歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

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「元禄忠臣蔵」げんろく ちゅうしんぐら 4-4 (「大石最後の一日」)

2014年02月19日 | 歌舞伎


・九段目「大石最後の一日」

最後の段です。
いちばん出る段だと思うので詳しめに書きます。

八段目もそうだと思うのですが、
この段も、関係した屋敷の内部の人間による、覚え書きがあり、それが底本になって作品が作られます。
なので先行作品の同一場面とどうしても似てしまう、ということについての断り書きが冒頭にあります。
さらにこのあと作られる忠臣蔵ものも、
史実に即したものを作るとどうしても似た内容になってしまうのです。

大石内蔵助はじめ17人は、「細川越中守綱利(ほそかわ えっちゅうのかみ つなとし)」の屋敷に預けられています。
この17人の、最後の1日のものがたりです。
どの屋敷にあずけられた浪士たちも、最後まで丁重な扱いを受けたようです。


元禄十六年2月4日です。討ち入りが年末の12月14日ですから、
50日ほどが経過しています。
17人は、広めの部屋と、少しせまい部屋を与えられて、そこで9人、8人に分かれて生活しています。
広い部屋のほうに大石はじめ主だったものが住み、残りが小さめのほうにいます。
一応処分待ちの罪人ですので、お客のように扱われているとはいえ軟禁状態には違いありません。
ストレスたまりそうです。

14、5歳くらいのお小姓たちが数人、浪士たちの身の回りの世話をしています。
浪士たちは江戸で大評判なので、身近に接して見習わせたいという理由で、
つてを頼って息子をお小姓にしたがる親たちが大勢いたようです。

彼らを統括する、浪士の世話を手配する担当のお侍も何人かいました。

浪士たちは礼儀正しく人当たりもいいので、周囲のひとたちは彼らが好きになり、
何とか死罪にならなければいいがと思っています。
しかし願いむなしく、そろそろだめかなという雰囲気は、彼らも感じ取っています。しかし気付かないようにしています。
そんな、裏に緊張感をはらんだ、表面的には穏やかな日々です。

「磯貝十郎左衛門(いそがい じゅうろうざえもん)」は狭いほうの部屋の住人です。縁側で花を活けています。
まだ25歳の優雅なイケメンです。二段目の「最後の大評定」にも出てきたひとです。
ほかの浪士たちもそれぞれくつろいでいます。
活けている花は、細川のお殿様からの贈り物です。ありがたいことです。
食事も毎食豪華で、体調の悪い浪士のために医者も往診してくれています。
むしろ食事が豪華すぎて体調を崩すくらいです。
などということを、のどかに話し合っています。

お小姓たちがけんかをしています。
最初は笑って仲裁に入っていた浪士たちですが、
けんかの原因は浪士たちです。
「やはり死罪になるかもしれないと父が言っていた」
びとりが言ったこの言葉を受け入れられない周囲の少年たちが怒ったのです。
浪士たちは、
たとえ死罪になっても我々には充分な覚悟ができているのだから、
そのようなことでけんかをするなと諌めます。

浪士たちはこのように覚悟ができているのですが、
最近、大石の態度がおかしいです。
浪士たちは、死ぬときはなんとかりっぱに死のうといろいろ準備をしているのですが、
大石はそういう会話を聞くと怒り出します。
大将は死ぬのが怖いのだろうかと、不満に思う浪士たちですが、
大石は、
死ぬも死なないも幕府の裁きが決めることであって、死罪が決まれば裁きの通りにただ死ぬだけだ。
罪人が、りっぱに死のうなどと考えること自体が思い上がりだと説きます。

自分が特別な人間であるように世間に思われ、ひたすら褒められるのがつらいと大石は言います。
自分はふつうの人間であり、迷いもしたし欲もあった。
大石はそういうただの人間として死にたいのでしょう。

この場面は、大石は庭にいて障子に蔭だけが映っており、
障子越しに大石の声だけがするというちょっとおもしろい演出です。

このあと、例のイケメンの磯貝十郎左衛門に、大石が話しかけます。
磯貝はもともと大石と同じ大きいほうの部屋にいたのですが、
途中で部屋を移動になりました。
理由ははっきりしません。
何か失敗があったのだろうと磯貝は思っているのですが心当たりはなく、ちょっといじけています。
大石に、思うことがあるだろうから言ってみろと意味ありげに言われてちょっとイラっとする磯貝です。

さらに大石は、生まれたときから江戸屋敷にいて江戸で育ったイケメンの磯貝に、
浮いた思い出もあるであろうと思わせぶりなことを言います。
磯貝は怒るのですが、
人が人らしい感情を持つのは当たり前である。自分を人以上の英雄のように思ってはいけない、と
逆に大石は叱ります。

この磯貝との会話はちょっとなぜ入っているのかわからないだろうと思うのですが、
後半への伏線になっています。


そうこうするうちに、藩主の息子、細川内記利章(ほそかわの ないき としあきら)が
浪士たちに会いにやってくることになります。
内記は15歳でまだ子供ですが、
大藩、細川家の跡継ぎですので、つまり王子様です。身分がかなり違います。
一同はあわてます。
「お目通り」であれば、礼を尽くさなくてはならないからです。
最上の礼服である裃(かみしも)をお借りして着替えるべきかとか、どこに座っていただくか、とか考えるのですが、
大石は一同を諌めます。
我々は処分待ちで軟禁されている罪人なのだから、一般的な「お目通り」などはあってはならない。そういう立場にない。
あくまで横の廊下をお通りになるついでに、我々をご覧になるだけなのだ。
高位のかたと、それ以外の方法で関わりがあってはならない、と言います。
「お目通り」が可能だと考えること自体が思い上がりである。世上の評判がいいからといって勘違いしてはならないと説きます。

とはいえ実際は内記は父に願ってやっと許されて、喜び勇んでやってきたので、
大石に、今後の人生に向けて餞(はなむけ)の言葉がほしいと言います。
大石は「初一念を忘れるな」と答えます。

行動を起こす前、最初に考えたことには善悪の迷いはない。
あとになっていろいろ考えたことには損得がからんでくることが多く、それが迷いになる。
最初の一念を忘れないことが大切だ。
みたいなかんじです。

ここが前半です。
大石の、最後まで物事の本質を見つめ続け、ブレない生き方が表現されています。

さて場面は変わります。
「堀内伝右衛門(ほりうち でんえもん)」というひとが出てきます。浪士たちの世話役をしているお侍です。
場所は、世話役の役人たちの控えの間のような場所です。
手前に廊下があり、人の通りがある構造です。

大石がやってきます。
お茶を持ってくる新しいお小姓がいます。「志津馬(しずま)」と言います。美少年です。
父親が「乙女田杢之進(おとめだ もくのしん)」といって伝右衛門の古い友人なのですが、
杢之進は少々性格に難があり、トラブルがあって細川家には出入り禁止です。
でも志津馬にはなんとか浪士の世話係をやらせたいのでこっそり引き入れた。協力してくれ。
というような話なのですが、
大石はすぐに、志津馬が女だと見抜きます。
本名は「おみの」といいます。

誰か会いたい男がいるのか、と見抜いた大石です。
おみのちゃんが会いたいのは、例のイケメンの磯貝十郎左衛門です(伏線回収)。
事情はこうです。

父親の杢之進は、乙女田の家には養子だったのもあって、細川家を追われたことについて非常に責任を感じていた。
しかも病気になった。
家をたてなおすどころか貧乏になるばかり。
あとはもう、美人娘のおみのちゃんにいい養子を取って、一発逆転を狙うしかない。
なので、自分の食費や薬代を削っておみのちゃんにお琴などの教養をつけさせた。

そこに養子の話があった。磯貝十郎左衛門。

大石も、磯貝が結婚しようとしているという報告は受けていました。
吉良の屋敷の近くに住んで内部を探るのに、一人住まいだとバレバレで怪しまれるので
形だけでいいので結婚しようとしている、というものでした。

杢之進も、討ち入りのための偽装結婚という発想はあり、不安に思ったので本人に問いただした。
磯貝の答えは、
大石は遊興三昧だし討ち入りはたぶんない。
こうなってはちゃんとした家に婿に入って苗字を変え、あらためてどこかに仕官したい。
というものだった。

杢之進は舞い上がった。
最後の最後に、どんなに貧乏をしても手をつけなかったお金があった。百両。ていうか百両持っていたのか!!
さらに鎧を売って百両。計2百両で婚礼のしたくをし、
さらに両国でいちばん大きい屋形船を借り切って友人知人を大勢集めて
磯貝とおみのちゃんとの見合い(というか顔合わせ)をした。
そのときおみのちゃんはお琴を弾いた。
磯貝は笛を吹いた。

しかし、約束の日になっても結納(「たのみ」と言っているのがそれです)の酒樽は来ない。
磯貝からの連絡もない。

裏切られた杢之進の悲嘆は大きかった。
しかし、
師走の14日、討ち入りがあった。磯貝も討ち入ってりっぱに働いたと知った杢之進は
もはや怒りは消え、
足腰も立たない病人が、今も気が狂ったように「家の婿」の自慢をしている。

かわいそうな話ですが、
おみのちゃんは恨み言を言いに来たわけではないと言います。
また、磯貝が恋しくて会いに来たわけでもないと言います。

おみのちゃんは、
磯貝は本当に自分をだまして利用しただけなのか。それとも自分のことを少しは思っていたのか。
それだけが知りたくてやってきたのです。

以下、双方の主張を順に書きます。

ずっと、苦難の末に、武士として人として、正しく生きる道を提示し続けていた大石が
最後の最後に、この年若い女性に言い負かされる、この展開に、
真山青果先生の書きたかったことがあらわれているのだろうと思います。
大石に武士として、人間としての理想を見ながら、
しかし大石もまた人間である。その弱さがあってもなお、人は人としてりっぱに生きようとする、
その姿こそが大切なのだと思います。

大石: 磯貝は若い。おみのに会えば最期の大事な場面にあって心に迷いが出るかもしれない。
磯貝をりっぱに死なせるために犠牲になって身を引いてくれ。そのほうが嫁入り前の娘に傷も付かない。
自分を裏切った男を憎んだほうが気持ちは楽なはずだ。

おみの: では武士としてりっぱに死ぬことだけが大切で、若い女の名誉や気持ちはどうなってもいいのか。
だまされたかどうかもわからずに苦しむ気持ちもわからないのか

大石: ひとをだますのはよくない。しかし場合によっては方便として必要なこともある。
磯貝もやむなくだましたのだ。もう忘れたほうがお互いのためだ。

おみの: 方便のためなら人を苦しめてもいいのか

大石: あなたがこうやって男の姿で来たのも「偽り」であり、目的のための方便である。同じことだ。

おみの: 自分はそこまで無分別ではない。後先考えずにひとをだましたのではない。
本来の目的が誠であっても、最期に偽りに返せば、全てが偽りになる。
偽った行動であっても、最期に誠に返すことができれば、それは誠になる。
自分のこの偽りの行動も、磯貝の偽りも、自分は誠に返してみせる。


こんなかんじです。
この会話の間に周辺が急にあわただしくなります。
横でふたりの話を聞いていた堀内伝右衛門もあわてて退場します。
お小姓たちは泣いてうろうろしています。

ついに決まったようです。
幕府から上使がやってきます。

心を決めた大石は、磯貝を呼び出します。

取り込み中に呼ばれた磯貝はあわただしい感じです。
大石に、おみのちゃんのことを聞かれて、
知らないと頑強に否定します。

そんな磯貝に、大石はふところの紙入れを出してみろと言います。
紙入れというのは、まあお財布のようなものですが、
ティッシュ(懐紙)入れでもあり、お守りなんかも入っており、
ちょっとしたポーチです。
そこに、磯貝は、袱紗(ふくさ、小さい風呂敷みたいなもん)に包んで
あるものを大事に持っています。
琴を演奏するときに指にはめて使う「爪」です。
おみのちゃんのものです。

大石は、磯貝が明らかに女性のものであるこの爪を持っているのを知っていたので、
なにか心残りがあるのだろうと思ってました。
それが死ぬことへの迷いにならないか心配していました。
さきほどもそんな話をしたかったのですが、うまくできなかったようです。

持っている琴の爪を出して見せろという大石を、おみのちゃんがとめます。
その爪を持っていてくれたというだけで、もう充分なのです。

これ以上の追求は必要ないというおみのに、大石は深く感謝します。
泣きながら笑うというむずかしい演技があります。

磯貝も、義父に向けて「自分はまちがいなく乙女田の家の婿である」と伝言を頼みます。


細川の家の大座敷です。
預けられた浪士たち一同が待つ中に、幕府からの上使がやってくるところです。
他の浪士たちを預かっている家にも、同じようにお使いが行っているはずです。

上使は、「荒木十左衛門(あらき じゅうざえもん)」というひとです。
赤穂城の明け渡しのときに検視として来たかたでもあるので、大石とは面識があります。
当時から大石ら赤穂藩に同情的なかたでした。

処分を決定した文書を読み上げます。

・幕府の決定(浅野内匠守の切腹)に不満を持った
・徒党をくんで討ち入った
・飛び道具を使った
・公儀(幕府の定めた法秩序)を恐れない態度は不届きである
・切腹

です。
最悪だと斬首なので、切腹ならば名誉ある死なので妥当な判決とされています。

このあと十左衛門は、仕事を離れて私語を言います。
吉良の息子、「左兵衛督(さひょうえの かみ)」は、討ち入りのときに逃げたことで、
将軍の怒りを買った。
領地は召し上げになって家は断絶になった。

浅野の家と同じ運命になったのです。

大石たちのそもそもの不満は、幕府の偏った処分でした。
これで公平になったわけです。喜ぶ大石です。
「徒党を組んだ」と「飛び道具」が判決文にはいっているのは納得できない点ですが、
もうそれもどうでもいいです。
晴れやかな気持ちで死ぬことができると言います。

このあと、最期の酒を順番に飲む場面があり、17人が順番に遺言を言います。
これは、見る側の中で四十七士のひとりひとりの名前とキャラクターが一致していた時代の演出です。
今見たら長いだけなので、おそらくカットだろうと思います。

最後に大石は一同に
今我々は義士などと言われて尊敬され、りっぱに死ぬことができる。
しかし、あの討ち入りの日、吉良を見つけることができなかったら。
いや、吉良がじつは屋敷にいなかったら。
我々は討ち入りに失敗した愚か者として、もの笑いとなって、もっとみじめに死んでいたはずだ。
吉良を見つけられたのは、やはり運としか言いようがない。
むろんがんばったから結果があるのだが、運もあった。神仏の加護があった。
終わってみれば成功して当たり前のように思えるが、偶然が守ってくれたことを忘れてはならない。
そのようなことを言います。


舞台はさきほど大石とおみのちゃんが話をしていた部屋に戻ります。
部屋には誰もおらず、手前の廊下を、浪士たちが歩いていきます。もはや死に装束です。
切腹にむかうところです。
大石の足音を聞きつけて、おみのちゃんが部屋の陰から出てきます。
胸に短刀をつきたてて自害しています。
おどろく大石。
これが、おみのちゃんの言った「偽りを誠に返す」やりかただったのです。
自分は死ぬ。なので磯貝さまにも、どうぞ心残りなく切腹していただくように、と言うおみのちゃんです。

じつは、細川のお殿様にこの話が伝わっていて、
感心したお殿様は乙女田の家を再興してやろうと言っていたのでした。
しかしおみのちゃんはこれを断ります。
偽りをすべて無にするのが、自分のけじめのつけかただ、と言います。
磯貝もおみのちゃんの最後を見取り、すぐ自分も行くぞと言葉をかけます。

全員を先に行かせて、大石も切腹の場にむかいます。
みな、見苦しくなく死んでくれるようです。
これこそが大石が抱いていた「初一念」です。
全てを見届けた大石が、切腹の場にむかいます。
おわりです。


=一段目「江戸城の刃傷」、二段目「第二の使者」、三段目「最後の大評定」=
=四段目「伏見撞木町」、五段目「御浜御殿綱豊卿」=
=六段目「南部坂雪の別れ」、七段目「吉良屋敷裏門」、八段目「千石屋敷」=

六段目、「南部坂雪の別れ」に短いあとがきが付いており、「原作の河竹黙阿弥に原作にそって云々」というくだりがあります。
六段目だけなのか、おそらく全体の構成について、江戸後期から明治にかけての天才戯作者「河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)」の手がはいっているのだろうと思います。
これは昭和の作品なのでもう黙阿弥はいませんが、
明治期の坪内逍遥の作品なども、黙阿弥が添削して「商業劇作品」の体裁を整えたという話は
公式の資料には残っていませんが、
関係者の聞き書きなどの書物の中で見ることができます。



=50音索引に戻る=
=従来版の「仮名手本忠臣蔵」を見る=

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