世界遺産大峯奥駆道を歩く その2

世界文化遺産大峯奥駆道を歩いた記録です。

春の奥駈を歩いて行者還り岳へ 2015年4月24日 その1

2015-04-25 10:15:44 | 大峯奥駆道を歩く
行者還りトンネル東口からスタートして、奥駈道を歩き、行者還り岳まで往復した。
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その1奥駈道へ
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今回持参した地図。奥駈へでてから 弥山と逆方向へ歩く。
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国道309号線「行者還りトンネル」の東口に駐車する。ここは無料だ。
トンネル西口は天川村の住民が勝手に1000円を取り立てに来るので駐車しない。

国有地なのになぜあんなことが出来るのか不思議だ。
ここは乗用車なら5~6台はスペースがある。午前9時にスタート。
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新しい看板が立っていた。トンネル向こうの天川村の村民はお金の取りたてに忙しくて世界遺産なんてどうでもいいのに、
ここ上北山村の村民は世界遺産を守ろうとする姿勢が偉い。
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ここが奥駈への登山口だ。
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ついでにこの看板も新しくして欲しいなあ。
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この道は久しぶりに歩いたので 足跡を頼りに歩いていたらとんでもないところにきてしまった。
あわてて出発点へ戻る。
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よく見ると木の枝や幹にビニールテープが巻いてある。私もビニール紐を20メートルおきにぶら下げて歩いた。
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しばらく歩くと別の道と合流した。
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この別ルートの道もあまりきれいな道ではなさそうだ。
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朽ちかけた階段とビニールテープを頼りにどんどん登る。かなりの急坂だ。
私もビニール紐をぶら下げて歩く。
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頭上では 三つ葉ツツジが満開でとても華やかだ。
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奥駈出会いに到着。午前10時だ。スタートしてすぐに道間違いをしたのでその10分ロスを
差し引くと50分で奥駈に出れた。西口からは奥駈出会いまで90分かかるので
東口からのほうがかなり早く奥駈に出れるけどそのぶん急坂だ。
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正面に弥山が見えてその左に八剣山が見える。
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一の多和到着。西口の案内看板にあった奥駈75靡き第57番行場だ。多和とは峠の古い言葉だ。
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錫錠の足元にはお札が納めてあり、その横には水場もあった。
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晴れた日の奥駈を気持ちよく歩く。この真下あたりが「行者還りトンネル」だ。
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やがて行く手に大普賢、小普賢が見えてきた。あの小普賢は奥駈の小普賢岳ではなく、
和佐又から奥駈へ登る途中の小普賢岳だ。
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名も無いピークをいくつも越えていく。晴れて景色もいいので気持がいい。
晴れた日の奥駈を歩くととても幸せに気持ちになれる。何故だろう。
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前方の高いピークが行者還り岳と思ったが違っていた。
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梅惠草がヤット芽を出したところだ。まだ奥駆は春になったばかりだ。
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振り返ると 奥駈「聖宝の宿」あたりの峰の向こうに仏生ヶ岳が見えている。
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かなり歩いたつもりだが、なんとまだ1.8キロもあるのだ。
まあ景色はいいし、天気もいいのでのんびり歩いていこう。
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突然ガレ場に差し掛かる。奥駈にはこういう場所がちょくちょくあり、道間違いをしやすい場所だ。
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ガレ場を慎重にやり過ごす。ここにもビニール紐を沢山取り付けた。
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その2へ続く
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春の奥駈を歩いて行者還り岳へ 2015年4月24日 その2 

2015-04-25 10:15:28 | 大峯奥駆道を歩く
その2 行者還り岳へ行き 引き返す。
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やがて近づいたピークは行者還りだろう。
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いよいよ近づいた。小さなアップダウンはあるが 歩いても気持がいい。
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避難小屋に到着した。
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この小屋は新しくてきれいだ。帰路にお弁当を食べよう。
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行者還り岳は南へ大きくオーバーハングしているのでまっすぐには進めない。
東側へ巻き道をする。ここで小休止。ここからがきつい道だ。
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以前歩いたときより更に道は荒廃している。世界文化遺産なのだから文化庁も もう少し何とかしたらいいのに。
奥駈道のメンテはほとんどボランティアまかせで行政は知らん顔だ。「文化」が泣くぞう。
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梯子の段木も抜けたままだ。慎重に登る。
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巻き道を巻いて 尾根に出た。
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あの尾根に出たら 行者還りの登山口がある。
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ここで奥駈と分岐して行者還り岳へ登る。
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急坂を7分ほど登ると山頂だ。ここも行場で第58番靡きだ。
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山頂の眺めは良くない。木々の間から弥山が微かに見える。
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直ちに引き返す。見晴らしポイントがあるのだ。東側に絶景が広がる。台高縦走路だ。
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振り返ると先ほどの行者還り岳がそびえている。
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天川辻の標識は早く訂正して欲しいものだ。
この道は 神童子谷入口からしばらく歩くと、橋と言う橋はすべて朽ち果てて通行不可なのに 放置されたままだ。

この道を標識を頼りに降りて 途中で引き返した人を何人も見ている。
天川村役場にも連絡済なのになあ。
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往路では気が付かなかったが復路では梅惠草の新芽群生地に気が付いた。
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こういう「大峯奥駈道」の典型的な風景の中を歩いていると とても幸せな気分に成れる。
標高1500から2000メートルの別世界を歩ける健康な体のありがたさもさることながら、こういうやさしい風景が
人々を幸せな気分にしてくれるのだろう。
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タムシバの花はあちこちで満開だったが、


桜の花はまだ五分咲き程度だった。やはり標高が高いと開花は遅れるのだろう。
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行者還り避難小屋の水場で咲いていた「汚れ猫の目草」
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写真がピンボケで申し訳ないが「山芍薬」はまだ蕾が小さかった。来月半ばが見ごろだろう。
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日陰スミレはあちこちで咲いていた。
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駐車場に帰着したのは午後3時丁度。6時間のうち最初の10分は道間違い、お昼休みが30分。
実質5時間20分の歩行だった。
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実際に歩いた記録。
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スタート地点の標高は1100メートル。行者還り岳は1540メートルなので440メートルの標高差なのだが
かなりアップダウンがあったので実質的には約750メートルの標高さだった。
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歩行距離 11キロ
累積標高差750メートル
歩行時間 5時間20分    以上だった。
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そして途中から若い夫婦連れの方とご一緒になり、話をしていると その方たちは吉野から熊野本宮まで奥駈全行程184キロを
テントを担いで完全縦走するということでした。

たぶん女人禁制の山上ヶ岳はそのまま通過されたと思いますので 深くは聞きませんでした。

私が全奥駈道を数回往復したことがあるというと、道間違いをしやすいポイント、テント場、各水場、熊への対処法、
そして体調不良時のエスケープルートなどについて 真剣に聞いてこられて ずっとおしゃべりしながら歩きました。

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つい最近まで 高野山も高野町石道も女人禁制だったのに いまや世界的観光地です。
奥駈も早く女性に全線開放して欲しいものです。

もともと女性を不浄のものとか、修行の妨げとかいう考えは古来日本には(古代出雲王朝には)なかったものです。
女性は輝く太陽であり、豊穣のシンボルでした。

紀元前2世紀に 秦国人徐福が大勢の海童たちを連れて 石見の五十猛海岸に上陸し、さらに佐賀の浮杯に再上陸して以来、
七夕信仰や稲荷信仰などと共に和国にもたらしたものです。

その女性不浄の考えが 不比等が考え出した藤原式神道の根幹になったのです。

日本古来つまり古代出雲王朝時代は 幸の神三神信仰(クナト大神、佐毘売の尊、サルタ彦の尊)
とともに太陽の女神信仰でした。

そして三輪山で太陽の女神を祀る司祭者は 出雲王家の大和の分家 磯城家の姫しかなれませんでした。
(初代姫巫女が魏書に書かれた有名なモモソ姫です)


出雲王家系の井澤登美彦の世話で 五十鈴川のほとりに社を建てて 太陽の女神を祭り最初の伊勢斎宮となったのは
イクメ大王(垂仁)の姫 大和姫でした。

秦国人たちは男だけで夜に山へ登り 星を拝んでいたのです。

それとブッダ入滅後数百年してから その後継者たちが 女性の存在は修行の妨げだといいだしたのです。
ゴータマシッダルタはそのようなことは申していなく、比丘尼という女性出家者も保護指導していたのです。

女人禁制なんて忌まわしい習慣は 早く世界文化遺産から撤去して欲しいものです。
日本の恥です。

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