント

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有難うございました。 (由美)
2012-05-21 17:26:34
温かい言葉を何度も何度も見せて頂きました。母にも伝わっていますね。

何でしょうか?あっという間に初七日も過ぎましたが、実感がわかない時には母は入院して居ないだけでは?と思ってみたり、遺影を眺めていても居る様な。
声を掛けても返事が無いのも、ベッドで寝ていた時の延長の気がしたり。

受け入れていたつもりなのに、心が認めていないのでしょうか?


新緑のお写真は、見る時期が違うとこんなにも寂しい、哀しい風景に変わる事を私も何度も体験しました。母と歩いた場所、出掛けたお店、写した風景何もかも遠い昔の気がします。

いつまでこんな思いをするのでしょうか?
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Unknown (yon)
2012-05-21 22:17:29
とってもとってもお気持ち分かります。
だって今の私もまだ実家やホスピスにいるのではないかと思って過ごしているのです。
あれだけ辛い別れをして涙はどうして枯れないのだろうと思って過ごしたのに。
少しづつ少しづつ母との出掛ける時間が減っていき病院に居る時間が増えた事に気持ちが慣れてしまったのでしょうか。
訪ねれば居ると思ってしまい悲しみに繋がりません。
でも実家に行くと母の元気だった笑顔の写真が沢山飾ってあり見ると涙が溢れてきます。

家庭ではいつもの様に過ごしていて薄情な自分を責めたくなったりもしてしまいます。
100ヶ日の日に叔母二人と父はまだ100日しか経ってないのねと言っていましたが私だけはずっと昔の様に感じていました。
やっぱり気持ちが受け入れていないのでしょうか。
叶う物ならもう一度母に会って話をしたいたいです。。

ごめんなさい、私事の多いコメントになりました。

由美さま。
時の流れに任せて良いのではないでしょうか。
私は普段の生活をしていると母を忘れてしまわないかと不安になる事がありました。
でも母を忘れる事など無い事も分かりました。
程良い距離で母と繋がって良いのかと感じ始めていますがまだまだ、なかなかです・・・

まだまだ辛くそして慌ただしい日々をお過ごし事だと思いますがお母様とご一緒にゆっくりと季節の時間を過ごされたらと思っています。
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