歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「伽羅先代萩」 めいぼく せんだいはぎ (花水橋)

2006年11月04日 | 歌舞伎
「伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)」の序盤部分、
「花水橋(はなみずばし)」の場です。

「竹の間」「御殿」「床下」をご覧になる方は=こちら=です。
「対決(評定場・ひょうじょうば)」「刃傷場(にんじょうば)」をご覧になる方は</yokikotokiku/e/4593a737759c146c8faadcdccd7fdac9" TARGET="">=こちら=です。

短いシーンなのでストーリーは複雑ではありません。
ただ、基本設定や登場人物の説明が皆無なので、そのまま見るとたぶん状況が把握できません。

仙台伊達藩の、実際にあったお家騒動がモデルです。
お芝居では「足利家」になっています。

お家乗っ取り派の悪者たちはお殿様の「上杉頼兼(うえすぎ よりかね)」をたぶらかして遊郭での遊女遊びを教えます。
遊女遊びというのは、遊女とエッチすることよりも、その前にお座敷で宴会するほうに重点が置かれたものですので
今で言う風俗通いよりは、銀座の高級クラブでの豪遊のイメージが近いです。
ここでは詳しく出ませんが、吉原の二代目高尾太夫(たかおだゆう)に入れあげた頼兼は毎日豪華な衣装で廓でバカ騒ぎしては大散財ですよ。

このまま失脚するのを待てばいいのですが、待ちきれない悪臣の「仁木弾正(にっき だんじょう)」一派は、
廓帰りの頼兼を襲って殺してしまおうとします。
という場面です。

舞台は夜、花水橋のたもと。
もちろん実際の風景は吉原そばの大川(隅田川)の風景です。
江戸の地名出しちゃいけなかったので「花水橋」と書いたのです。
くせ者たちの、上記のような状況を説明する会話がちょっとあって、
お殿様の乗った駕籠(かご)がやってきます。
くせ者が襲いかかります。

あとは見ていればわかります。お殿様がけっこう強いのでびっくりです。かっこいい。

ちなみに
文楽版の「先代萩」ですと内容が少し違い、そっちだと頼兼は「ここまでか」ってほどのバカ殿っぷりです。
高尾太夫を連れ出して京都は亀岡山の百姓屋を借りきり、「貧乏暮らし」ごっこを始めます。
しかしお金というものの存在すら初めて知った世間知らずっぷりで、土間に千両箱を積み上げて湯水のように使います。

ここまでつきぬけたらいっそかっこいいというくらいの非常識さで楽しいのですが、
「文楽は上方のモノだ。上方はお侍が少ないから、侍の悪いところは普通に描けた。
江戸は侍だらけだから、江戸で歌舞伎でやると侍がたくさん見に来る。
とくに殿様クラスはあまりかっこわるく描くといろいろまずかったに違いない」、
という八代目三津五郎の指摘は興味深いです。

それとはべつに、文楽とは違って歌舞伎だとお殿様はそれなりの役者さんがやりますから、あまりかっこ悪い役にはできなかった、
という事情もあると思います。

後半あぶなくなったお殿様を「絹川谷蔵(きぬがわ たにぞう)」という相撲取りが助けます。
イキナリ出て、とくに説明もないのでですが、絹川は人気力士で頼兼は彼を「ひいき」にしているのです。
谷町とかパトロンとか言われる存在です。

当時の人気力士は、今で言う一流アスリートです。イチローと全盛期の猪木を足して2で割ったかんじです。
たいへんステイタスが高い存在だったので、お殿様もよろこんで連れて歩きました。
力士の側でもこういう大口スポンサーを「旦那」と呼んで大切にし、主君に対するように仕えるのがかっこよかったのです。

という関係で、力士の絹川谷蔵がこっそり頼兼を警護していたのです。
敵をどんどんやっつけますよ、強いぞ。
最後、絹川がくせ者を斬りますが、当時の相撲取りはちょっと「侠客」的なニオイがする存在で、
「スポーツ選手はケンカはしない」なんて言わなかったのです。
腰に長い脇差しをさして、バシバシ斬りますよ。

最後、ふたりの風情のあるやりとりがあって、おわりです。

ここで絹川が「おひろいくだされ」と言いますが、これは「(篭に乗らずに)お歩きください」という意味です。
篭かきが逃げちゃったので。
わかりにくいセリフかなと思うのでフォローしときます。

舞台面のキレイさやかっこいい立ち回りを楽しむ場面です。
直後の「竹の間、御殿」などの場面とは直接なんの関係もありません。
この殿様が陰謀で隠居させられて、息子のまだ幼い鶴千代くんが足利家の当主になる、という部分だけのつながりです。


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