歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「時今也桔梗旗揚」 ときはいま ききょうのはたあげ

2006年11月02日 | 歌舞伎
初演時の正式外題があるのですが、割愛です。絶対このタイトルでしか出ないし。
「馬盥」(ばだらい)という別称でも有名です。

桔梗(ききょう)は明智光秀の家紋です。
というわけで主人公は明智光秀です。
本能寺の変の直前の信長と光秀の、有名な確執が題材です。

作者は「東海道四谷怪談(とうかいどう よつやかいだん)」などで有名な、
四世鶴屋南北(つるや なんぼく)です。

ドロドロしてリアルすぎる江戸市井の悪人たちの生活感を描かせたら並ぶものとてない南北。
「生世話(きぜわ)の名手」とされていますが、
べつに時代物が描けないわけではなく、このお芝居もちゃんと堅苦しいかんじに仕上がっており、
お殿様も武将も、それっぽく描かれております。

なのですが、やはりそこは南北ですので、人物の描き方がえぐいです。
ここまでやるのかというかんじの光秀の苛められっぷりがすばらしいです。

ていうか、大筋で言うとこの作品の内容は、
文楽由来の「絵本太功記」という作品の今出ない前半部分と、あまり(ほとんど)変わりません。
むしろ、だから、このお芝居の価値はこの「苛めっぷり」にあると言っていいと思います。

基本設定は、テレビの時代劇でよく出るのと同じですので説明の必要はないかと思います。
光秀が森欄丸に額を割られるあの流れです。
今はこの有名シーンのある「饗応」の場面はカットが多く、
その事件のあと、光秀は信長に謹慎を命じられて引きこもっています。
というところからはじまります。
このあと、さらに信長がダメ押しで光秀をいじめるのです。

登場人物
・小田 春長 (おだ はるなが) :織田信長です。
・武知 光秀 (たけち みつひで): 明知(略)
・四王天 但馬 (しのうてん たじま): 四方田 但馬 光秀の腹心の部下です。
・名前しか出ませんが 真柴 久吉 (ましば ひさよし): 羽柴秀吉です。

江戸時代は、実在の地名や人物名をお芝居に使ってはいけませんでした。
ただ、戦国時代でも「武田勝頼」あたりは普通に使っているので、ようするに家康に直接関係してきそうな名前はNG、
ということだったのだと思います。
それ以前の時代については実名で書いてオールオッケーだったようです。

・桔梗 (ききょう): 光秀の妹。なんだか森蘭丸くんと仲がいいですよ。
・森 蘭丸 (もり らんまる):何故か実名。有名な春長のお小姓です。

というわけでいろいろ周囲のヒトがとりなすので春長は光秀に対面することにします。
桔梗ちゃんも蘭丸くんにとりなしを頼みました。
蘭丸くんに「お願い」と言われると「イヤ」と言えない春長です。いやん。
でも春長は光秀が心底キライなのでやっぱりいろいろ苛めるのでした。

まず、お座敷に部屋に馬盥(ばだらい)=馬が水飲む用の盥があります。久吉から春長への贈り物です。
といっても本当に馬小屋にあるようなのがあるのではなく、
蒔絵で飾られた美しいものです。形状が「馬盥」なだけです。

久吉は昔は春長のお馬係でしたから、
「今は出世しましたけどそのときの気持ちは忘れてませんよ」という意味でこれを送ったのです。
気が利いた贈り物だ、と春長はご満悦なのです。
で、その馬盥で、光秀に酒を飲めと言うのです。

馬用の盥で、というのも屈辱なのですが、
むしろ「久吉はお気に入り、オマエはキライ」とわざわざ意思表示されていることに光秀は傷つくのだと思います。
春長はこのように、ただのいじめっ子ではなく、相手が何に傷つくかわかった上で嬉々としてそれをやる、
非常にサディスティックな性格に描かれています。

あとは、久吉の配下に入って戦え、とか、領地を取り上げられたりとか、
欲しがっていた短剣をわざわざ目の前で他の人にあげたりとか、
イヤガラセのオンパレードです。

さて、光秀は若い頃浪人していました。すごく貧乏でしたよ。
あるとき古いお友達が来てくれたのですが、食べ物を出すお金がありません。
なので奥さんの皐月(さつき)さんが、自分の髪を切って売って、そのお金でおもてなしをしたのでした。
その話を伝え聞いて感心した春長は、光秀をわざわざ捜して召し抱えたのです。

という昔のエピソードがあるのですが、
とはいえ貧乏のあまり、妻に女の命である髪を切らせたというのはやはり恥です。
まして一国一城の主、りっぱな武将にそんな過去があるのはかなり恥ずかしいです。

その奥さんが売った髪を、春長、手に入れていて、「オマエにはこれをやる」と言って箱に入れて与えます。
ふたを開ければあのとき売った奥さんの髪。
大勢が見ている前で昔の恥を持ち出されて、光秀我慢の限界ですよ。

でもなんとか耐えて、やむなく箱をいただいて退出するのでした。

「馬盥」の場、終わりです。

ストーリーは単純ですが、馬盥の場面以外はセリフ中心で話が進みますから、
何が起きているかちょっと詳しく書きました。
なにしろ蘭丸の役者さん、ずっと座っているから足がしびれるというくらい、あまり動きがありません。


「愛宕山(あたごやま)」の場
京都の愛宕山にある光秀の屋敷です。
奥さんは連歌師を呼んで、家来と一緒に連歌をしていますよ。

当時、連歌は娯楽として全盛でしたが、なかなか難しい遊びですし、ここは武知さん一家の教養の高さをさりげなく示すと思います。
そういうスカした感じが春長に嫌われたんだとは思います。

光秀登場です。苛められすぎて傷心ボロボロです。
奥さんに髪の毛の話をして一緒に嘆きます。
もうねえ、やってられませんよね。一所懸命やったのにあのときも今も。
ていうか春長、はじめは褒めてくれたくせに。

ここで連歌師のヒトに謀反を勧められますが、却下します。

さて、またもや春長からの上使がやってきます。
どうせロクな用事じゃありませんよ。

光秀、今はこれまでと思い、水裃(みずかみしも)を着て出迎えます。
水裃(みずかみしも)というのは水浅黄(みずあさぎ、薄い水色)の裃です。
大名旗本クラスが切腹するときに着る特別な色です。つまり切腹の覚悟をして上使に対面したのです。
上使、光秀に「左遷」を伝えます。

風で火が消えます。愛宕山の上にあるから風が強いのです。
暗闇で光秀、辞世の句を詠みます。

時は今 天が下知る 皐月かな

「知る」は、ここでは「支配する」、という意味です。「天が下知る」は「天下を支配する」という意味です。
「皐月」は、ここではただ季節を読込んだのであって、奥さんの名前とはあまり関係ないと思います。

さあ今だ。天下を取るぞ、と思った5月 
くらいの意味でいいと思います。

これは辞世の句でなく反逆の一句です。
詠みおわると、上使が持っていた名刀「日吉丸」を奪って上使を斬り殺します。

日吉丸は久吉の幼名ですから、春長に取り入って成り上がった憎い久吉で、春長を斬ってやった、ざまあみろ、
みたいな部分がありますよ。

腹心の部下、四王天但馬(しのうてん たじま)が「出撃準備完了」と知らせに来ます。
さあ出発です。

おわりです。

というお芝居です。

まあ、暗い話ですが、歴史の陰部というかんじで、
その中で、一瞬ですが鬱屈した感情が完全に解き放たれる、
数日とはいえ天下を取るに至った、そのおそろしいエネルギーの輝き、
歌舞伎の洗い上げた演出と訓練された役者さんの肉体が、それを完全に表現しきる瞬間。
そういうものを感じ取って楽しむお芝居だと思います。
後は野となれ山となれ。


南北が書いた時代物については、いま作者として彼の名前は出ていませんが、
「加賀見山旧錦絵」(かがみやま こきょうのにしきえ)というお芝居、これは御殿の奥女中の確執を描いた名作ですが、
じつは南北の作なのです。
南北の「隅田川花御所染(すみだがわ はなのごしょぞめ)」というお芝居の、今は出ない部分が、
まるまるこの「加賀見山」なのです。
現行上演の「加賀見山」はかなりの部分をこの南北版に依っております。
これも悪役のお女中が苛められ役のお女中に罪をかぶせて、草履で顔や頭をバシバシ打つという悪趣味さです。すばらしい。

というわけで、ちゃんとセリフは時代物らしく格調高いのですが、やってることは悪趣味の極み、
というのが南北の時代物作品です。
ある意味世話物よりタチ悪いかもしれません。


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