
「春興鏡獅子」 しゅんきょう かがみじし
所作(しょさ、踊りね)です。お獅子が長い毛をぐるぐる振る、あれです。
お獅子が2体出るのは「連獅子」です。
「鏡獅子」のほうは、1体で勇壮に踊ります。
歌舞伎の演目の中でもかなり一般になじみのある演目ではないかと思います。
一応ストーリーがありますので、書きます。わかって見たほうが楽しいです。
お城(だいたい千代田城とか)の初春の宴が舞台です。
女小姓の「弥生(やよい)」が、周囲に舞を舞え舞えと言われています。
恥ずかしがる弥生ですが、ぜひにと言われて踊りはじめます。
新春の、お城の、お殿様の前での踊り、という堅苦しい舞台設定ですが、歌詞はかなりくだけていて、
まず御殿女中の恋のもどかしさを唄います。
ここで櫛とか簪(こうがい)とかの、御殿女中らしいヘアアクセサリーが歌詞に読み込まれているのが楽しいです。
次に季節の描写になぞらえて恋心を唄います。
ふつう、季節の描写がある歌詞は、春から冬まで1年分移り変わるわけですが、
この作品では、春から初夏になって、そこでおわりです。
初夏といえば牡丹(ぼたん)が咲きます。歌詞が牡丹の描写になります。
ところで、獅子と牡丹の組み合わせは、獣の王と花の王ですのでセットなのです。
豪華さ、おめでたさの象徴として様々な画や図案に描かれています。
というわけで弥生ちゃんは、飾ってある小さい獅子頭を手に持って舞い始めます。
ていねいに出すと、最初に侍女たちがお殿様の言いつけだと言って獅子頭を飾る場面が冒頭にあります。
しばらく踊っていた弥生ちゃんなのですが、どこからか蝶が迷いこんできます。
蝶の部分の歌詞は、花にたわむれる蝶を恋多き女子に例えた色っぽいものです。
蝶と踊っているうちにだんだん弥生ちゃんの様子がおかしくなります。
獅子頭に込められた獅子の魂が覚醒したのです。
命を持った獅子頭に振り回されるように舞う弥生。やがて獅子に引っ張られて花道を下がります。
前半終わりです。
この場面の見どころは、実際には命のない獅子頭に、弥生が振り回されているかのように踊るところです。
御殿のセットが引かれ、豪華な飾りが付いた少し広い台(お雛様の台の大きいのと思えばいいです)と、
赤白の牡丹の木が出て来ます。
台は「獅子の座」と呼ばれます。
現実世界の御殿から、幻想世界に変わったのです。
牡丹にたわむれるように、先ほどの二匹の蝶が現れ、やがて胡蝶(こちょう、ちょうちょです)の精が出て来て踊ります。
その胡蝶の精に引かれるように、獅子の精が登場します。
あとは獅子の精が踊ります。
見どころは、獅子の勇壮な舞の、形の美しさに尽きます。
白い長い毛(たてがみ)をぐるぐる回すクライマックスシーンは有名ですが、ただ派手で様式的なパフォーマンスとして見るのではなく、
全体のバランスのよさや上半身をぐるぐる回しているときの下半身の安定感、
これがあるからこそ獅子としての力強さが表現できるのですが、
そういう部分も見てみると、より楽しいと思います。
毛を振るところもかっこいいですが、
軽くジャンプしたあと両袖を持って広げて、足も開いて大の字のようになって立ち、決まる部分があります。
上手な役者さんがやると一寸のブレもない、完璧なバランスで決まります。
体の重心が全て重力にそって真下におりていって地球の中心まで届き、、地球の中心からのエネルギーとなってまたのぼってきて
それが体の中心から放射状にほとばしり出るような印象です(伝わりにくい表現)。
ほんとうは、毛を振るところよりも、この動きのほうがクライマックスなのかもしれません。
前半の美女、弥生さんと後半の獅子は同じ役者さんがやりますので、
その踊り分けも見どころのひとつになります。
今は多く、立役からこの役は出ますので、
女踊りをいかに形よく踊るかという点でも、難易度の高い所作になっていると思います。
原型は「石橋(しゃっきょう)」という所作(しょさ、踊りね)です。
かなり古いものです。
お獅子は出ますが、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の使いとして現れます。どちらかというと固い内容です。
この原型が、なぜ「鏡獅子」のような華やかな形になったかというと、
歌舞伎の古い時期には、所作(踊り)は全て、女形(おんながたと読む)の役者さんのものだったからです。
なので、前半に女踊りを入れる必要があり、このような形にアレンジしたものが多く作られたのです。
今も「英執着獅子(はなぶさ しゅうちゃくじし)」という古い演目が残っています。
今の「鏡獅子」よりもゆったりした、女性的な印象の強い舞台です。
「鏡獅子」に至って完全に仏教色は薄れ、
初春のおめでたいかんじ、生命力にあふれた力強さ、などを楽しむ内容になりました。
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所作(しょさ、踊りね)です。お獅子が長い毛をぐるぐる振る、あれです。
お獅子が2体出るのは「連獅子」です。
「鏡獅子」のほうは、1体で勇壮に踊ります。
歌舞伎の演目の中でもかなり一般になじみのある演目ではないかと思います。
一応ストーリーがありますので、書きます。わかって見たほうが楽しいです。
お城(だいたい千代田城とか)の初春の宴が舞台です。
女小姓の「弥生(やよい)」が、周囲に舞を舞え舞えと言われています。
恥ずかしがる弥生ですが、ぜひにと言われて踊りはじめます。
新春の、お城の、お殿様の前での踊り、という堅苦しい舞台設定ですが、歌詞はかなりくだけていて、
まず御殿女中の恋のもどかしさを唄います。
ここで櫛とか簪(こうがい)とかの、御殿女中らしいヘアアクセサリーが歌詞に読み込まれているのが楽しいです。
次に季節の描写になぞらえて恋心を唄います。
ふつう、季節の描写がある歌詞は、春から冬まで1年分移り変わるわけですが、
この作品では、春から初夏になって、そこでおわりです。
初夏といえば牡丹(ぼたん)が咲きます。歌詞が牡丹の描写になります。
ところで、獅子と牡丹の組み合わせは、獣の王と花の王ですのでセットなのです。
豪華さ、おめでたさの象徴として様々な画や図案に描かれています。
というわけで弥生ちゃんは、飾ってある小さい獅子頭を手に持って舞い始めます。
ていねいに出すと、最初に侍女たちがお殿様の言いつけだと言って獅子頭を飾る場面が冒頭にあります。
しばらく踊っていた弥生ちゃんなのですが、どこからか蝶が迷いこんできます。
蝶の部分の歌詞は、花にたわむれる蝶を恋多き女子に例えた色っぽいものです。
蝶と踊っているうちにだんだん弥生ちゃんの様子がおかしくなります。
獅子頭に込められた獅子の魂が覚醒したのです。
命を持った獅子頭に振り回されるように舞う弥生。やがて獅子に引っ張られて花道を下がります。
前半終わりです。
この場面の見どころは、実際には命のない獅子頭に、弥生が振り回されているかのように踊るところです。
御殿のセットが引かれ、豪華な飾りが付いた少し広い台(お雛様の台の大きいのと思えばいいです)と、
赤白の牡丹の木が出て来ます。
台は「獅子の座」と呼ばれます。
現実世界の御殿から、幻想世界に変わったのです。
牡丹にたわむれるように、先ほどの二匹の蝶が現れ、やがて胡蝶(こちょう、ちょうちょです)の精が出て来て踊ります。
その胡蝶の精に引かれるように、獅子の精が登場します。
あとは獅子の精が踊ります。
見どころは、獅子の勇壮な舞の、形の美しさに尽きます。
白い長い毛(たてがみ)をぐるぐる回すクライマックスシーンは有名ですが、ただ派手で様式的なパフォーマンスとして見るのではなく、
全体のバランスのよさや上半身をぐるぐる回しているときの下半身の安定感、
これがあるからこそ獅子としての力強さが表現できるのですが、
そういう部分も見てみると、より楽しいと思います。
毛を振るところもかっこいいですが、
軽くジャンプしたあと両袖を持って広げて、足も開いて大の字のようになって立ち、決まる部分があります。
上手な役者さんがやると一寸のブレもない、完璧なバランスで決まります。
体の重心が全て重力にそって真下におりていって地球の中心まで届き、、地球の中心からのエネルギーとなってまたのぼってきて
それが体の中心から放射状にほとばしり出るような印象です(伝わりにくい表現)。
ほんとうは、毛を振るところよりも、この動きのほうがクライマックスなのかもしれません。
前半の美女、弥生さんと後半の獅子は同じ役者さんがやりますので、
その踊り分けも見どころのひとつになります。
今は多く、立役からこの役は出ますので、
女踊りをいかに形よく踊るかという点でも、難易度の高い所作になっていると思います。
原型は「石橋(しゃっきょう)」という所作(しょさ、踊りね)です。
かなり古いものです。
お獅子は出ますが、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の使いとして現れます。どちらかというと固い内容です。
この原型が、なぜ「鏡獅子」のような華やかな形になったかというと、
歌舞伎の古い時期には、所作(踊り)は全て、女形(おんながたと読む)の役者さんのものだったからです。
なので、前半に女踊りを入れる必要があり、このような形にアレンジしたものが多く作られたのです。
今も「英執着獅子(はなぶさ しゅうちゃくじし)」という古い演目が残っています。
今の「鏡獅子」よりもゆったりした、女性的な印象の強い舞台です。
「鏡獅子」に至って完全に仏教色は薄れ、
初春のおめでたいかんじ、生命力にあふれた力強さ、などを楽しむ内容になりました。
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