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歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

「楼門五三桐」 さんもん ごさんのきり

2013年06月05日 | 歌舞伎
石川五右衛門という名前と、「絶景かな、絶景かな」というセリフは、歌舞伎を見たことがなくても
なんとなく聞き覚えがあるかたが多いのではないかなと思いますが、
そのイメージの原型になっているのがこのお芝居です。

もともとは長いお芝居なのですが、もはや殆ど上演されません。
というか、江戸時代も上演のたびに内容がちょこちょこ変わり、決定版とされるほどの名作が出なかったお芝居です。
一応この「楼門五三桐」が残っています。

・主人公が石川五右衛門
・この「楼門」のシーンがある
・真柴久吉(ましば ひさよし、羽柴秀吉ですよ)が出てきて、ふたりは幼馴染

くらいを押さえれば、何書いてもよかったようです。

とりあえず出る部分の流れを書きます。

場所は京都にある南禅寺(なんぜんじ)の楼門(山門)です。とても豪華な門です。
周囲には一面に桜が咲いています。

「山門(さんもん)」というのは、お寺の門のことです。山の入り口の門ではありません。
昔の中国で、お寺は全て山の中にあったのでお寺のことを「山」というのです。
日本でも全てのお寺に「○○山(さん)」という「山号(さんごう)付いています。「金龍山浅草寺」とかです。
南禅寺の正式名は「瑞龍山南禅寺(ずいりゅうさん なんぜんじ)」です。
「○○山」の門なので、お寺の門を「山門」というのです。
そしてこの南禅寺の門は非常にりっぱことで有名なので、「山門」ではなく「楼門」とタイトルに付けたのです。
読みは「さんもん」です。

舞台の説明として大事なのでもうちょっと門の話をします。
今「門」というと、平べったい建造物を想像すると思います。「門に住んでいる」と言われるとピンと来ないかと思います。
が、昔の、とくに一定の格式以上のお屋敷やお寺の門は、
柱を4本立ててお屋敷を作るのと同じ工法で作られたのです。
1階部分を一箇所通り抜けにしているだけで、2階より上はちゃんと普通の家のようにつくられ、床も屋根もありました。
畳や襖がなかっただけなので、構造的には住もうと思えば住めたのです。
住所不定の世を忍ぶ人間が隠れ住むには最適でした。
南禅寺の山門は豪壮な作りが有名でしたから、かなりゆったり住めたはずです。

という南禅寺の門の二階の高欄に座った石川五右衛門が、不敵にも都一面に咲き乱れる桜を眺めて楽しんでいます。
数百人の手下を率いる、都で知らない人もいない大泥棒です。
五右衛門がここに住んでいることはみんな知っているのですが、誰も手出しできません。

五右衛門、悠然と桜と見ながら有名なそのセリフを言います。 
一応全部書いてみます。

 絶景かな 絶景かな
 春の眺めは(春宵一刻)値千金とは 小せえ 小せえ
 この五右衛門の目から見るときは 一目万両万々両
 (陽も西山に傾きて 春の夕暮れ来てみれば 入相(いりあい)の鐘に花ぞ散る)
 はて うららかな眺めじゃなあ

カッコ内は出ないこともあるかもしれません。
「入相(いりあい)」というのは、日が沈む時刻です。暮れ六つの鐘が鳴る時刻でもあります。

そこに鷹が飛んできます。絵に描いた鷹が抜け出してきたものです。手紙をくわえています。
それを読む五右衛門。

手紙は、五右衛門の父親の遺書です。内容をかなり大まかに書くと、
・五右衛門の父親、此村大炊之助(このむら おおいのすけ)が死んだ。
・父親は実は中国の高官で、真柴久吉(羽柴秀吉のこと)を恨んでいて復讐しようとしていたのだが、返り討ちにあった。
・五右衛門の育ての親は武智光秀(明智光秀のこと)なのだが、光秀も秀吉に滅ぼされた。
みたいなかんじです。
ここでは言及されませんが、鷹が絵から抜け出すくだりも、通しで出すとちゃんとあります。

ストーリー上はここで五右衛門は産みの父(大炊之助)、育ての父(光秀)の遺志をついで久吉を討ち、自分が天下を取る決心をするのですが、
現行上演のお芝居ではセリフでは言いません。

ここまでは楼門の二階部分が舞台の高さにあってのお芝居です。

ここで門全体がせり上がり、門の一階部分が出て来ます。
門の下には、なんと、問題の真柴久吉がいます。
と言っても巡礼姿なので知っていて見ないとわかりません。
「客はこれが真柴久吉だと知っている」ことを前提にこのお芝居、というか歌舞伎は存在するので、
そんなかんじで見てください。
真柴久吉が巡礼姿で登場するお芝居は、他に、明智光秀が主人公の「絵本太功記」十段目があります。
わりと定番の変装です。

久吉が門に落書きしていますよ。
歌です。
 
 石川や 浜の真砂(まさご)は尽きるとも 
 世に盗人(ぬすびと)の種は尽きまじ

「石川や」は「浜」にかかる枕詞です。当然、五右衛門の姓、「石川」をかけています。

たくさんあり、上流から次々運ばれてくるから尽きることはないであろう浜の真砂(砂や砂利)。
これがなくなることは、もしかしたらあるかもしれないが、そんなありえないことが起きたととしても、
世の中にドロボウという人種が生まれてくることが、なくなることはないであろうなあ。

そんなかんじの意味です。
もともとは石川五右衛門が捕まって、今日の七条河原で釜茹でにの刑で死ぬときの辞世の句とされている歌ですが、
それをこんなときに久吉が落書きしているというデタラメさが楽しいのです。

にっくき久吉に気付いた五右衛門。久吉に手裏剣を投げつけます。
手裏剣というと、どうしても四枚刃の四角いのを想像してしまいますが、あれはテレビや映画の忍者用です。
実際の手裏剣というのは、小さな小刀です(同じこと二度言った)。
名称通り「手の中に隠し持てて」投げることができれば何でもいいのです。
歌舞伎で「手裏剣」というと、小型の投擲用の刃物のことだとご理解ください。

投げつけられた手裏剣を、久吉が手に持っていた柄杓(ひしゃく)で久受け止めます。

なぜ久吉が柄杓を持っているかというと、
というか「ひしゃく」って今通じるんでしょうか?神社の手水鉢で手を洗うのに使う、あれです。

で、巡礼というのはお金を持たずに諸国のお寺を回る修行の人ですが、みんな柄杓を一本持っているのです。
これに水や食べ物や、たまにお金を入れてもらって旅をします。これを「ご報謝(ごほうしゃ)」と言います。

というわけで、手裏剣をひしゃくで受け止めた久吉は、投げられた手裏剣を巡礼への施しに見立てて、
「巡礼に ご報謝」と言います。
久吉のセリフはここだけです。

りっぱな服を着ているわけではなく、最後ちょっと出るだけで、しかもほとんどずっと横向きか後ろ向きの演技。
セリフは前後関係のわかりにくい、これ一個だけ。
なのに、豪華絢爛な衣装を着て派手なセリフを言っていばっている五右衛門よりも位が上に見えなければならず、
存在感で負けてはいけません。
この久吉は、じつは非常に難しい役です。

今はもう、細かい設定や前後のストーリーを知っているひとも減ってしまいましたが、
見た目の美しさや役者さんの存在感、セリフのりっぱさなどだけで客を魅了する、
ある意味最高に歌舞伎らしいひと幕です。

とはいえだいたいの内容を把握して見た方がおもしろいに決まっています。
だいたいこんなかんじです。

後で余力があったら全段通したときの内容を書きます。


=50音索引に戻る=


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さよなら公演 (LoveChocolate)
2010-03-20 23:53:52
今日、生まれて初めて歌舞伎を見に行きました。
こちらのブログをプリントして持って行き、電車の中や、幕間に読んでから見たので、どのお芝居もよく分かり、とても楽しめました。
ありがとうございました。
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いつもお世話になってます (ゆるゆる)
2010-03-21 09:35:30
こちらのブログは大変分かりやすくどのお芝居も楽しそうで絶対見たくなります。国立劇場の金門五三桐と歌舞伎座の楼門五三桐両方見てきました。一ヶ月で2回楽しめて今月はラッキーでした。
>非常に難しい役ですよ。
国立の扇雀と歌舞伎座の菊五郎、さすが二人とも大した貫禄でした。
ありがとうございました。
返信する
石川五右衛門 (てぬぐい)
2012-02-25 16:42:51
いつも、大変おせわになってます。
こちらのブログを知ってから、歌舞伎が何十倍も楽しくなりました。ありがとうございます。
この6月に、名古屋の御園座で、石川五右衛門が通し狂言(二幕目・三幕目・大詰)で上演されます。
歌舞伎については初心者のため、勉強不足で、こちらのブログをいつも頼りにしております。
出来れば、「石川五右衛門」の通し狂言の解説がしていただけたら、感謝感激です。
図々しいとは、思いながら、宜しくお願いいたします。
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