田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

151224 15年前の日記「ブラジルに農業移民した佐藤さん(秋田県)」

2015年12月24日 14時11分40秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)


 広い国土を誇るブラジルは北部アマゾンなどの熱帯、中部のブラジリア、リオなどの亜熱帯、サンパウロなどの温帯の地域を有していますが、日本人はこれらのいずれにも進出しています。佐藤さんは国都ブラジリアの縁辺地域のセラードという有名な疎林地帯に、大豆、コーヒー、ニンニク、タマネギ、トマトなどを大規模に栽培している農家です。どのくらい大規模かというと農地面積として700とか800ヘクタール(1ヘクタールは10000㎡)聞くところによればコーヒーの木だけで22万本を持ち、ニンニク生産は100ヘクタールを使い1000トンを売っているそうです。日本の畑作農家は大きいものでも100ヘクタール程度ですが、ブラジルでは佐藤さんの畑はまだ中規模で、大きい規模の人は1万ヘクタールを超えるといいます。

 そんな佐藤さんと縁あって数年来の交友をしています。3年前に初めてセラードを訪れたときに、紹介され家に泊めていただきました。畑の中にがっちりとした平屋建ての住宅が営まれており、奥さんと5人の子供、そして奥さんのお母さんが住んでいます。近所の日本人もやってきて歓迎パーテイが盛大に行われ、大いに歓談しました。酩酊状態になってふと酔い覚ましにと戸外に出ると、星が満面に輝いていました。ええと、北斗七星は?などと、いつもの習慣で星空を眺めているうちに、どうも星空の様子が違う、何だこれはと思って、ハッと「俺としたことが……」と気づきました。ここでは北の星空は見えない。「そうだ南十字星だ!」と気づきました。そのつもりであらためて見るとあるある、ちゃんと南十字星がある--ことに気がつきました。佐藤さんの畑は面積にすれば10㎞四方の正方形と考えてよいでしょう。見るとピボセントラルという井戸水を汲み上げて半径数百メートルコンパスで水をまく装置が何台も地平線上に雄大な姿を見せている。ときどき、ダチョウが目に入りますよと言って家族の人は笑う。疎林といっても雄大で豊富な自然がそこに存在することが納得されます。

 セラードとはニックネームだったそうですが、面積は日本の5倍といいますから、とてつもない広さで、もちろん人口もまばらです。セラードは、アルミニュームに飽和した酸性土壌で、また降雨量がところによってばらつくなど旧くからコーヒー栽培などを避けてきた不適地とされたところだそうで、この地域に農業開発の鍬が打ち下ろされたのはまだ30年にもならない近過去です。この間に日本からの土壌改良技術やインフラ整備のための資金協力も得て数百万ヘクタールの畑が作られ、現在もその規模を拡大しています。佐藤さんはこの中の一角に移り住んできた開拓農家であると言えましょう。「大草原の小さな家」というドラマがありますが、そういう歴史性もまだ感じられない、現在上演中の同時進行ドラマの中にいるような錯覚を覚えます。

 佐藤さんやセラードのことを文章で説明することは難しい。その広さとか農業経営の姿などは、とにかく行かなければ分からないのです。しかしどうやって行くのか。佐藤さんの家はパラカツという町から80㎞ぐらい離れたところにあり、ブラジルの中心都市はサンパウロとリオデジャネイロですが、佐藤さんの家からはどちらも700㎞以上も離れています。しかし、片側6車線もある国道が通じており、農産物を運んだり、仕事の打ち合わせに行くのは比較的楽です。私も一緒に乗せてもらいましたが、やはり車に乗っている時間だけで一日仕事になる。余談ですが、もし車が故障したらどうなると思いますか。かつて下坂さんという入植仲間の人に聞きましたら、子供をつれてセラードを走っていたら車が故障して、通りかかる車に援助を求めようとしたが車が来ない、やがて真夜中になり寒さと飢えも襲ってきて、子供は泣き出した、皆で歌を歌って励まし合ってがんばり抜いたということでした。とにかく想像を絶するところです。
 「今度また行きますよ」と言ってお別れしました。


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