肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

お通夜の準備

2012-02-11 09:39:20 | 日記

9日に葬儀社の方が実家に来ました。
決める事は沢山ありました。
家族葬にする事以外に色んな死亡届などの書類、花、お料理、お返し、骨壷の種類、カバーの種類、
棺桶の種類、そのカバーの種類、分骨の種類、泊まりの部屋の事、とにかく沢山の事を決めました。
火葬場も込み合っており当日の夜に葬儀社の方が取れたのは4日後の事でした。
毎日、母の所に行く途中に見たお葬式の看板はたまたまでは無くて本当に毎日、身近な場所で誰かが
亡くなっているのだと感じました。

母はお花が大好きでした。
なので沢山のお花に囲まれる様に盆に花の部分だけが入ったものがあってそれを母の周りに置く物を
たっぷりと頼みました。
送り花と言うそうです。
洋花で季節の物にしました。
好きなピンクが入っていると良いです。

骨壷も花の柄が入った物にして名前を入れて貰いました。
父はどうしても母を側に置いて置きたいと言い分骨の小さな壺も頼む事にしました。
いつも言葉が帰ってきた人の骨に向かって話す父を想像したら何て淋しく辛い事なんだと母のいない事の
現実を見せつけられる思いです。

4日間の間、実家に居るつもりが息子のインフルの為に次の日から自宅に戻っています。
先ほど、父から母の迎えの事や料理の事で改めて電話があり打ち合わせしました。
旦那と息子はインフルが皆に移ると困るので自宅に居て貰う事になりました。
お料理は自宅に運んで貰える事になり二人で母の事を思い出しながら食べて欲しいです。
母の見送りは父と兄だけになり母にとっても父にとっても淋しい事だと思います。
一緒に4日間いてあげたかった。
今日で最後なんだなと父が言っていました。
亡くなっていても顔も変わらず側にいたから話掛けたり触れたり出来たのにこれからはその体が
無くなってしまい心のよりどころが無くなってしまいます。
蝋人形の様にずっと側に居て欲しいです。
体が無くなるという事って本当に心が壊れてしまいそうになる程悲しいものですね。

今日は夕方に葬儀社に行き6時くらいからお食事をしながら母を守ります。
明日の13時には本当のお別れが来ます。
耐えられるか心配です。