先日会津の方と話をしていたときのこと。
彼「会津にはうまい蕎麦があるんですよ」
私「あ、高遠蕎麦?」
彼「え?なぜ知ってるんですか?」
私「高遠行ったから。花見会場の高遠城址公園で、名君保科正之公をNHK大河ドラマにって、署名運動してたよ。後に会津藩のお殿様になって、そのときにお蕎麦も伝わったんだよね~」
私の旅といえば食は付きもの。信州高遠に桜を見に行ったときにちょっとお勉強。徳川秀忠の妾腹の子正之は、高遠の保科家の養子になり高遠藩主となった。その後家光の命により会津藩主になり、保科家はのち松平性となる。その転封のときに保科正之公が高遠から蕎麦職人を連れて行き、会津に「高遠そば」をもたらした。だから会津の名物に「高遠そば」がある。高遠蕎麦=麺つゆに辛味大根のおろしと、焼き味噌を混ぜた「辛つゆ」に麺をつけて食べる
・・・
ああ、会津松平容保様のご先祖様じゃないか!正之公の家訓によって会津松平家は徳川将軍家に最後まで忠義を尽くしたんじゃないのぉ。
「組!」の刺激でいろいろ読んではいたのだけど、今の今まで結びつかなかった私は・・・(TT)
そのときは歴史とかに関係なく、ただ単純に「花見!」有名どころに一度は、ってんで高遠に行ったのだけど、『花より団子』によってこういう繋がりも見え(そのとき気づけよ)なんだか感慨深くなった私(だからそのときにって)。
と、感慨深くなったところでもうひとつ気づいてしまった。
その前の年平成15年、信州美ヶ原の王ヶ頭ホテルというとっても素敵なところに泊まった。ホテル周辺は自家用車乗り入れ禁止で、「山本小屋」というところからバスで送迎してくれる。美ヶ原高原の牧場のなか、木の柵のある舗装されていない道をホテルに向かい・・・。さ、ここで「組!!MOOK 41ページ」を開いてみましょう!そう、まさにここだった。なんだかこんなときから縁というか繋がっていたのねと、むりやりくっつけてますます感慨深い私。
16年1月に、「龍馬さんでも見にちくと行っちょるきに」旅行で、高知に行った。龍馬さん関係まわれる限りまわってきた。ここから私の幕末(「組!」)の旅が始まっていたと思っていたら、なんとその前から伏線が張られていたのだったと、古畑ばりに解決、納得する私。さすが三谷ドラマ。
まあ、そんな伏線が張られているとは気づかず、幕末第2弾!として4月にいきなり思い立っての京都1泊(ついでに東山花灯路)。
夏には日野・調布へ。深大寺そばを食べに・・・じゃなくて(モチロンそれもあったけど)「新選組フェスタ!」へ!これは日帰り。悔やむのは土方歳三記念館に閉館時間までに行けなくて・・・。今後の課題。
10月にはちゃんと計画しての京都。龍馬さんの京都時代を巡って成仏するのが目的だったんだけど、そのころはもう「組!」にもどっぷりだったから、も のすごい欲ばり旅行に。京都駅の巨大看板が懐かしい。
昨年秋にも京都へ。総決算と称して残した場所を一巡り(でもまだ残したころもあるぞ)。クリスマスツリーがもう飾ってあって、「組!!・・・(これも伏線か!?)
今年は春に函館予定。以前から決めていたことだけど、こうなったら絶対五稜郭祭りに行きたいぞ!
う~ん、本来なら会津が先かもしれないのだけど。いえ、計画はあって、友達に資料とか送ってもらったりしていたのだけど、日程が合わなくて秋は京都に。
あ、でも今思えばあの京都駅トークショー会場に立てたのは必然!?(また、無理やり・・・)
会津は秋の紅葉がすばらしいと聞いているので、是非秋に。でも鶴ヶ城の桜もきれいらしいので、来年にしようかと。この冬機会があって東山温泉に泊まるかもしれないのだけど、自由な時間がないのであそこにもあの温泉にも行けないので、ゆっくりいけるときまで我慢。楽しみにしていよう。
・・・こうやって振り返ってみると、ここ数年の国内旅行はすべて「組!」「組!!」幕末関係(だから無理があるって)。
でもね、幕末っていうのはほんの100~150年前であって、そのときそこでそれが起こっていたって考えると、たとえ池田屋が石碑だけであっても、なんだかたんなる旅行では感じられない何かを感じてしまう。まして寺田屋はそのまま残っていて、龍馬さんの居た部屋に入れ、泊まることもできる。そういう空気・気配がまだまだ残っていて・・・当分このテーマからは抜けられそうもないなあ。三谷さんありがとう。旅の目的に一本筋が加わった。楽しみが増えた。
あ~。美ヶ原の前の春には勝沼へ行っている!甲陽鎮撫隊の古戦場跡ぢゃないか!そのときには考えもしてなかった。大河も知るわけないし。こんなときから・・・恐るべし、三谷脚本。(だから違うって)
まあそんなこんなで振り返るのもいい機会だし、ぼちぼち書いていこう。自分自身でも旅の整理のつもりで。
・・・そういえば私の出身校って、ものすごく幕末に関係深いのだった。