歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「将軍頼家」 しょうぐん よりいえ

2011年06月04日 | 歌舞伎
昭和7年初演の新作ものです。

「頼朝の死」という副題が付けられています。

「頼家」だけでは知名度が低いのでタイトルとして弱く、父親の「頼朝」の名前を出さなくてはならないわけです。
という事実が、まさに作品の主人公の頼家の悩みと重なります。

ところで、明治時代に、「活歴」(かつれき)という演出手法がはやりました。
江戸時代の歌舞伎の演出は見た目重視です。時代考証は完全に無視だったのですが、
これを「非文化的だ」と否定し、歴史に忠実な設定や演出にこだわることで歌舞伎をより芸術的で高尚なモノにしようとしたのです。
それやってお芝居が面白くなるかどうかは、全く無視です。

という、当時の西洋かぶれの学者や知識人による、ぶっちゃけかなりアタマでっかちな運動なのですが、
それでも歌舞伎のフトコロの深さはハンパではなく、それも一演出手法として受け入れて定着させました。
さすがに古典歌舞伎を「活歴」で演出するのはやめましたが、「活歴手法で演出する新作」が作られるようになりました。
 ※参考: =歌舞伎の古典と新作について=

昭和に入って、「真山青果(まやま せいか)」という偉大な作者を得て、活歴作品はついに完成の域に達します。
このお芝居もそのひとつです。

活歴作品では江戸時代の作品とは違い、歴史上の人物が実名で登場し、史実に基づいた歴史ドラマが展開します。

この作品では鎌倉時代、「源頼朝(みなもとの よりとも)」の子で第二代将軍の「源頼家(みなもとの よりいえ)」が題材になっています。

頼朝の死後が舞台になっています。

原作(初期上演時)だと前半部分に頼朝の死後、二代将軍頼家をさしおいて政権を掌握しようとする北条との政治的なかけひきが描き込まれていて、「歴史劇」の色合いが強いのですが、
今は後半部分しか出ません。

・法華堂門前(ほっけどう もんぜん)の場

はじめの場面は頼朝のお墓のあるお寺の門前です。今日は頼朝の三回忌の追善供養をしています。

初代将軍であり、父親である頼朝の追善供養だというのに、頼家は姿を見せません。
りっぱな行列を見たくて待っていた一般市民たちは、不平たらたらで頼家の悪口を言います。
さらに頼家はアタマはおかしくて父の位牌を海に捨てたという噂まであります。
全体に彼があまりいい執政者でないことがわかります。

「中野能成(なかの よしなり)」というお侍が出てきてうまいこと人々をなだめます。
頼家は迷信を嫌って、幕府内に大勢雇われていた僧たちを追い出したので、その僧たちが頼家の悪口を流しているのです。
「中野能成」は実在した頼家の臣下で、ここでのセリフも当時の政治状況を反映しています。
こういう細かいところが史実を調べ抜いて作品を書く真山青果先生の「活歴」らしいところです。

きれいな女の人が出てきます。「小周防(こすおう)」という城中の女官です。
頼家の母親は、あの有名な「北条政子(ほうじょう まさこ)」ですが、小周防はその北条政子に仕えています。

小周防ちゃんは、政子さまの命令で頼朝のお墓に卒塔婆(そとば)を捧げに来ました。
「卒塔婆(そとば)」というのはお墓にいくと、フチがギザギザになった木の板がありますが、あれです。
仏教上は仏塔の代替物とされているので、お墓に立てるのは追善になるのです。

しかし寺内は女人禁制です。入れてもらえません。困る小周防ちゃん。

そこに頭巾(ずきん)で顔を隠したお侍が助けに入ります。
顔を隠したお侍を怪しんだ「中野能成」なのですが、この人は幕府の重臣の「畠山重保(はたけやま しげやす)」でした。
智将として有名だった「畠山重忠(はたけやま しけただ)」の息子です。

人目を避けて卒塔婆を持ってきた小周防ちゃんも、幕府の重臣のくせに法要に出ないで顔を隠してウロウロしている「畠山重保」も
むちゃくちゃアヤシイです。ワケありくさいです。

とりあえず重保は強引に小周防ちゃんをお墓に行かせます。
重保がひとり残ります。

重保は悩んでいます。

じつは、頼朝は病死ではなく殺されたのです。殺したのは重保です。
状況はこうです。

頼朝は小周防ちゃんが気に入っており、夜這いしようとしました。
そのために深夜、女装してお城の築垣を乗り越えようとして、不振人物として重保に斬られたのです。
というわけで殺したのは不可抗力なのですが、自分の主君、しかも天下の将軍を殺してしまった重保の苦しみは大きいのです。

しかも天下の将軍の死に様としてはまずすぎる、ということで事実関係は秘密にされています。
重保は自分の罪を誰にも打ち明けることができません。

悩む重保のところに、これも幕府の重臣の「大江広元(おおえの ひろもと)」がやってきます。

「畠山重保」も幕府の重臣ですが、地元の豪族が頼朝やその息子の頼家に協力している形です。
「大江広元」は朝廷からやってきた切れ者で、政治的にもベテランなので重保よりも立場が上になります。
上記の、頼朝が死んだときの事情を知っているのは、当事者である重保、小周防ちゃん、小周防ちゃんが仕えている北条政子、
あとはこの大江広元です。

「頼朝の死」の秘密を守ることに重要性をあらためて諭した広元は、重忠をつれて法要のために寺に入っていきます。

やっぱり耐えられなくて出てきた重保。
小周防ちゃんが門前をウロウロして待っています。
二人は実は好き同士です。
しかし、頼朝が死んだのはふたりのせいです。ふたりがくっついて幸せになるわけにはいきません。
重保は小周防ちゃんをふりきって退場します。


・将軍家御館(しょうぐんけ おんやかた)の場

ここから主人公の「源頼家(みなもとの よりいえ)」が出てきます。
夜です。頼家は父である死んだ頼朝の部屋で父をしのんでいます。
というかしめやかなかんじではなく、柱によっかかって酒飲んでいますので、見た目は優雅で美しいですが、ようするにダメダメです。

頼家は一応幕府の中枢にいますから、父親が公表されているような病死ではないことはわかっています。
誰かに殺されたことも薄々感づいています。
しかし真相は知りません。誰も教えてくれないのです。

しかも、父親が死んだので急に将軍にされてしまいました。ぶっちゃけ嬉しくないです。知識も実績も人脈もないので、何もできないのです。
ただ父を思って悲しみ、やさぐれるしかできません。

前幕で出た側近の「中野能成(なかの よしなり)」が、昼間のできごとを報告します。
ますます怪しいと感じる頼家。誰かが何かをたくらんでいます。
実際は誰も何もたくらんではおらず、隠し事をしているだけなのですが、不安をつのらせる頼家。

とりあえず何か知っていそうな小周防ちゃんを呼びにいかせます。
なおも父の死について考え続ける頼家。
頼家が想像しているのは幕府の重臣たち、畠山や三浦や北条が自分を裏切っているという政治的に重篤な事態です。

ここで「羽黒山と熊野の領分についての訴訟」のエピソードが挿入されます。
ふたつの大きなお寺が複雑かつデリケートな領分争いをしていて、双方を怒らせない落とし所を見つけなければならない難しい訴訟なのですが、
頼家は地図の真ん中に直線を引いて強引に決着を付けてしまいます。
ちょっと気持ちいい展開ですが、やっちゃダメなやつです。表面上は片が付いても遺恨が残り、かならず別の形で再燃するからです。驚き呆れる側近たち。

これはストーリーの流れにはあまり関係ありません。
頼家が政治や人生を少々ナメている、バカではないけどまだ若い男だ、というのを表現するための部分です。

そうこうしていたら、「畠山重保(はたけやま しげやす)」がやってきます。
出家したいというのです。

もはや幕府内で何食わぬ顔をして仕事をするのに耐えられない重保としては苦渋の決断ですが、
何も事情を知らない頼家にしてみれば、出家する前に説明しろよという話です。

ところで、「畠山」の一族は秩父の豪族であり、政治的にも鎌倉幕府の重鎮です。VIPです。
なのですが、重保の役の雰囲気が非常に若々しいのもあって、頼家の前にいると、そのへんの近習のお侍のように見えてしまうことがあります。
じっさいはかなり身分が高いひとです。

モメていると、母親の「北条政子」と、例の重鎮の「大江広元」がやってきます。
さきほど頼家がお寺の領地の訴訟を強引かつ最悪に終わらせたのであわてて意見しに来たのです。
怒られる頼家ですが、話を聞きません。逆にタブーになっているあの問題で3人を問い詰めはじめます。

父上は何故死んだのだ。
答えない3人。

重保は、真相を言って詫びたいのは山々です。しかし頼朝の名誉をまもり、幕府の対面を保つためには絶対に何も言ってはならないのです。

頼家は、べつに頼朝の死に責任があるものを見つけて断罪したいわけではありません。
父親の頼朝が、好きだったのです。偉大な将軍であった源頼朝が大好きで、尊敬して、慕っていたのです。
父親の死因という重大なことすら知らされない自分の無力さがつらいのです。

たまりかねた頼家は、最後の手段に出ます。小周防ちゃんを呼び出します。
うわやばい。こいつしゃべる絶対。北条政子はあわてます。

すでにかなり取り乱している小周防ちゃんに、頼家は、本当の事を言えば重保と結婚させてやると言います。
泣きながら迷う小周防ちゃん。

小周防ちゃんはこれ以上耐えられないと判断した政子が重保に合図します。
重保は、断腸の思いで小周防ちゃんを斬り殺します。

怒り狂う頼家ですが、覚悟を決めた北条政子はもう後には引きません。
長刀(なぎなた)を持って頼家の前に立ちはだかります。この秘密は絶対に教えないと言い切ります。

家のためなのです。家の維持は幕府の維持であり、この国の維持でもあります。
「家は末代、人は一世」
家は大事に維持すれば未来永劫、末代まで続きます。人は死んでしまえばおわりです。家の存続のためには個人の感情は押し殺すしかないのです。
そう言い切る政子。

絶望し、泣き崩れる頼家です。

おわりです。


重厚な史劇であると同時に、一国を左右するような重大問題なのに、当事者たちにとって大切なのは恋人であったりオトナになりきれない自分探しであったり、どうにも頼りないです。真面目に国を憂えているのは母親の政子さんだけです。
これはそういうそういうあぶなっかしい青春群像でもあります。それがこの作品の面白さなのだと思います。

中村梅玉(なかむら ばいぎょく)さんが福助時代から頼家をなさることが多く(というか梅玉さん以外見たことがない)、非常なはまり役です。
頼家のノーブルな美しさが必須な作品だと思います。

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