「外郎売」の台詞の全訳です。
今の歌舞伎の「外郎売」で、これ全部は出しません。二代目団十郎が舞台に出した、原型とされているものがこれです。
二代目団十郎がこのセリフ作ったのは、享保三年(1718年)です。
われわれが歌舞伎や時代劇で知っている、またはイメージする江戸風俗というのはかなり江戸も末期のもので、文化文政どころか嘉永、慶応あたりのものです。
江戸初期に作られた「外郎売り」の風俗背景を正確に知るのはかなり難しいのです。
「その時代にしか通じないシャレ」や「その時代はアタリマエだった生活習慣」がわからないと理解できない単語もたくさんあるはずで、そのへん限界はあるかなと思います。
「ここ違う」など、ご存じの方は、細かいことでもけっこうですので、コメントなどで教えていただけるとありがたいです。お待ちしています。
=歌舞伎の「外郎売」作品解説=へ
拙者 親方と申すは
せっしゃ おやかたともうすは
「親方」:薬売りは「香具師(やし)」と呼ばれる路上商人組合に入っており、その中に「親方(親分)」と「子分」がいました。
ここでは、このお芝居の主人公の「外郎売り」さんが、自分の「親方」について説明することによって、まっとうな(インチキではない)「薬売り」であることを強調している台詞ということです。
=私(はこのように薬売りですが、制度上「親方」がおります。(その、私の)親方と申しますのは(どういう人かと申しますと)、
以下、↓「親方」の説明です。
お立合のうちに 御存じのお方も ござりましゃうが
おたちあいのうちに ごぞんじのおかたも ござりましょうが
知ってるひといなくてもこう言いますよね、今も。
電話セールスとかで「テレビCMでもおなじみの」と言うようなかんじだと思います。…知らねえよ(笑)。
=ここにお立ち合わせになっているみなさんの中にも(私の親方は有名ですから)ご存知のおかたもいらっしゃるでしょうが、
お江戸を発って 二十里上方 相州小田原 一色町を お過ぎなされて
おえどをたって にじゅうりかみがた そうしゅうおだはら いっしきまちを おすぎなされて
=お江戸を出発して上方に向かって二十里(約80㎞、すっごくがんばれば一日でいける、ふつうは2日くらいの旅程)、相模の国は小田原の、一色町の少し先にいらして
青物町を 登りへおいでなさるれば
あおものちょうを のぼりへおいでなさるれば
=「青物町」というところをさらに上方に向かってお行きになると、
一応地図張っときます、現小田原市です。クリックで拡大。
右に「青物町」の文字があります。通り(東海道)を西に進むと「ういろう」の文字が。画面には入ってませんがこの東の方に「唐人町」というのがありました。
欄干橋 虎屋藤右衛門
らんかんばし とらやとうえもん
今もいらっしゃいます、籐右衛門さん。今もある「外郎屋」さんの代々の当主です。今は「外郎 籐右衛門」さんのようです。
江戸末期に書かれた本に、「欄干橋虎屋某(らんかんばし とらや なにがし)」が「ういろう」の元締めとして存在し、香具師のなかでもとりわけて規模が大きい、という記述がありますので、江戸時代には代々「虎屋 籐右衛門」と名乗っていたようです。
=(その青物町を上にいったところにある店の)欄干橋 虎屋藤右衛門(というのがわたくしの親方ですが)、
只今は 剃髪致して 円斎 と 名乗りまする
ただいまは ていはついたして えんさい と なのりまする
「剃髪」は、つまり出家です。
が、いわゆる「お寺に入ってお坊さんになる」のとは少し違います。
平安末期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった「在家出家(どこかの教団みたいだけど)」というシステムです。頭を剃り、法名を付けますが、お寺には入らず、そのまま市井で生活します。出家というより「隠居」に近いです。
チナミに古典などに出てくる「法師」というのは全部これです。「兼好法師」や「西行法師」なんかも、この「在家出家者」です。お坊さん(寺僧)ではないのです。
で、頭剃って法衣を着て、大道芸をやったり太鼓持ちのようなことをやったりした人たちもいて、これらは出家すらしてませんが「法師」と呼ばれました。非常に区別が不明確です、適当です。
この「円斎」さんは当時の「ういろう屋」さんのご隠居がモデルでしょうか?
=その親方は、いまは髪を剃って僧形になり、名前も変えて円斎と名乗っております。
ここまでが「拙者の親方」の説明です。挿入文が多くて長いです。
以下、商品説明に入ります。
まず由来を述べます。ここも長いです(笑)。
元朝より 大晦日まで お手に入れまする 此の薬は
がんちょうより おおつごもりまで おてにいれまする このくすりは
「お手にいれ」の、この「入れ」は使役にとります。
あと「元朝」を「元の国」という意味に取る説もあるのですが、ここではナシとします。すぐ後に「珍の国」と出るので、具体的に「元」という国名を挙げたとは考えにくいのです。
=元旦の朝から大晦日まで、みなさまのお手に入るようにいたしますこの薬は、
昔 珍の国の唐人 外郎といふ人 わが朝へ来たり
むかし ちんのくにのとうじん ういろうというひと わがちょうへきたり
「珍の国」:よく分からない外国の名前はだいたい「珍」です、深い意味ナシです。
「唐人」:「唐の国の人」でも「中国人」でもありません、「外国人」はすべて「たうじん」です。
「外郎(ういろう)という人」:「外郎」はもともと名前じゃなく、中国での役職名です。元の国の「陳宗敬(ちん そうけい)」というひとが元の滅亡とともに日本に亡命して帰化しました。中国での役職名で呼ばれて「外郎」さんと名乗ったようです。
=昔、珍の国からきた外国人である外郎という名の人が我が国へ来たのでした。
帝へ参内の折から この薬を 深くこめ置き
みかどへさんだいのおりから このくすりを ふかくこめおき
実は日本に帰化した「外郎」さんは都を嫌い、ずっと博多に住んでました。息子の宗奇さんが足利幕府の求めに応じて上京します。
宗奇さんが作ったお菓子である「ういろう」は、当時のお菓子のレベルの中では最先端でした。
このお菓子は外国使節の接待にも使われてたそうなので、宗奇さんと宮廷とのつながりは深かったかと思います。かなり身分の高い人に会っていても不思議ではありません。
「透頂香(とうちんこう)」という名を帝が付けた、というのも(事実関係は知りませんが)表向きは定説のようです。ただ、ホントに「帝に参内」した(直接会った)かはビミョウかもしれません。南北朝のころだから、帝の権威も落ちていたので、会えたかもしれないですね(笑)。
このへんの詳しいことは、=こちら=に書いてみました。
=帝に参内したときから、この薬を深くしまい込んだままにして外には出さず、
用ゆる時は 一粒ずつ 冠のすき間より 取り出す
もちゆるときは ひとつぶずつ かんむりのすきまより とりいだす
冠というのは王冠ではなく、烏帽子や中国のかたならチャイナな帽子などです。当時は頭に何かかぶっているのが常識でした。
=薬を自分の帽子の中に入れて置いて 使うときは一粒ずつ頭との隙間から大切に取り出すのだ。
依って その名を 帝より 透頂香 と 賜る
よって そのなを みかどより とうちんこう と たまわる
=その様子から、帝からその薬の名を「透頂香」と付けていただく。
でも多分、冠の隙間から取り出したから「透頂香」じゃなくて、薄荷などの成分がスーっと頭の上まで突き抜けて香るイメージから「透頂香」と付けたんだと思います。帽子の中に入れておいたらムレそうです…。
即ち 文字には 頂き 透く 香い と 書いて
すなわち もんじには いただき すく におい と かいて
=つまり、文字であらわすと、「頂き」「透く」「におい(香り)」と書いて
とうちんかう と 申す
とうちんこう と もうす
=(その名を)「とうちんこう」という。
只今は この薬 殊の外 世上に弘まり 方々に似看板を出し
ただいまは このくすり ことのほか せじょうにひろまり ほうぼうににせかんばんをいだし
=(ここまでの説明は昔のことで、このように由緒正しい薬なのだが)現在はこの薬の存在は、たいへんに世間で有名になり、あちこちに(本物でないこの薬が)にせ看板を出し、
イヤ 小田原の 灰俵の さん俵の 炭俵 のと
いや おだわらの はいだわらの さんだわらの すみだわらのと
「灰俵」以下「おだわら」にひっかけたただのシャレです。「灰俵」と「炭俵」は当該商品が入った俵です。
「さん俵」は俵の上に付いてる、丸く編んでフタになってる、あれです。
=いやもう、(ういろう本舗のある)小田原(産)だの 灰俵だの さん俵だの 炭俵 だのと
色々に 申せども
いろいろに もうせども
=いろいろに(そのにせ商品の名前や由来を)言うのだが、
実際ニセモノあったようです。
平仮名をもって ういらう と記せしは 親方円斎ばかり
ひらがなをもって ういろう としるせしは おやかたえんさいばかり
=ひらがなを使って「ういろう」と商品名を書いているのは
(わたくしの)親方、円斎(虎屋籐右衛門)だけである。
もしや お立合の中に 熱海か塔ノ沢へ 湯治においでなさるか 又は 伊勢参宮の折からは
もしや おたちあいのうちに あたみかとうのさわへ とうじにおいでなさるか または いせさんぐうのおりからは
イキナリ話題転換です。
小田原「ういろう本舗」店自慢がはじまります。
=もしも、ここに居あわせておいでのかたの中に、熱海か塔ノ沢(箱根)へ湯治にお行きになるか、または伊勢まいりにおいでになる機会がございましたら、
熱海や箱根での湯治(というか観光したあと温泉宿で遊ぶ)と、「伊勢参宮」(というか観光したあと旅館で精進落としに遊ぶ)。江戸市民が東海道を西に向かう目的のほとんどがこのふたつでした。上方見物は遠いしね。ハワイよりグアムみたいなかんじでしょうか。
必ず 門違い なされまするな
かならず かどちがい なされまするな
=そのときは、絶対に入る店をお間違えになってはなりませんよ。
お登りならば 右のかた お下りなれば 左側
おのぼりならば みぎのかた おくだりなれば ひだりがわ
=(上方に)お上りになるとしたら、道の右のほうに、江戸にお下りになるのでしたら、道の左側(にその店はございます)。
八方が八つ棟 表が三つ棟 玉堂造り
はっぽうがやつむね おもてがみつむね ぎょくどうづくり
店の外観の説明です。
=八方に八つの棟があり(屋根の三角が、正面に三つ、裏面に三つ、左右の側面にひとつずつ、計八個あるのです)、正面側は三つ棟が見えて、それはりっぱな御殿風の造りで、
写真です。
ついでにこの景観についてワタクシが抱いていた著しい誤解についてもご覧ください。
…真実を知ったときはけっこう傷つきました…。
ていうか実物四角形じゃん、「八方」じゃねえじゃん、むきー!!
破風には 菊に桐の薹の 御紋を 御赦免あって
はふには きくにきりのとうの ごもんを ごしゃめんあって
菊の御紋は朝廷御用達のしるし、桐の薹(花芯)の紋も朝廷の替え紋です。
=屋根の合わせ目のところの飾りには菊の御紋と桐の薹の御紋を使うことについて(帝から)御赦免があって、
系図正しき薬でござる
けいずただしき くすりでござる
=つまりそれくらい「ういろう」という薬はその品質のよさによって朝廷と昔から関係が深い、代々の家系の伝承がしっかりした店の、信用できる薬なのであります。
イヤ 最前より 家名の自慢ばかり 申しても
いや さいぜんより かめいのじまんばかり もうしても
=いや、さっきから、「ういろう」の店がいかに名家であるかの自慢ばかり申し上げても、
御存じない方には 正真の胡椒の丸呑 白川夜船
ごぞんじないかたには しょうしんの こしょうのまるのみ しらかわよふね
=「ういろう」をご存じないかたには、なんのありがたみもなく、まさしくそれは胡椒を丸飲みすると辛さがわからないようなもの、または「白川夜舟」の例えのごとく、眠ったまま名所を通り過ぎて気付かないようなものです。
ていうか「白川夜舟」の場合そもそも京に行ってませんが。
さらば 一粒食べかけて その気味合を お目にかけましゃう
さらば いちりゅうたべかけて そのきみあいを おめにかけましょう
=であるなら、薬を一粒ちょっと食べて(飲んで)みせて、その効き方の様子をみなさまにお目にかけましょう。
まず この薬を かやうに一粒 舌の上に 乗せまして
まず このくすりを かようにひとつぶ したのうえに のせまして
=まず、この薬を、このようにひと粒舌の上にのせまして、
読み方のハナシですが、上では「いちりゅう」といい、ここでは「ひとつぶ」と言います、上の文章は口上色が強く、漢文調なのです、だから漢文風に音読み、ここは実演ですからちょっと口語調で訓読みなのだと思います。
腹内へ 納めますると
ふくないへ おさめますると
=薬を飲み込んでお腹の中に納めてしまいますと、
てことは「ういろう」舐めるクスリじゃなく内服薬です。
なんか「痰切り、口臭予防」効果が謳われるので「のど飴」っぽい印象ですが、ちょっと違います。
もっとも「ういろう摘む(つむ、=かじる)」という表現が西鶴の本にあるので、口の中で溶かすのもアリだったようです。
イヤ だうも云へぬは 胃 心 肺 肝が すこやかになって
いや どうもいえぬは い しん はい かんが すこやかになって
=いや、どうにも口では説明できないほどすばらしいことには、胃、心臓、肺、肝臓の調子がよくなって、
漢方医学をなめてはいけません、解剖学的な位置や形状の把握は不正確でも、その機能や相互が連関して体全体に与える影響については、現代においても漢方医学のほうが、西洋医学よりはるかに正確、かつ豊富な情報を持っております。
「痰切り薬」のくせに効能おおげさ、と思われるかもですが、成分を調べたら人参や桂皮が入っていましたので相応の効果が見込めます。滋養にもいいです。
成分は=こちら=に載せました。
薫風 咽より来たり 口中 微涼を生ずるが如し
くんぷう のんどよりきたり こうちゅう びりょうをしょうずるがごとし
=さわやかな香りの風がのどの奥より出てくるのである、そして口の中は涼しい風が起ったようなかんじになる。
薄荷入ってますもんね(笑)、あと成分の「阿仙」というのにフラボノイドが入ってます。
魚鳥 茸 麺類の食合せ 其の外
ぎょちょう 茸 めんるいのくいあわせ そのほか
=魚や鳥、茸類、麺類の食い合わせでおこる体調不良体調不良、そのほか、
成分に解毒作用、消化促進作用、健胃作用などがありますよ。
チナミに、「ういろう」は今も一応「医薬品」扱いらしく、「外郎」の店に行って症状を話して対面販売でしかゲットできません。お土産気分では買えないようです。
万病 速効ある事 神の如し
まんびょう そっこうあること かみのごとし
=よろずの病にすばやい効き目があることは、まるで人知を越えた不思議な存在のようである。
「神」をそのまま「神」と訳して西洋文明的な全知全能の創造神をホウフツとされても困るので(笑)、てきとうに意訳します。
万病に効く、は言い過ぎな気もしますが実際いろいろな効能の生薬がバランスよく入っているようなので、どんな症状でもあるていどは一時的であっても軽くなったかもしれません。
「治療」はできませんが「対症療法薬」としてはたしかに万能感があります(治りませんが)。
以下で、早口言葉が始まります。つづく。
=[2]=へ
=[3]へ=
今の歌舞伎の「外郎売」で、これ全部は出しません。二代目団十郎が舞台に出した、原型とされているものがこれです。
二代目団十郎がこのセリフ作ったのは、享保三年(1718年)です。
われわれが歌舞伎や時代劇で知っている、またはイメージする江戸風俗というのはかなり江戸も末期のもので、文化文政どころか嘉永、慶応あたりのものです。
江戸初期に作られた「外郎売り」の風俗背景を正確に知るのはかなり難しいのです。
「その時代にしか通じないシャレ」や「その時代はアタリマエだった生活習慣」がわからないと理解できない単語もたくさんあるはずで、そのへん限界はあるかなと思います。
「ここ違う」など、ご存じの方は、細かいことでもけっこうですので、コメントなどで教えていただけるとありがたいです。お待ちしています。
=歌舞伎の「外郎売」作品解説=へ
拙者 親方と申すは
せっしゃ おやかたともうすは
「親方」:薬売りは「香具師(やし)」と呼ばれる路上商人組合に入っており、その中に「親方(親分)」と「子分」がいました。
ここでは、このお芝居の主人公の「外郎売り」さんが、自分の「親方」について説明することによって、まっとうな(インチキではない)「薬売り」であることを強調している台詞ということです。
=私(はこのように薬売りですが、制度上「親方」がおります。(その、私の)親方と申しますのは(どういう人かと申しますと)、
以下、↓「親方」の説明です。
お立合のうちに 御存じのお方も ござりましゃうが
おたちあいのうちに ごぞんじのおかたも ござりましょうが
知ってるひといなくてもこう言いますよね、今も。
電話セールスとかで「テレビCMでもおなじみの」と言うようなかんじだと思います。…知らねえよ(笑)。
=ここにお立ち合わせになっているみなさんの中にも(私の親方は有名ですから)ご存知のおかたもいらっしゃるでしょうが、
お江戸を発って 二十里上方 相州小田原 一色町を お過ぎなされて
おえどをたって にじゅうりかみがた そうしゅうおだはら いっしきまちを おすぎなされて
=お江戸を出発して上方に向かって二十里(約80㎞、すっごくがんばれば一日でいける、ふつうは2日くらいの旅程)、相模の国は小田原の、一色町の少し先にいらして
青物町を 登りへおいでなさるれば
あおものちょうを のぼりへおいでなさるれば
=「青物町」というところをさらに上方に向かってお行きになると、
一応地図張っときます、現小田原市です。クリックで拡大。
右に「青物町」の文字があります。通り(東海道)を西に進むと「ういろう」の文字が。画面には入ってませんがこの東の方に「唐人町」というのがありました。
欄干橋 虎屋藤右衛門
らんかんばし とらやとうえもん
今もいらっしゃいます、籐右衛門さん。今もある「外郎屋」さんの代々の当主です。今は「外郎 籐右衛門」さんのようです。
江戸末期に書かれた本に、「欄干橋虎屋某(らんかんばし とらや なにがし)」が「ういろう」の元締めとして存在し、香具師のなかでもとりわけて規模が大きい、という記述がありますので、江戸時代には代々「虎屋 籐右衛門」と名乗っていたようです。
=(その青物町を上にいったところにある店の)欄干橋 虎屋藤右衛門(というのがわたくしの親方ですが)、
只今は 剃髪致して 円斎 と 名乗りまする
ただいまは ていはついたして えんさい と なのりまする
「剃髪」は、つまり出家です。
が、いわゆる「お寺に入ってお坊さんになる」のとは少し違います。
平安末期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった「在家出家(どこかの教団みたいだけど)」というシステムです。頭を剃り、法名を付けますが、お寺には入らず、そのまま市井で生活します。出家というより「隠居」に近いです。
チナミに古典などに出てくる「法師」というのは全部これです。「兼好法師」や「西行法師」なんかも、この「在家出家者」です。お坊さん(寺僧)ではないのです。
で、頭剃って法衣を着て、大道芸をやったり太鼓持ちのようなことをやったりした人たちもいて、これらは出家すらしてませんが「法師」と呼ばれました。非常に区別が不明確です、適当です。
この「円斎」さんは当時の「ういろう屋」さんのご隠居がモデルでしょうか?
=その親方は、いまは髪を剃って僧形になり、名前も変えて円斎と名乗っております。
ここまでが「拙者の親方」の説明です。挿入文が多くて長いです。
以下、商品説明に入ります。
まず由来を述べます。ここも長いです(笑)。
元朝より 大晦日まで お手に入れまする 此の薬は
がんちょうより おおつごもりまで おてにいれまする このくすりは
「お手にいれ」の、この「入れ」は使役にとります。
あと「元朝」を「元の国」という意味に取る説もあるのですが、ここではナシとします。すぐ後に「珍の国」と出るので、具体的に「元」という国名を挙げたとは考えにくいのです。
=元旦の朝から大晦日まで、みなさまのお手に入るようにいたしますこの薬は、
昔 珍の国の唐人 外郎といふ人 わが朝へ来たり
むかし ちんのくにのとうじん ういろうというひと わがちょうへきたり
「珍の国」:よく分からない外国の名前はだいたい「珍」です、深い意味ナシです。
「唐人」:「唐の国の人」でも「中国人」でもありません、「外国人」はすべて「たうじん」です。
「外郎(ういろう)という人」:「外郎」はもともと名前じゃなく、中国での役職名です。元の国の「陳宗敬(ちん そうけい)」というひとが元の滅亡とともに日本に亡命して帰化しました。中国での役職名で呼ばれて「外郎」さんと名乗ったようです。
=昔、珍の国からきた外国人である外郎という名の人が我が国へ来たのでした。
帝へ参内の折から この薬を 深くこめ置き
みかどへさんだいのおりから このくすりを ふかくこめおき
実は日本に帰化した「外郎」さんは都を嫌い、ずっと博多に住んでました。息子の宗奇さんが足利幕府の求めに応じて上京します。
宗奇さんが作ったお菓子である「ういろう」は、当時のお菓子のレベルの中では最先端でした。
このお菓子は外国使節の接待にも使われてたそうなので、宗奇さんと宮廷とのつながりは深かったかと思います。かなり身分の高い人に会っていても不思議ではありません。
「透頂香(とうちんこう)」という名を帝が付けた、というのも(事実関係は知りませんが)表向きは定説のようです。ただ、ホントに「帝に参内」した(直接会った)かはビミョウかもしれません。南北朝のころだから、帝の権威も落ちていたので、会えたかもしれないですね(笑)。
このへんの詳しいことは、=こちら=に書いてみました。
=帝に参内したときから、この薬を深くしまい込んだままにして外には出さず、
用ゆる時は 一粒ずつ 冠のすき間より 取り出す
もちゆるときは ひとつぶずつ かんむりのすきまより とりいだす
冠というのは王冠ではなく、烏帽子や中国のかたならチャイナな帽子などです。当時は頭に何かかぶっているのが常識でした。
=薬を自分の帽子の中に入れて置いて 使うときは一粒ずつ頭との隙間から大切に取り出すのだ。
依って その名を 帝より 透頂香 と 賜る
よって そのなを みかどより とうちんこう と たまわる
=その様子から、帝からその薬の名を「透頂香」と付けていただく。
でも多分、冠の隙間から取り出したから「透頂香」じゃなくて、薄荷などの成分がスーっと頭の上まで突き抜けて香るイメージから「透頂香」と付けたんだと思います。帽子の中に入れておいたらムレそうです…。
即ち 文字には 頂き 透く 香い と 書いて
すなわち もんじには いただき すく におい と かいて
=つまり、文字であらわすと、「頂き」「透く」「におい(香り)」と書いて
とうちんかう と 申す
とうちんこう と もうす
=(その名を)「とうちんこう」という。
只今は この薬 殊の外 世上に弘まり 方々に似看板を出し
ただいまは このくすり ことのほか せじょうにひろまり ほうぼうににせかんばんをいだし
=(ここまでの説明は昔のことで、このように由緒正しい薬なのだが)現在はこの薬の存在は、たいへんに世間で有名になり、あちこちに(本物でないこの薬が)にせ看板を出し、
イヤ 小田原の 灰俵の さん俵の 炭俵 のと
いや おだわらの はいだわらの さんだわらの すみだわらのと
「灰俵」以下「おだわら」にひっかけたただのシャレです。「灰俵」と「炭俵」は当該商品が入った俵です。
「さん俵」は俵の上に付いてる、丸く編んでフタになってる、あれです。
=いやもう、(ういろう本舗のある)小田原(産)だの 灰俵だの さん俵だの 炭俵 だのと
色々に 申せども
いろいろに もうせども
=いろいろに(そのにせ商品の名前や由来を)言うのだが、
実際ニセモノあったようです。
平仮名をもって ういらう と記せしは 親方円斎ばかり
ひらがなをもって ういろう としるせしは おやかたえんさいばかり
=ひらがなを使って「ういろう」と商品名を書いているのは
(わたくしの)親方、円斎(虎屋籐右衛門)だけである。
もしや お立合の中に 熱海か塔ノ沢へ 湯治においでなさるか 又は 伊勢参宮の折からは
もしや おたちあいのうちに あたみかとうのさわへ とうじにおいでなさるか または いせさんぐうのおりからは
イキナリ話題転換です。
小田原「ういろう本舗」店自慢がはじまります。
=もしも、ここに居あわせておいでのかたの中に、熱海か塔ノ沢(箱根)へ湯治にお行きになるか、または伊勢まいりにおいでになる機会がございましたら、
熱海や箱根での湯治(というか観光したあと温泉宿で遊ぶ)と、「伊勢参宮」(というか観光したあと旅館で精進落としに遊ぶ)。江戸市民が東海道を西に向かう目的のほとんどがこのふたつでした。上方見物は遠いしね。ハワイよりグアムみたいなかんじでしょうか。
必ず 門違い なされまするな
かならず かどちがい なされまするな
=そのときは、絶対に入る店をお間違えになってはなりませんよ。
お登りならば 右のかた お下りなれば 左側
おのぼりならば みぎのかた おくだりなれば ひだりがわ
=(上方に)お上りになるとしたら、道の右のほうに、江戸にお下りになるのでしたら、道の左側(にその店はございます)。
八方が八つ棟 表が三つ棟 玉堂造り
はっぽうがやつむね おもてがみつむね ぎょくどうづくり
店の外観の説明です。
=八方に八つの棟があり(屋根の三角が、正面に三つ、裏面に三つ、左右の側面にひとつずつ、計八個あるのです)、正面側は三つ棟が見えて、それはりっぱな御殿風の造りで、
写真です。
ついでにこの景観についてワタクシが抱いていた著しい誤解についてもご覧ください。
…真実を知ったときはけっこう傷つきました…。
ていうか実物四角形じゃん、「八方」じゃねえじゃん、むきー!!
破風には 菊に桐の薹の 御紋を 御赦免あって
はふには きくにきりのとうの ごもんを ごしゃめんあって
菊の御紋は朝廷御用達のしるし、桐の薹(花芯)の紋も朝廷の替え紋です。
=屋根の合わせ目のところの飾りには菊の御紋と桐の薹の御紋を使うことについて(帝から)御赦免があって、
系図正しき薬でござる
けいずただしき くすりでござる
=つまりそれくらい「ういろう」という薬はその品質のよさによって朝廷と昔から関係が深い、代々の家系の伝承がしっかりした店の、信用できる薬なのであります。
イヤ 最前より 家名の自慢ばかり 申しても
いや さいぜんより かめいのじまんばかり もうしても
=いや、さっきから、「ういろう」の店がいかに名家であるかの自慢ばかり申し上げても、
御存じない方には 正真の胡椒の丸呑 白川夜船
ごぞんじないかたには しょうしんの こしょうのまるのみ しらかわよふね
=「ういろう」をご存じないかたには、なんのありがたみもなく、まさしくそれは胡椒を丸飲みすると辛さがわからないようなもの、または「白川夜舟」の例えのごとく、眠ったまま名所を通り過ぎて気付かないようなものです。
ていうか「白川夜舟」の場合そもそも京に行ってませんが。
さらば 一粒食べかけて その気味合を お目にかけましゃう
さらば いちりゅうたべかけて そのきみあいを おめにかけましょう
=であるなら、薬を一粒ちょっと食べて(飲んで)みせて、その効き方の様子をみなさまにお目にかけましょう。
まず この薬を かやうに一粒 舌の上に 乗せまして
まず このくすりを かようにひとつぶ したのうえに のせまして
=まず、この薬を、このようにひと粒舌の上にのせまして、
読み方のハナシですが、上では「いちりゅう」といい、ここでは「ひとつぶ」と言います、上の文章は口上色が強く、漢文調なのです、だから漢文風に音読み、ここは実演ですからちょっと口語調で訓読みなのだと思います。
腹内へ 納めますると
ふくないへ おさめますると
=薬を飲み込んでお腹の中に納めてしまいますと、
てことは「ういろう」舐めるクスリじゃなく内服薬です。
なんか「痰切り、口臭予防」効果が謳われるので「のど飴」っぽい印象ですが、ちょっと違います。
もっとも「ういろう摘む(つむ、=かじる)」という表現が西鶴の本にあるので、口の中で溶かすのもアリだったようです。
イヤ だうも云へぬは 胃 心 肺 肝が すこやかになって
いや どうもいえぬは い しん はい かんが すこやかになって
=いや、どうにも口では説明できないほどすばらしいことには、胃、心臓、肺、肝臓の調子がよくなって、
漢方医学をなめてはいけません、解剖学的な位置や形状の把握は不正確でも、その機能や相互が連関して体全体に与える影響については、現代においても漢方医学のほうが、西洋医学よりはるかに正確、かつ豊富な情報を持っております。
「痰切り薬」のくせに効能おおげさ、と思われるかもですが、成分を調べたら人参や桂皮が入っていましたので相応の効果が見込めます。滋養にもいいです。
成分は=こちら=に載せました。
薫風 咽より来たり 口中 微涼を生ずるが如し
くんぷう のんどよりきたり こうちゅう びりょうをしょうずるがごとし
=さわやかな香りの風がのどの奥より出てくるのである、そして口の中は涼しい風が起ったようなかんじになる。
薄荷入ってますもんね(笑)、あと成分の「阿仙」というのにフラボノイドが入ってます。
魚鳥 茸 麺類の食合せ 其の外
ぎょちょう 茸 めんるいのくいあわせ そのほか
=魚や鳥、茸類、麺類の食い合わせでおこる体調不良体調不良、そのほか、
成分に解毒作用、消化促進作用、健胃作用などがありますよ。
チナミに、「ういろう」は今も一応「医薬品」扱いらしく、「外郎」の店に行って症状を話して対面販売でしかゲットできません。お土産気分では買えないようです。
万病 速効ある事 神の如し
まんびょう そっこうあること かみのごとし
=よろずの病にすばやい効き目があることは、まるで人知を越えた不思議な存在のようである。
「神」をそのまま「神」と訳して西洋文明的な全知全能の創造神をホウフツとされても困るので(笑)、てきとうに意訳します。
万病に効く、は言い過ぎな気もしますが実際いろいろな効能の生薬がバランスよく入っているようなので、どんな症状でもあるていどは一時的であっても軽くなったかもしれません。
「治療」はできませんが「対症療法薬」としてはたしかに万能感があります(治りませんが)。
以下で、早口言葉が始まります。つづく。
=[2]=へ
=[3]へ=
現在日本語で理解出来やすくて、英語で訳せる、時間があれば。
とにかく、旨く言えるように頑張ります!
ありがとうございます!!
参考にさせて頂きます。
良い文だとは思うし、解説も分かりやすいのに、全体的にごちゃごちゃしていて全訳が知りたい方にとっては残念な印象です。
もっと分かりやすくしてみてはいかがでしょうか?
唐人は勿論唐の人及び大昔の漢人
元朝はモングル帝国の時代、大昔の漢人の国がもう亡国したこと。
元朝や秦の国の違うのを強調しているだけ
知らないのに、説明するな
とても驚きました。
しんさん、あなたは本当に歌舞伎のファンですか???
歌舞伎のファンだったらもっと品性のあるんですコメントができるはずです。
間違っていると思ったら、そのうように意見を述べれば良いのではありませんか?
私はこのブログの一ファンで、書いていらっしゃる方とは縁もゆかりもない者ですが、
あなたのコメントにとても腹立たしく思いました。
内容の真偽は兎も角、書き方に全く品格が感じられません。
あなたがどれ程歌舞伎に造詣が深くていらっしゃるかは知りませんが、いくら
知識があったとしても、人間性としては失格です。
今後は言葉の使い方にお気をつけ下さいませ!
古い古典などは分からないことが多くて解釈を間違えるとか、意訳することもままあります。
いずれにせそ、非常に参考になりました。ありがとうございました
しんさんとやら、元朝より大晦日という科白になんで元の国が出てきましょう。おかしいとはお思いになりませんか。
そこも気付かず、他人のブログに入って来て棄てぜりふなど残すもんではありません。知らない人間はおとなしくしてるべきです。