田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

170624 朝の散歩、昼の散歩(70)・・・加計学園、前川喜平さん、あれっ?

2017年06月24日 17時38分36秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)

 

私は仕事上で前川製作所と付き合いがあり、海外企業を日本へ招いた時には同社へお連れすることもしばしばだった。それだけならたいした話ではないが、私がお世話になったブラジルの日系企業の創業者(西村俊治・智恵子)ご夫妻を目白の和敬塾にご案内したことを今思い出している。

 

古い写真を繰っているとそれは1995年のことだった。うっそうと木々が茂る広大な敷地の一角に4階建てのコンクリートの建物があり、一方では、クラシックな館が並立していた。塾生とみられる若者が、敷地いっぱいに元気よく立ち働き、精気みなぎる空間を作っていた。

西村俊治さん(1912-2010)は、1932年の単身移民で、苦労の末に修繕屋から身を起こし、農機具会社をブラジルでは指折りの企業に列せられるまでこれを大きくした、それだけなら特筆することでもないかも知れないが、前川喜作翁と共通することがあった。西村さんは私財を全寮制の農業高校の創設につぎ込み、会社の売り上げの数パーセントの寄付で賄う学校を作った。目的は農業後継者教育、日本的経営や農法の研究で、なんと70歳過ぎに学校の設立者となった。(写真はサンパウロ市、西村学校の全景)。今西村氏が開校した農学校は、厳しいしつけと建学精神の浸透で幾多の俊秀を世に送り出し、ブラジル農業の発展に寄与している。今西村学校は、俊治氏の死後にサンパウロ州立大学の一部に引き継がれている。 

その日、創業者の家族たちに迎えられ、パーティの席で西村氏ご夫妻は、前川製作所の歴史や和敬塾の理念についてくわしい説明を受けた。喜作翁は既に他界していたが、奥様はまだお元気で、長男(同社社長)ご夫婦を伴っでしばしの歓談の時を過ごした。帰国後、しばらくの間、前川、西村両家の間で国をまたいだ交歓が続いたということを聞いている。

今、渦中の前文部次官前川喜平さんの姿を見て、「あれ、もしかしたあの時いたかな?」と思ったが、何しろ22年前のこと、喜平さんがそこにいたかどうかは重要ではないのだが、和敬塾の厳粛なたたずまいの中で接した前川さんご一家の姿からみて、政府のトップや一部マスコミから下品な攻撃を受けている前川喜平さんのことを思っている。「あの前川さんのご一家の息子や孫が、卑しいことを考える人ではない・・だろう」と。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿