地蔵岳周辺は、非常に道が判りづらい道です。前々回7月5日に行仙宿から
笠捨て山を経て 地蔵岳まで往復した時に、地蔵岳直下で道が分からず、
進退窮まり あと地蔵岳まで30メートルくらいのところで 引き返しました。
今回はその道の整備をしようと、鋸、スコップ、鉈、トラロープなどを背負い
古屋の辻から地蔵岳まで往復しました。(往路3.5時間 復路3時間)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地蔵岳の位置です。笠捨て山の西側にあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
香精山山頂です。葛川口バス停近くに 駐車して登り始め、古屋の辻を経てここまで2時間45分でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今まで2回ここ香精山を通過しましたが、今日始めて熊野灘が見えることに気がつきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
四阿之宿(あずまのしゅく)跡です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
四阿之宿までくると後わずかで 地蔵岳です。すぐそこに見えています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地蔵岳西峰です。お不動さんと「地蔵岳参道」という石碑があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地蔵岳からは熊野灘の水平線が見えました。初めてなので感動ものです。
直線距離で30キロくらいでしょうか。奥駆の終点(始点)熊野三山の先の
熊野灘の海です。キラキラと光っていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地蔵岳を乗り越すと、すぐに「槍ケ嶽」の石碑があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回7月5日に笠捨て山を経てきた時には、「巻き道通行不可」の看板の場所で、道が分からず 進退窮まり引き返しましたが、そのまま目前の岩をよじ登ればよかったのです。
この岩稜は「槍ケ嶽」という石碑がありました。
またこのあたり一帯には、ステンレスの鎖がたくさんフィックスしてあり、安全に上り下りできます。それだけややこしくて、危険な場所でした。
奥駆道180キロのなかで、一二を争う危険箇所だと思います。
鎖が見えにくい箇所に、補助的にトラロープをフィックスしましたが、50メートル分持っていきましたが、結果どこに消えたのだろうという感じで、まったく不足しています。
再度、もっとたくさんのロープを運んでフィックスしたいと思いますが、このステンレスの鎖を何百メートルにもわたり、フィックスされた方に 大いに感謝と尊敬の念を抱きました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地蔵岳や槍ケ嶽周辺からは、笠捨て山がすぐそこに見えます。しかし前回
歩いた時には 笠捨て山からここまで 1時間くらいかかりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
補助的に垂らしたトラロープです。前回はここを直登すればよかったのですが、何も目印がなくて 道が分かりませんでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この付近いたるところに、ステンレスの鎖がフィックスしてありました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この鎖を取り付けされた方は、米沢典之医師だそうです。例の「新宮山彦ぐるーぷ」の方々が この米沢医師に対して 「追悼」と書かれていました。
鎖の取り付け中に、滑落されたのか、またはご病気でなくなられたのか、いずれにしても この偉業にたいして 敬服するのみです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
奥駈道トップページはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/okugake/okugaketoppage.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山岳修験の歴史道トップページはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/okugake/index.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ホームページのトップへはここから戻れます。 http://yochanh.sakura.ne.jp/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー