歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「戻籠」 もどりかご

2015年08月18日 | 歌舞伎
所作(しょさ、踊りね)です。

もとは、上方にいた大物の役者さんが江戸に来たときに、江戸側の大物の役者さんとお目見え共演するための、
ごあいさつ舞台です。
江戸時代は移動がたいへんだったので江戸、上方間の役者さんの移籍はそう簡単ではなく、
大物の役者さんが移籍してくるとなると大きな話題になったのです。

内容そのものはとても単純です。

大阪の駕籠かきと江戸の駕籠かきがいっしょに駕籠を担いでいます。
駕籠にはかわいい女の子が乗っています。
ふたりはお互いの街の自慢をし、それぞれの街での自分の遊女屋通いの様子をおもしろく語ります。
女の子も一緒に踊ります。
と、
急にふたりは、お互いが秘密の重要アイテムを持っていることに気付きます。
実は江戸の駕籠かきは「真柴久吉(ましば ひさよし、羽柴秀吉です)」で、
大阪の駕籠かきは「久吉」の命を狙う大泥棒の「石川五右衛門(いしかわ ごえもん)」だったのです。
お互い戦おうとしますが女の子が間に入って、いっぺん戦うのはやめてにらみ合います。

というかんじの内容です。
けっこうセリフもあり、聞き取りにくいと思うので
以下、少し詳しく書きます。

まず、駕籠をかついで出てきたふたりが名乗ります。

大阪のは「浪花の次郎吉(なにわの じろきち)」。色黒のいかつい男です。
江戸のは「東の与四郎(あずまの よしろう)。色白の優男です。

「俺達ふたりがそろって仕事をするからには、がんばって息を合わせていい仕事をしないと」みたいなセリフを言います。
これは駕籠かきとしてのセリフというよりは、役者さんとしてのセリフです。

駕籠に乗っている女の子は誰だ、という話になって呼び出します。

女の子は「禿(かむろ)」です。「たより」ちゃんといいます。
「禿(かむろ)」というのは遊女の身の回りの用事をする子供です。
一応お座敷には出ますが、雑用係というかんじです。遊女の見習いで、数年したら遊女になります。
この子は京都の島原の遊郭にいる「小車太夫(おぐるまたゆう)」に届けものをするところです。

目的地ではなく途中で駕籠が止まっておろされた「たより」ちゃんは、ここはどこだと聞き、
「紫野(むらさきの)」だと聞かされると、

「あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る」
という歌で有名な、あの「紫野」かや
と尋ねます。
万葉集の有名な歌ですが、「紫野」と聞くだけでさらっとこの歌が出てくるのはかなりの教養です。子供なのに。
感心するとともに、ませたものだとちょっと呆れるふたりです。

一応書いておくと「紫野」というのは京都の都はずれ、北の方の地名です。
まだ山の中ですが、少し行くと市内に出ます。

ふたりは「たより」ちゃんに、京都の島原の遊郭の様子を聞かせてほしいと頼みます。
お返しに、それぞれ大阪、江戸の遊郭の様子を話すことにします。

ふたりの衣装は、今時代劇などで見る駕籠かきの人に比べるとずいぶん厚ぼったくて重厚です。
これは、この作品自体がかなり古い時期の歌舞伎をイメージしているからです。
なので、以降語られる遊郭の様子も、江戸前半期、元禄のころの非常に豪華な時代のものです。

まず「次郎吉」が大阪の遊郭の話をします。
次郎吉の役は上方から来た役者さんがやりますから、大阪の様子を話すのです。
高級な遊女のところにおめかしして通う様子です。豪勢です。

ここで、「丹前振り(たんぜんぶり)」という独特の動きを見せます。
これは歌舞伎の創生期にはやった独特の動きなのですが、ちょっと長くなる上に正確な解説が少ないと思うので
別項を立てます。
とりあえず、「いい服を着て遊女屋に通う男の華やかでゆったりした様子を見せる」芸です。
もともとは江戸の風俗ですが、上方にもお芝居の演出として移入されました。

遊女とお座敷で差向いになって、そのあとのラブラブな様子も語りたいのですが、
ひとりではむずかしいです。
誰か遊女役のひとがいればいいのですが、「たより」ちゃんはまだ「禿(かむろ)」で子供なので使えません。残念です。

子供だからダメだと言われたたよりちゃんは「おお しんき」と悔しがります。
「辛気(しんき)」は、もとは「心気」と書き、気持ちがふさぐ様子をいう東洋医学用語ですが、
遊郭独特の「遊郭言葉(さとことば)」として発達しました。「くやしい」とか「いらいらする」とか、
とりあえずマイナス感情をぜんぶこれで表現します。
ここでは、まだ子供のたよりちゃんが一人前に「遊郭言葉(さとことば)」を使う様子が
こましゃくれていてかわいいという感じです。

たよりちゃんの踊りになり、「禿(かむろ)」だって色々たいへんなのよ、ということを中心に
京都の島原の遊女たちの様子を語ります。

喜ぶふたり。

次は与四郎が江戸の遊郭の様子を話す番ですが、
与四郎は吉原でも、あまり高級な有名店には行かないのです。
ではどこで遊ぶのかというと、「ふぐ汁」です。

「ふぐ汁」は運が悪いとふぐの毒に当たって死ぬことから当時「鉄砲」と呼ばれました。
一方で、吉原のはじっこにあり、安く遊べる下級遊女がいる「切り店(きりみせ)」も、「鉄砲店」と呼ばれました。
なので。与四郎は「ふぐ汁」という言葉で、安い下級遊女の「切り店」をあらわしています。

「切り店」を「鉄砲」と呼ぶ理由には諸説あります。
ここでは、「切り店」にはいわゆる「お泊り」でのサービスはなく、「一回やって終わり」だったことから
「一発撃ってくる」という意味で「鉄砲」と呼ばれた、
という説をとっておきます。

与四郎は安いけれど気軽な「鉄砲店」の楽しさを踊って語ります。
高い店の遊女は「なじみ」になるまで時間がかかり、毎回お座敷で宴会をしないとおふとんに行き着けませんが
「鉄砲店」なら気に入った遊女にいつでも会いに行けて、会ったその日から恋人気分です。楽しいものです。
これは、江戸の役者さんが江戸で遊郭の様子を語るわけですから、
あえて客が共感しやすいランクの遊びを題材にしたのだと思います。

盛り上がったところで、こんどは次郎吉が、さっき途中でやめた大阪新町の遊女屋遊びの話を始めます。
こっちは豪勢に、「揚屋(あげや)」に高級遊女を呼んで遊ぶ話です。
遊女役で次郎吉と絡むのは与四郎です。
遊女とのケンカの話をします。

だいたい遊郭で遊女にモテる様子を描くときは、男のほうがつれないと言って遊女が怒る、という展開が定番です。
ここではこんなの好きなのに、どうせあなたはそのうち江戸に行って(もしくは帰って)しまうんでしょう 
と言って遊女が怒る、という設定になっています。
上方の役者さんはモテモテだから、当地の遊女にさぞ恨まれて江戸に来たのだろうと思わせる趣向です。

さて楽しく踊るふたりがきわどい感じでお互いの服の中に手を入れたら、
お互いの着物の中から何かが落ちます。
見ただけではかなりわかりにくいのですが、

次郎作が落としたのは手紙っぽいものです。
これは「連判状(れんぱんじょう)」です。何か陰謀を企てている一味が、裏切らないことを誓って署名捺印したものです。
一味の姓名が全部わかってしまうというリスキーなものでもあります。

与四郎が落としたのは、布に包まれた何かです。
今回はこれは「千鳥の香炉(ちどりのこうろ)」ということになっていますが、
ようするに家宝っぽい宝物なのだなと思ってご覧ください。

こんな大事そうなものを持っているふたりはただものではありません。

一度はお互いごまかして、禿(かむろ)のたよりちゃんと3人楽しく踊るのですが、
やはりお互いフトコロのブツを奪い取り、双方が「名を名乗れ」と詰め寄ります。

お芝居では名乗るところはないのですが、上に書いたように
江戸の与四郎は「真柴久吉(ましば ひさよし)」、
浪花の次郎吉は「石川五右衛門(いしかわ ごえもん)」です。

今は石川五右衛門はドロボウとしてしか認識されていませんが、
江戸時代のお芝居では、真柴久吉(羽柴秀吉)の命を狙い、天下掌握を企む裏の政治的組織として描かれました。

というわけでふたりは歴史的な大物ふたりだったのです。

にらみあうふたりですが、
禿(かむろ)のたよりちゃんが仲裁に入るのでここでは争わないことになり、
また会ったら戦おう、ということで双方睨み合っておわります。


「戻り籠」というタイトルの意味をかいておきます。
駕籠(籠)は、所属している営業区域があり、その区域内を流しながらお客を乗せます。今のタクシーと同じです。
お客を乗せていい区域は決まっていますが、行き先には制限はなく、遠くに行くこともあります。
営業区域の外に行った帰りに、戻りついでにお客を安く乗っけることがあります。
これが「戻り駕籠(籠)」なのです。

最初の上演のときは、数年間上方に行っていた江戸の役者さんが江戸に戻って来たときの、「おかえりなさい」舞台でした。
なので「戻り」という部分に「戻って来たあの役者さんの舞台だよわーい」という意味を込めています。

踊りは、古典的な遊郭での遊びを踊り、「世話物」らしいリアルで庶民的な演技も見せ、踊りも色々な種類を見せ、
後半では「歴史上の大物」という設定にして、大物役者らしい重厚な演技も見せます。
間にいる「禿(かむろ)」も、売り出し中の女形(おんながた)がやりますが、いい動きがついています。

というわけで、気軽に楽しめる短い作品であるように見せかけて、
じつは歌舞伎のさまざまな要素が詰め込まれているのです。
歴史的にも内容的にも、歌舞伎の中では大切な作品なのです。

以上の理由により、
逆に、
今はあまり出ません。
東西の大物役者さんでさくっと出していただくと楽しいだろうと思います。
菊五郎さんと仁左衛門さんとか。


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