猫の目日和

気の向くままにぐるぐると。猫の目次第。

遅ればせながらの「壬生義士伝」

2006-07-25 | 舞台とか映像とか音楽とか本とか

買ってはあった。DVDも。

でも、触手が動かず・・・やはり「組!」にどっぷりはまってしまった私にとっては、映画の配役にひっかかっていて・・・どうしても、芹沢鴨が斎藤一?山南さんが沖田!?どうしても切り替えができずに“食わず嫌い”状態でいた。そのつながりで本も読めずで。

それでも購入していたのは「新選組」ものであったことやキャスト(どの役をやるにしろ「組!」役者さんにはかわりなく)、そして話題の作品、しかも良い評判ばかりの作品であったことから。でもずっと手を付ける気になれずでいた。

お天気も良くなく、やることもなく、さて・・・と、目に入ったのが置きっぱなしの「壬生義士伝 上 文春文庫 あ 39-2」。う~む・・・ま、暇だし、本だけでも読んでみようと手に取ったが最後、一気読み。映画のキャストが頭の中に入っているので(さんざんTVで流れていたでしょう?賞も取ったし)最初から吉村貫一郎は中井喜一さんが南部言葉でしゃべっていた

斎藤は・・・佐藤浩市さんでは読めなかったしオダギリジョーさんでもなく。沖田も堺雅人さんではやはりなんだか違和感あり(藤原竜也さんだったら「組!」とは違うこの沖田像でもはまるかと思う。彼の狂気然とした演技で見たい気も。でもな、この映画は年齢層が高いからな~)・・・ああ、なんだかほんとに馬鹿みたいに「組!」人間だわ・・・。

えと、とにかく上巻一気読み。浅田次郎さんの小説は始めて。「理由」(宮部みゆき)と同じような形態。映画ではどうなるんだろうと考えつつも、内容に(語りに)引き込まれ一気に。が、下巻の途中でガマンできずにDVDをinsert。

ただ、ひたすら悲しかった。

いやな感じの悲しさではなく(お涙頂戴的な)、ただ、もう自然と涙が出る、そんな悲しい、いや哀しい映画。 言葉は悪いが小説と映像との違いをうまく【辻褄あわせ】されてるなと。人物の省略、斎藤を主軸、“大野医院”の出し方とか、そういう【辻褄あわせ】によりあの長い小説をうまくまとめられていはいるが、「ダヴィンチ・コード」もそうだったように強引な部分も、?な部分もあり、やはり原作を読んでいった方がスムーズに頭に話が入る(繋がる)映画。中井喜一さんの話し言葉は、美しくも哀しい響で、今でも頭に残っている。殺陣もすばらしい。(山南さん若いな~がんばってるな~なんてつい思ってしまった。)でもな~「義士」っていうには弱いんじゃないかな~なんて感想も持ちつつ、結局は涙でend。

『斎藤は一生引きずるような足の怪我なんかしてねえぞ!』と、ちょっと突っ込みたくもなり・・・。

余韻のままに再び小説へ戻り最後まで読んだ。 映画で感じた「義士伝?」は、本を最後まで読んでこその「義士伝」。やはり小説すべてを完全に映画にするのは、2時間と言う時間内での映画にするには難しいだろう。纏め上げた滝田監督には拍手。でもやはり、最後まで、嘉一郎のエピソードまで描いてこそ「義士伝」に思う。そしてもう一人の息子、同じ名を付けられた貫一郎。いや、胸がいっぱいないなるというのはこういうことか。ダメ押しは最後の「大野次郎衛門の手紙」。ちょっと躊躇したくなるような漢字の候文なんだけど読みすすんでいくうちにもう目がかすむかすむ。次郎衛門も“義士”であると、そう書かれていると私には思えた。 貫一郎の壮絶な最後(黒鉄ヒロシ「新選組にも書かれている)が本では本当に壮絶に(無残に)書かれており・・・それを貫一郎の語りでまた涙を誘う。南部言葉とは、いや、ほんとに美しくも切なく悲しい響の言葉。映画の後だけに中井喜一さんで読んでしまったから、中井喜一さんの台詞として脳内変換してしまっているから、書かれている字だけではないものがあって、なんともいやはや。涙。

最後と言えば。

中島三郎助が出てくるとは思わなかった。「風雲児たち 幕末編」ではおなじみの中島三郎助。ペリー来航時日本人として最初に黒船に乗込みアメリカ側と交渉をした浦賀奉行配下の与力であり、先進的な考えを持った人物だった。5月の函館旅行で中島三郎助父子最期之地碑を見てきたばかり。その最後がこの本で書かれており・・・感動とかそういう言葉ではあらわせない感情が。なんのために、なぜそこまでして戦ったのか。それは彼の残した文書の

三郎助、恒太郎、英次郎の3人は主家の恩に報いる為出陣す

こたびいよ決戦、いさきよくうち死と覚悟いたし候。与曾八成長の後ハ、我が微意をつぎて、徳川家至大の御恩沢を忘却いたさす、往年忠勤をとぐへき事頼入候

にあらわされているように「徳川家への恩義」。

わたしは、この本を読んで小説として吉村貫一郎及び親子の「義士伝」に涙をしたが、史実たる中島三郎助の「義士伝」には、もう・・・。本の中ではほんの一部分でしかない中島三郎助のエピソード。でも浅田さんは「義士伝」たる、真の「義士」といえる彼を入れたかったんだろうなとふと思った。

さあ、次は「輪違屋 糸里」が文庫本になるのを待つとしよっ。


「炭火酒房 囲炉裏家 いち」

2006-07-16 | 伊豆高原から伊豆をぐるぐる

伊東市内、猪戸通りにあるお店。旅館をやってらした方が居酒屋「炭火酒房 囲炉裏家 いち」をオープン。美味しい、いつも予約でいっぱい、と前々から評判は聞いていたが、食事会があり行くチャンスが。

カウンターが数席と、テーブル席がいくつか。4~6人座れる掘りごたつの座敷が、区切ると3部屋。空間に余裕のあるつくり。

前菜から始まり出てくる料理の数々・・・魚・肉・野菜。それぞれが素材の味を生かしながらも手間を加えてあり、美味。盛り付けのセンスもなかなかのもの。(旅館の板場で包丁握ってた方って、お客第一だったいい旅館のかたほどいい。料亭出身の方とまたちょっと違った盛り付け方をする。)

伊東は魚がうまい。でも、刺身をほんとに美味しく食べさせるお店は限られる。ここは、たぶん伊豆高原「ふみ」さんと同様のひと手間で、刺身を美味しく食べさせてくれる。だから添えられらたツマや海草も美味しい。蕩ける中トロはじけるカンパチ(ワラサ?)甘いボタンエビ等々・・・。

もも肉一枚の焼き鳥。ポン酢醤油をかけた大根おろし添え牛串。豆乳豆腐だし醤油掛け。味噌漬けの豚わさび添え。サラダ・揚げ茄子、イイダコ唐揚(タコの八ちゃん揚げ!)。いろいろいろいろ。お店のサービスもあり、こんなに出していただいてこんな値段でいいの?と言うくらい次から次への2時間。

ただ・・・最後の冷たいボンゴレソーメンは、美味しかったがやはり飲んだあとの締めはご飯が食べたかったな、と。おにぎりでもいい、お味噌汁といっしょに。いや、美味しかったんだけど。

店構えも店内のデザインもなんとも素敵。ゆっくりゆったり美味しいものと美味しいお酒で時間が過ぎるお店。教えたくないけど教えたいお店。

ごちそうさまでした。


「布袋屋」の蒸しパン

2006-07-14 | 伊豆高原から伊豆をぐるぐる

熱海市にある、超有名な蒸しパンやさん。 熱海に用事があるたびに、希望者から注文を聞き予約して買っていた。できあがる時間に合わせて予定を組んだりもした。予約無しで行くと、蒸しあがり時間でないと買えないことも。 ここのところご無沙汰だったが、お土産でいただいて久しぶりに食べた。

「蒸しパン~?」と侮るなかれ。

基本は(ここのお店が有名になった蒸しパンは)「栗蒸しパン」。 直径約10cm厚さ3~4cm。ふわふわだけど弾力にとんだ引きのある生地に細かい栗が巻き込まれ蒸しあがって・・・あっさりした甘さで、美味。 プレーンもあり、ほかにもコーヒー・ココア・ミルク・抹茶・レーズン等々。 今日私が食べたのは「リンゴ蒸しパン」。これは初めて。リンゴの甘煮がころころと入っていて、美味し~(≧∇≦)

「熱海のお土産」で買うようなパン(お菓子)ではない。美味しいけど、そういう種類ではなく・・・地元民や別荘族にとっては「御用達」。そんな感じ。1個116円。

ごちそうさまでした。


焼津さかなセンターで鮪三昧

2006-07-13 | お出かけ~見たり食べたり遊んだり

昨日、所用で家人と焼津へ。帰途、焼津インターのところにある「焼津さかなセンター」見学。

17時closeで、私たちは15時半頃の入場だったが、団体バスも(大型8台!)到着し、大混雑。同じヒーク時間過ぎの函館朝市より店員さんも活気あって良かったよ~。ただ、本来水曜日は定休日で一部のみ臨時営業というかたちで開店しており、残念なことに「生」を扱うお店は閉まっていた(魚市場が水曜休みのため?)。 それでもやはり焼津に来たら鮪食べたい。

16時頃で食事ができるお店は3店あった。すべて寿司屋の形態。入ってわりとすぐに1店と、奥に回転寿司、その向かいにカウンター式1軒。 1カン単位でハシゴしようと。基本は本鮪中トロ。値段により大トロ!

まず回転寿司。ネタは良かった!中トロ厚いし脂ものってるし。鮪のほかに太刀魚と金目。金目は伊豆に比べると脂ののりが少なかったが美味。ただ、ホントにネタは良かったのに寿司飯が・・機械握りは、すごく損してる。惜しい!

さて、一回り後その向かいのお店。「本マグロ大トロ300円」に惹かれ。が、板さんやる気余りなさそうな。注文は各自大トロと中トロ1カンずつ・・・。入ったときの悪い予感的中。300円。「安かろう悪かろう」。解凍が下手なのかもともと良くないものなのか、いや両方か。水っぽくてマグロの味無し。寿司飯は握っててそこそこなのに。食べなきゃ良かったって気分。 お腹も膨れたが、こんな気分じゃ帰れない。

と、3軒目へ。 メニューには「南マグロ大トロ1カン600円」と。先程の倍で南マグロか~とも思ったが、その「先ほど」がひど過ぎだったから、清水舞台落ち。お店の方たちも良い感じ。カウンターに座ると、一見こわそうな、「踊る大捜査線」の寿司屋にそっくりな大将から「寿司飯がもう少なくて1人前くらいしか握れない」と、ホントに申し訳なさそうに言われたが、こちらもちょっとのつもりなので了解し、大トロ中トロ1カンずつ。

・・うめえ」。

ネタもご飯も仕事も満足。仕事柄マグロもちょっと詳しい家人も、いい南マグロだと。いや、ほんとに美味しかった~。お腹いっぱいなのに、寿司飯の残量ききながらリピート。 ここを最後にして良かった~♪ 大将が「今日はすみませんでした」と会計もまけてくれたし、レジの方もご縁だと100円返してくれて。心も胃袋も気持ち良く「さかなセンター」をあとにしたのでした。

買い物はせずで。蟹とか干物とか加工品だし、生も冷凍品だったし。

おまけ:土産ものやさんも腹ごなしにうろうろ。全国のキティちゃんを扱ってるお店があり、興味ないがすごいな~となにげに見てたら、ディスプレイに新選組キティ発見!誠の旗を持ってる!欲しい!が、残念ながらこれは販売品ではなく・・次に京都行ったら購入!


あじさいを見に、鎌倉へ

2006-07-09 | お出かけ~見たり食べたり遊んだり

6月24日、思いもかけず土曜日に家人がお休み。さてではお出かけを、と、思いついたのは“いざ鎌倉”。あじさいでも見に行こう!蕎麦食べ行こう!!と電車でお出かけ。

今回は「サライ」に載っていたコース。北鎌倉から源氏山をとおり鎌倉駅へ向かう。何度も鎌倉は行っているが、初めてのコース。

さて北鎌倉下車・・・予想はしていたが、いや~予想以上の人人人。めげずにまず円覚寺。国道へ出てネットで検索・目指していたお店でご飯と思ったが、なんとなくなっている庄 北の鎌倉」です。いろんなサイトに載っているが、やっていません。がっくりしつつ東慶寺。何度か来たことがあるので素通りし明月院へ向かった。と!!!ここはTDRかと思うほどの行列。なんと山門まで30分以上とのこと。なんとも恐ろしき土曜日なり。平日になれていると驚くことばかり、でも皆さん並んでいるのよね・・・。ここもやはり何度も来たことがあるのでわざわざ並んでまでと、パス。

国道へ戻り浄智寺へ。しっとりした浄智寺をあとに横の道を鎌倉山へ。さあ、ここから初めての道。ここの道は人影もまばら。土曜日だから歩いている人もいるんだわ。平日は・・・どんな?

さきほどまでの国道沿いの熱気とは別世界のひんやりとした空気の中、どんどん歩く。

「サライ」には、途中急な階段等書かれていたが・・・とんでもない山道だった。パンプスの方も歩いていたが、無理です。木の根に足を取られ岩につまずきやっとの思いで葛原岡神社へ到着。100円で素焼きのお皿を岩にあて厄払い。

一休み後、源氏山公園へ。伊豆とも関係深い頼朝像に拝謁。化粧坂切り通しを降り(ここもとんでもない道!)ちょっと寄り道で海蔵寺で井戸見学(底脱ノ井、十六ノ井)。

平地のほうが(アスファルトのほうが)疲れると言いながら、英勝寺寿福寺拝観後、線路を渡り小町りへ。再びの喧騒に包まれ、ああ、土曜日だったと再認識。

(のちにハイキングコースと判明。なるほどと納得。さだまさしの歌は、この逆コース。ぜ~~~~ったい無理です。化粧坂登りは相当きつい・・・。)

さてお腹もぺこぺこ。お目当ては大好きな「段葛こ寿々」。こ寿々そば~♪わらびもち♪と、鼻歌混じりに向かえばお店を取り囲む長蛇の列・・・。また来ればいいかと後ろ髪引かれつつ、ではどこへ?気分はお蕎麦・・・ああ、なかむら庵は?と。ここは開店したての頃に来たことがある。つなぎのない固めの蕎麦だった記憶もありあまり好みではなったが、外での手打ちの様子を見ていると細めのおそば・・・。かわったか?まあ、私の味覚も変わったし、と。15分ほど外で待ったが、蕎麦打ちを見ているうちに時間も過ぎて、すぐに入れた気分。店内も記憶どおりだったが、蕎麦だけは違った。このみの蕎麦。ご馳走さまでした。

再び小町通り。鎌倉山納豆でドライ納豆、源 吉兆庵で葛きり等々購入し、鎌倉の旅は終了。思いもかけぬ(いや、調査不足)山道ハイキング。お疲れ様でした。

今度は佐助稲荷と銭洗弁天へ行こう!(ハイキングコース:源氏山公園のところから分かれ道があったが・・・そこからは行かない~)

観光地のトップシーズンの土曜日はやめようね。