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肺がん余命宣告されてからの日々

母が肺がんになり余命を宣告された日からぼちぼちと記して行きたいと思います。

病院からの電話

2011-10-07 20:47:52 | 肺癌

今日はお昼の食事に間に合うようにと父と病院に行きました。
行くと母はベットで寝ていましたがお昼ご飯はMRI検査の為に食べれないでいました。
入院患者なので間に入れての検査なので時間はいつになるか
分からないそうです。
検査の前に父が母の体全体に薬を塗りました。
フラフラなのでゴロンとベットにいながら父が塗ります。
夫冥利につきるなぁ、こんな事ならいつでもしてあげるさなんて話してました。

家族が居ない時は看護婦さんにトイレに連れて行って貰っているのですが
昨日の夜から車いすになったみたいです。
お昼は歩かないと筋力が落ちるからと母が言い私が連れて行きました。
ベットから立ち上がるのが大変そうでした。
そして50センチ程先の場所でガクッと膝が折れて倒れそうになります。
足に力が入らないのと上半身もフラフラするそうです。
足がまっすぐにならないの、と言い見たら膝が曲がったままで、
歩く時も小股でゆっくり歩きます。
それでもフラッとします。昨日よりも悪く感じました。

後から叔母も来て病気の話もそうですが色んなお話をして楽しく過ごしました。
笑う母の顔が好きです。
今日は良く見れました。

子供が帰ってくるので2時半頃先に帰宅。
すると5時半頃に母から電話がありました。
枕元に携帯があるので移動をしないですぐに掛けれます。
母の話は、
今日のMRIの結果で脳の転移が増えていて大きくなっている、むくみもあるとの事で緊急に点滴をする事になったそうです。
父に電話したらまだ帰宅していなかったようでこちらに掛けたのです。
すぐに父に折り返し電話をしたらさっき家に着いたんだとタイミング良く
捕まりました。
父にその事を話している途中に息子が病院から携帯に電話がなってると
言いに来ました。
すぐに父との電話を切り、電話に出たら先生からでした。

先生は、多分お母さまから電話で聞いているでしょうがと簡単な経緯をお話してくれたのですが電話ではなんですのでお父様と一緒に今後の治療の事など
お話したいので来てくれませんかと言われました。
三連休も始まるからとも思っていましたがなんだか不安にもなりました。
なぜか涙が出て車の運転はにじむ景色との戦いでしたが絶対に両親の前では泣かないと決めていたので迎えの時には涙を拭いて治療方針の話だからねと車で話して病院に向かいました。

心配するから病室には行かず直接ナースセンターに直接来てと言われ
看護婦さんに先生を呼んで貰いました。
話は今回のMRIの結果を細かく教えてくれました。
先生は入院当日に話した手のガタガタと震えた痙攣に気持ち悪さを覚えたそうです。
そしてここ数日の状態の悪化などが気になり早急に検査を入れ結果を見たのです。
9月にした検査とは別人の様に変化していると言いました。
CEAも先月は415だったのに今回は767になっていました。(基準値5以下)

怖いのはむくみもあるので早急な対処が必要になったようでステロイドの点滴とむくみを取るグリセロールをしています。
明日からは朝、夕方の2回にして徐々に少なくしていく予定だそうです。
余りの悪化で先生自体もびっくりしていました。
最後に画像を見せて貰いましたが一カ月前には教えて貰わないと分からない転移の場所が大きな水玉模様の様に全体的にありました。
腫瘍の大きさは1センチ程ですが数は数え切れない位あり衝撃を受けました。
言われた通り同じ人のとは思えませんでした。

そして一番心配なのは髄膜に転移の可能性がある事です。
初めは大きいのがあれば一か所中心で放射線の予定でしたが髄膜には
放射線は効かないし、全体的に広がり大きくなりその方法では駄目になりました。
それに今の母の事を考えると副作用が結構あるのでそれがいい方法とは
思えないとしました。

髄膜の転移の怖いのはもちろん放射線は効きませんが髄膜から全体に
広がるので神経症状として痙攣、意識障害、麻痺などが出てくるそうです。
痙攣は止めなくてはいけないそうでその為の薬で意識が無くなったりもする時に心臓マッサージなどをしたり管を入れたりとしますが母の体にそれをするのは自身の希望の延命を止める事、体に大きな負担がある事なのでタルセバや
点滴の効き目が出ない時には最悪、数日~1カ月の命だと言われました。

余りに急に言われ決めていた涙も抑えられませんでした。
だって、末期の患者さんみたいに7キロ痩せましたがげっそりと骨と皮みたいになっていないし足だってまだまだふんわりしています。
ベットの上で座ってお話したり笑ったりも出来ます。
ただ数日前からふらつきが強くなったので歩けなくはなりましたが。。
食事も前に比べたら凄く減りましたが昨日持って行ったトマトの詰め合わせは美味しかったのか結構減っていてびっくりしたんです。
それが髄膜の転移から広がったら数日だなんて信じられませんでした。

入院の初日から緩和も入れて痛み止めとしてモービック、痺れ止めとして
リリカ、頓服でオキノールを出して貰っています。
少し指先の痺れが無くなったとも言っていました。
でも素人には分からなかった変化を先生は気づいていました。
夕方に来た先生は母の右側のほうれい線が薄くなっていると言いました。
それは脳梗塞などの患者さんに見られる症状で脳からの影響の様です。

約一カ月イレッサをやめた事で爆発的に増えたみたいです。
母が爪などに苦労し微熱やだるさなど日常生活が出来なくなる副作用で悩み
イレッサを辞めたいと思いホスピスを口に出した事で無治療になった事が大きな原因ではあるようです。
マーカーも横ばいから上昇を始めたのはありましたが治療としては
普通の場合、ギリギリまで薬は止めずすぐに違う薬に変えるのだそうです。
母は運良く頭の転移に効いていたのでイレッサを止めた事であっという間に
増えたのです。
精神的にも肉体的にもギリギリに居た母だったしそこまで進行するなんて
素人には想像も出来ませんでした。
止めた当日のMRIで変わりがないと言われた事に対しても油断をしてしまいました。
先生には希望していたホスピスは難しいかもと言われましたがこれらはすべてタルセバや点滴が効かない時の最悪の事の仮定です。

タルセバは一カ月の間に間質性肺炎の心配が多い事と副作用は
大体一週間位から出るそうです。
その時に母がまた副作用で治療に対して止めてしまいたいと思わない様に
したいのですがイレッサに比べて凄く強い薬ですので副作用も出やすいみたいです。
救いは150ミリの薬を100や75、50などに減らせるのでなるべく時間をかけてジワジワと効いて欲しいです。

先ほど、父から電話がありました。
私たちが病院に行っている間に母から何度も電話があったそうです。
後から兄が帰宅して電話に出た時には父はまだ帰宅していずメモに書いてある「病院に行って来る」との言葉をそのまま母に伝えていました。
母は父が心臓が悪いのでもしかしたら具合が悪くなり病院に行ったのかも、
入院でもするのかもと凄く心配してなんども電話したそうです。
その話をしている時に父が帰宅して電話を変わりました。
どこに行っていたの?具合悪いの?と聞かれ、私から電話があり母からの
電話があった話をする為に近くでご飯を食べに行ったと言ったみたいです。
良くそんな言い訳がすぐに思いついたとびっくりですが母のタイミングにも
びっくりしました。
人間には虫の知らせの様に不思議なタイミングってあるのでしょうか。
勿論、今の母はそこまで自分の状態が緊急だとは思っていないでしょうから
母の事で病院に行っているとは結びつかなかったと思います。
ただ後から色々と考えないでくれたらと願っています。
神様、どうかタルセバが効きますように。。。

入院2日目とマーカーの結果

2011-10-07 00:02:21 | 肺癌

母が入院したので私事ですが美容院に3カ月ぶりで行きました。
すっきりさっぱりです。
以前、出かけている時に電話があり冷蔵庫が壊れたので電気やさんに連れて行った欲しいと連絡がありました。
しかし用事も終わっていなかったし家まで1時間以上掛かる場所だったので困った事を思い出します。
留守電は昼頃だったのですが聞いたのは夕方4時過ぎ。
冷蔵庫なんてすぐに発送してくれないと近所の家電屋に電話で聞いた様でどうしよう。。。との事でした。
駄目もとで急いで側にあったヨドバシに行ったら当日発送は4時までと言われました。
じゃ明日でもしょうが無いと思い冷蔵庫売り場にいったら冷蔵庫に4時半まで当日OKの張り紙が!!
その時の時間は4時28分頃でした。
急いでサイズを電話で聞き注文して夜の7時頃には着いたそうです。
そんな事や突然の具合で病院に行きたいなどがあり行くなら入院している今かと思い済ませました。

帰りにデパートで少なめに一人分のお惣菜を売っているお店で何種類か野菜のおかずと焼き魚と
色々な種類を混ぜたプチトマトのセットとブドウの色々のお手軽セットを買いました。
その足で病院に行きましたがもうお昼御飯の時間は過ぎていたので夜や明日に食べれる様にと渡しました。
一人用なのでわずかな量なのですがこんなに食べれないと言っていました。
でもトマトをつまんで美味しいと笑顔も。
今日の夜ごはんにはビビンバの巻きずしと白和えを食べると言っていました。

行った時には父がいました。
母はふらつきがまた酷くなっているんだよと言ってベットのすぐ側で1メートルも無い水道の場所にも
行けないと言っていました。
お腹から上がフラフラして歩けないと言っていました。
その後、暫くしたら薬剤師さんが来て薬の副作用の説明があるので別室に行く事になったのですが
私はその時にお昼を食べていたのと先生から散々聞いていたのでもういいやと断り病室で待っていました。
でも1時間しても全然帰ってこず、子供も学校から帰ってきてしまうのでそのまま帰宅しました。
夜になって父に電話したら他にも沢山の薬を飲んでいるのでその話などで長くなったそうです。

その後、先生が来て先日採血した結果でCEAの結果が700位だったようでわざわざ伝えに来てくれ
もし脳に3センチ程の物があるなら全脳ではなく部分放射をする方が今の悩んでいる状態が良くなるので
勧めて頂き了解したそうです。
全脳は嫌と言う母の気持ちを尊重してくれていました。
数日で明らかに悪化しているのが目に見えているのですごく不安です。
でもそのふらつきが薬のせいか、筋力の衰えなのか、脳からなのかの判断を今は判断出来ないので
MRIと一週間薬を飲んで見れば原因も分かるのでやっていきましょうとの事だったらしいです。

CEAは今までの中で一番高い値です。
マーカーが上がってきていたのは肝臓に出来た大きな転移のせいだろうと先生がお話していたのですが
脳の方が心配です。
沈黙の肝臓の場合はなかなか症状に出ないのでやはり脳かなとも。。。
どうかタルセバが効きますように。



入院初日

2011-10-05 15:42:34 | 肺癌

朝9時に父母を迎えに行き病院に行きました。
2度お世話になった病棟で今回は重篤患者さんが入るナースセンターの所の部屋でした。
通されたベットは通路側だったのですが当日、退院する方が居て窓際に移れました。
窓からの明かりがあり明るく過ごせるのでほっとしています。
看護婦さんには今は一人で出来る事が少なくお手伝いが必要な事がある事を伝えました。
自分で動こうとして骨折される方が大変なんだからナースコールをしてくれる事がこちらは
助かるからいつでも呼んで下さいと言ってくれました。

まず尿検査、血液検査、心電図、レントゲンの検査がありました。
ナースセンターは近くて便利なのですがトイレまでの距離が遠くて少し心配です。
検査の為に一緒にトイレに行きましたが母は足元がふらついてとても一人では
歩ける状態ではありませんでした。
先日の痙攣前ではそこまでのふらつきは無かったのですが今日は酷くなっていました。
つまずきそうになったりしていて持ってきたクロックスのサンダルだと倒れそうになり無理でした。
もう一足、叔母が用意したサンダルだと大丈夫だったのでそちらを履く事にしました。
健康な人間には分からない事だったのですが、筋力など弱った母は足を引きずるように歩いていたので
クロックスのゴムが地面に引っ掛かり転びそうになるのだと知りました。
右手はずっとだるくて初めは手の先だけだったので昨日は二の腕、今日は上腕まで出てきて
手を切り取ってしまいたいと母は言っていました。

先生からは治療方針のお話がありました。
イレッサを止めて1カ月ちょっと経ちました。
今までに無い手のだるさや痺れ、痙攣の症状からその間に進行している可能性はあるとの事でした。
なのでタルセバだけでは無くてオキシコチンを使い緩和治療も一緒に始める事になりました。
今日から緩和を始め明日からタルセバスタートです。
脳の転移がこれ以上悪くなっても母は全脳の放射線治療はしない事にしました。
そしてもし突発的な事が起きた時に延命をするかを聞かれ母はしないと伝えました。
なんだか死に近づいた感じがして怖くなりました。
まだ治療もしていないのに先を決めておかなくてはいけないのは辛いです。
どうか、タルセバが効いてくれますように。。。
神様、お願いします。

メンタルの診療日

2011-10-04 14:35:19 | 肺癌

お昼は母のメンタルの診察日でした。
昨日の電話の事もあり心配していましたが会ったらもっと心配する事がありました。
車に乗ってしばらくしたら昨日は大変だったのよ、と言いだし父が説明を始めました。
すると、一昨日からの話になるのですが夜寝ていたら母の声で起きたそうです。
大きな声でパパ、パパと呼ばれ起きたら腕が震えているとの事でした。
小刻みにブルブルと震えていたそうでマッサージを40分程したそうです。
そして昨日はまた震えると言われ様子を見たらガタガタと大きく手を振り回す位の
痙攣になっていたそうです。
母は怖い、怖いと言って父もどうすれば良いか分からなかったようで
病院に電話すればいいのかどこに電話すればいいのかとウロウロしていたら7分位で
収まり母はそのまま寝てしまったそうです。
聞いて本当にびっくりしました。
二日も続いているのだから今度は救急車を呼ぶように言いました。
母はこれで最後かもと思ったそうです。
体の中から突き上げてくるようなガクガクした震えで抑えられず体がブンブン動くのは
恐怖だったでしょう。。。
聞いただけで体が冷たくなりました。

診察の時にその事と入院の不安について話をしたようです。
痙攣に関しては一種類の薬に100分の1の確立で痙攣があるようで薬を変えて貰いました。
そして入院に関しては治療はした方がいいんじゃないかと先生にも言われ少し落ち着いた様です。

今の状態をみると入院が明日からで逆に安心しています。
痙攣の事もあるしお薬の相性もあるので先生や看護婦さんが側にいるので暫くはほっと出来そうです。

骨シンチの結果

2011-09-29 19:54:45 | 肺癌

昨日、母は皮膚科に行くついでに父と美容院に行きました。
まずは美容院の隣にある理容室に父と行きスタイルをお店の方に伝え、母は美容院に父に連れて行って貰い自分もカットです。
父はいつも母にカットして貰っていましたが母の目が見えなくなり理容室に行くように勧めていました。
母は自分が居なくなった時に父が困らない様に理容室に一度連れて行きたかったのです。
二人ともいつもより短くカットし若返った感じです。
皮膚科では毛細血管拡張症の治療で液体窒素の治療でした。

今日は大事な骨シンチの結果でした。
結果は肝臓に2~3センチ程の転移が2か所見つかりました。
胆石も見つかりました。
以前にやったCTの時には認められなかった所見でこの2カ月で転移したとの事です。
脳と肝臓に増えた事でマーカーが上がったのでした。

これからについて4つの提案がありました。
1、タルセバを経口する
2、全脳の放射線で治療してから抗がん剤
3、骨転移を重点にゾメタで骨折の予防とその都度の痛みの緩和
4、ホスピス

タルセバは余り脳には効かないと聞きます。
でもやってみなければ分かりません。
母は全脳の放射線は絶対に嫌だといいます。それは網膜を傷つける可能性があるからです。
今も片目で不自由しているのにこれ以上見えなくなっては辛すぎるのと痴呆の可能性もあるのです。

タルセバはイレッサよりきつい薬なので副作用もそれなりに強く出るそうです。
皮膚障害、粘膜障害、間質性肺炎など辛いものです。
イレッサをやめて指が良くなるかもしれないと期待をしていたのに薬を飲めばまた酷くなりせっかく痛みが
消えてきたのに何も出来なくなってしまう。 

入院も目の見えない母には辛いものです。
一番の理由はそこにありました。
一人で何も出来ずその不安、家族と離れる不安、今の母は一人でいる事が怖く心が壊れそうになるのです。
目が見えていたら。。。目が見えていたら。。。
何百回も聞いたと思います。それだけ切実で大変な毎日を送っているのです。
今まで見えていたから余計にそのギャップに付いていけず慣れようにも慣れない。
前は目が見えていたから入院しても自分の事は自分で出来て散歩など足が弱らない様にと動けていましたがトイレさえ一人で行くのもなかなか出来ません。

毎日、父が母に寄り添っています。
ベットで寝ていたら側に座って痺れた手をマッサージしたりお腹が張ればマッサージしたり不安な時は
ずっと側で話を聞いたり慰めたり。
そんな人が居なく毎日を過ごすのは怖いのかもしれません。

でも今回の先生の提案は担当医だけでは無くて日本でもまだ少ないがん薬物療法専門医がいるので
その先生とも母の性格なども当てはめて考えてくれたものだそうです。
その為にタルセバも2週間の入院で様子を見るのは普通ですがその間に効き目が無いようだと打ち切ると
いう短期間で結果を出す物でした。
副作用をとても敏感に気にする母にとって1ヶ月後の結果より短い期間で決め辛いようならすぐに止めると
いうやり方を考えてくれたのです

母は4つの提案を聞いた時にも治療には気がすすまないようでした。
3つ目の提案をやりたかったようです。
もっと生きて一緒に遊びたかったなと言っていたのに息子と色々行きたかったなと言っていたのに
治療よりも副作用の無い方を選ぼうとしていました。
でも治療をしないと後どのくらいですかね?と先生に母は尋ね先生はこの前にお伝えした通りですが
あれからまた日が経っていますのでその前後はあるとは思いますと、言いました。
母は父にいいよね?決めた事だしね。と言いましたが私は短かったけどイレッサが効いた母がタルセバを
しない事がどうしても勿体無い事の様に思えたのです。
望んでも治療法も選べず治療も出来ない人もいるのだからと。。
なので隣に座っている父にそっとほんとにタルセバやらないの?と聞きました。
母は私にもどう思う?と聞きました。父は私がやって欲しいと分かったようでした。
私は母に嫌なら辞めよう、副作用が出て辛かったら止めよう、だから試してみない?と言いました。
父も母の気持ちを知っていたのですが私が勧めたのもあったせいか嫌なら辞めよう
放射線はしないでいこうねと母の意見をくんだ言い方をして伝えました。
余り気がすすまないな、と最後に母は言いましたが先生も進行してからだと治療も出来ないし今なら
無治療より楽で過ごせる提案をしたと言っていました。
やはり無治療は進むのが早いのだと悟らされました。

10月5日に入院をして6日からタルセバを開始する事になりました。
診察が終わり私が会計の場所にカルテを持って行った短い間に母は大粒の涙を流していました。
父は何か母に言っていました。聞こえませんでしたがそんな事言っちゃだめだよって聞こえた気がしました。
私に聞こえたら悪いからという感じに思え後から私がタルセバを進めた事はどうだったのだろうと思いました。
母は少しの延命より家族と過ごしたい、と思っていたのに。

私は今、何人かの肺がん治療を行っている方のブログを毎日見ています。
残念ながら少し前に亡くなった方がいたのですがご本人がいつもブログを更新していました。
最後の方は治療も止めたのですがそれは諦めた訳では無くその都度最善だと思う治療をしてきたし
今は苦痛の無い方を選び家族と一緒に居たいと言っていました。
ずっと頑張ってきたとも言っていました。
でもあえて頑張れと言った方がいらっしゃった様で凹むとも。
私が今日母に言った事は同じかもしれない。
母は辛かったかも。。
明日、お決まりのお泊まりだから父にそっと本当の母の気持ちを聞いてみようと思います。
母の辛さを知っているのに自分の気持ちを押し付けて駄目な娘だな。