元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.961  「旧岩崎邸庭園」のお話。

2012年12月20日 | 日記

「旧岩崎邸庭園」のお話。          「相田みつを美術館」をあとにして、私達は上野の「不忍池」の前でバスを降り、歩いて「旧岩崎邸庭園」に向かった。入口付近にある大きな銀杏の葉が、黄色く色づいて輝いていた。旧岩崎邸は明治29年(1896年)に三菱創設者・岩崎家の本邸として建てられたもの。英国人ジョサイア・コンドルによって設計され、現存するのは≪洋館≫・≪撞球(ビリヤード)室≫・≪和館≫の3棟。

木造2階建・地下室付きの≪洋館≫は、本格的なヨーロッパ式邸宅で近代日本住宅を代表する西洋木造建築といわれ、1961年に≪洋館≫と≪撞球室≫が重要文化財に指定された。入口で係員から一人ひとりに<ビニール袋>が手渡された。靴を脱いでその中に入れ、見学することになる。中に入るとボランティア通訳の方から丁寧な建物の説明が聞けるのもこの施設の特徴。

≪洋館≫の窓ガラスには、明治時代に作られたガラスが一部使用されていた。この窓ガラスを通して外の景色を見ると、少し歪んで見える。歪んで見えないのは、最近作られた窓ガラスとか。≪洋館≫・≪和館≫と見学し、靴を履いて外に出て庭園を見学することになる。広い庭園には大木が何本も植えられており、紅葉の見頃を迎えていた。

最後に現在工事中の≪撞球(ビリヤード)室≫を外から見て「旧岩崎邸庭園」の見学は終了した。時の風が吹く庭園でもあった。


「旧岩崎邸庭園」の入口にある案内看板。

「旧岩崎邸庭園」の入場券売り場前にある説明看板。

「旧岩崎邸庭園」の入場券売り場に向かう観光客。

「旧岩崎邸庭園」       入口にある大きな銀杏の木。

「旧岩崎邸庭園」の前庭。

「旧岩崎邸庭園」         洋館の正面。  銀杏の葉が落ちていて、黄色の絨毯のよう。

「旧岩崎邸庭園」         洋館の正面。  建物の内部は撮影禁止となっていた。

「旧岩崎邸庭園」

「旧岩崎邸庭園」           洋館の裏側。

「旧岩崎邸庭園」           ≪和館≫の縁側。建物の内部は撮影禁止となっていた。

「旧岩崎邸庭園」       洋館の裏側。

「旧岩崎邸庭園」       洋館の裏側。

「旧岩崎邸庭園」の紅葉は今が見頃。

「旧岩崎邸庭園

「旧岩崎邸庭園」

「旧岩崎邸庭園」」の紅葉は今が見頃。

「旧岩崎邸庭園」」の紅葉は今が見頃。

「旧岩崎邸庭園」」の紅葉は今が見頃。

「旧岩崎邸庭園」内にある「ビリヤード室」の説明看板。

「ビリヤード室」。   この場所で私は≪ビリヤード≫が趣味という黒龍江大学日本語学科の学生のことを思い出した。





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