心中ものの名手、近松門左衛門の書く、一連の心中もの作品の、これが第一作です。
お話の説明、とにかく事情がいりくんでいるのでまず説明します。。
主人公の徳兵衛(とくべえ)は、おじさんのお店(おたな)で子供のころから働いています。
丁稚制度というのは児童虐待ではなく、貧乏な家の子供でも衣食住を保証されて教育を受けられ、礼儀作法や、仕事も教われる、いい制度だったと思います。
徳兵衛、両親はいません、継母がいます。
これらの設定は延々と生玉神社そばの茶屋の店先で、徳兵衛のセリフだけで語られます。
近松のころはお人形も小さく(一人使い)、舞台そのものも小さく簡素で、浄瑠璃の「語り」がメインだったのです。劇場というほどの大掛かりなものもなく、大きめのお座敷で人形芝居は上演されたようです。
お芝居と言うより朗読劇に近いです。だから動きもあまりない、セリフでの説明が多いのです。
おじ夫婦、徳兵衛を気に入って姪(徳兵衛のはとこ)と結婚させようとします。
しかし徳兵衛は遊女のお初と恋仲なのです。なので結婚を嫌がっています。
しかし、田舎に住む徳兵衛の継母が、なんと持参金を受け取ってしまいます。銀二貫目、だいたい200万くらいです。
縁談を断った徳兵衛、2貫目返せと言われて、なんとか継母から取り返してきます。お金を返せば、一応問題は解決ですよ。
でもまあ、たぶん大阪にはいられなくなります。お初と会えません。困った。
ここでお初、すでに心中を匂わせるセリフを言います「この世だけの契りかや」みたいな。
(ふたりの仲は)この世、現世だけで終わるような契りだと思うの?みたいな感じです。
つまり死んで、来世で一緒にいられればいいじゃん、ということです。
説明セリフまだ続きます。
徳兵衛、この二貫目を、頼まれてお友達の大きいお店のボンボン、九平次(くへいじ)に貸します。
すぐ返してくれるはずがまだ返してくれない、徳兵衛困っています。
ここで九平次登場、っこからやっと、動きのあるお芝居になりますよ。
九平次、遊び仲間と一緒です。徳兵衛が九平次に金返せとせまります。
お友達の九平次は、じつは悪い奴です。
・「はんこを落とした」と言って役所に届け、新しいはんこを登録します。
・古い方のはんこで徳兵衛に借用書を書きます。しかも書類の字を徳兵衛に書かせます。
・で、「徳兵衛は、自分が落としたはんこを拾ってニセの書類を作って詐欺をしようとした」と言います。
徳兵衛、金を返してもらえないばかりか犯罪者あつかいされてしまいます。計画犯罪です。徳兵衛は反論できません。
九平次もお初に惚れているので、徳兵衛を陥れるためにこういう手の込んだ悪事をしたのです。
そして九平次は金持ちのボンボンなので、丁稚あがりの徳兵衛を内心バカにしていたのです。
よくできた設定ですが、事情が込み入りすぎているのと、殆ど全てが昔(江戸初期)の上方言葉(しかも早口)で語られるので、かなりわかりにくいです。
まあ、だいたいそういう事情ですので、あらかじめざっとアタマに入れた上でご覧になると、楽しみやすいかなと思います。。
で、前半でこんな具合で徳兵衛は濡れ衣を着せられ、生玉神社の境内で大勢のひとに踏んだり蹴ったりされます。かわいそう。
前半で語られるこれらの設定が把握できていれば、
中盤、お初のいる茶屋、天満屋(てんまや)のシーンはとくにわかりにくくはないと思います。
公文書偽造の濡衣を着せられた徳兵衛、牢屋にはいるか、逃げたとしてもすくなくとも大阪にはもういられません。お初とも会えませんよ。
天満屋にこっそりやってきてお初と会う徳兵衛。
そこに九平次たちがやってくるので、お初は徳兵衛を縁の下に隠します。自分は縁側に座ります。
徳兵衛の悪口を言って盛り上がる一座をよそに、ふたり、誰にもわからないようにこっそり意志疎通をしてお互いの心中の決意を確かめ合いますよ。
エロティックかつ悲壮な名場面です。あえて書かない。
場面が進んで、お初が天井の吊り行灯を消したら、室内は真っ暗闇だと心得てください。
ふたり、心中するために店から逃げ出します。
お初が徳兵衛を引っ張って走っていくところが見どころです。ふつう男が女をひっぱっていくので逆なのです。
その後、九平次が、「落とした」と届けたはんこをまだ持っていたことから悪事がバレるシーンがあります。
最後、道行、曾根崎の森で二人が死ぬシーンです。
死ぬまで長く感じるかもしれませんが、ここは浄瑠璃の美しい語りを聞くところで、こここそが本来の見せ場なのです。
近松の書いたものですから文句がキレイです。節回しもいいですよ。
近松作品は、何本も歌舞伎になっていますが、原作通りに出しているものはあまりありません。
わりとストーリーが複雑で人物描写がシビアなので、「わかりやすい娯楽」としての歌舞伎になじまなかったので
どんどん改作されたのです。
この作品も出しにくかったらしく、文楽では大当たりしたし、近松の代表作のひとつなのですが、長らく上演されず、
現行上演のこれは戦後になってから武知鉄治先生の脚色、演出で上演された、一種の「新作」です。
近松ものらしい昔風の味わいとともに、スポットライトや暗転を使った近代的でテンポのある演出も感じ取ってみるといいかもしれません。
=50音索引に戻る=
お話の説明、とにかく事情がいりくんでいるのでまず説明します。。
主人公の徳兵衛(とくべえ)は、おじさんのお店(おたな)で子供のころから働いています。
丁稚制度というのは児童虐待ではなく、貧乏な家の子供でも衣食住を保証されて教育を受けられ、礼儀作法や、仕事も教われる、いい制度だったと思います。
徳兵衛、両親はいません、継母がいます。
これらの設定は延々と生玉神社そばの茶屋の店先で、徳兵衛のセリフだけで語られます。
近松のころはお人形も小さく(一人使い)、舞台そのものも小さく簡素で、浄瑠璃の「語り」がメインだったのです。劇場というほどの大掛かりなものもなく、大きめのお座敷で人形芝居は上演されたようです。
お芝居と言うより朗読劇に近いです。だから動きもあまりない、セリフでの説明が多いのです。
おじ夫婦、徳兵衛を気に入って姪(徳兵衛のはとこ)と結婚させようとします。
しかし徳兵衛は遊女のお初と恋仲なのです。なので結婚を嫌がっています。
しかし、田舎に住む徳兵衛の継母が、なんと持参金を受け取ってしまいます。銀二貫目、だいたい200万くらいです。
縁談を断った徳兵衛、2貫目返せと言われて、なんとか継母から取り返してきます。お金を返せば、一応問題は解決ですよ。
でもまあ、たぶん大阪にはいられなくなります。お初と会えません。困った。
ここでお初、すでに心中を匂わせるセリフを言います「この世だけの契りかや」みたいな。
(ふたりの仲は)この世、現世だけで終わるような契りだと思うの?みたいな感じです。
つまり死んで、来世で一緒にいられればいいじゃん、ということです。
説明セリフまだ続きます。
徳兵衛、この二貫目を、頼まれてお友達の大きいお店のボンボン、九平次(くへいじ)に貸します。
すぐ返してくれるはずがまだ返してくれない、徳兵衛困っています。
ここで九平次登場、っこからやっと、動きのあるお芝居になりますよ。
九平次、遊び仲間と一緒です。徳兵衛が九平次に金返せとせまります。
お友達の九平次は、じつは悪い奴です。
・「はんこを落とした」と言って役所に届け、新しいはんこを登録します。
・古い方のはんこで徳兵衛に借用書を書きます。しかも書類の字を徳兵衛に書かせます。
・で、「徳兵衛は、自分が落としたはんこを拾ってニセの書類を作って詐欺をしようとした」と言います。
徳兵衛、金を返してもらえないばかりか犯罪者あつかいされてしまいます。計画犯罪です。徳兵衛は反論できません。
九平次もお初に惚れているので、徳兵衛を陥れるためにこういう手の込んだ悪事をしたのです。
そして九平次は金持ちのボンボンなので、丁稚あがりの徳兵衛を内心バカにしていたのです。
よくできた設定ですが、事情が込み入りすぎているのと、殆ど全てが昔(江戸初期)の上方言葉(しかも早口)で語られるので、かなりわかりにくいです。
まあ、だいたいそういう事情ですので、あらかじめざっとアタマに入れた上でご覧になると、楽しみやすいかなと思います。。
で、前半でこんな具合で徳兵衛は濡れ衣を着せられ、生玉神社の境内で大勢のひとに踏んだり蹴ったりされます。かわいそう。
前半で語られるこれらの設定が把握できていれば、
中盤、お初のいる茶屋、天満屋(てんまや)のシーンはとくにわかりにくくはないと思います。
公文書偽造の濡衣を着せられた徳兵衛、牢屋にはいるか、逃げたとしてもすくなくとも大阪にはもういられません。お初とも会えませんよ。
天満屋にこっそりやってきてお初と会う徳兵衛。
そこに九平次たちがやってくるので、お初は徳兵衛を縁の下に隠します。自分は縁側に座ります。
徳兵衛の悪口を言って盛り上がる一座をよそに、ふたり、誰にもわからないようにこっそり意志疎通をしてお互いの心中の決意を確かめ合いますよ。
エロティックかつ悲壮な名場面です。あえて書かない。
場面が進んで、お初が天井の吊り行灯を消したら、室内は真っ暗闇だと心得てください。
ふたり、心中するために店から逃げ出します。
お初が徳兵衛を引っ張って走っていくところが見どころです。ふつう男が女をひっぱっていくので逆なのです。
その後、九平次が、「落とした」と届けたはんこをまだ持っていたことから悪事がバレるシーンがあります。
最後、道行、曾根崎の森で二人が死ぬシーンです。
死ぬまで長く感じるかもしれませんが、ここは浄瑠璃の美しい語りを聞くところで、こここそが本来の見せ場なのです。
近松の書いたものですから文句がキレイです。節回しもいいですよ。
近松作品は、何本も歌舞伎になっていますが、原作通りに出しているものはあまりありません。
わりとストーリーが複雑で人物描写がシビアなので、「わかりやすい娯楽」としての歌舞伎になじまなかったので
どんどん改作されたのです。
この作品も出しにくかったらしく、文楽では大当たりしたし、近松の代表作のひとつなのですが、長らく上演されず、
現行上演のこれは戦後になってから武知鉄治先生の脚色、演出で上演された、一種の「新作」です。
近松ものらしい昔風の味わいとともに、スポットライトや暗転を使った近代的でテンポのある演出も感じ取ってみるといいかもしれません。
=50音索引に戻る=
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます