「袖萩祭文(そではぎ さいもん)」 とも呼ばれます。
題材は奥州「前九年の役」(1050~1062)の後日譚、というかんじです。平安時代です。日本史に出てきましたよね。
チナミに「前九年の役」は後で付けられた間違った名称です。そもそも12年かかっています。正確には「奥州十二年戦役」です。とはいえ定着しているのでテストには「前九年の役」と書くしかありません。
でまあ、このお芝居については歴史は忘れていても大丈夫です。
歌舞伎、長い時代狂言の一部分だけしか出さないのは、もう、仕方のないことですが、
現行上演、この作品は三段目の「後半」しか出しません。
というわけで、作品の見どころがストーリーの主役とまったく関係ない部分になってしまっているのです。
だから事実関係置いていっても大丈夫。
いいんですが、けっこうかっこいいのよ、本来の主役の「安倍宗任(あべのむねとう)」。
荒事の悪役、荒ぶる反逆者。でも繁栄を誇った奥州安倍一族の生き残りですから和歌に堪能。
男らしくてかっこいいです。もったいないっちゃあ、もったいないですよ。
さて、現行上演の主役は「袖萩(そではぎ)」というおねえさんです。
萩は、そよそよとそよいで恋しい人をまねくものなので、「袖」の縁語なのです。
さらに今も宮城の県花が「萩」であるように、東北地方のイメージを象徴します。
日本侵略を企む安倍貞任(あべのさだとう)と、そうとは知らずに駆け落ちして、今は盲目のにおちぶれた袖萩(貞任は失踪)。
このたび安倍貞任と弟の宗任(むねとう)兄弟の陰謀のために、帝の弟「環の宮(たまきのみや)」が誘拐されました。
「環の宮」をあずかっていたのは、袖萩の父親の平仗(たいらの けんじょう、)。
責任をとって切腹する父親の仗にひと目会おうとやってきた袖萩。
おうちに入れてもらえない袖萩が庭の枝折り戸の外で歌(祭文)を唄って許しを請う、場面が見せ場です。
雪の中、みすぼらしい衣装で唄う盲目の袖萩、けなげに付き添う娘お時(子役)、
冷たく突き放すふりをして、目立たないようにいたわる母、隠れて涙を流す父、泣けます。
ここで袖萩が、の門付芸である「歌祭文(うたさざいもん)」に託して真情を歌って両親に聞かせるシーンが見せ場なので、このお芝居に「袖萩祭文(そでがひ さいもん)」の副題があるのです。
「祭文(さいもん)」とだけいうと、神事のときの祝詞(ノリト)の一種ですが、ここで「祭文」というのは「歌祭文(うたざいもん)を指します。
祭文風の節回しで山伏が仏様の話をして歩いたのが原型らしいですが、仏様はどっか行ってしまって節回しだけが残り、心中とか俗っぽい内容を謡う芸能になったものですよ。
で、現行上演殆ど状況説明ナシで、この場面からイキナリ出ます。
正確には袖萩の妹「敷妙」が、夫の源義家の使いでやってくるところから出ます。
↑の理由で、あずかっていた環の宮を誘拐された責任を取って切腹してくださいな、というのが使者の伝言です。一応「見つけられれば」と猶予期間があったのですが、それも今日までです。
実の娘に何言わせるんだ、とお思いでしょうが、こうでもしないと最後のお別れできないでしょ。
「源義家」も歴史の授業に出て来ましたよね、八幡太郎義家(はちまんたろう よしいえ)、源頼朝の直系の先祖です。
関東における清和源氏の支配力を確立したかたなのですが、江戸時代には史実以上にえらいヒトに描かれ、
殆ど、「ときの将軍」扱いです。そのつもりで見ると雰囲気がわかりやすいです。
妹はそんなえらいヒトの嫁になったのに、姉は変な男(実は安倍貞任)と駆け落ち。
親の嘆きも深いのですよ。
というあたりが設定。いちおう下女のおねえさんたちが状況説明の会話をしますが、聞き取れるかアヤシイので書いときます。
袖萩が出てからはとくにわかりにくくはありません。
キレイでかわいそうなので泣いてください。
上手いかたが演ると絶品ですが、イマイチのかたが演っても、まあ、わりと見られるお得なお芝居ですよ(おい)。
で、イキナリ舞台の後ろの方(たしかそう)から「安倍宗任」登場。
袖萩のダンナである貞任の、弟にあたります。本来主役なかたです。まあいいけど。
この人が本当は主役なんだなと思いながら見てください(笑)。
宗任「オマエも貞任の妻なら、貞任の敵である父親を殺せ」。
ひどい、
ていうかあんたのせいでもう父ちゃん切腹するよ。「殺せ」って意味ねえじゃん。
ここでイキナリ、今度は源義家が家の中から登場。 これはたしか浄瑠璃版にはありません(確認しろ)。出るタイミング中途半端すぎ。
前半をぶった切っている関係上、前半の見せ場、宗任の首に札を下げて逃がす場面をここでムリクリ出すしかないのです。
まあ、わかんなくてもお話はつながるのでなんとなく流して見るのもアリかと。
とにかく、父を殺すのも夫の貞任を裏切るのもイヤな袖萩、宗任に渡された刀で自害します。
同時に家の中で父親も切腹。
お互い手追いになりながら父娘が言葉を交わす部分が第二の見せ場です。
こういう場面は浄瑠璃が聞き所なので長いですが、母親が動いてくれるのでわりと見やすいと思います。
そして、問題の後半部分。
イミ分かりませんよ。
まず、イキナリ知らない貴族のヒトが家から出てきます。あんたどこにいたの。
切腹の検視役の中納言教氏(のりうじ)です。はじめから出せば前半にちゃんと出番あります。
で、教氏が二人の死を見届けて、セリフ言って引っ込もうとしたら、義家が呼び止めます。
教氏は、じつは反逆者の親玉、安倍貞任だったのです。
ってわかんないよ。ていうか現行上演「貞任って誰」ですよ。
その後、現行上演カットされている前半部分の事情をえんえんと語る場面になります。
白い旗(源氏のシンボル)に歌を書いたのがどうのこうの、と言いますが、
とにかく出てない部分なのでイミ分からないのは当然です。
そういう、前半部分はカットされている、という事情ですので、あきらめて聞いていてください。
安倍貞任は中納言に化けて、朝廷にずっと以前から入り込んでいた。
前半部分で、捕まって引かれてきた宗任にも会っていて、白旗に歌を書いてやりとりをしている。
バレないようにしたつもりだが、義家は気付いていて、ここで「見顕わし」の場面になっている。
だいたいそういうかんじ。
そして宗任が出てきます。衣装派手に変わっています。
義家に詰め寄りますが、貞任が止めます。
で、戦場で決着を付けようと言うことになり、さらば、さらば、で幕です。
この終わりかたは時代物の定番です。
貴族っぽく振る舞っていた貞任が、バレて、武将らしい荒々しい演技にガラっと変わるところが
3つ目のみどころです。
袖萩と貞任を早変わりでやることも多いです。
前半と後半と目立つヒトが変わるからですが、始めっから出せば主役は一貫して宗任ですから、じつはすっきりするのです。
袖萩のくだりはたしかにすてきですが、
ちょっと今の出し方はムリありすぎじゃねえかという気もしますよ。
でも全部出すとお客さん寝るかなあ、難しいですね。
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題材は奥州「前九年の役」(1050~1062)の後日譚、というかんじです。平安時代です。日本史に出てきましたよね。
チナミに「前九年の役」は後で付けられた間違った名称です。そもそも12年かかっています。正確には「奥州十二年戦役」です。とはいえ定着しているのでテストには「前九年の役」と書くしかありません。
でまあ、このお芝居については歴史は忘れていても大丈夫です。
歌舞伎、長い時代狂言の一部分だけしか出さないのは、もう、仕方のないことですが、
現行上演、この作品は三段目の「後半」しか出しません。
というわけで、作品の見どころがストーリーの主役とまったく関係ない部分になってしまっているのです。
だから事実関係置いていっても大丈夫。
いいんですが、けっこうかっこいいのよ、本来の主役の「安倍宗任(あべのむねとう)」。
荒事の悪役、荒ぶる反逆者。でも繁栄を誇った奥州安倍一族の生き残りですから和歌に堪能。
男らしくてかっこいいです。もったいないっちゃあ、もったいないですよ。
さて、現行上演の主役は「袖萩(そではぎ)」というおねえさんです。
萩は、そよそよとそよいで恋しい人をまねくものなので、「袖」の縁語なのです。
さらに今も宮城の県花が「萩」であるように、東北地方のイメージを象徴します。
日本侵略を企む安倍貞任(あべのさだとう)と、そうとは知らずに駆け落ちして、今は盲目のにおちぶれた袖萩(貞任は失踪)。
このたび安倍貞任と弟の宗任(むねとう)兄弟の陰謀のために、帝の弟「環の宮(たまきのみや)」が誘拐されました。
「環の宮」をあずかっていたのは、袖萩の父親の平仗(たいらの けんじょう、)。
責任をとって切腹する父親の仗にひと目会おうとやってきた袖萩。
おうちに入れてもらえない袖萩が庭の枝折り戸の外で歌(祭文)を唄って許しを請う、場面が見せ場です。
雪の中、みすぼらしい衣装で唄う盲目の袖萩、けなげに付き添う娘お時(子役)、
冷たく突き放すふりをして、目立たないようにいたわる母、隠れて涙を流す父、泣けます。
ここで袖萩が、の門付芸である「歌祭文(うたさざいもん)」に託して真情を歌って両親に聞かせるシーンが見せ場なので、このお芝居に「袖萩祭文(そでがひ さいもん)」の副題があるのです。
「祭文(さいもん)」とだけいうと、神事のときの祝詞(ノリト)の一種ですが、ここで「祭文」というのは「歌祭文(うたざいもん)を指します。
祭文風の節回しで山伏が仏様の話をして歩いたのが原型らしいですが、仏様はどっか行ってしまって節回しだけが残り、心中とか俗っぽい内容を謡う芸能になったものですよ。
で、現行上演殆ど状況説明ナシで、この場面からイキナリ出ます。
正確には袖萩の妹「敷妙」が、夫の源義家の使いでやってくるところから出ます。
↑の理由で、あずかっていた環の宮を誘拐された責任を取って切腹してくださいな、というのが使者の伝言です。一応「見つけられれば」と猶予期間があったのですが、それも今日までです。
実の娘に何言わせるんだ、とお思いでしょうが、こうでもしないと最後のお別れできないでしょ。
「源義家」も歴史の授業に出て来ましたよね、八幡太郎義家(はちまんたろう よしいえ)、源頼朝の直系の先祖です。
関東における清和源氏の支配力を確立したかたなのですが、江戸時代には史実以上にえらいヒトに描かれ、
殆ど、「ときの将軍」扱いです。そのつもりで見ると雰囲気がわかりやすいです。
妹はそんなえらいヒトの嫁になったのに、姉は変な男(実は安倍貞任)と駆け落ち。
親の嘆きも深いのですよ。
というあたりが設定。いちおう下女のおねえさんたちが状況説明の会話をしますが、聞き取れるかアヤシイので書いときます。
袖萩が出てからはとくにわかりにくくはありません。
キレイでかわいそうなので泣いてください。
上手いかたが演ると絶品ですが、イマイチのかたが演っても、まあ、わりと見られるお得なお芝居ですよ(おい)。
で、イキナリ舞台の後ろの方(たしかそう)から「安倍宗任」登場。
袖萩のダンナである貞任の、弟にあたります。本来主役なかたです。まあいいけど。
この人が本当は主役なんだなと思いながら見てください(笑)。
宗任「オマエも貞任の妻なら、貞任の敵である父親を殺せ」。
ひどい、
ていうかあんたのせいでもう父ちゃん切腹するよ。「殺せ」って意味ねえじゃん。
ここでイキナリ、今度は源義家が家の中から登場。 これはたしか浄瑠璃版にはありません(確認しろ)。出るタイミング中途半端すぎ。
前半をぶった切っている関係上、前半の見せ場、宗任の首に札を下げて逃がす場面をここでムリクリ出すしかないのです。
まあ、わかんなくてもお話はつながるのでなんとなく流して見るのもアリかと。
とにかく、父を殺すのも夫の貞任を裏切るのもイヤな袖萩、宗任に渡された刀で自害します。
同時に家の中で父親も切腹。
お互い手追いになりながら父娘が言葉を交わす部分が第二の見せ場です。
こういう場面は浄瑠璃が聞き所なので長いですが、母親が動いてくれるのでわりと見やすいと思います。
そして、問題の後半部分。
イミ分かりませんよ。
まず、イキナリ知らない貴族のヒトが家から出てきます。あんたどこにいたの。
切腹の検視役の中納言教氏(のりうじ)です。はじめから出せば前半にちゃんと出番あります。
で、教氏が二人の死を見届けて、セリフ言って引っ込もうとしたら、義家が呼び止めます。
教氏は、じつは反逆者の親玉、安倍貞任だったのです。
ってわかんないよ。ていうか現行上演「貞任って誰」ですよ。
その後、現行上演カットされている前半部分の事情をえんえんと語る場面になります。
白い旗(源氏のシンボル)に歌を書いたのがどうのこうの、と言いますが、
とにかく出てない部分なのでイミ分からないのは当然です。
そういう、前半部分はカットされている、という事情ですので、あきらめて聞いていてください。
安倍貞任は中納言に化けて、朝廷にずっと以前から入り込んでいた。
前半部分で、捕まって引かれてきた宗任にも会っていて、白旗に歌を書いてやりとりをしている。
バレないようにしたつもりだが、義家は気付いていて、ここで「見顕わし」の場面になっている。
だいたいそういうかんじ。
そして宗任が出てきます。衣装派手に変わっています。
義家に詰め寄りますが、貞任が止めます。
で、戦場で決着を付けようと言うことになり、さらば、さらば、で幕です。
この終わりかたは時代物の定番です。
貴族っぽく振る舞っていた貞任が、バレて、武将らしい荒々しい演技にガラっと変わるところが
3つ目のみどころです。
袖萩と貞任を早変わりでやることも多いです。
前半と後半と目立つヒトが変わるからですが、始めっから出せば主役は一貫して宗任ですから、じつはすっきりするのです。
袖萩のくだりはたしかにすてきですが、
ちょっと今の出し方はムリありすぎじゃねえかという気もしますよ。
でも全部出すとお客さん寝るかなあ、難しいですね。
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