歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「茨木」 いばらき

2015年08月14日 | 歌舞伎
歌舞伎には「松羽目もの」という作品群があります。
能や狂言を原作とする作品で、能舞台を模して舞台全体を杉の板で囲い、大道具類はなく、
背景は板地に大きな松の絵が描かれただけというセットを使うので
「松羽目もの」と呼ばれます。

この「茨木(いばらき)」も松羽目の舞台で演じるのですが、
能には「茨木」という作品はありません。
これは「松羽目風」、つまり「能っぽく」作ったオリジナル歌舞伎です。

時代設定は平安時代中期です。
主人公は「渡辺源次綱(わたなべの げんじ つな)」という強い武将です。「綱(つな)」というのが名前です。
「頼光四天王(よりみつしてんのう)」のひとりですが、ここでは関係ないので説明は省略します。

前提となっている事件があります。
都の入り口にある「羅生門(らしょうもん)」に鬼が出没するというので、
この「渡辺綱(わたなべの つな)」がでかけていって鬼と戦い、鬼の左腕を切り落としたのです。
鬼は「茨木童子(いばらきどうじ)」と呼ばれるボスランクの強いやつです。腕を斬られて逃げ去りました。

お芝居の説明に入ります。

渡辺綱 館 (わたなべの つな やかた)
「松羽目もの」なので家っぽいセットは何もありません。が、綱のりっぱなお屋敷の中です。

状況説明のセリフがあります。
羅生門で鬼、「茨木童子(いばらきどうじ)」の腕を切り落として追い払った。
しかし、有名な陰陽師(おんようし)の「安倍晴明(あべの せいめい)」の占いによると
相手は鬼なのでかならず仕返しに来る。
7日間は屋敷にこもって誰にも会わず、物忌(ものいみ)し、腕は箱に入れて封をしとくように言われた。
今日が7日目だ。何事もないといいが。

というかんじです。
「物忌(ものいみ)」は、超自然的な厄災を避けるために一定期間家にこもって身を守ることとご理解ください。
平安期は日常的にやっていました。ズル休みにも使える便利な制度でしたが今回のは真面目なやつです。

そうこうするうちに夕方です。そこに老婆がやってきます。
綱の伯母だという「真柴(ましば)」さんです。
「津の国(摂津の国。今の大阪と兵庫の間のへん)」から甥っ子の綱に会いに来ました。
摂津は遠いので都でのさわぎは伝わっておらず、真柴さんはふつうに会いに来てしまいました。
伯母さんはただの親戚ではなく、綱の育ての親なので母親のような立場なのです。

物忌の最中なので家には入れないと家来や綱が断るので、真柴さんはがっかりして帰って行きます。

門の外でのひとりごとが聞かせどころのひとつになります。
綱が生まれる直前に父親は死に、母親も綱を産んですぐ死にました。
ずっとがんばって綱を育てたのは叔母の真柴さんです。
なのにこの冷たい仕打ち、と悲しみます。
優しい心を持っていないのならどんなに強くても武士としては失格だと怒り、
もう肉親の縁を切ると言って帰っていきます。

一応細かい話をすると、綱が伯母に育てられたのは史実で、
綱が生まれるのとほぼ前後して父親の「三田仕(みたの つこう)」は死に、
綱は摂津の渡辺氏の養子になって伯母に育てられたようです。
このお芝居では綱の父親は「充(みつる)」という名前になっています。

やはり育ての親をむげに帰すことはできない。縁切りも困る。
そもそも身内なのだから大丈夫だろうと思った綱は
真柴さんを呼び入れます。
喜んで家に入る真柴さん。
ここで、喜んで駆け寄る真柴さんが転びそうになるのを綱が支えて家に入れる動きが
良く出来ていると思います。

このへんまでは真柴さんは普通のやさしそうなおばさんですが、
もうおわかりだと思いますが、
こいつが鬼です。よりによって育ての親に化けて来たのです。

ですので、以降の真柴さんの演技は、優しそうな老婆の演技の端々に、凍りつくような鬼の恐ろしさが見え隠れします。
そこが見どころになります。

なぜ物忌をしているかの説明がもう一度あり、綱は鬼の腕が入った箱を見せます。
厳重に封はしてありますが、おそろしげな雰囲気です。

ところで、セリフで「かいな」と言っているのが、「腕」のことです。
聞いていて「かいな」がわからないと完全についていけないと思いますので覚えておくといいと思います。

さてここで順番に舞を舞う流れになります。

まず、「太刀持ち」の少年が舞います。踊りの上手い子役か若手のお披露目にとてもいい場面です。
くるりと回って舞いおさめます。

次に真柴さんが舞います。真柴さんは能装束に近い衣装です。非常に優雅に舞います。
ひとの一生を季節に例えたきれい歌詞です。
春は若々しく華やかな娘、夏は色っぽい恋模様。秋は夫に死に別れた悲しみ、
冬は年をとって寂しい今の状況を舞で表現しています。
最後のほうの唄の文句で「甲斐なく」と言っているのが「腕(かいな)」にかかっており、
この部分で真柴さんがじっと腕が入った唐櫃を見る手順になっています。

踊り終わると綱の家来たちが「やんややんや」とほめます。
この褒める部分だけあまり能っぽくないと思うのですが、
ここは初演時だと五代目菊五郎が踊ったので、
舞台上のほかの役者さんたちが菊五郎をの踊りを見て喜んでいるような雰囲気もあったのだろうかと思います。

ところで、真柴さんは実は「茨木童子」ですから左腕は切り落とされてありません。
完全に左手を出さない演出と、袖から出てはいるけれど動かさない演出があります。

綱から見ると不自然にならない範囲で左手を使わずに動き、かつ、
客目線では「うぉ、左手がない。怖い」と思わせなければなりません。
とてもむずかしい演技です。

さらに真柴さんに頼まれた綱が「茨木童子」の腕を切った時の話をします。
仲間の「平井保昌(ひらい ほうしょう)」との会話から羅生門に行き、茨木童子に出会って戦い、
組み付かれた腕を斬り落とした流れを動きのある踊りで語ります。

いい気分の綱に真柴さんは、腕を見せてくれと言います。来たか!!

しかし綱は結局見せてしまいます。
まあ、伯母さんに化けてこられた時点で負けです。

真柴さんは正体を顕し、鬼の腕を掴んで飛び去ります。
うわーしまった!! 追いかける綱です。

ここで場面が変わり、ちょっと笑えるシーンが挿入されます。
家来が3人出てきて、鬼のたたりがあるに違いない怖い、とか言い合い、
本当は主君の綱についていって一緒に戦わなくてはならないのですが、
うろうろ歩きまわっては怖がる楽しい場面があります。

ここは目先を変える部分でもありますが、主な目的は真柴さんの役者さんが衣装を替える時間かせぎです。

最後の場面になります。
完全に正体を顕した「茨木童子」と「渡辺綱」が戦います。
決着は付かず、茨木童子は逃げていきます。
おわりです。

というわけで、まんまと腕を取り返されたので主人公の綱が負けたようにも思えますが、
腕を取り返して完全体に戻った茨木童子であっても、綱を殺すことはできず、
以降「羅生門」からも撤退したわけですから、
勝負としては「引き分け」なのだろうと思います。


チナミに脚本を書いたのは、「白浪五人男」などで有名な「「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」です。
市井のリアルな生活感を描くので有名だったかたですが、文楽や能狂言への素養は深く、
こういう固いのも楽々とこなしました。

同じように作られた作品に「戻橋(もどりばし)」というのがあります。
「茨木童子(いばらきどうじ)」が若い女に化けて「渡辺綱(わたなべの つな)」を襲い、
逆に片腕を切り落とされるという内容です。

「戻橋」で切られたのが右腕なのですが、この「茨木」で取り返しに来るのが左手なので
たまに役者さんが冗談でツッコミを入れるのですが、
「茨木」の中では腕を切ったのは羅生門での出来事ですから、
「戻橋」で鬼女の腕を切った話はここでは関係ないのだと思います。
作者はどっちも同じ人なので腕の左右が違うのは意図的なのでしょう。

というかこの「茨木」の初演が明治16年で「戻橋」は明治22年なので、
「茨木」の前提としてまじめに「戻橋」を語るのは無粋というものかもしれません。


「茨木童子」の「童子」について書いておきます。
有名な鬼はだいたい「○○童子」という名前です。
これは、鬼が子供だと言う意味ではなく、彼らが「髷(まげ)」を結っていなかったからです。

当時は男性は成人すると髪をまとめて髷にする決まりでした。
「放ち髪」、いわゆるワンレン状態でウロウロしていいのは成人前の子供だけです。
子供と同じ髪型、「童髪(わらわがみ)」なので、鬼のことも「童子」と呼びました。

そして、「髷を結っていない大人の男」というのは、今の感覚で言うと
「服を着ていない男」と同じくらい異様だったのです。
この姿自体が、当時の人には「人間の常識や倫理観が通じない相手」「人外のもの」の象徴だったのです。


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