急ぐとき用の3分あらすじは=こちら=になります。
「双蝶々曲輪日記」ふたつちょうちょう くるわのにっき という長いお芝居の一部です。
通しで出すに足る名作ですが、今は二段目「角力場(すもうば)」と八段目の「引窓(ひきまど)」を、
独立してそれぞれ出す事が多いです。
というわけでここでは「引窓」に付いて書きます。
八段目ですので、少しここまでの事情がわかりにくいかもしれません。
まあ、すごく細かい経過は無視していいのですが、
主人公「濡髪長五郎(ぬれがみ ちょうごろう)」は大阪で相撲取りでした。
当時の相撲取りは花形スポーツ選手兼、武闘派タレントというかんじで、とても華やかでデンジャラスな存在でした。
濡髪長五郎は、とても強い人気相撲取りです。さらに、とても義理堅い、面倒見のいいお兄さんでもあります。
なので、いろいろヒトの面倒を見たり、義理を立てたりしているうちに、大きいトラブルにまきこまれて、ケンカになって人を殺してしまいます。まあ相手も刃物持ってたんだし、しょうがねえんですが。
おたずねもの長五郎、母親にひと目会いに実家にやってきます。
ここからお芝居ははじまります。
実家は山崎という、名前の通り山の中。すごい田舎ですよ(「仮名手本忠臣蔵」でイノシシが出る場面が山崎街道ですよ)。
季節は八月(今だと9月)の十五夜の前の日の夕方です。お月見のイベントの準備をしています。
ていねいに出すと最初に、村の子供たちとお嫁さんのお早さんとの会話で、土地の風習である「放生会(ほうじょうえ)」にふれる前フリがあるのですが、今はだいたいカットです。
お嫁さんのお早(おはや)さんとお母さんとの会話があります。後で内容書きます。基本的にお嫁さんは大事にされていて、ふたりは仲良しですよ。
濡髪長五郎がやってきます。
おたずね者なのでムシロでカラダを隠すように、こそこそやってきますが、役者さんによるのですが、家に入ってくるときはあまりギスギスした様子ではなく、明るく、堂々と、「大阪で成功した息子が、ちょっと顔を見せに立ち寄った」という雰囲気で入ってくるのが正しいとワタクシは思います。
「今度九州の相撲に下ろうと思うので、しばらく会えないのでお別れを言いに来た」というタテマエです。一緒に暮らそうという母親ですが、断る濡髪。
一休みすることになり、濡髪は2階の座敷に上がります。上のイラストで、少し高くなっている部屋が、二階という設定ですよ。
ところで、
母親は長五郎が小さいころ養子に出しました。
その後再婚し、義理の息子がいます。
再婚相手も死んでしまいました。
義理の息子の名前は与兵衛(よへえ)。
このほど死んだ父親の後をついで、侍にしてもらいました。名前も変わりました、お父さんの名前を継いで十次兵衛(じゅうじべえ)と言います。
お殿様に呼ばれてお城に出かけていき、りっぱな侍姿で戻ってきた与兵衛を見て母親とお嫁さんは大喜びですよ。
みんなで長押に祀られた氏神さまにお礼を言います。ここは展開上なくてもいい場面かもしれませんが、田舎の家の生活感、謙虚に、真面目に生きてきた一家の人柄が伝わってくるいい場面だとワタクシは思います。
さて、殺人犯の濡髪長五郎を捕まえるのが初仕事です。がんばるぞ。
さて、十次兵衛はふたりのお侍を連れて来ています。大阪から来たのです。濡髪を探しています。殺されたふたりの悪者の、それぞれ兄と弟にあたるのですが、この二人は一応マトモなお侍です。
この二人がお殿様に頼んだので、お殿様は十字兵衛に命令して濡髪を探すことにしたのです。
人相描き(似顔絵)を置いていくふたり。
夜の間は土地勘のある十次兵衛が村の家々を詮議し、夜が明けたら交代して二人のお侍が濡髪を探す手はずです。
この昼夜の分担の段取りが後半で重要になります。
話を聞いてお母さんとお早さんはびっくりです。このまま兄弟仲良く暮らせればなと夢見ていたのに、
義理の息子が探して、捕らえようとしているのは実の息子です。
母親板挟み。
といいうのがお芝居のテーマです。
当時はことさらに、実の子よりも義理の子供の方をえこひいきなくらいに大事にする、のが美徳とされていました。
肉親の情は自己愛に通じます。自己チューなケダモノレベルの感情です。 ヒトたるもの、「肉親の愛」に惑わされすぎてはいけないのです。
でも母親は悩むのです。どうしよう、でもやっぱり実の息子助けたいよう。
ところで、昔の家は、窓にガラスがありませんから、多くの家では雨風よけるためにかなり軒が深く、昼間でも室内が暗かったのです。
なので、屋根に明かり取りの窓が付いている家が多かったのです。「引窓(ひきまど)」と呼ばれました。滑車と紐が付いていて、紐を引いて窓を閉じ、柱の釘に結び付けて固定しました。紐を離すと窓が開きます。
もちろんガラス窓ではなく、木の板を明け閉めしたので、窓を閉じると室内はかなり暗くなりますよ。
これがお芝居の重要な小道具になります。
「濡髪を捕まえるのはやめたほうがいい」と必死で十次兵衛に言うお早さん。濡髪は強いからとかいろいろ。ちょっとケンカになりますよ。止める母親。
そうこうするうちに十次兵衛が、二階にいる濡髪に気付きます。一階の座敷から二階は見えませんが、庭の手水鉢の水に姿が映っていたのです。
あわてて室内が暗くなるように、引窓を閉めるお早さん。
「もう夜か、夜は自分が濡髪を探す時間だから、探さなくては」という十次兵衛。
あわててまた窓を開けるお早さん。
やがて十次兵衛は理解します。二階にいるのはおたずね者の濡髪長五郎で、母親と妻はそれを守ろうとしている。
さらに、思い出します。母親には養子にやった息子がいたはず…。
悩みに悩んだ母親、十次兵衛に頼みます。「その、似顔絵を私に売ってくれ」。
お寺さんに納めるために爪に火をともすようにしてためた、なけなしのお金を差し出します。
悲しむ十次兵衛。
「水臭い。親子の中でなぜそのように隠し事をするのか。全部打ち明けて相談してくれればいのに」
ていうか、
十次兵衛にしてみたら、「やっぱり実の息子がかわいいんだ。俺より」という場面です。かなり傷つきますよ。十次兵衛にとってもたったひとりの母親なのに。
「親子なのに水臭い」という、母親を思いやってのセリフとためいきに、そのつらい気持ちを暗に乗せるのです。いい役者さんのここのセリフは、聞いていて泣きたくなります。かわいそうー。
とはいえ、十次兵衛の心は決まっています。お殿様からいただいた二腰(ふたこし、刀二本、お侍の象徴ですよ)を抜いてはずし、一時的にもとの商人に戻って、母親の望みどおりに似顔絵を母親に渡します。
さらに二階にいる濡髪にわざと聞こえるように裏の山を抜けて逃げる道筋を教え、夜になったので濡髪を探しに出かけます。
泣きながら感謝する母と嫁、
そこに濡れ髪が走り下りてきて、表に飛び出そうとします。
十次兵衛の親切が身にこたえ、逆に十次兵衛に捕らえられて手柄を立てさせるのが恩に報いる方法だと思ったのです。
しかし、捕まるようなまねをしたら自分が死ぬ、と言い切る母と嫁にほだされて、やはり二人の言うとおりに髪型を変え、逃げることにします。
相撲取りの髪型は今も昔も同じ「大銀杏(おおいちょう)」です。月代(さかやき)を剃っていないのです。これを剃ったり、顔に墨を付けたりして見た目を変える母親。
しかし、濡髪には大きい特徴があります。「たかほのほくろ」。頬骨(高頬)のへんにある、大きいほくろです。そり落とせばいいのですが、なかなか勇気が出ません。
そこに「濡髪捕った!!」の声、
外から固い包みを投げつけて濡髪のほくろをつぶしたのは十次兵衛です。包みの中には、お金。逃走資金ですよ。
濡髪、母親をなだめるために一度は「逃げる」と言ったのですが、やはり本心では十次兵衛に捕まる心ですよ。
「実の子をひいきして、義理の子を犠牲にする、それで人の道が立つのか」と諭されて観念した母親、ついにそのへんの縄で濡髪を縛ります。この縄が、引窓に付いている縄なのです。
「濡髪を捕まえた」と言われて入ってきた十次兵衛、表向きは「よくやった」と女房や母親をほめます。
そして、「縄の余りが邪魔だから切る」と言って、濡髪を縛っていた縄そのものを切ってしまいます。
自由になる濡髪、縄が切れたのでガラガラと開く引窓。
折しも仲秋、八月十四日の夜半。満月に近い月がこうこうと天窓からさし入りますよ。一気に明るくなる室内。
「今何時頃か」とお早さんに聞く十次兵衛。
そして、「まだ夜半(0時ごろ)」というお早さんの言葉をさえぎって、「もう夜明けだ、こんなに明るい」と言います。
朝がくれば、濡髪を探すのは都から来たふたりの侍の役目です。自分の役目は終わったから、もう濡髪を探す必要はない。
そして、朝が来たので今日は十五日です。
この地方は仲秋の名月の日にお祭りをして、「放生会(ほうじょうえ)」というイベントをやりました。
カゴ等に入れた小動物(主に鳥)を放して、「生き物を助ける」という功徳を積み、後生を願うという仏教イベントです。「最初から鳥捕まえなければいいじゃん」という突っ込みはナシです。
これになぞらえて、「放生会だからあんたも逃がす、どこへなりと行け」と十次兵衛は濡髪に言うのです。
このタイミングで、お寺の鐘がなりますよ。九つの鐘です。
ここちょっと詳しく書くと、当時の時刻は「九つ」が0時です。ここから減っていきます。「八つ」が2時、「七つ」が4時、「六つ」が6時、以下「五つ」が8時、「四つ」が10時で、また「九つ」に戻ります。
鐘が三回鳴ったくらいだと聞き逃してしまうので3回以下はなかったのだと思います。減っていくのはそのほうが数え間違えたときのリスクが小さかったからかなと想像します。
というわけで、「九つ」、午前0時の鐘がなります。9回鳴りますよ。
これを「明け六つ」だと言い張る十次兵衛。
濡髪が「残る三つは」と聞くと、「母への孝養」と答えるのです。お母さんのために、理を非に曲げて濡髪を逃がすのです。
この場は逃げる濡髪、見送る十次兵衛、母と妻。
そんな内容です。
セリフ劇なのと、長い話の終盤部分なので理解しにくいこと、現代人にはわからない単語や風俗が鍵になっている事などから、わりと詳しく書きました。
舞台の屋体の屋根にリアルに作られた引窓が、ストーリーのアクセントになっています。
とはいえ、夕方→夜→月が出る となっても、浄瑠璃で説明があるだけで(たぶん聞き取れない)照明はまったく変化しませんよ。
そういうヨケイなことをしないところがいいのです。
戦後、一度リアルに照明変えてやったことがあるらしいですが、評判悪かったようです。
あと、前半のお母さんとのセリフでも出てくるのですが、
十次兵衛(与兵衛)は、じつは以前都でけっこう遊びたおしており、お嫁さんのお早さんは元は遊女です。
そのへんのいきさつが、じつはこのお芝居を全段通して出した場合の前半部分にあたりますよ。
なのでお早さん、田舎の貧乏な家のお嫁さんにしては、ちょっと、言動がそぐわない部分があるのですが、そこが舞台に華やかさを添えていて楽しいですよ。
また、十次兵衛も、侍らしいしっかりした雰囲気と、田舎のひとの実直そうなかんじと、同時に元遊び人の華やかでこなれた雰囲気、この3つを過不足なく違和感なく混ぜなくてはなりません。難しい役ですよ。
立ち回りも何もない、とても地味な台詞劇です。
それぞれ立場が違う母、二人の息子、弟の嫁、が、一生懸命相手を思いやりながら悩む、美しい舞台です。
十五夜の月が、天窓(引窓)から差し込む雰囲気も、どこか浮世のドロドロを洗い流してくれるようで好きです。
=50音索引に戻る=
「双蝶々曲輪日記」ふたつちょうちょう くるわのにっき という長いお芝居の一部です。
通しで出すに足る名作ですが、今は二段目「角力場(すもうば)」と八段目の「引窓(ひきまど)」を、
独立してそれぞれ出す事が多いです。
というわけでここでは「引窓」に付いて書きます。
八段目ですので、少しここまでの事情がわかりにくいかもしれません。
まあ、すごく細かい経過は無視していいのですが、
主人公「濡髪長五郎(ぬれがみ ちょうごろう)」は大阪で相撲取りでした。
当時の相撲取りは花形スポーツ選手兼、武闘派タレントというかんじで、とても華やかでデンジャラスな存在でした。
濡髪長五郎は、とても強い人気相撲取りです。さらに、とても義理堅い、面倒見のいいお兄さんでもあります。
なので、いろいろヒトの面倒を見たり、義理を立てたりしているうちに、大きいトラブルにまきこまれて、ケンカになって人を殺してしまいます。まあ相手も刃物持ってたんだし、しょうがねえんですが。
おたずねもの長五郎、母親にひと目会いに実家にやってきます。
ここからお芝居ははじまります。
実家は山崎という、名前の通り山の中。すごい田舎ですよ(「仮名手本忠臣蔵」でイノシシが出る場面が山崎街道ですよ)。
季節は八月(今だと9月)の十五夜の前の日の夕方です。お月見のイベントの準備をしています。
ていねいに出すと最初に、村の子供たちとお嫁さんのお早さんとの会話で、土地の風習である「放生会(ほうじょうえ)」にふれる前フリがあるのですが、今はだいたいカットです。
お嫁さんのお早(おはや)さんとお母さんとの会話があります。後で内容書きます。基本的にお嫁さんは大事にされていて、ふたりは仲良しですよ。
濡髪長五郎がやってきます。
おたずね者なのでムシロでカラダを隠すように、こそこそやってきますが、役者さんによるのですが、家に入ってくるときはあまりギスギスした様子ではなく、明るく、堂々と、「大阪で成功した息子が、ちょっと顔を見せに立ち寄った」という雰囲気で入ってくるのが正しいとワタクシは思います。
「今度九州の相撲に下ろうと思うので、しばらく会えないのでお別れを言いに来た」というタテマエです。一緒に暮らそうという母親ですが、断る濡髪。
一休みすることになり、濡髪は2階の座敷に上がります。上のイラストで、少し高くなっている部屋が、二階という設定ですよ。
ところで、
母親は長五郎が小さいころ養子に出しました。
その後再婚し、義理の息子がいます。
再婚相手も死んでしまいました。
義理の息子の名前は与兵衛(よへえ)。
このほど死んだ父親の後をついで、侍にしてもらいました。名前も変わりました、お父さんの名前を継いで十次兵衛(じゅうじべえ)と言います。
お殿様に呼ばれてお城に出かけていき、りっぱな侍姿で戻ってきた与兵衛を見て母親とお嫁さんは大喜びですよ。
みんなで長押に祀られた氏神さまにお礼を言います。ここは展開上なくてもいい場面かもしれませんが、田舎の家の生活感、謙虚に、真面目に生きてきた一家の人柄が伝わってくるいい場面だとワタクシは思います。
さて、殺人犯の濡髪長五郎を捕まえるのが初仕事です。がんばるぞ。
さて、十次兵衛はふたりのお侍を連れて来ています。大阪から来たのです。濡髪を探しています。殺されたふたりの悪者の、それぞれ兄と弟にあたるのですが、この二人は一応マトモなお侍です。
この二人がお殿様に頼んだので、お殿様は十字兵衛に命令して濡髪を探すことにしたのです。
人相描き(似顔絵)を置いていくふたり。
夜の間は土地勘のある十次兵衛が村の家々を詮議し、夜が明けたら交代して二人のお侍が濡髪を探す手はずです。
この昼夜の分担の段取りが後半で重要になります。
話を聞いてお母さんとお早さんはびっくりです。このまま兄弟仲良く暮らせればなと夢見ていたのに、
義理の息子が探して、捕らえようとしているのは実の息子です。
母親板挟み。
といいうのがお芝居のテーマです。
当時はことさらに、実の子よりも義理の子供の方をえこひいきなくらいに大事にする、のが美徳とされていました。
肉親の情は自己愛に通じます。自己チューなケダモノレベルの感情です。 ヒトたるもの、「肉親の愛」に惑わされすぎてはいけないのです。
でも母親は悩むのです。どうしよう、でもやっぱり実の息子助けたいよう。
ところで、昔の家は、窓にガラスがありませんから、多くの家では雨風よけるためにかなり軒が深く、昼間でも室内が暗かったのです。
なので、屋根に明かり取りの窓が付いている家が多かったのです。「引窓(ひきまど)」と呼ばれました。滑車と紐が付いていて、紐を引いて窓を閉じ、柱の釘に結び付けて固定しました。紐を離すと窓が開きます。
もちろんガラス窓ではなく、木の板を明け閉めしたので、窓を閉じると室内はかなり暗くなりますよ。
これがお芝居の重要な小道具になります。
「濡髪を捕まえるのはやめたほうがいい」と必死で十次兵衛に言うお早さん。濡髪は強いからとかいろいろ。ちょっとケンカになりますよ。止める母親。
そうこうするうちに十次兵衛が、二階にいる濡髪に気付きます。一階の座敷から二階は見えませんが、庭の手水鉢の水に姿が映っていたのです。
あわてて室内が暗くなるように、引窓を閉めるお早さん。
「もう夜か、夜は自分が濡髪を探す時間だから、探さなくては」という十次兵衛。
あわててまた窓を開けるお早さん。
やがて十次兵衛は理解します。二階にいるのはおたずね者の濡髪長五郎で、母親と妻はそれを守ろうとしている。
さらに、思い出します。母親には養子にやった息子がいたはず…。
悩みに悩んだ母親、十次兵衛に頼みます。「その、似顔絵を私に売ってくれ」。
お寺さんに納めるために爪に火をともすようにしてためた、なけなしのお金を差し出します。
悲しむ十次兵衛。
「水臭い。親子の中でなぜそのように隠し事をするのか。全部打ち明けて相談してくれればいのに」
ていうか、
十次兵衛にしてみたら、「やっぱり実の息子がかわいいんだ。俺より」という場面です。かなり傷つきますよ。十次兵衛にとってもたったひとりの母親なのに。
「親子なのに水臭い」という、母親を思いやってのセリフとためいきに、そのつらい気持ちを暗に乗せるのです。いい役者さんのここのセリフは、聞いていて泣きたくなります。かわいそうー。
とはいえ、十次兵衛の心は決まっています。お殿様からいただいた二腰(ふたこし、刀二本、お侍の象徴ですよ)を抜いてはずし、一時的にもとの商人に戻って、母親の望みどおりに似顔絵を母親に渡します。
さらに二階にいる濡髪にわざと聞こえるように裏の山を抜けて逃げる道筋を教え、夜になったので濡髪を探しに出かけます。
泣きながら感謝する母と嫁、
そこに濡れ髪が走り下りてきて、表に飛び出そうとします。
十次兵衛の親切が身にこたえ、逆に十次兵衛に捕らえられて手柄を立てさせるのが恩に報いる方法だと思ったのです。
しかし、捕まるようなまねをしたら自分が死ぬ、と言い切る母と嫁にほだされて、やはり二人の言うとおりに髪型を変え、逃げることにします。
相撲取りの髪型は今も昔も同じ「大銀杏(おおいちょう)」です。月代(さかやき)を剃っていないのです。これを剃ったり、顔に墨を付けたりして見た目を変える母親。
しかし、濡髪には大きい特徴があります。「たかほのほくろ」。頬骨(高頬)のへんにある、大きいほくろです。そり落とせばいいのですが、なかなか勇気が出ません。
そこに「濡髪捕った!!」の声、
外から固い包みを投げつけて濡髪のほくろをつぶしたのは十次兵衛です。包みの中には、お金。逃走資金ですよ。
濡髪、母親をなだめるために一度は「逃げる」と言ったのですが、やはり本心では十次兵衛に捕まる心ですよ。
「実の子をひいきして、義理の子を犠牲にする、それで人の道が立つのか」と諭されて観念した母親、ついにそのへんの縄で濡髪を縛ります。この縄が、引窓に付いている縄なのです。
「濡髪を捕まえた」と言われて入ってきた十次兵衛、表向きは「よくやった」と女房や母親をほめます。
そして、「縄の余りが邪魔だから切る」と言って、濡髪を縛っていた縄そのものを切ってしまいます。
自由になる濡髪、縄が切れたのでガラガラと開く引窓。
折しも仲秋、八月十四日の夜半。満月に近い月がこうこうと天窓からさし入りますよ。一気に明るくなる室内。
「今何時頃か」とお早さんに聞く十次兵衛。
そして、「まだ夜半(0時ごろ)」というお早さんの言葉をさえぎって、「もう夜明けだ、こんなに明るい」と言います。
朝がくれば、濡髪を探すのは都から来たふたりの侍の役目です。自分の役目は終わったから、もう濡髪を探す必要はない。
そして、朝が来たので今日は十五日です。
この地方は仲秋の名月の日にお祭りをして、「放生会(ほうじょうえ)」というイベントをやりました。
カゴ等に入れた小動物(主に鳥)を放して、「生き物を助ける」という功徳を積み、後生を願うという仏教イベントです。「最初から鳥捕まえなければいいじゃん」という突っ込みはナシです。
これになぞらえて、「放生会だからあんたも逃がす、どこへなりと行け」と十次兵衛は濡髪に言うのです。
このタイミングで、お寺の鐘がなりますよ。九つの鐘です。
ここちょっと詳しく書くと、当時の時刻は「九つ」が0時です。ここから減っていきます。「八つ」が2時、「七つ」が4時、「六つ」が6時、以下「五つ」が8時、「四つ」が10時で、また「九つ」に戻ります。
鐘が三回鳴ったくらいだと聞き逃してしまうので3回以下はなかったのだと思います。減っていくのはそのほうが数え間違えたときのリスクが小さかったからかなと想像します。
というわけで、「九つ」、午前0時の鐘がなります。9回鳴りますよ。
これを「明け六つ」だと言い張る十次兵衛。
濡髪が「残る三つは」と聞くと、「母への孝養」と答えるのです。お母さんのために、理を非に曲げて濡髪を逃がすのです。
この場は逃げる濡髪、見送る十次兵衛、母と妻。
そんな内容です。
セリフ劇なのと、長い話の終盤部分なので理解しにくいこと、現代人にはわからない単語や風俗が鍵になっている事などから、わりと詳しく書きました。
舞台の屋体の屋根にリアルに作られた引窓が、ストーリーのアクセントになっています。
とはいえ、夕方→夜→月が出る となっても、浄瑠璃で説明があるだけで(たぶん聞き取れない)照明はまったく変化しませんよ。
そういうヨケイなことをしないところがいいのです。
戦後、一度リアルに照明変えてやったことがあるらしいですが、評判悪かったようです。
あと、前半のお母さんとのセリフでも出てくるのですが、
十次兵衛(与兵衛)は、じつは以前都でけっこう遊びたおしており、お嫁さんのお早さんは元は遊女です。
そのへんのいきさつが、じつはこのお芝居を全段通して出した場合の前半部分にあたりますよ。
なのでお早さん、田舎の貧乏な家のお嫁さんにしては、ちょっと、言動がそぐわない部分があるのですが、そこが舞台に華やかさを添えていて楽しいですよ。
また、十次兵衛も、侍らしいしっかりした雰囲気と、田舎のひとの実直そうなかんじと、同時に元遊び人の華やかでこなれた雰囲気、この3つを過不足なく違和感なく混ぜなくてはなりません。難しい役ですよ。
立ち回りも何もない、とても地味な台詞劇です。
それぞれ立場が違う母、二人の息子、弟の嫁、が、一生懸命相手を思いやりながら悩む、美しい舞台です。
十五夜の月が、天窓(引窓)から差し込む雰囲気も、どこか浮世のドロドロを洗い流してくれるようで好きです。
=50音索引に戻る=
あと、印象に残ったのは相撲取りのお二人。左団次さんは貫禄勝ちでしたが、放駒長吉の扇雀さん?は舞の海ふうでころころしていて可愛らしかったです。
母親に「似顔絵を売ってくれ」といわれて、怒るところで、
本当にやるせない、悲しい気持ちが伝わってきてすばらしいと思います。
テレビに出ないので(笑)一般知名度では劣りますが、仁左衛門さんに遜色ない、ほんとうにすばらしい役者さんですよー。
このサイト「干天の慈雨」少し歌舞伎の面白さが解りかけて来ました、有難うございました。
9月染五郎さんが演じるそうで、こちらへ来たのですが…
とてもわかり易く、大変勉強になりました。
で大変わかりやすいです。