田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

151221 15年前の日記「日本の小ささ」

2015年12月21日 09時18分16秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)

  日本人の「狭さ」(2000)

 いろいろのところで語られる日本人の狭さということについて考えてみました。狭さといっても、「考え方」の狭さとか、「視野の狭さ」、とか「こころの狭さ」とかいろいろありますが、そのことを批判したり、嘆いていても始まらないので、まず、客観的に己のアィデンティティを探り、それを肯定し、その上に何かを創造していくということが、地球規模に考えなければならない現代に心すべきことなのだ、とつくづく思います。

 狭さということをつくづく感じさせる事象は海外を歩くとたちどころに分かります。まず、日本語が通じない、日本の文字が書いていない、このこと一つとってみても、我々は英米諸国、中国など諸国の人々から見れば圧倒的にマイナーの存在であることを知ります。東京から飛行機に乗ってロスまで10時間、小休止の後サンパウロまで乗り継ぐと、24時間かかります。その時間をどう殺すかと言えば、わたしはひたすら小説など、文庫本を読みます。日航機など特別のケースをのぞけば機内には日本文化はなく渇きを覚えます。機内ではテレビも、新聞も、雑誌も基本的に横文字系で、見る気もしないものばかりです。

 食事もそうです。味蕾の発達した?日本人から見て、機内食のまずさには閉口している人が大部分だと思うのですが、何十年たってもいっこうに改まりません。お茶などを、使い捨てのプラスチックの容器で飲む日本人などはいませんが、機内ではこれがふつう。おもしろくありません。経済の原則が文化の原則を寄り倒している縮図がエコノミークラスの機内ではないかと思います。日本人が海外旅行をするのに、日本語を基本にしたサービス系はほとんど無い、日本文化を大切にした商品のパッケージがない、と断言できます。ホテルに行くともっとひどいことになります。大きなホテルでもおおむね、日本語の放送はないし、テレビもチャンネルがありません。日本人が海外旅行して泊まるホテルにテレビ設備は不要で、料金から割り引くべきです。経済大国の日本人が、年間数百万人も日本語を話さない海外に旅行するのにどうしてその人たちの気持ちの枯渇を癒すサービス産業がないのだろうか、と思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿