歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「川連法眼館」かわつら ほうげん やかた (「義経千本桜」)

2013年06月05日 | 歌舞伎
義経千本桜(よしつね せんぼんざくら)」 という長いお芝居の四段目です。
ここで一応お話に決着がつくので四の切(よんのきり)とも呼ばれます。
正確には最後まで出していないので「切」ではないのですが、慣例的にこう呼びます。
一応ここには浄瑠璃版の最後の部分までの解説を書いてあります。

「義経千本桜」自体が、あまり統一性のない物語で、しかも前後の史実を把握していないとわかりにくいお芝居なのですが、
この四段目はちゃんと義経さまが出てくるし、ストーリーも単純なので、見やすいかと思います。

「千本桜」全体の説明は=こちら=にあります。
簡単に史実で前後関係を追うと、
「源頼朝(みなもとの よりとも)」と仲違いした「源義経(みなもとの よしつね)」は、摂津は大物浦(だいもつのうら)から九州に向かって船出しますが、嵐に会って失敗。
しかたなく吉野山に逃げ込みます。

「吉野山」というのは、ここでは山そのもののことではなく、
吉野山の中にある修験道の一大道場である「吉野山金峰山寺(きんぷせんじ)」とそれをとりまく修行環境を指します。
険しい山中にあること、宗教的聖域であること、戦闘力の高い法師たちが多数いて山全体を守っていることなど、
確実に味方につけることができれば逃げ込むには絶好の場所です。

ただ、当然ですが義経をかくまえば、寺と現政権(頼朝)との関係は悪くなります。
当時はここは天台宗なので比叡山系列です。大きな寺なので政治力も強いです。僧兵もたくさんいます。
とはいえ義経を守り切ってくれるかは未知数です。
なので義経にとってもここに逃げ込むのは最終手段であり、また、おそらく一時しのぎにしかなりません。
そんなシビアな状況での物語になります。

大きなお寺なので、本堂や修行用の建物のほかに住職の数だけ建物があります。
その中の「川連法眼(かわつら ほうげん)」の住居に、義経一行は隠れています。

法眼(ほうげん)というのはお坊さんの位の一種です、法印の次だそうですのでかなりえらいです。
他宗派ですと「僧都(そうづ)」にあたります。
今出ない場面に「お寺でいちばんえらい」とありますのでそういう地位です。
川連(かわつら)は名前です。法眼であるところの川連さんの館、ということです。

もともとは最初にお坊さんたちが集まって「義経どうするよ」と議論する場、「蔵王堂(ざおうどう)の場」があるのですが、
今はカットです。
この「蔵王堂の場」で出る「覚範」(かくはん)というお坊さんが後半のキーパーソンなので、
本当は出した方がいいのですが、
セリフが多い場なので出すと確実にお客さんが寝ますから善し悪しです。

現行上演、
川連法眼館(かわつらほうげん やかた)の場 からはじまります。

まず、川連法眼が奥さんと会話します。当時の役付きのお坊さんは普通に妻帯です、って今もですか。
奥さんの父親が、「源頼朝」の側の家来なのです。義経をかくまう上で奥さんが信用できるかが重要な問題になります。
というわけで、
川連「義経を討つつもりだ」
奥「なんということを。義経さまは助けるべき。そんな非道な事を言うなら先に私が死ぬ」
川連「まあ待て、オマエの心を試したんだ、心底(しんてい)見えた、実は助けるつもりなんだ」
という歌舞伎や文楽の定番の会話をします。

というか最近はどんどん全てが手軽になり、この場面もカットされることがあります。

で、それやこれやのできごとを川連法眼が義経にまとめて報告、という場面から今は始まることが多いです。
報告しているセリフも聞き取りにくいかもしれませんが、上記のような内容をしゃべっています。

そこに、逃避行の途中で義経とはぐれてしまった義経の恋人、「静御前(しずかごぜん)」が、
家来の「佐藤四郎兵衛忠信(さとう しろうびょうえ ただのぶ)」を伴ってやってきます。

本当は、上に書いた「蔵王堂」の場の、さらにその前に、忠信と静が山にやってくるシーンがあります。
この前の段「道行初音旅」(みちゆき はつねのたび)の続きにあたる場面です。
歌舞伎では出ません。
一応文楽の脚本として存在はするので書いておきます。

静と一緒に来た忠信は、じつは狐の化身なのです。まだ誰もそれに気付いていません。
義経はふつうに静と忠信に会えたことを喜び、ふたりをねぎらいます。

そこに、偶然のタイミングなのですが、本物の忠信が義経に会いに吉野にやってきます。
忠信がふたり!!
最初、こっちの本物の忠信が疑われて尋問される場面があります。セリフ聞き取れないとつらいかもしれません。
忠信は母親が病気なので休暇をもらって秋田に帰っていて、そのあと戦の傷が原因で破傷風になったりしてなかなか都に戻って来られず、
やっと戻ってきたら義経は都落ちしてるし!!
あわててここまでやってきたのです。
みたいな話をしています。

とりあえず別間で様子を見ることになり、忠信(本物)は一度退場します。
現行上演ですとこれっきり本物は出ません。

本物は、狐がニセモノだとみんなが気付くきっかけに出るだけなのですが、
源平の時代の武将らしいキリリとして堂々とした骨柄がかっこいいです。
後半の狐忠信と、当然同じ役者さんがやりますが、姿かたちは同じでも雰囲気はやはり違うというのが伝わらないといけない、難しい役だと思います。
ワタクシはこの本物忠信の場面が一番好きです。

今のが本物だと仮定しよう。
じゃあ、静と一緒に来たのは誰だ?
というわけで、狐のほうの忠信を呼んでみることになります。
ところで、
狐のほうの忠信は、静が持っている鼓を打つとかならず出てきます。
なので静は忠信を呼ぶために今回も鼓を打ちます。
という部分で、最近自力で鼓を打てない(物陰に鼓を打つヒトがいる)役者さんが多いのは、少し興ざめなところです。

出てきた狐忠信は、もう隠せないと観念して、自分の正体を語りはじめます。

静が持っているのは「初音の鼓(はつねの つづみ)」という由緒正しい鼓です。
昔(平安初期)、干ばつのとき、雨を降らせるために霊力のある狐の夫婦の皮を前後ろに張ってこの鼓を作りました。
その鼓を打って祈祷したらみごとに雨が振ったのです。霊験あらたかな宝物です。
白河法王が義経にあたえました。詳しいことは一段目の解説をご覧ください。

狐忠信はその狐夫婦の子供の狐です。
両親の魂が入った鼓の音が恋しくて鼓につきまとっていたのですが、
そこは狐で、ケダモノとはいえ知恵があるので、義経や静への忠義の気持ちもちゃんとあるのです。
そして、
「子供のころに親と別れてしまったので自分は一度も親孝行をしていない。
それが悲しくて、そして恥ずかしくてしかたがない」と言います。
「親孝行」という道徳的義務を果たしていないので狐仲間の内でも肩身が狭いし、年を取っても全然官位が上がらないのです。
狐はお稲荷さんなので神様の一部です。なので宮中と同じようなシステムで「官位」があるのです。

今までは鼓は宮中にあったので近寄れなかったが、義経がもらったのでそばに行けるようになった。
せめて鼓の近くにいて親のために、ひいては鼓の持ち主である義経のために何かしたい」と狐は語ります。
けなげで泣かせる部分です。がんばって聞き取ってください。

というようなあたりが見せ場です。

本物の忠信がやってきた以上、ご迷惑になるから帰れと両親が言っています(鼓の音でそう言っている)、と言って、
狐は悲しそうに消えます。

心を打たれた義経は静に鼓を打たせて狐を呼び返します。

義経もまた、幼少のころに父親の源義朝(みなもとの よしとも)を失っています。父親の思い出があまりありません。
もちろん親孝行をしたこともありません。
父との代わりにと思って慕い、頼りにしていた兄の頼朝には命を狙われています。悲しい運命です。
狐忠信に同情し、その孝行心に感心した義経は、鼓を狐忠信に与えるのでした。
喜ぶ狐忠信。
忠信としては姿を消す狐ですが、このご恩に今後も義経の影身にそって、義経を守ることを約束するのでした。

そうこうするところに、先に説明した、敵方の「覚範(かくはん)」が討っ手をよこします。
しかし初音の鼓をもらった狐忠信がお礼に妖術で討っ手をやっつけます。

今はここで終わることが多いです。

前半は狐忠信が見あらわされるまでのサスペンス風。
後半は、狐が妖術を使っていろいろ面白い動きをしたり、自分の生い立ちを義経たちに語ったり、という
ちょっとファンタジーな内容です。
狐の派手な動きが最近は売り物になっています。

ていねいに出すと、
この悪役の「覚範」が、実は平家の武将の能登守教経(のとのかみ のりつね)だというのに義経が気付きます。
そして隠して連れてきていた安徳帝と教経を対面させます。
安徳帝はまだ子供です。平家が強引に即位させ、都落ちのときに安徳帝も連れていきました。
表向きは壇ノ浦の戦(このお芝居では屋島の戦)で死んだことになっていますが、いろいろあって生きています。
すでに都では新しい天皇を擁立したので、安徳帝はもう天皇ではありません。
安徳帝を「天皇」として大切にしたいのは、むしろ平家の残党である教経です。

教経も平家の残党ですから追われる身ですが、安徳帝ひとりくらいは守ってみせようと、天皇を腕に抱えて退場します。
義経との対決のときは今ではありません。というか狙っているのは頼朝と義経と両方ですから、
今ムダに義経と一騎打ちをしても意味がないのです。
悠々と退場する教経を、義経の家来の四天王たちがにらみつけますが、義経が制止します。
という場面があります。
出すと教経はなかなかかっこいいので見応えがある、はずなのですが、
じっさいにご覧になるとちょっと意味がわかりにくいかもしれません。

もともとここはこの幕の筋にはあまり関係なく、全段通したときの大きなストーリーに関係する部分になるので、
全体を把握していないとついて行きにくいのです。

ここがあると「時代物」らしい重厚さが出て豪華ですが、お芝居がなかなか終わらないので疲れるかもしれません。

歌舞伎で出るストーリーは以上です。

浄瑠璃台本としては、この後もう一段短い段があります。「吉野山中」と呼ばれる場面です。
「吉野山」とも呼ばれます。
内容は、
居場所がばれたので川連法眼の館を引き払う義経一行。
忠信(本物)は義経の鎧を借りて自分を義経に見せかけて囮になって吉野山中で暴れまわり、討手を防ぎます。 
追う覚範(能登守教経)とその部下たち。
これは「義経記(ぎけいぎ)」にも同じような場面があります。「義経記」でのここの忠信はほんとうにかっこいいです。

ところで、佐藤忠信(本物)の兄、次信(つぎのぶ)は、この能登守教経の矢に射られて死んだのです。
戦の中のこととはいえ、能登守は忠信にとって、兄の敵です。
戦うふたり。
さらに頼朝からの討手もやってきます。

桜満開の(文楽だと雪の中)吉野山の険しい山中、頼朝方の討手を蹴散らしながら派手に戦う忠信と能登守教経。
という幕です。アクションです。

いろいろあって狐の加勢もあって教経が負けます。
義経も駆けつけて、安徳帝が無事に出家したことを告げます。

さらに作品内設定で、義経が陥れられた諸悪の根源である悪人の左大臣、藤原朝方(ともかた)が捕まって連れられてきて斬られます。
最後、平家の最後の残党である能登守教経の首が斬られます。

これで、一段目に出てきていた「戦が終わって源氏の世になったのに、生きている不穏分子、三人の平家の武将」という問題が全て解決するのです。
他のふたり、知盛と維盛はすでに死んだり出家したりしているので。
なのでストーリーとしてはこれできれいにおさまり、四海治まる平和の世、みたいな文句で、大団円です。

歌舞伎では絶対に出ない部分ですが、せっかくなので書いておきます。

ところで、ここで出るのがなぜ他の平家の武将ではなく能登守教経(のとのかみ のりつね)かと言いますと、
たしかにこのかたは今は全然有名じゃないです。歴史のテストにも出なさそうだし。
しかし平家物語を読むとわかりますが、教経(のりつね)は一門中屈指の名将なのです。
源氏一門も、後白河院も、戦いにおいて最も警戒したのはこのかたです。
具体的に言うと一度都落ちして西海(さいかい、九州方面)に下った平家は、四国の阿波民部(あわのみんぶ)の助けを得て勢いを盛り返し、連戦連勝で瀬戸内海周辺を掌握、
ついに須磨に上陸して一時は都を伺うのです。
このへんの一連の戦の総大将が教経です。
こうして巻き返しを狙った平家ですが、一の谷の戦で惨敗しますよ。
詳しいことは「一谷嫩軍記」見てね。
このとき能登守も死んでしまいます。あとは平家はいいところなくズルズル西に後退、壇ノ浦で滅びます。
ある意味源平の戦の後半のキーマンだったかたです。
昔は平家物語の内容程度は基礎教養としてみんな知っていたので、能登守教経が急に出てきても誰も変に思わなかったのです。

とまあそんなかんじです。最近は教経も出ないことが多いですし、時代ものというほどの重厚さはなく、気楽に見られます。


狐の演技についてちょっと書きます。

狐忠信は、ちょっと不自然に単語のあちこちをのばす、独特の話し方をします。
「狐言葉」と言われます。
これはヒト語はしゃべるけど完璧ではない、という雰囲気を狙っています。
このしゃべりかたや、ケモノっぽい動きが「バカみたい」にならないように、
「ちょっと不思議」「動物なのでかわいい」というかんじに演じるのが見せ所なのだろうと思います。

狐ことばは、
一度文楽で、=「葛の葉子別れ」=などをお聞きになると、雰囲気がつかめるかなと思います。

役者さんによっては狐が宙乗りをしたりとか、いろいろ派手に動きます。
押さえた演出で狐っぽさは細かい動きでのみ表現するやりかたもあります。
最近はサーカスのような「けれん」を作品の中心に据えたショー歌舞伎としても、この段は便利に上演されます。ガイジンさん大喜び。
ようするに、お話部分のお芝居がよくて、「けれん」も派手なら、文句はないわけです。


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