歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「御攝勧進帳」 ごひいき かんじんちょう

2012年12月13日 | 歌舞伎
「芋洗いの弁慶(いもあらいの べんけい)」の別名で知られます。
有名な、歌舞伎十八番の「勧進帳」の成立は江戸末期、七代目団十郎のころです。
衣装や演出が今の形になったのは、明治以降、九代目団十郎のときです。
「御攝勧進帳」は、それ以前にずっと上演され、愛されていた、当時の江戸庶民にとっての「勧進帳」です。
より「歌舞伎らしい」舞台です。

通し上演台本が残っていますが、今出るのは「安宅の関」の場だけだろうと思います。
いちばん下にざっと全体像について書きます。

・安宅の関(あたかのせき)の場

安宅の関所の庭先です。ちゃんとそれっぽいセットです。

関所の役人たちが出てきて状況説明をします。
時代設定の説明がてら書いておきます。

源平の戦の後、「源頼朝(みなもとの よりとも)」と「源義経(みなもとの よしつね)」は仲たがいします。
義経が謀反を起こそうとしていると「梶原平三(かじわら へいぞう)」が讒言したからです。

頼朝に命を狙われる義経とその家来は、山伏(やまぶし、真言密教の修行者)に化けて、
奥州の「藤原秀衡(ふじわらのひでひら」)のところに逃げようとしています。
頼朝は義経を捕まえるために各所に関所を作りました。この「安宅の関(あたかのせき)」もそのひとつです。

みたいな話をしています。

ところで、夜明けに、誰かはわからないのですが、関所破りがあったようです。
この関所は、昼間は土地の役人の「富樫左衛門(とがしの さえもん)」が、
夜は、鎌倉から来た役人の「斉藤次祐家(さいとうの つぎ すけいえ)」が、守っています。二交代制です。
斉藤次は、富樫が目障りで、なんとか失脚か、できれば切腹させようとしています(詳細はこの幕に関係ないので割愛)。
枝の松に、着物の袖が引っかかっていました。関所破りの証拠です。
「夜明け」は昼間の管轄なので、富樫の責任になります。
富樫を追求して苛めてやろうともくろむ斉藤次。

と、ここまでの部分は、次以降の幕への前振りですので、現行上演改変があるか、全面カットかもしれません。
斉藤次と富樫の関係があまりよくないというのがわかる部分でもあるので、一応書いておきます。

花道に修験僧(山伏)たちが登場します。義経一行です。
出だしの浄瑠璃には、「勧進帳」と同じ♪旅の衣は篠懸(すずかけ)の…という文句が一部ありますが、
後半はまったく違う文句です。
これはこれでキレイないい文句だと思います。
この時点で弁慶は一行に遅れていて、いません。

頼朝に嫌われての逃避行の悲しさ、
義経をどこまでも守る覚悟を述べて、一行は順番に名乗ります。

新関が出来て困った→強行突破しよう→それはむしろ警戒が強まってまずい→じゃあ、義経は強力(ごうりき、荷物持ち)に化けて、
と相談する流れは、弁慶がいないだけで「勧進帳」と同じです。
どちらも原型は能の「安宅」ですから、内容に大きな違いはありません。

関所にかかる一行。関守は、意地悪な斉藤次のほうです。
「山伏」は通さない、全員捕まえる、という役人たち。
抵抗しますが、全員縛られそうなとき、
花道から「待った」と声がします。
弁慶の登場です。
流れとしては「暫」にそっくりです。このあと弁慶が花道で、弁慶としてでなく、役者としての自分の紹介を兼ねて名乗るところも、「暫」によく似ています。
が、通しで出すとこのお芝居は、序盤にちゃんと「暫」の趣向の部分がありますので、
ここはあくまで、「暫」っぽいノリ、というだけのお楽しみ部分です。

弁慶は山伏の来由なども語り、強引に通ろうとするのですが、
逆に「こいつ弁慶っぽい」と言われてしまい、疑いが強まります。逆効果でした!!
全員ひっくくれー!! となったとき、
こんどは奥から、「待った」と声がかかります。
富樫左衛門の登場です。これは「捌き役」といわれるオイシイ役柄の、定番の登場パターンです。

義経と頼朝の仲たがいについて、関所の由来などをとうとうと語り、ここは自分が詮議する、という富樫。
しぶしぶ譲る、斉藤次。

以降、詮議の様子を語句解説とともに詳しめに書きます。

弁慶は、自分たちは「俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)の依頼で、南都東大寺(なんと とうだいじ)の勧進(かんじん)」のために旅している、と言い張ります。

※語句解説
=「南都」は、奈良です。数年前に奈良を東大寺を平家が燃やしてしまったので、新しく建立するのです。
=「俊乗坊重源」は都のえらいお坊さんです。このかたが東大寺建立の勧進(寄付金集め)を仕切ったのは史実です。
=「勧進」は、寄付金、または寄付金を集める行為を言います。

富樫は「山伏だという証拠を出せ。俊乗坊の添状(そえじょう)があるだろう、見せろ」と言います。

=添状は、紹介状です。ここでは身分証明書の役割をします。

弁慶「関が立っているとは知らなかった、だから添状は持ってこなかった。本来山伏はふつうの関所はフリーパスだから必要ないと思った。

富樫「何か代わりになるものはないのか」

弁慶「じゃあ、勧進帳を読む」

弁慶が勧進帳をでっちあげて読みます。
「勧進帳」の同じシーンと似た段取りですが、セリフは短く、荒事的な派手な立ち回りが付きます。

富樫「勧進帳があるなら、本物だろう」

ここで斉藤次がツッコミを入れます。
「弁慶は三塔(さんとう)の学僧だったと聞く。勧進帳をでっちあげるなんて楽勝だ。むしろ怪しい。
…その通りです。

=「三塔」は、比叡山延暦寺のことです。西塔、東塔、横川の3つの塔(本堂)があるのでこう呼びます。

しかも、一行の中に義経に似たやつがいる!! この強力怪しい!!
といういつもの流れになります。

ここで弁慶が、有無を言わさず義経を引き据えてバシバシ叩きます。
この名場面は、どの作品も共通ですよ。

弁慶の剣幕にびっくりして、「じゃあいいよ」と義経を許す斉藤次。
しかし!! 関所を通っていいとは言っていません。富樫がどう言っても山伏は通しません。
あまり強引だと、鎌倉にチクるぞ、という斉藤次ですが、
富樫は「いちいち鎌倉(幕府)の判断仰ぐのなら、関所の責任者としての我々の存在意味はあるのか。それこそ職務怠慢だ」と言い返します。

けっきょく、折衷案として、一番怪しい、このでかい山伏、こいつ弁慶っぽい。
こいつだけ縛って確保、残りは通っていい、
ということになります。

富樫、一行に「ほんものの山伏に相違ない」という切手(通行証)を渡します。

全体に、富樫が甘すぎるように感じるかもしれませんが、
ここでの富樫の役柄は「さばき役」です。
これは、今のテレビの大岡越前などに通じる役柄で、正義の味方であり、
常に正義側である主人公が有利になるように行動するお約束なのです。

関所を出る一行。
弁慶だけが縛られて取り残されます。

これが本物の弁慶で、弁慶を捕らえたのだったら、番卒たちは大手柄です。
よろこんで弁慶をいたぶる番卒たち。
「でも自分は弁慶ではないのに」と、
なんと、めそめそと泣く弁慶。

番卒たちと弁慶の会話になり、この先の道を知らないという弁慶に、みんなが道を教えてやります。
「先に行ったみんなは今どのへんだろう」と弁慶は聞き、だいたい安全なところまで逃げたと判断したとたんに、
縄を切って暴れます。

番卒たちも抵抗しますが、全員が首をねじ切られます。
乱暴ですが、初期の江戸荒事のおおらかな雰囲気を伝えている場面です。
首は、残らずそばにあった大きな天水桶に投げ込まれます。

=「天水(てんすい)」は雨水です。雨水をためておいて、火事の時の消火に使う大きな桶です。

逃げた山伏一行たちが戻ってきて弁慶を褒めます。
弁慶なぜか怒っています。「やかましい!! 」

弁慶、首がたくさん入った天水桶の上に立って、杖でかきまわします。
この様子が、芋を洗う様子によく似ているので、
このお芝居は「芋洗いの弁慶」と呼ばれます。

この見得で、幕です。



以上のように、特に後半は、現在知られた「勧進帳」に比べて荒削りで野暮ったい内容です。
また、「山伏問答」がありません。
しかし、わかりやすいことは確かです。
今の「勧進帳」は、もともとの設定とストーリーを客の全員が知っていることを前提に、極度にスタイリッシュに簡略化されています。
最近は、付いていけない客が増えているのが現実だと思います。
聞かせどころのはずの「山伏問答」も、セリフ劇としては成立していないことが多いです。
そもそも誰も意味わかって聞いていない。
役者さんも、「セリフの意味全部わかってますか…?」と思うような場面が散見します。
「御攝勧進帳」は、手ごろでわかりやすい「勧進帳作品」として、今後上演が増えていくかもしれません。

いちおう、能の「安宅」を原型としていることに変わりはりませんので、
「安宅」をほぼ踏襲している「勧進帳」をチェックしておくに越したことはありません。
お時間があったらご覧ください。

あと、こちらは全訳になります。「山伏問答」の訳も全部あります。もう意味わからないとは言わせない。
=「勧進帳」全訳=


一応、作品の全体像について書きます。
まず通しでは出ないと思うので、興味ないかたは以下は飛ばしてください。

現行上演台本は、安永2年(1773)、五代目団十郎が襲名してこれから売り出そうという時期のものです。
典型的な「顔見世興行作品」でもあります。
内容は

・義経の逃避行と、義経の妻の岩手姫との恋模様
・安宅の関のエピソード
・奥州での藤原秀衡(ふじわらの ひでひら)の家の娘や息子たちが、義経派を頼朝派に分かれていろいろやる人間模様
などの「勧進帳」らしい内容とともに、
・安宅の関の関守、富樫左衛門を失脚させようとする陰謀
・源氏の重宝が3種類くらい出てきて、なぜか全てが富樫の館にある。それを狙って数人の源氏の残党や、モノノケが暗躍
・これに、なぜか在原行平(ここでは下河遍の行平)と、松風、村雨の有名な恋模様が絡みます。

そして、そこここに「だんまり」「暫」「世話場」「道行」「うわなり」などのお約束の演出が散りばめられます。
どこまでがストーリーで、どこまでが「お約束」か判断できないと、内容の破綻に付いていけないかもしれません。

顔見世興行ですので役者さん全てに「いい役」を振る必要があり、さらに派手な演出やお遊び、約束事が多く、
テレビで言うと番組改変期の特番ドラマ的な作品です。
役者さんの見せ場や盛り上がりを重視した結果、ストーリーの整合性が犠牲になっています。
通しで出すことは、今後もあまりないかもしれません。読むと楽しいです。

文化文政期以降、江戸は爆発的に大きくなり、地方からの移入組も増えて、
一見さんにもわかりやすい作品を作る必要が出てきたはずです。
その直前の時代、「客と劇場が、教養としてお芝居の情報を共有している」最後の時代の、
ウチワ受けと紙一重の、「芝居通だけのために作られた」作品でもあります。


=勧進帳=

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