「歌舞伎十八番(かぶきじゅうはちばん)」のひとつである「暫(しばらく)」というお芝居の変形版です。
「しばらく」というのは強力無双の主人公が圧倒的な強さで悪人をやっつけるのが楽しいお芝居です。
この主人公を女にしてしまうという、さらに楽しいお芝居がこれです。
内容ですが、正規版の「暫」とほぼ同じです。
なのに何故わざわざ「女暫」でひと項目作ったかと言いますと、観劇上の非常に重要な注意点があるからです。
その部分を見逃すとこのお芝居は意味がない上に、知らないで見ると周囲にメイワクな部分があるのです。なので書きます。
流れがあるので、一応内容を書きます。「暫」を知ってるかたは飛ばしてください。登場人物名が多少違うだけです。
あと設定が少し単純になっています。
注意点はお芝居の最後の部分になります。読んでからお芝居ご覧になってください、頼むから。
源平の戦の後です。
といっても人物の関係が合っていれば時代設定は何でもいいので、上演のたびに変わる可能性があります。
一応、「強い女主人公」というのがあまりいない都合もあるので今回書く設定が鉄板かと思います。
・「樺冠者範頼(かばのかじゃ のりより)」(源範頼)が、家来を連れて宴会をしています。
「源範頼(みなもとの のりより)」は「源頼朝(みなもとの よりとも)」、「源義経(みなもとの よしつね)」の異母弟にあたります。
「平家物語」に殆ど書いてもらわなかったのせいで歴史的な印象は薄いですが。
実際は源平の戦で、瀬戸内海を制圧しつつ海路、平家を攻めた義経に対して中国地方を陸路、平家を追い詰めたのが範頼です。功績は大きいです。
歌舞伎ではよく悪役として出てきます。
源平の戦で戦功があったので官職を受けて有頂天になり、天下を取ろうという野望を抱きはじめているという設定です。
史実との整合性は気にしなくていいです。
・善人側で常識人の「清水冠者義高(しみずかじゃ よしたか)」や「木曽次郎(きそ じろう)」などが「いいかげんにしろ」といさめますが聞きません。
・しかも、範頼は、善人方の義高が朝廷からあずかった宝剣「倶利伽羅丸(くりからまる)」を奪い取って、返してくれないのです。
・さらに、善人側の義高には恋人がいます。「紅梅姫(こうばいひめ)」といいます。
・範頼はこの紅梅姫(こうばいひめ)をヨメにしたいのですが、お姫様はうんと言いません。
・怒った範頼は、家来の成田五郎(なりた ごろう)に、一同の首を斬ってしまえと命じます。
・善人方絶体絶命の瞬間、
「しばらく」
と花道の奥から声がして、キリリとした美女が出て来ます。
「暫」は、お芝居なのですが、かなり様式性が高いので、美女は花道で一休みして、後見さん(こうけんさん)にお茶をもらって飲んだりします。
・名前を聞かれて美女は巴御前(ともえ ごぜん)」と名乗ります。
源平の戦の発端の頃に暴れた「木曽義仲(きそ よしなか)」の恋人が巴御前です。
美しいだけでなく大力勇猛で、義仲や他の武将たちと馬を並べてバリバリ戦った、伝説の美丈夫です。
歴史上最も強い美女といえばこのかたなので、「女暫」はこのひとを主人公にします。
むしろ「巴」を出すためにこの時代を舞台にしているのだと思いますが、細かい時代設定や人間関係はむちゃくちゃです。
この題材に関係している名前だけを並べているかんじです。駒若丸(木曽義仲の幼名)とかまで出てきます。
・さて、巴御前が名前を名乗るとき、「ツラネ(連ね)」という形式で語ります。
「ツラネ」というのは、主題になるものの由来や自慢を、名所や食べ物等の名前の、いわゆる「もの尽くし」を使ったりしながら「言い連ねる」文章です。
たぶん聞いていても断片的にしか意味がわからないと思うのですが、ここでの内容は、巴御前の経歴や歴史上の伝説なんかです。
「暫」も「女暫」も、「ツラネ」のセリフは毎回その役の役者さんが自分で作るのが定例です。
だいたいの形式や内容は決まっているとはいえ、ずいぶんたいへんなのだろうなと思います。
・強そうなおねえさんが花道に陣取って、善人たちに手出しできないようににらんでいるので範頼の手下たちは困ってしまいます。
順番に出て行っては巴御前をどかそうとします。おどしたり、なだめたり、頼んだり、攻撃したりですが、巴御前はびくともしません。
ここで出てくるのが、
・鯰坊主(なばずぼうす)雲斎(うんさい)
・女鯰(おんななまず) 若葉(わかば)、
女鯰が、巴御前じゃなく役者さんを直接説得しようとして、「もうし、○○屋のねえさん」と、役名でなく本人の屋号で呼びかけるところが、いきなりウチワの雰囲気になって楽しいです。
・腹出しと呼ばれる、赤い太鼓腹を出している強そうなお兄さん達(兵隊)
・奴さんたち
・成田五郎(なりた ごろう) 一応敵方でいちばん強い人、
などです。
代わる代わる出てくる悪人側の戦力が、どれもまったく相手にならない、主人公との圧倒的な力の差を、ここでは楽しみます。
いろいろなパターンで巴御前の強さが表現されます。どれも絵的に非常に美しく、楽しいです。そういう点もご覧いただくといいと思います。
彼らを蹴散らした巴御前は、本舞台にやってきて範頼に詰め寄ります。天下を取ろうとかおこがましい、とか宝剣返せ、とかです。
・と、そこで、さっきの女鯰、若葉が急に寝返ります。
始めから若菜はスパイだったのです。
いつの間にか本物の宝剣も見つけ出してあります。女鯰の合図で花道から入ってくる、手塚太郎(てづかの たろう)が本物を持っています。
・宝剣を手に入れた巴は、それをもとの持ち主の義高に渡します。よかったよかった。
・善人一行は退場します。
・巴は巨大な刀のひと太刀で範頼の兵隊たちをなで斬りにすると、意気揚々と引き上げて行きます。
終わりです。
と、ここまでは「暫」と同じに見ればいいのですが、
この後の花道の引っ込みの場面が重要なのです。
巴は女形(おんながたと読む)なので、荒事の立役の役者さんが花道でやる「六法(ろっぽう)」という歩き方ができません。
しかし「暫」なので「六法」で歩かなければなりません。
なので、横にいる「舞台番」のひとに歩き方を習います。
舞台番と言うのは、今はいないのですが、江戸時代には舞台の袖のあたりに若いモンが座っていて、客があまりに騒いだり、モメ事があったりするとすかさず収めたのです。その係の人です。
もちろん今はこういう係の人はいないので、「舞台番」の役の役者さんがいてその人と会話をします。
一時的に急に、役者さんとスタッフの会話になるのです。楽しいです。
歩き方を教わった巴は、りっぱな六法を踏んでのしのしと歩きますが、
すぐに立ち止まって、「おお恥ずかし」と言い、
そのまま女性らしいかわいらしい走りかたで花道を引っ込みます。
巴ではなく、かわいらしい女形の役者さんに戻った瞬間でもあります。
ここまでの堂々とした男顔負けの美丈夫ぶりと、最後の最後でのかわいらしいしぐさとの対比こそが、この舞台の最大の見どころなのです。
なので、客は花道を引っ込む巴が「おお恥ずかし」とかわいく言うのを今か今かと待っている、
はずなのですが、
最近、その部分を知らないので、巴が花道にかかった時点でお芝居が終わりだと勝手に思い込み、立ち上がったりザワついたりするお客さんが非常に多いのです。
そのザワついた状態で「おお恥ずかし」と言っても、そもそも聞こえませんし、雰囲気も台無しです。
なので、
絶対に、最後の最後まで立ち上がらないで、だまって巴を見ていてください。
3階で花道見えなくてもです。いや、だからこそ、声だけでも聞こえるように、静かに座っていてください頼むから。
もう、それこそ、せっかく舞台番のひとがいるのですから
「ここからいいところですから、お静かになすって、みなさんお静かになすって」とか言って客を座らせてほしいくらいです。
そんなかんじです。
楽しんでねー。
=暫=へ
=50音索引に戻る=
「しばらく」というのは強力無双の主人公が圧倒的な強さで悪人をやっつけるのが楽しいお芝居です。
この主人公を女にしてしまうという、さらに楽しいお芝居がこれです。
内容ですが、正規版の「暫」とほぼ同じです。
なのに何故わざわざ「女暫」でひと項目作ったかと言いますと、観劇上の非常に重要な注意点があるからです。
その部分を見逃すとこのお芝居は意味がない上に、知らないで見ると周囲にメイワクな部分があるのです。なので書きます。
流れがあるので、一応内容を書きます。「暫」を知ってるかたは飛ばしてください。登場人物名が多少違うだけです。
あと設定が少し単純になっています。
注意点はお芝居の最後の部分になります。読んでからお芝居ご覧になってください、頼むから。
源平の戦の後です。
といっても人物の関係が合っていれば時代設定は何でもいいので、上演のたびに変わる可能性があります。
一応、「強い女主人公」というのがあまりいない都合もあるので今回書く設定が鉄板かと思います。
・「樺冠者範頼(かばのかじゃ のりより)」(源範頼)が、家来を連れて宴会をしています。
「源範頼(みなもとの のりより)」は「源頼朝(みなもとの よりとも)」、「源義経(みなもとの よしつね)」の異母弟にあたります。
「平家物語」に殆ど書いてもらわなかったのせいで歴史的な印象は薄いですが。
実際は源平の戦で、瀬戸内海を制圧しつつ海路、平家を攻めた義経に対して中国地方を陸路、平家を追い詰めたのが範頼です。功績は大きいです。
歌舞伎ではよく悪役として出てきます。
源平の戦で戦功があったので官職を受けて有頂天になり、天下を取ろうという野望を抱きはじめているという設定です。
史実との整合性は気にしなくていいです。
・善人側で常識人の「清水冠者義高(しみずかじゃ よしたか)」や「木曽次郎(きそ じろう)」などが「いいかげんにしろ」といさめますが聞きません。
・しかも、範頼は、善人方の義高が朝廷からあずかった宝剣「倶利伽羅丸(くりからまる)」を奪い取って、返してくれないのです。
・さらに、善人側の義高には恋人がいます。「紅梅姫(こうばいひめ)」といいます。
・範頼はこの紅梅姫(こうばいひめ)をヨメにしたいのですが、お姫様はうんと言いません。
・怒った範頼は、家来の成田五郎(なりた ごろう)に、一同の首を斬ってしまえと命じます。
・善人方絶体絶命の瞬間、
「しばらく」
と花道の奥から声がして、キリリとした美女が出て来ます。
「暫」は、お芝居なのですが、かなり様式性が高いので、美女は花道で一休みして、後見さん(こうけんさん)にお茶をもらって飲んだりします。
・名前を聞かれて美女は巴御前(ともえ ごぜん)」と名乗ります。
源平の戦の発端の頃に暴れた「木曽義仲(きそ よしなか)」の恋人が巴御前です。
美しいだけでなく大力勇猛で、義仲や他の武将たちと馬を並べてバリバリ戦った、伝説の美丈夫です。
歴史上最も強い美女といえばこのかたなので、「女暫」はこのひとを主人公にします。
むしろ「巴」を出すためにこの時代を舞台にしているのだと思いますが、細かい時代設定や人間関係はむちゃくちゃです。
この題材に関係している名前だけを並べているかんじです。駒若丸(木曽義仲の幼名)とかまで出てきます。
・さて、巴御前が名前を名乗るとき、「ツラネ(連ね)」という形式で語ります。
「ツラネ」というのは、主題になるものの由来や自慢を、名所や食べ物等の名前の、いわゆる「もの尽くし」を使ったりしながら「言い連ねる」文章です。
たぶん聞いていても断片的にしか意味がわからないと思うのですが、ここでの内容は、巴御前の経歴や歴史上の伝説なんかです。
「暫」も「女暫」も、「ツラネ」のセリフは毎回その役の役者さんが自分で作るのが定例です。
だいたいの形式や内容は決まっているとはいえ、ずいぶんたいへんなのだろうなと思います。
・強そうなおねえさんが花道に陣取って、善人たちに手出しできないようににらんでいるので範頼の手下たちは困ってしまいます。
順番に出て行っては巴御前をどかそうとします。おどしたり、なだめたり、頼んだり、攻撃したりですが、巴御前はびくともしません。
ここで出てくるのが、
・鯰坊主(なばずぼうす)雲斎(うんさい)
・女鯰(おんななまず) 若葉(わかば)、
女鯰が、巴御前じゃなく役者さんを直接説得しようとして、「もうし、○○屋のねえさん」と、役名でなく本人の屋号で呼びかけるところが、いきなりウチワの雰囲気になって楽しいです。
・腹出しと呼ばれる、赤い太鼓腹を出している強そうなお兄さん達(兵隊)
・奴さんたち
・成田五郎(なりた ごろう) 一応敵方でいちばん強い人、
などです。
代わる代わる出てくる悪人側の戦力が、どれもまったく相手にならない、主人公との圧倒的な力の差を、ここでは楽しみます。
いろいろなパターンで巴御前の強さが表現されます。どれも絵的に非常に美しく、楽しいです。そういう点もご覧いただくといいと思います。
彼らを蹴散らした巴御前は、本舞台にやってきて範頼に詰め寄ります。天下を取ろうとかおこがましい、とか宝剣返せ、とかです。
・と、そこで、さっきの女鯰、若葉が急に寝返ります。
始めから若菜はスパイだったのです。
いつの間にか本物の宝剣も見つけ出してあります。女鯰の合図で花道から入ってくる、手塚太郎(てづかの たろう)が本物を持っています。
・宝剣を手に入れた巴は、それをもとの持ち主の義高に渡します。よかったよかった。
・善人一行は退場します。
・巴は巨大な刀のひと太刀で範頼の兵隊たちをなで斬りにすると、意気揚々と引き上げて行きます。
終わりです。
と、ここまでは「暫」と同じに見ればいいのですが、
この後の花道の引っ込みの場面が重要なのです。
巴は女形(おんながたと読む)なので、荒事の立役の役者さんが花道でやる「六法(ろっぽう)」という歩き方ができません。
しかし「暫」なので「六法」で歩かなければなりません。
なので、横にいる「舞台番」のひとに歩き方を習います。
舞台番と言うのは、今はいないのですが、江戸時代には舞台の袖のあたりに若いモンが座っていて、客があまりに騒いだり、モメ事があったりするとすかさず収めたのです。その係の人です。
もちろん今はこういう係の人はいないので、「舞台番」の役の役者さんがいてその人と会話をします。
一時的に急に、役者さんとスタッフの会話になるのです。楽しいです。
歩き方を教わった巴は、りっぱな六法を踏んでのしのしと歩きますが、
すぐに立ち止まって、「おお恥ずかし」と言い、
そのまま女性らしいかわいらしい走りかたで花道を引っ込みます。
巴ではなく、かわいらしい女形の役者さんに戻った瞬間でもあります。
ここまでの堂々とした男顔負けの美丈夫ぶりと、最後の最後でのかわいらしいしぐさとの対比こそが、この舞台の最大の見どころなのです。
なので、客は花道を引っ込む巴が「おお恥ずかし」とかわいく言うのを今か今かと待っている、
はずなのですが、
最近、その部分を知らないので、巴が花道にかかった時点でお芝居が終わりだと勝手に思い込み、立ち上がったりザワついたりするお客さんが非常に多いのです。
そのザワついた状態で「おお恥ずかし」と言っても、そもそも聞こえませんし、雰囲気も台無しです。
なので、
絶対に、最後の最後まで立ち上がらないで、だまって巴を見ていてください。
3階で花道見えなくてもです。いや、だからこそ、声だけでも聞こえるように、静かに座っていてください頼むから。
もう、それこそ、せっかく舞台番のひとがいるのですから
「ここからいいところですから、お静かになすって、みなさんお静かになすって」とか言って客を座らせてほしいくらいです。
そんなかんじです。
楽しんでねー。
=暫=へ
=50音索引に戻る=
本当に幕が引くとガタガタと立ち始めるお客さんが多いですね。
本当にありがとうございます。
歌舞伎、おもしろいですねー
この記事にも書かれている「美丈夫」という言葉ですが、これは美しい男の人という意味だと思います。歌舞伎役者さんは男性なので、ある意味では間違っていないのだと思いますが、文脈からは美しい女性のことを表現したくてこの言葉を使用している様に感じました。勘違いだったら大変申し訳ないのですが、ご参考までに。