四段目「伏見撞木町」、五段目「御浜御殿綱豊卿」は、ここです。
・四段目 「伏見撞木町(ふしみ しゅもくちょう)」
京都の撞木町といえば有名な遊郭町ですし、
場面は従来の「忠臣蔵」でいうと七段目にあたるところなので、
華やかは遊郭のセットを想像してしまうのですが、
元禄末期の撞木町は遊郭が何軒かある以外はえらく荒廃していたそうで、
舞台面も原っぱに川、橋、というかんじです。
前半は大石は出てこず、
関係者がみんなで、遊び歩く大石に困りながら、
本当に吉良を討つ気をなくしてしまったのだろうか、と悩んでいる
場面です。
というわけで単純な場面なのですが、
いくつも地名や人名が出てくるせいで必要以上にわかりにくい印象になっています。
大石は京都にいます。
今日は、四条の芝居を見たあと、大阪にいる藩士たちと密談するために、船で大阪に向かう約束だったのですが、
いつの間にか伏見の茶屋に行ってしまいました。
大阪で落ち合うつもりだった小野寺十内(おのでら じゅうない)と大高源吾(おおたか げんご)は困っています。
息子の松之丞も父の状態に困っています。半泣きです。
さらに、江戸から来た堀部安兵衛(ほりべ やすべえ)と不破数衛門(ふわ かずえもん)は、
屋形船でさわぐ大石を見てあきれてもう江戸に帰ることにします。
上方組に頼ったのがまちがいだった。江戸組は江戸組で勝手にやる。
松之丞が安兵衛たちに、自分も一緒に行きたいと言います。さらに元服させてくれと言います。
もはや父は関係ない。自分は自分で、一個人としてやる。
この「松之丞一個として」というのが、「近代」らしい単語だなと思います。
そうこうしていると、茶屋からきれいなおねえさんがいっぱいやってきます。
なぜか大石が迎えによこしたのです。
「さあさあみんなでいっしょに遊びましょう」
というわけで、全員連れられていきます。
後半は、伏見の茶屋です。
大石は茶屋に来る途中で、新藤八郎右衛門(しんどう はちろうえもん)というお侍と待ち合わせています。
この人は、赤穂藩の本家にあたる廣島藩の人です。
八郎右衛門は真面目な話をしたくて来たのですが、大石はやる気のない態度を崩しません。
遊女での「浮船」ちゃんまでが大石にイライラしているのですが、大石は平気です。
ストーリーには関係ないですが、
従来版の七段目に出てくる「お軽」ちゃんは、すでに身請けされて、大石と同棲しています。
さて、八郎右衛門は大事な話があって大石に会いに来ました。
市民感情と、京都の公家たちは赤穂藩に同情的です。赤穂藩士大人気です。
この周囲の空気に耐えかねた幕府は、最近だんだん赤穂藩よりになってきました。
なので、赤穂藩の本家の広島藩もその流れに乗っかることにして、浅野家再興のお願いの使者を立てました。
八郎右衛門がその使者です。
しかし、この要望が通ってしまうと、さすがに吉良を討ち取るのはまずいです。幕府に恩を仇で返すかんじです。
八郎右衛門は、しかし、この事情を明かした上で、
敵を討つなら討ってしまえ。本家のメンツなんてどうでもいいから浅野家再興が実現する前にやってしまえ。
と言います。
しかし真面目に返答しない大石に業をにやす八郎右衛門です。
このあと、従来版にもある、有名な「目んない千鳥」の場面があり、
松之丞が元服して「主税(ちから)」と改名してやってきて父親に叱られたりとか、
堀部安兵衛たちが文句言いに来たりとかあります。
ところで、大石内蔵助が討ち入り前の数ヶ月、祇園で遊興していたことは史実なのですが、
この理由について、作者の真山先生は独特の解釈をしています。
一般的には、世間の目をあざむき、討ち入りの意志がないように見せかけるため、とされていますが、
実際、大石がこうやって遊んでいても
「世間の目をあざむこうとしているよ。いつ討ち入るんだろう」
と周囲に逆に言われる状態でした。全然あざむけていません。
遊興には他に理由があるのだろう。なんらかの目的で時間をかせいでいたのだろう、というのが
この作品の解釈です。
いろいろあって、最後に大石が心底を明かします。
浅野家再興を最初に願い出たのは大石です。
実現するとは思っておらず、穏健派の藩士たちの手前、一応言っただけだったのですが、
これが実現しそうになって困っています。
いまは、この問題がどう決着するか見守っている。この話が決まらないと討ち入りはできない。
時間がかかって、その間に吉良が万が一死んでも、
そのときは潔くあきらめればいい。
大切なのは武士として主君に誠を尽くすことであって、敵討ちそのものではない。と大石は言い、
その場にいた人々は大石についていく決意を新たにします。
・五段目
美浜御殿(おはまごてん)
ここも以前はわりと出ました。
美浜御殿というのは、今の浜離宮です。
当時は甲府藩のお屋敷でした。
当時の甲府藩主は「徳川綱豊(とくがわ つなとよ)」です。後に六代将軍、徳川家宣(いえのぶ)になった人です。
元禄十五年の3月です。浅野内匠守の切腹から1年がたちました。
その日は「お浜遊び」という、年に一度のイベントの日です。
奥女中や腰元たちが屋敷の美しい庭に出て遊びます。
せっかくなので、いろいろ出し物をします。かくし芸大会です。
お女中たちがお芝居の真似事をする華やかなさまが見たくて、門番に頼んでそっと覗く男たちが
毎年何人もいたのだそうです。
という基本設定をもとに、
お浜遊びの日の朝です。広大な庭の場面です。いまからここで「お浜遊び」をやります。
「富森助右衛門(とみのもり すけえもん)」というお侍が、お女中の「お喜世(おきよ)」ちゃんと話しています。
ちなみにですが、「お女中」というのは、今使われる「お手伝いさん」的な意味ではなく、
奥様のお付きの侍女たちです。平安期で言うと「女房」にあたるポジションです。身分高いです。
しかも、お喜世ちゃんは、藩主の綱豊のお手つきで寵愛まっさかりです。お女中の中でもVIPです。
しかし新参者で若いので、苛められないようにおとなしくしています。
助右衛門は、お喜世ちゃんの義理の兄にあたります。
お喜世ちゃんがここに雇われるとき、身元保証のために、助右衛門の母親を「仮親」にしました。
当時はよくあった制度です。
なので、書類上はふたりは兄妹です。
助右衛門はこの段以外は全然出てこない人ですが、赤穂藩士です。
その助右衛門がお喜世に、女中たちの浜遊びを覗き見させてくれ、と頼むところから始まります。
そんなことはできないし、下らないことをするなと断るお喜世ちゃん。
とある手紙を見せて、この非常時に!! と怒っています。
助右衛門が退場したところに、イジワルっぽい年寄りのお女中がやってきて、
そのアヤシゲな手紙を見せろ、と言います。困るお喜世ちゃん。
そこに、江島さまというお女中がやってきて、イジワルお女中を追い払ってくれます。
この「江島(えじま)」さまというのは、
後年、歌舞伎でもネタになったスキャンダルで有名になるかたなのですが、ここではふつうにいい人です。
ご祐筆(ごゆうひつ、書記)をやっているひとなので教養もあり、内部事情にも詳しい頼れるひとです。
お喜世ちゃんは、江島さまに事情を話します。
お喜世ちゃんの「仮の母親」というのが、赤穂藩の身内です(詳細略)。
お喜世ちゃんが、お殿様のお気に入りなので、
浅野家の再興についてお願いしてほしいという手紙が来ているのです。
でも、そんなこと頼めないし!!
そして赤穂藩についての事案は今の幕府の地雷なので、
手紙を見られたらとんでもないことになるし!!
最初は「立場をわきまえなければならない。夢にもそんな事言ってはなりません」
とか言っていた江島さまですが
後半でぶっちゃけトークを始めます。
・浅野家再興は、じつはほぼ決まっている。
・京都の公家、九条関白家がプッシュしているのでまず間違いない
・(綱豊の妻の実家は九条関白家)
そして、興味深いことがこの段では語られます。
・大石の家は、もともと九条関白家に仕えていた。
・九条家は大石を欲しがっている。浅野家の滅亡は都合がよかったのだが、
大石は浅野家の先行きを見届けるまではよそには仕官しないと断っている。
なので九条家は、浅野家を再興するように幕府に圧力をかけている。
というこの話は、史実ベースではあると思いますが、真山先生の想像も多少入っているかもしれません。
にしても興味深い話です。
綱豊が出てきます。酒ばかり飲んで、お女中に手をつけるダメ殿様という設定です。
周囲でやいやい言うのですが、綱豊は、浅野家再興について将軍にお願いするのが、気が進まない様子です。
ここで、お女中や見習いの少女たちが仮装して、「道中ごと」(東海道の道中の様子の真似ごと)をする様子が楽しいです。
お屋敷内の座敷の場面になります。
綱豊と会話しているのは、新井白石(あらい はくせき)です。
白石は儒学者として有名なかたですが、
綱豊が六代将軍家宣になったあと、そのブレーンとして政治改革を推進したひとです。
甲府藩主であったこの時代から、ふたりは非常に強い信頼関係でむすばれていました。
浅野家再興の話は、上記の裏事情もあってほぼ決まっています。
あとは、綱豊が将軍にお願いしてダメ押しすれば決定するでしょう。
しかし、綱豊はそうしたくないらしいです。
綱豊は、祇園で遊び呆けて動きのない、大石内蔵助の真意をはかりかねています。
他の藩士たちも目立った動きがなく、気づかわしいことです。
吉良を狙う気がないなた、浅野家再興の話を進めてしまったほうがいいです。
しかし、じつは吉良を狙っているとしたら、この話は進めてはいけないですから、
赤穂藩士たちの真意を見極めたいところなのです。
そこに白石が、知り合いに聞いた話をします。
堀部安兵衛が「主君の誓いを忘れない」というような内容の文章をとある神社に奉納したというものです。
ここは論語の引用や解釈がはさまっていて詳細がややこしいのですが、割愛です。
これを聞いて綱豊は、赤穂浪士たちは「やる気」だと感じてたのもしく思います。
それでもちょっと不安な綱豊は、
思いついて、さっきのお喜世ちゃんの兄の助右衛門を呼ぶことにします。
白石退場です。
お喜世ちゃんと綱豊が待つところに、助右衛門がやってきます。
さて、この綱豊と助右衛門とのやりとりが、この段の山場なのですが、
基本的に、「大石はやる気があるのか。赤穂藩士は吉良を討つ気があるのか」を延々と問答しているだけです。
助右衛門は本心を明かしませんから、議論は絶対に前に進みません。
途中に、助右衛門が、綱豊に
「では、あなたが酒ばかり飲んでダメ殿のフリをしているのも、将軍綱吉に目を付けられないための演技だろう」
と言い返すところがおもしろいです。
本心を明かさない助右衛門にいらだった綱豊が「浅野家再興を将軍に頼む。決まればもう吉良は討てない」と告げ、
助右衛門は泣きながら必死で綱豊を見つめますが、やはり何も言えません。
という部分が最大のが山場です。
ところで、助右衛門が、この日の「お浜遊び」を見たがった理由は、きれいなお姉さん目当てではなく、
この日のお客さんに、吉良がいたのです。
新聞もテレビもなかった時代なので、赤穂藩の誰も吉良の顔を知らなかったのです。
討ち入ろうにも相手の顔がわからないという!!
どうしても助右衛門は吉良の顔が見たいのだと察した綱豊は、見せてやるようにお喜世ちゃんに指示して退場します。
綱豊の真意がわからない助右衛門は、吉良を討つ機会を待つだけ無駄だと思い込み、
いま、この屋敷に来る吉良を強引に討つ決心をします。
とめるお喜世ちゃんですが、助右衛門の決心が固いのを知って手引きすることにします。
再び庭です。
夜になって、こんどは大名たちの教養の見せどころ、
大名や旗本たちによる能が上演されています。
吉良もここに出るのです。
助右衛門は能舞台の裏にひそんでいて、吉良を討とうとするのですが、
能面をかぶって出てきたのは、じつは綱豊でした。
気付かずに斬りかかる助右衛門ですが、予期していた綱豊に迎撃され、取り押さえられます。
綱豊は、
吉良を討てばいいというものではない。このような不意打ちで首だけ切っても意味はない。
正しい道で相手を討つべくがんばって、結果だめでもそれでいいのだ。
時節を待つことが大切なのだ、と説きます。
おわりです。
・=一段目「江戸城の刃傷」、二段目「第二の使者」、三段目「最後の大評定」=へ
・=六段目「南部坂雪の別れ」、七段目「吉良屋敷裏門」、八段目「千石屋敷」=へ
・=九段目「大石最後の一日」=へ
=50音索引に戻る=
=従来版の「仮名手本忠臣蔵」を見る=
・四段目 「伏見撞木町(ふしみ しゅもくちょう)」
京都の撞木町といえば有名な遊郭町ですし、
場面は従来の「忠臣蔵」でいうと七段目にあたるところなので、
華やかは遊郭のセットを想像してしまうのですが、
元禄末期の撞木町は遊郭が何軒かある以外はえらく荒廃していたそうで、
舞台面も原っぱに川、橋、というかんじです。
前半は大石は出てこず、
関係者がみんなで、遊び歩く大石に困りながら、
本当に吉良を討つ気をなくしてしまったのだろうか、と悩んでいる
場面です。
というわけで単純な場面なのですが、
いくつも地名や人名が出てくるせいで必要以上にわかりにくい印象になっています。
大石は京都にいます。
今日は、四条の芝居を見たあと、大阪にいる藩士たちと密談するために、船で大阪に向かう約束だったのですが、
いつの間にか伏見の茶屋に行ってしまいました。
大阪で落ち合うつもりだった小野寺十内(おのでら じゅうない)と大高源吾(おおたか げんご)は困っています。
息子の松之丞も父の状態に困っています。半泣きです。
さらに、江戸から来た堀部安兵衛(ほりべ やすべえ)と不破数衛門(ふわ かずえもん)は、
屋形船でさわぐ大石を見てあきれてもう江戸に帰ることにします。
上方組に頼ったのがまちがいだった。江戸組は江戸組で勝手にやる。
松之丞が安兵衛たちに、自分も一緒に行きたいと言います。さらに元服させてくれと言います。
もはや父は関係ない。自分は自分で、一個人としてやる。
この「松之丞一個として」というのが、「近代」らしい単語だなと思います。
そうこうしていると、茶屋からきれいなおねえさんがいっぱいやってきます。
なぜか大石が迎えによこしたのです。
「さあさあみんなでいっしょに遊びましょう」
というわけで、全員連れられていきます。
後半は、伏見の茶屋です。
大石は茶屋に来る途中で、新藤八郎右衛門(しんどう はちろうえもん)というお侍と待ち合わせています。
この人は、赤穂藩の本家にあたる廣島藩の人です。
八郎右衛門は真面目な話をしたくて来たのですが、大石はやる気のない態度を崩しません。
遊女での「浮船」ちゃんまでが大石にイライラしているのですが、大石は平気です。
ストーリーには関係ないですが、
従来版の七段目に出てくる「お軽」ちゃんは、すでに身請けされて、大石と同棲しています。
さて、八郎右衛門は大事な話があって大石に会いに来ました。
市民感情と、京都の公家たちは赤穂藩に同情的です。赤穂藩士大人気です。
この周囲の空気に耐えかねた幕府は、最近だんだん赤穂藩よりになってきました。
なので、赤穂藩の本家の広島藩もその流れに乗っかることにして、浅野家再興のお願いの使者を立てました。
八郎右衛門がその使者です。
しかし、この要望が通ってしまうと、さすがに吉良を討ち取るのはまずいです。幕府に恩を仇で返すかんじです。
八郎右衛門は、しかし、この事情を明かした上で、
敵を討つなら討ってしまえ。本家のメンツなんてどうでもいいから浅野家再興が実現する前にやってしまえ。
と言います。
しかし真面目に返答しない大石に業をにやす八郎右衛門です。
このあと、従来版にもある、有名な「目んない千鳥」の場面があり、
松之丞が元服して「主税(ちから)」と改名してやってきて父親に叱られたりとか、
堀部安兵衛たちが文句言いに来たりとかあります。
ところで、大石内蔵助が討ち入り前の数ヶ月、祇園で遊興していたことは史実なのですが、
この理由について、作者の真山先生は独特の解釈をしています。
一般的には、世間の目をあざむき、討ち入りの意志がないように見せかけるため、とされていますが、
実際、大石がこうやって遊んでいても
「世間の目をあざむこうとしているよ。いつ討ち入るんだろう」
と周囲に逆に言われる状態でした。全然あざむけていません。
遊興には他に理由があるのだろう。なんらかの目的で時間をかせいでいたのだろう、というのが
この作品の解釈です。
いろいろあって、最後に大石が心底を明かします。
浅野家再興を最初に願い出たのは大石です。
実現するとは思っておらず、穏健派の藩士たちの手前、一応言っただけだったのですが、
これが実現しそうになって困っています。
いまは、この問題がどう決着するか見守っている。この話が決まらないと討ち入りはできない。
時間がかかって、その間に吉良が万が一死んでも、
そのときは潔くあきらめればいい。
大切なのは武士として主君に誠を尽くすことであって、敵討ちそのものではない。と大石は言い、
その場にいた人々は大石についていく決意を新たにします。
・五段目
美浜御殿(おはまごてん)
ここも以前はわりと出ました。
美浜御殿というのは、今の浜離宮です。
当時は甲府藩のお屋敷でした。
当時の甲府藩主は「徳川綱豊(とくがわ つなとよ)」です。後に六代将軍、徳川家宣(いえのぶ)になった人です。
元禄十五年の3月です。浅野内匠守の切腹から1年がたちました。
その日は「お浜遊び」という、年に一度のイベントの日です。
奥女中や腰元たちが屋敷の美しい庭に出て遊びます。
せっかくなので、いろいろ出し物をします。かくし芸大会です。
お女中たちがお芝居の真似事をする華やかなさまが見たくて、門番に頼んでそっと覗く男たちが
毎年何人もいたのだそうです。
という基本設定をもとに、
お浜遊びの日の朝です。広大な庭の場面です。いまからここで「お浜遊び」をやります。
「富森助右衛門(とみのもり すけえもん)」というお侍が、お女中の「お喜世(おきよ)」ちゃんと話しています。
ちなみにですが、「お女中」というのは、今使われる「お手伝いさん」的な意味ではなく、
奥様のお付きの侍女たちです。平安期で言うと「女房」にあたるポジションです。身分高いです。
しかも、お喜世ちゃんは、藩主の綱豊のお手つきで寵愛まっさかりです。お女中の中でもVIPです。
しかし新参者で若いので、苛められないようにおとなしくしています。
助右衛門は、お喜世ちゃんの義理の兄にあたります。
お喜世ちゃんがここに雇われるとき、身元保証のために、助右衛門の母親を「仮親」にしました。
当時はよくあった制度です。
なので、書類上はふたりは兄妹です。
助右衛門はこの段以外は全然出てこない人ですが、赤穂藩士です。
その助右衛門がお喜世に、女中たちの浜遊びを覗き見させてくれ、と頼むところから始まります。
そんなことはできないし、下らないことをするなと断るお喜世ちゃん。
とある手紙を見せて、この非常時に!! と怒っています。
助右衛門が退場したところに、イジワルっぽい年寄りのお女中がやってきて、
そのアヤシゲな手紙を見せろ、と言います。困るお喜世ちゃん。
そこに、江島さまというお女中がやってきて、イジワルお女中を追い払ってくれます。
この「江島(えじま)」さまというのは、
後年、歌舞伎でもネタになったスキャンダルで有名になるかたなのですが、ここではふつうにいい人です。
ご祐筆(ごゆうひつ、書記)をやっているひとなので教養もあり、内部事情にも詳しい頼れるひとです。
お喜世ちゃんは、江島さまに事情を話します。
お喜世ちゃんの「仮の母親」というのが、赤穂藩の身内です(詳細略)。
お喜世ちゃんが、お殿様のお気に入りなので、
浅野家の再興についてお願いしてほしいという手紙が来ているのです。
でも、そんなこと頼めないし!!
そして赤穂藩についての事案は今の幕府の地雷なので、
手紙を見られたらとんでもないことになるし!!
最初は「立場をわきまえなければならない。夢にもそんな事言ってはなりません」
とか言っていた江島さまですが
後半でぶっちゃけトークを始めます。
・浅野家再興は、じつはほぼ決まっている。
・京都の公家、九条関白家がプッシュしているのでまず間違いない
・(綱豊の妻の実家は九条関白家)
そして、興味深いことがこの段では語られます。
・大石の家は、もともと九条関白家に仕えていた。
・九条家は大石を欲しがっている。浅野家の滅亡は都合がよかったのだが、
大石は浅野家の先行きを見届けるまではよそには仕官しないと断っている。
なので九条家は、浅野家を再興するように幕府に圧力をかけている。
というこの話は、史実ベースではあると思いますが、真山先生の想像も多少入っているかもしれません。
にしても興味深い話です。
綱豊が出てきます。酒ばかり飲んで、お女中に手をつけるダメ殿様という設定です。
周囲でやいやい言うのですが、綱豊は、浅野家再興について将軍にお願いするのが、気が進まない様子です。
ここで、お女中や見習いの少女たちが仮装して、「道中ごと」(東海道の道中の様子の真似ごと)をする様子が楽しいです。
お屋敷内の座敷の場面になります。
綱豊と会話しているのは、新井白石(あらい はくせき)です。
白石は儒学者として有名なかたですが、
綱豊が六代将軍家宣になったあと、そのブレーンとして政治改革を推進したひとです。
甲府藩主であったこの時代から、ふたりは非常に強い信頼関係でむすばれていました。
浅野家再興の話は、上記の裏事情もあってほぼ決まっています。
あとは、綱豊が将軍にお願いしてダメ押しすれば決定するでしょう。
しかし、綱豊はそうしたくないらしいです。
綱豊は、祇園で遊び呆けて動きのない、大石内蔵助の真意をはかりかねています。
他の藩士たちも目立った動きがなく、気づかわしいことです。
吉良を狙う気がないなた、浅野家再興の話を進めてしまったほうがいいです。
しかし、じつは吉良を狙っているとしたら、この話は進めてはいけないですから、
赤穂藩士たちの真意を見極めたいところなのです。
そこに白石が、知り合いに聞いた話をします。
堀部安兵衛が「主君の誓いを忘れない」というような内容の文章をとある神社に奉納したというものです。
ここは論語の引用や解釈がはさまっていて詳細がややこしいのですが、割愛です。
これを聞いて綱豊は、赤穂浪士たちは「やる気」だと感じてたのもしく思います。
それでもちょっと不安な綱豊は、
思いついて、さっきのお喜世ちゃんの兄の助右衛門を呼ぶことにします。
白石退場です。
お喜世ちゃんと綱豊が待つところに、助右衛門がやってきます。
さて、この綱豊と助右衛門とのやりとりが、この段の山場なのですが、
基本的に、「大石はやる気があるのか。赤穂藩士は吉良を討つ気があるのか」を延々と問答しているだけです。
助右衛門は本心を明かしませんから、議論は絶対に前に進みません。
途中に、助右衛門が、綱豊に
「では、あなたが酒ばかり飲んでダメ殿のフリをしているのも、将軍綱吉に目を付けられないための演技だろう」
と言い返すところがおもしろいです。
本心を明かさない助右衛門にいらだった綱豊が「浅野家再興を将軍に頼む。決まればもう吉良は討てない」と告げ、
助右衛門は泣きながら必死で綱豊を見つめますが、やはり何も言えません。
という部分が最大のが山場です。
ところで、助右衛門が、この日の「お浜遊び」を見たがった理由は、きれいなお姉さん目当てではなく、
この日のお客さんに、吉良がいたのです。
新聞もテレビもなかった時代なので、赤穂藩の誰も吉良の顔を知らなかったのです。
討ち入ろうにも相手の顔がわからないという!!
どうしても助右衛門は吉良の顔が見たいのだと察した綱豊は、見せてやるようにお喜世ちゃんに指示して退場します。
綱豊の真意がわからない助右衛門は、吉良を討つ機会を待つだけ無駄だと思い込み、
いま、この屋敷に来る吉良を強引に討つ決心をします。
とめるお喜世ちゃんですが、助右衛門の決心が固いのを知って手引きすることにします。
再び庭です。
夜になって、こんどは大名たちの教養の見せどころ、
大名や旗本たちによる能が上演されています。
吉良もここに出るのです。
助右衛門は能舞台の裏にひそんでいて、吉良を討とうとするのですが、
能面をかぶって出てきたのは、じつは綱豊でした。
気付かずに斬りかかる助右衛門ですが、予期していた綱豊に迎撃され、取り押さえられます。
綱豊は、
吉良を討てばいいというものではない。このような不意打ちで首だけ切っても意味はない。
正しい道で相手を討つべくがんばって、結果だめでもそれでいいのだ。
時節を待つことが大切なのだ、と説きます。
おわりです。
・=一段目「江戸城の刃傷」、二段目「第二の使者」、三段目「最後の大評定」=へ
・=六段目「南部坂雪の別れ」、七段目「吉良屋敷裏門」、八段目「千石屋敷」=へ
・=九段目「大石最後の一日」=へ
=50音索引に戻る=
=従来版の「仮名手本忠臣蔵」を見る=
何か資料を典拠とされているのでしたら失礼つかまつりましたが、岩波文庫収録「元禄忠臣蔵(上)」のルビは「おはまごてん」となっています。
それと、以前はわりと出たというよりも、元禄忠臣蔵全10話中、一番かかっている話が御浜御殿なのですが。
戦後上演回数では大石最後のほぼ倍です(御浜御殿42回、大石最後22回)。内蔵助が表向き出てこない分出しやすいのでしょうか。
あれどこでまちがえたんだろう
ありがとうございますー。
なおしておきますー。