歌舞伎見物のお供

歌舞伎、文楽の諸作品の解説です。これ読んで見に行けば、どなたでも混乱なく見られる、はず、です。

歌舞伎の風俗と時代劇の風俗

2010年12月26日 | 歌舞伎の周辺
以前自サイトで
最近のテレビの時代劇には「矢がすり」を着た腰元はあまり出ませんが、昔の映画やテレビにはよく出ましたよね、何か理由があるんですか

と聞かれたのをもとに、時代劇の風俗描写に変遷について書こうと思います。

歌舞伎のお屋敷や御殿のシーンでよく出てくる「矢絣(やがすり)」の衣装を着た腰元たち。
たしかに、実際にお屋敷で働いている腰元はあんなに派手ではなかったのです。

そもそも「腰元」というのはようするに「召使い」ですから、本当はそんなに身分は高くありません。
もう少しみすぼらしい服で、いろいろ雑用をしていました。西洋のお城に当てはめると「メイドさん」にあたります。
西洋のお城の「侍女」、平安期の宮中で「女房」にあたるのは、「女中」です。「お女中」と敬称で呼ぶのがふつうです。
明治以降は「女中」のほうが「お手伝いさん」という意味になってしまって、むしろ身分が低い気がするので混乱するのですが、
お姫様やお嬢様のお付きで、座っていばっているのが「お女中」です。
「腰元」は、その手足となって働く「お手伝い」なのです。
というわけで、ふだんからお芝居に出てくるようなキレイな着物を「お引きずり」で着ていたわけではありません。
「かすり」の衣装は外出用などに使ったようです。一張羅です。矢がすりとは限りませんでした。
お芝居では、街で見かける外出着の腰元を、そのまま御殿での姿だと思って舞台に乗せたのだと思います。キレイだし。

明治時代の役者さんの書いた本で「矢がすりなんかも、もう昔みたいないい色のは手に入らない」と読んだことがあるので、
お芝居の衣装としての腰元の「矢がすり」はかなり昔からだと思います。
昔の時代劇ドラマの腰元の衣装が「矢がすり」だったのは、歌舞伎の舞台を真似したのです。

というか、テレビが真似したのは、直接には映画です。
そして昔の往年の時代劇映画は、役者さんもスタッフも、そのノウハウについてかなり歌舞伎に依存していました。
歌舞伎は江戸時代からの約束事を踏襲していますから、いわば風俗のタイムカプセルです。
歌舞伎の舞台上の風俗を真似すれば間違いないですし、当時は客もスタッフも日常的な娯楽として歌舞伎を見ていましたから、
当然、それを参考にしたのです。

じっさいには、歌舞伎は見栄え重視で実際とは違う演出上の約束事もあるわけですが、
あまり考えずに映画は歌舞伎の風俗をそのまま移入しました。

ところで、歌舞伎は江戸末期までは普通に「現代劇」でしたから、当然ですが、時代が移り変わるままに、そのときどきの風俗をそのまま舞台にのせました。
江戸末期に上演されたお芝居は、実際の時代設定がいつかとは無関係に、江戸末期の風俗をそのままリアルタイムに写して演出されました。
たとえば「極附播随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)」などは元禄時代が舞台ですから、江戸末期の風俗で演出するのは変なのですが、
そういうことは歌舞伎は気にしません。

明治になります。歌舞伎は「現代風俗」を舞台に上げる気でいますから、新しい風俗を模した作品を作ります。
「ざん切り狂言」と呼ばれるのがそれです。
しかし、江戸時代が舞台の作品までも明治の風俗で出すわけには、さすがにいきません。
なので明治以降の歌舞伎は、「江戸末期の風俗」を凍結させて、それを忠実に舞台に再現しているのです。

この演出が、映画に移入され、テレビドラマにも移入されたのです。

例えば「鬼平犯科帳」なんかは、実際は享保の改革のころのお話ですからものすごく時代が古いです。
リアルに考証すると衣装も町並みも随分違うはずなのですが、
そういう意味での「時代考証」は全く無視され、「正確無比」な「江戸末期の風俗」が再現されます。

「鬼平」が、お屋敷の場面で腰元に矢絣を着せているかどうかはわかりませんが、
鬼平の衣装や生活習慣、街の様子なども、全て江戸末期のものです。
ようするに、古典的な時代劇に出てくる風俗描写のルーツは歌舞伎であり、それは江戸末期ピンポイントの風俗だということです。

今はあまり出ませんが、牢屋の場面など、
「牢名主(ろうなぬし)」と呼ばれるコワモテのおっさんが畳を何枚も重ねた上に座って威張っていて、それが牢屋の中を仕切り、
新入りが苛められるみたいな定番の演出が以前はよくありましたが、
あれも、歌舞伎からの移入です。今は出ない「四千両小判梅葉(しせんりょう こばんのうめのは)」というお芝居にあった場面です。
あれは牢役人を実際にしていた人がこまかく考証したので、決してデタラメではなく、江戸時代の牢屋はほんとうにあんな風だったのです。

さて、NHKは、作品にもよると思いますが、歌舞伎は参考にせず独自に考証するようです。
資料を調べて時代時代に沿った風俗描写をするのだと思います。

民放は、いまや長年つちかった時代劇のノウハウを失っていますから、昨今の江戸ブームにも乗っかって、これまたイチから時代考証をします。
歌舞伎の約束ごとをイチから真似するよりは今ではそっちのほうが早いのかもしれません。
ただ、時代考証が中途半端なので、ときどき「あれ」となるような江戸風俗を垂れ流すのだと思います。
漫画もそんなかんじがします。
安全無欠である必要はないと思うのですが、
いかにも「考証しました」風に描写されている映像にウソがあると、むしろ危険な気もします。

とにかく、
そんな理由で、最近の時代劇のお屋敷や御殿の場面には、「矢がすり」の腰元が出てこないのだと思います。

しかし、「歌舞伎から移入された江戸の風俗」というもの自体が、ひとつの「芸能的約束事」として確立しているように思います。
「歌舞伎の風俗が、映画を通じてテレビドラマに伝わり、現代日本人の江戸のイメージを作った」
ということ自体が、すでに「文化史」「風俗史」のの一部だと思います。
これを無視して「現代人にとっての江戸」を語るのは無理があります。

伝統的な「時代劇」の風俗描写やノウハウも、可能な限り「文化」として保存したほうがいいのだろうなと思います。

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1 コメント

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はじめまして。 (むく)
2011-01-10 13:18:30
はじめまして。通りすがりのものですが…。
時代劇と歌舞伎が大好きな者です。
今回の記事、感動しました。
常日頃私が考えていて、一度記事にしてみたい内容でした。
昭和20年代の時代劇を見ていると、見得や絵面の演出も満載ですし。
「伝統的な「時代劇」の風俗描写やノウハウも、可能な限り「文化」として保存したほうがいい」
まさに、その通りだと思います。
またお邪魔いたします。
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