もとは落語ですからわかりやすいストーリーです。初演も明治のなかば、五代目菊五郎の晩年のころだからそのはず(調べろよ)、
なので、肩の凝らない小品に仕上がっています。
わかりにくい点というか、タイトルから誤解されてしまうのですが、
主人公は「文七」という名前の人ではありません。
「なかなか主人公出て来ないなあ」と、うっかり前半部分を流して見てしまうと悲しいことになります。
主人公は「長兵衛」さんといいます。左官屋さんです。
発音は「しゃかんや」だと思います。
けっこう稼いで、表通りに家を持っていた時期もあるのですが、
基本的になまけものなのと、バクチと酒が大好きなので、最近は仕事を全然しておらず、すっかり貧乏になってしまいました。
今は裏長屋でその日暮らしです。
その裏長屋の場面から始まります。
季節的には年の暮れです。
長兵衛は今日もバクチで負けました。着ていたものまで賭けて負けたので、
ほぼ裸で帰ってきます。寒そうです。
現代だと着ているものを脱いで売ってもたいしたお金にはなりませんが、
江戸時代は着物は高かったのです。古着でも、今で言うと5千円とか1万円とかで売れました。
現代も和服は高いですが、あれはとくにぼったくっているわけではなく、江戸時代とほぼ同じ相場で売っているのです。
さて、帰ってきてみたら妻の「お兼(おかね)」さんの様子がへんです。部屋は真っ暗だし。
歌舞伎はとくに照明を暗くしない演出を採用しているのでちょっとわかりにくいのですが、
夕暮れなのに明かりをつけていなくて部屋は真っ暗という設定です。
ふたりには娘がいます。「お久(おひさ)」ちゃんといいます。そろそろお年ごろです。
このお久ちゃんが今朝出て行ったきり帰って来ないのです。
お兼さんは心配でしょうがなくて、長兵衛はどうでもよくなっているのです。
長兵衛もあわてます。
これと言うのも長兵衛がだらしないからです。文句を言うお兼さん。もっとお久ちゃんを大事にしてやってよ。
ケンカをはじめるふたり。
チナミにお兼さんは後妻なのでお久ちゃんは「継子」になります。
当時の感覚だと、「継子」は意地ですっごく大事にしたのです。誰にも文句を言わせてはならないのです。
ということもあるのですが、お久ちゃんは本当にいい子なので、お兼さんも本当にかわいがっているのです。
しかし長兵衛は自分の腕に自信があるので、その気になって働けばすぐにお金は手に入ると思っています。
なので、とりあえずは楽しいことをして過ごしたいのです。楽な方楽な方に流れるタイプです。
ちなみに大工や左官屋の日当は、だいたい500~550文です。これは5~6千円です。
が、
当時の職人さんはなんと昼間4時間くらいしか働かなかったのです。
朝と夕方も出て来て一日働いてもらうためには、この倍払う必要がありました。
技術職ですからかなり売り手市場です。
そして、そう、家賃が安かったのです。
江戸中期の資料ですが、長屋のひと月の家賃が六百文(6千円くらい)です。安い!!
ていうか戦前くらいまで家賃ってバカみたいな値段だったみたいです。
今の日本人は、雨露しのぐために汗水たらしますからたいへんです。
というわけで危機感がない長兵衛といいかげんにしてほしいお兼さんがケンカしていると、
お客さんが来ます。
「角海老(かどえび)」というお店からお使いです。
「角海老」というのは、当時とても有名だった、実在の吉原の遊郭です。
今も同名の風俗チェーン店がありますが、名前は同じですが無関係です。
遊郭が自分に何の用だと思いながらでかける準備をする長兵衛ですが、
そうだった。
着る服がないんでした。
お兼さんの着物をむりやり脱がせて着て、お使いの人の羽織をその上に着てごまかして出かけます。
角海老 内証(ないしょう)の場です。
「内証(ないしょう)」というのは「ないしょ」という意味ではなく、
遊郭で事務や金勘定をする、経営者や従業員しか入れない部屋のことです。
長兵衛はここに通されます。何故!?
呼んだのは女主人の「お駒(おこま)」さんです。
そしてここに、娘のお久ちゃんがうつむいて座っています。何故!!
お久ちゃんは、家が借金まみれで両親がケンカばかりしているのを心配して、この「角海老」に自分を身売りに来たのです。
お金があれば両親もケンカをしないだろう。
そして父親の長兵衛が心を入れ替えてちゃんと働いてくれれば、それで安心だ。
遊女になるのはちょっと嫌だけど、両親のためならしかたがない。
そう思ったのです。
娘がここまで思い詰めていたとは知らなかった長兵衛。すごく反省します。
角海老のおかみさんのお駒さんは、お久ちゃんの気持ちに免じて猶予期間をあげると言います。
3ヶ月は、このままお久ちゃんはここであずかる。お店には出さない。
お金は貸してやる。五十両。
しっかり働いてお金を作ってお久ちゃんを迎えに来なさい。
そう言います。
もう頭を下げっぱなしで恐縮してお礼を言う長兵衛です。
ここで、ふだん正座をしつけない長兵衛が足のしびれを切らすところが面白いです。
初演の五代目菊五郎がもうお年で足が悪くて正座ができなかったための工夫だそうですが、
そういう裏事情は関係なく楽しい場面です。
このままだとお話が終わってしまいますが、
ここで
大川端の場 になります。
「大川」というのは隅田川です。
吉原から、深川本所の裏長屋に帰るのに大川(隅田川)を渡ります。
川沿いを歩いていたら、
若い男が身投げしようとしています。
あわててとめます。
若い男はとある店の手代(従業員)です。
このひとが「文七(ぶんしち)」です。やっと出た。
出入りのお屋敷に集金に行ったのですが、
そのお金をスリにすられてしまったのです。
すられてしまったという証拠はないです。横領したと思われるかもしれません。
そうでなくても自分の責任には違いありません。
思いつめて死のうとしていたのです。
これは落語原作ではありますが、
この「手代が集金したお金をなくして身投げ」展開や、
バクチで有り金をスって裸で帰ってくる展開や、
奥さんの着物を強引に借りて着ていくところもですが、
歌舞伎に非常によくある内容です。
歌舞伎の定番の内容をうまくつなぎあわせて、かつ、あまり深刻にならない楽しいお話に仕上げたのがこの作品です。
当時は歌舞伎と寄席は、ほぼ客層がかぶっていましたから、
こういう、歌舞伎テイストでかつ、肩の凝らない内容は非常によろこばれたろうと思います。
さて、文七の身の上話を聞いてすっかり同情した長兵衛です。
しばらく悩みます。すっごく悩みます。
しかし、決心します。
持っていた五十両を文七にあげてしまいます。
まあ、借金があるとはいえ、長兵衛は今すぐ五十両まるまるないと困るわけではありません。
がんばって稼げば借金を返しながら五十両作ることもできるでしょう。たいへんそうだけど。
また長兵衛の家です。
妻のお兼さんが待っています。
事情を話す長兵衛です。
娘のお久ちゃんは角海老にいる、五十両貸してもらった。
ここまではいいです。
しかし、身投げしようとした若者に五十両やった。
ウソくさすぎます。日頃の行いの悪さがものを言います。
全然信じないお兼さん。どうせバクチで使ってしまったんだろうひとでなし!!
ふたりは大げんかをはじめます。
家主さんが仲裁に入ったりしておおさわぎです。
家主(やぬし)さんというのは、大家さんのことではなく、
住み込みの管理人さんみたいな仕事です。あんまりえらくないです。
ここに、文七とそのご主人の「和泉屋清兵衛(いずみや せいべえ)」さんがやってきます。
文七はお金をすられたと思い込んで困っていたのですが、
ただお屋敷に忘れて来ただけだったのです。ちゃんと五十両はお店に届いていました。
スリにはあったけど、お金は持っていなかったから取られすにすんだ。
そもそもスリにあったということ自体が勘違いだった。
どっちかはちょっとはっきりしません。
とにかくお礼を言って五十両返してくれる和泉屋さん。
さらに、事情を聞いていたのでお礼だといって角海老から娘のお久ちゃんを請け出してくれました。
お久ちゃんも戻ってきます。
よかったよかった。
この時点で、お久ちゃんと文七とは初対面のはずですが、
お互いに気に入ったようです。
結婚させようという話になります。
文七もそろそろ独立して商売を始めたいと思っています。
そして髪の毛をむすぶにの使う紐(ひも)である「元結(もっとい)」。
これをいままでは決まった長さに切って売っていたのを、切らずに長いまま売るというアイデアを話します。
これはいい。ということになり、和泉屋さんも文七の独立を許します。
長兵衛夫婦も仲直り。若いふたりの将来も楽しみです。
そろそろ年も開けます。
いい正月になりそうです。
というかんじで、おわります。
「長兵衛」というのはありがちな名前ですが、江戸初期の名侠客、親分肌で鳴らした「播随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)」の名前なので、
お芝居に使う場合はそれを意識すると思います。
だいたい、「長兵衛のような男」に使うか、または「全然違う男」にわざと使うかです。
この「長兵衛」は、だらしないカイショなしですから「違う」ほうですね。
とはいえ困った人を放っておけない剛気なところもあるので、どことなく「らしい」部分もあるのです。
他に『髪結新三(かみゆいしんざ』に出てくるゴウツクバリの「家主長兵衛」も有名です。
本家の播随院長兵衛の出てくるお芝居は「極付播随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」=というのが有名です。
あと「元結」(もっとい)って言葉の解説も一応書いておきます。
「元結」は「もとゆい」または「もっとい」と読みます。
髪を結うとき、今はゴムバンドでまとめますが、昔は紙をよった細い紐で縛りました。その紐のことです。
江戸前半期は平たいのや色つきのや金箔にや、いろいろあったんですが、
後期には殆ど白だけになりました。
材質としては、今もお祝い事等の封筒の飾りに使う「水引」、あれと同じものです。
チナミに「水引」というのは紙を一度水にひたしてしぼることで強度を増した製法から来た呼び名です。
紙を水に浸してしぼり、さらに胡粉(ごふん 貝殻を焼いて粉にした白い絵の具)を表面に塗って強度を出します。
あと、お芝居とは直接関係ないのですが、
「文七元結」の意味なのですが、
落語では、文七さんが元結の紐の売り方を工夫した。そのアイデアを「文七元結」と呼ぶ、
ということになっており、歌舞伎もこれを踏襲しております。
しかし、実際に江戸時代にあった「文七元結」は、艶のある上質な紙(杉原紙という)で作られた、高級品の元結のことです。
ぜんぜん意味が違います。
落語に出てくる江戸ミニ知識はけっこうイイカゲンなのが多いのです。
落語自体が、今存在しているものはせいぜい明治後期から昭和にかけて作られたものなのもあり、風俗描写はかなり不正確です。
風俗知識についいては落語のものはハナシ半分でお聞きになったほうが安全です。
=50音索引に戻る=
なので、肩の凝らない小品に仕上がっています。
わかりにくい点というか、タイトルから誤解されてしまうのですが、
主人公は「文七」という名前の人ではありません。
「なかなか主人公出て来ないなあ」と、うっかり前半部分を流して見てしまうと悲しいことになります。
主人公は「長兵衛」さんといいます。左官屋さんです。
発音は「しゃかんや」だと思います。
けっこう稼いで、表通りに家を持っていた時期もあるのですが、
基本的になまけものなのと、バクチと酒が大好きなので、最近は仕事を全然しておらず、すっかり貧乏になってしまいました。
今は裏長屋でその日暮らしです。
その裏長屋の場面から始まります。
季節的には年の暮れです。
長兵衛は今日もバクチで負けました。着ていたものまで賭けて負けたので、
ほぼ裸で帰ってきます。寒そうです。
現代だと着ているものを脱いで売ってもたいしたお金にはなりませんが、
江戸時代は着物は高かったのです。古着でも、今で言うと5千円とか1万円とかで売れました。
現代も和服は高いですが、あれはとくにぼったくっているわけではなく、江戸時代とほぼ同じ相場で売っているのです。
さて、帰ってきてみたら妻の「お兼(おかね)」さんの様子がへんです。部屋は真っ暗だし。
歌舞伎はとくに照明を暗くしない演出を採用しているのでちょっとわかりにくいのですが、
夕暮れなのに明かりをつけていなくて部屋は真っ暗という設定です。
ふたりには娘がいます。「お久(おひさ)」ちゃんといいます。そろそろお年ごろです。
このお久ちゃんが今朝出て行ったきり帰って来ないのです。
お兼さんは心配でしょうがなくて、長兵衛はどうでもよくなっているのです。
長兵衛もあわてます。
これと言うのも長兵衛がだらしないからです。文句を言うお兼さん。もっとお久ちゃんを大事にしてやってよ。
ケンカをはじめるふたり。
チナミにお兼さんは後妻なのでお久ちゃんは「継子」になります。
当時の感覚だと、「継子」は意地ですっごく大事にしたのです。誰にも文句を言わせてはならないのです。
ということもあるのですが、お久ちゃんは本当にいい子なので、お兼さんも本当にかわいがっているのです。
しかし長兵衛は自分の腕に自信があるので、その気になって働けばすぐにお金は手に入ると思っています。
なので、とりあえずは楽しいことをして過ごしたいのです。楽な方楽な方に流れるタイプです。
ちなみに大工や左官屋の日当は、だいたい500~550文です。これは5~6千円です。
が、
当時の職人さんはなんと昼間4時間くらいしか働かなかったのです。
朝と夕方も出て来て一日働いてもらうためには、この倍払う必要がありました。
技術職ですからかなり売り手市場です。
そして、そう、家賃が安かったのです。
江戸中期の資料ですが、長屋のひと月の家賃が六百文(6千円くらい)です。安い!!
ていうか戦前くらいまで家賃ってバカみたいな値段だったみたいです。
今の日本人は、雨露しのぐために汗水たらしますからたいへんです。
というわけで危機感がない長兵衛といいかげんにしてほしいお兼さんがケンカしていると、
お客さんが来ます。
「角海老(かどえび)」というお店からお使いです。
「角海老」というのは、当時とても有名だった、実在の吉原の遊郭です。
今も同名の風俗チェーン店がありますが、名前は同じですが無関係です。
遊郭が自分に何の用だと思いながらでかける準備をする長兵衛ですが、
そうだった。
着る服がないんでした。
お兼さんの着物をむりやり脱がせて着て、お使いの人の羽織をその上に着てごまかして出かけます。
角海老 内証(ないしょう)の場です。
「内証(ないしょう)」というのは「ないしょ」という意味ではなく、
遊郭で事務や金勘定をする、経営者や従業員しか入れない部屋のことです。
長兵衛はここに通されます。何故!?
呼んだのは女主人の「お駒(おこま)」さんです。
そしてここに、娘のお久ちゃんがうつむいて座っています。何故!!
お久ちゃんは、家が借金まみれで両親がケンカばかりしているのを心配して、この「角海老」に自分を身売りに来たのです。
お金があれば両親もケンカをしないだろう。
そして父親の長兵衛が心を入れ替えてちゃんと働いてくれれば、それで安心だ。
遊女になるのはちょっと嫌だけど、両親のためならしかたがない。
そう思ったのです。
娘がここまで思い詰めていたとは知らなかった長兵衛。すごく反省します。
角海老のおかみさんのお駒さんは、お久ちゃんの気持ちに免じて猶予期間をあげると言います。
3ヶ月は、このままお久ちゃんはここであずかる。お店には出さない。
お金は貸してやる。五十両。
しっかり働いてお金を作ってお久ちゃんを迎えに来なさい。
そう言います。
もう頭を下げっぱなしで恐縮してお礼を言う長兵衛です。
ここで、ふだん正座をしつけない長兵衛が足のしびれを切らすところが面白いです。
初演の五代目菊五郎がもうお年で足が悪くて正座ができなかったための工夫だそうですが、
そういう裏事情は関係なく楽しい場面です。
このままだとお話が終わってしまいますが、
ここで
大川端の場 になります。
「大川」というのは隅田川です。
吉原から、深川本所の裏長屋に帰るのに大川(隅田川)を渡ります。
川沿いを歩いていたら、
若い男が身投げしようとしています。
あわててとめます。
若い男はとある店の手代(従業員)です。
このひとが「文七(ぶんしち)」です。やっと出た。
出入りのお屋敷に集金に行ったのですが、
そのお金をスリにすられてしまったのです。
すられてしまったという証拠はないです。横領したと思われるかもしれません。
そうでなくても自分の責任には違いありません。
思いつめて死のうとしていたのです。
これは落語原作ではありますが、
この「手代が集金したお金をなくして身投げ」展開や、
バクチで有り金をスって裸で帰ってくる展開や、
奥さんの着物を強引に借りて着ていくところもですが、
歌舞伎に非常によくある内容です。
歌舞伎の定番の内容をうまくつなぎあわせて、かつ、あまり深刻にならない楽しいお話に仕上げたのがこの作品です。
当時は歌舞伎と寄席は、ほぼ客層がかぶっていましたから、
こういう、歌舞伎テイストでかつ、肩の凝らない内容は非常によろこばれたろうと思います。
さて、文七の身の上話を聞いてすっかり同情した長兵衛です。
しばらく悩みます。すっごく悩みます。
しかし、決心します。
持っていた五十両を文七にあげてしまいます。
まあ、借金があるとはいえ、長兵衛は今すぐ五十両まるまるないと困るわけではありません。
がんばって稼げば借金を返しながら五十両作ることもできるでしょう。たいへんそうだけど。
また長兵衛の家です。
妻のお兼さんが待っています。
事情を話す長兵衛です。
娘のお久ちゃんは角海老にいる、五十両貸してもらった。
ここまではいいです。
しかし、身投げしようとした若者に五十両やった。
ウソくさすぎます。日頃の行いの悪さがものを言います。
全然信じないお兼さん。どうせバクチで使ってしまったんだろうひとでなし!!
ふたりは大げんかをはじめます。
家主さんが仲裁に入ったりしておおさわぎです。
家主(やぬし)さんというのは、大家さんのことではなく、
住み込みの管理人さんみたいな仕事です。あんまりえらくないです。
ここに、文七とそのご主人の「和泉屋清兵衛(いずみや せいべえ)」さんがやってきます。
文七はお金をすられたと思い込んで困っていたのですが、
ただお屋敷に忘れて来ただけだったのです。ちゃんと五十両はお店に届いていました。
スリにはあったけど、お金は持っていなかったから取られすにすんだ。
そもそもスリにあったということ自体が勘違いだった。
どっちかはちょっとはっきりしません。
とにかくお礼を言って五十両返してくれる和泉屋さん。
さらに、事情を聞いていたのでお礼だといって角海老から娘のお久ちゃんを請け出してくれました。
お久ちゃんも戻ってきます。
よかったよかった。
この時点で、お久ちゃんと文七とは初対面のはずですが、
お互いに気に入ったようです。
結婚させようという話になります。
文七もそろそろ独立して商売を始めたいと思っています。
そして髪の毛をむすぶにの使う紐(ひも)である「元結(もっとい)」。
これをいままでは決まった長さに切って売っていたのを、切らずに長いまま売るというアイデアを話します。
これはいい。ということになり、和泉屋さんも文七の独立を許します。
長兵衛夫婦も仲直り。若いふたりの将来も楽しみです。
そろそろ年も開けます。
いい正月になりそうです。
というかんじで、おわります。
「長兵衛」というのはありがちな名前ですが、江戸初期の名侠客、親分肌で鳴らした「播随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)」の名前なので、
お芝居に使う場合はそれを意識すると思います。
だいたい、「長兵衛のような男」に使うか、または「全然違う男」にわざと使うかです。
この「長兵衛」は、だらしないカイショなしですから「違う」ほうですね。
とはいえ困った人を放っておけない剛気なところもあるので、どことなく「らしい」部分もあるのです。
他に『髪結新三(かみゆいしんざ』に出てくるゴウツクバリの「家主長兵衛」も有名です。
本家の播随院長兵衛の出てくるお芝居は「極付播随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」=というのが有名です。
あと「元結」(もっとい)って言葉の解説も一応書いておきます。
「元結」は「もとゆい」または「もっとい」と読みます。
髪を結うとき、今はゴムバンドでまとめますが、昔は紙をよった細い紐で縛りました。その紐のことです。
江戸前半期は平たいのや色つきのや金箔にや、いろいろあったんですが、
後期には殆ど白だけになりました。
材質としては、今もお祝い事等の封筒の飾りに使う「水引」、あれと同じものです。
チナミに「水引」というのは紙を一度水にひたしてしぼることで強度を増した製法から来た呼び名です。
紙を水に浸してしぼり、さらに胡粉(ごふん 貝殻を焼いて粉にした白い絵の具)を表面に塗って強度を出します。
あと、お芝居とは直接関係ないのですが、
「文七元結」の意味なのですが、
落語では、文七さんが元結の紐の売り方を工夫した。そのアイデアを「文七元結」と呼ぶ、
ということになっており、歌舞伎もこれを踏襲しております。
しかし、実際に江戸時代にあった「文七元結」は、艶のある上質な紙(杉原紙という)で作られた、高級品の元結のことです。
ぜんぜん意味が違います。
落語に出てくる江戸ミニ知識はけっこうイイカゲンなのが多いのです。
落語自体が、今存在しているものはせいぜい明治後期から昭和にかけて作られたものなのもあり、風俗描写はかなり不正確です。
風俗知識についいては落語のものはハナシ半分でお聞きになったほうが安全です。
=50音索引に戻る=
さて落語の『文七』の長兵衛さんの職業は左官です。歌舞伎で『文七』を見たことがないので知りませんでしたが、歌舞伎では大工さんなのですか。諸職の上に立つという。古今亭志ん朝師の『高田馬場』に出てくる大工さんは日に3匁(200文)、『大工調べ』の腕の良い与太郎は日に10匁(666文)稼ぎます。(このふたつの話が江戸のいつ頃のかわからないので、較べてはいけないのかもしれませんが。)『文七』の長兵衛さんは腕が抜群に良いという設定ではないのかしら?だから600文くらいは楽にいったかもしれませんね。落語では50両を一年で返済する約束で、単純計算で10ヶ月で返済完了ですが、歌舞伎ではどうなんですか?でも江戸っ子は半日しか働かない、午後も働いてると「何だい、あいつは」って言われちゃうと志ん生師がおっしゃっているので、50両を一年で返済はやっぱり大変ですよね。
ぐだぐだ失礼しました。これからもがんばってください。ちょくちょく寄らせていただきます。