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夢もよう・夢にっき

今は一瞬で過去になり、残る写真や日記もその時々で不思議もよう。まるで夢の中の出来事のよう

水危機①②③

2008-01-24 | 環境
2008.1.23(水)読売新聞朝刊
危機③ より
      羊が死んだ 湖が消えた

 過去50年で最悪の干ばつが、昨年、中国・内モンゴル自治区東部を襲った。
昨年は、春から雨が全く降らなかった。平均気温が平年より1~4度も高い日が続いた。
「20万人と牧畜57万頭の飲み水の確保が困難」。7月、新聞が伝えた。
草の成長が悪く、通遼市では羊約2万7000頭が死んだ。

 畑の頼りは地下水だが、水位は地下10メートルから50メートルに下がった。
 内モンゴル自治区農牧業庁の担当者は「昨年の干ばつで減ったトウモロコシの収穫量は3分の1。だいたい100万トンの減産になった」と明かした。

 国際災害統計EM-DATによると、今世紀に入り、100万人以上に影響を及ぼす大規模干ばつが27カ国で発生。
06年、オーストラリアでは全土に広がり、小麦の収穫量が前シーズンの4割に減少した。

 中国北部の629か所の観測点の経年変化を追った研究によると、19450年代に黄河流域より北の中国北半分の干ばつ面積は20%前後で推移していたが
90年代後半には60%に達するようになった。
 干ばつが続くと、湖や河川が干上がる。
 山西省大同市郊外の文エイ湖は04年にすっかり干上がった。
周囲の堤防の長さ9.3Kの人造湖は、遊覧船が浮かぶ観光地としてにぎわっていたが、水を引いていた川が枯れた。
湖底は、トウモロコシ畑や車の運転練習場に変わっている。

 人口が増え、経済成長が続く中国では、水利用が急増し、地方によっては断水で給水車が出たり、給水制限を行ったりする水不足になっている。
干ばつがそれに拍車をかける。

 中国の干ばつは、日本にとっても深刻だ。
中国は04年、農産物の輸出国から輸入国に転じ、以降輸入超過が続いている。
 日本に安定供給してきた穀物飼料の生産地に中国が買い付けるなど争奪戦がおきつつあるが、これが激化する可能性もある。

 干ばつは砂漠化の進行につながり、黄砂の発生源となる。
日本での黄砂の年平均観測日は、90年代の24.4日が、2000年以降は39日に増えた。
 環境省の報告書(05年)によると、黄土色の砂が車の上に積もったり、干した洗濯物が汚れたりしたほか、半導体工場で不良品の発生率が増えた。
 

 東アフリカ・ウガンダのマバンバ湿地は、アフリカ最大ののビクトリア湖の北部にあり、ラムサール条約にも登録されている貴重な湿地。
2005年10月から06年2月にかけての大干ばつで危機に直面した。
 
 「一日40~50匹とれた魚が、2~3匹しかとれなくなった」マバンバ村の漁師の一人、セムグさん(36)は、そう振り返った。「あんなひどい干ばつは初めてだ」。集まった漁師たちも口々に言う。
 村人たちは06年1月、枯れた湿原に火を放った。
例年の焼き畑ではない。草食動物のレイヨウを捕獲して食べるためだ。

 ウガンダのスルマ財務相は「気候が狂い始めた。経済的損失は計り知れない」と取材に答えた。
 貧困国ではあるが、飢えを体験したことがない農業国で、キャッサバや、トウモロコシの一種メイズが育たず、困窮した。
 水力発電に頼るウガンダは、1962年の独立以来、初めて隣国ケニアから電力供給を受けた。
 計画停電の影響で、首都カンパラのスーパーマーケットでは冷凍・冷蔵食品が腐る被害も出た。 


水危機①では、「一日何杯使いますか」という題で一日に一人が使う水量を比べていた。
読売新聞と東京大学が共同で実施した家庭の水使用量調査。
容量10リットルのバケツで23杯は米国のコプリーさん、中国の趙さん5杯、ケニアのアンブラさん2杯、日本の名本さん28杯という結果が出たというものだった。

②では、食料生産に使った水「バーチャル・ウォーター(仮想水)」と呼ばれる量を調べていた。料理の食材には多くの水が使われている。
米の栽培をしたり、牛の餌になる穀物を作ったりするのにも水は欠かせない。
 一人当たり米国2489リットル、中国1954リットル、ケニアが1351リットル、日本が1611リットル。
メニューで大きく違ってくる。たまたま米国は鶏肉料理、日本は刺身だったため少ない量となっている。
 餌となる穀物の栽培に大量の水が使われるため、鶏肉は4.5トン、豚肉は6トン、牛肉は20トンの水が使れている計算になるらしい。
 牛丼1杯1887リットル。風呂180リットルにすると10杯分に相当する。

廃棄物

2007-12-23 | 環境
2007.12.22(土)読売新聞朝刊
  STOP! 食品偽装 ⑤より

       消費期限 買い手意識も大切

 午前6時。
コンビニエンスストアに1台の保冷車が到着した。
二人の男性が降りると、店舗脇の倉庫から、ポリ袋を次々と運び出し始めた

 袋の中身は、消費期限を過ぎたばかりの弁当や惣菜。
二人は重さを量って所定の用紙にそれを書き込み、袋を保冷車に積み込んでいく。
 保冷車を使うのは、品質を少しでも保とうとうということか。
 保冷車はこの日、都内各地の70箇所以上のコンビニで期限切れの食品を回収。
最後は千葉県内の工場へとたどり着いた。

 そこで、パッケージごとベルトコンベアに乗せられ、建物の中へ次々と吸い込まれる。
 そして、乾燥などの工程を経ると、焦げ茶色のさらさらとした粒状になる。
コンビニの弁当類を、豚の飼料に再生しようという食品のリサイクル工場なのだ。

 このシステムを運営している「フューチャーガイドマップ」(東京都港区)の社長
根来みどりさん(57)は業界に参入した6年前、パッケージがほんの少し汚れたり、期限をほんの少し過ぎたりしただけなのに、豆腐や菓子などの食品が「廃棄物」として回収されていくのを見てがく然としたという。

 農林水産省の計算では、2006年に食品製造業、卸売業、小売業、外食産業の4業種から約1135万トンもの食品廃棄物が排出されている。
このうち、6割に当たる約670万トンは堆肥や飼料などに生まれ変わるが、500万トン近くは、ただのゴミにしかならない。

 「食糧自給率が低いというのに、日本は食料をどんどん捨てている。消費者も意識を変えたほうがいいのでは」根来さんの指摘に思わず考えされられた。

 作り手や売り手の人たちが、それをもったいないと思う気持ちもわからないではない。
 期限の日付にだけ捉われてしまう私たちが、知らず知らずのうちに食品の偽装表示を招いているのかも。

 牛乳売り場では、50歳代の女性客が、賞味期限をチェックした後、棚の奥から一番新しい牛乳を取り出していた。
声をかけると「一日でも新しいものを選ぶようにしています」
夫と二人暮らしで、期限が短いと使い切れないことが多いからだという話だった。
しばらく見ていても、新しい業乳は次々減っていくのに、期限が迫った牛乳は中々売れない。

 消費者に嘘をつく期限表示の偽装は許されない。
でも、新しいものばかり求める私たちも、どうかなと反省した。
買ってからすぐ食べるものは、あえて期限切れ間近のものを選んでみようかな。(山田佳代)

もちろん買い手の意識は大切だ。
買い手が何を求めているか?
 今では、日付を見てより新鮮なものを選ぶのが賢い主婦だというのは常識のようになっているのでは?
 知らず知らずのうちに企業の戦略や、政策、メディアの宣伝にのせられていることは確かだ
 まだ十分おいしく食べられるのに、腐ってもいないのに一律に廃棄処分
消費期限とはどういうものか?
 期限過ぎたものを再加工して販売してもお腹をこわした人はいなかった
ということは?

 欲望はエスカレートし、中々手に入らない珍しい、食べなくてもいいようなものまで食べている
 本当にそこまで求めているのだろうか?
 経済が潤えば幸せになるのだろうか?
 永久に、潤い続けることは不可能だ

 今は、お金さえ出せばなんでも手に入るのが当たり前と
感覚がマヒしている
際限なくものはあると勝手に思い込んでいる
危機感は見えない

 沢山あればどうしても贅沢に使う
野菜でもふんだんにあるとまだ食べれるのにちょっとしなびてるからと捨てる
 しかし、残り少ないと葉っぱも全部使おうとする

 新鮮なものは高いが、期限切れ間近のものは値引きする(やっているところはある)とか
 基本は、残るものは作らないということではないだろうか
 大量生産をしないということ
 無駄なもの(捨てるもの)を作る費用を使って
ましてせっかく作ったものを処分する費用まで出しているとは!

 経費が節減でき、純利益は減らないどころか増えることにもなるのでは?
 「フューチャーガイドマップ」のような会社は必要なくなり雇用は減ることになるかもしれないが・・・

排出権?

2007-12-07 | 環境
京都議定書とは、1997年12月に京都で開催された「気候変動枠組条約第3回締結国会議(COP3)」で採択された、二酸化炭素(CO2)など6種類の温室効果ガスについての排出削減義務などを定めた議定書のこと。
2005年2月16日に発効した。
1990年を基準年として温室効果ガスを先進国全体で5.2%削減することを義務づけるとともに、CDMやJI、排出量取引などの「京都メカニズム」という仕組みも導入された。
日本は6%の削減が義務づけられ、国内法も整備されたが、達成は危ぶまれている。

1.数量目的
●対象ガスの種類及び基準年
・二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素(1990年を基準年)
・HFC、PFC、SF6(1995年を基準年とすることができる)

●吸収源の扱い
・土地利用の変化及び林業セクターにおける1990年以降の植林、再植林及び森林減少に限定。農業土壌、土地利用変化及び林業の詳細な扱いについては、議定書の第1回締約国会合あるいはそれ以降のできるかぎり早い時期に決定。

●約束期間
・第1期は、2008年~2012年の5年間

●先進国及び市場経済移行国全体の目標
・少なくとも5%削減

●主要各国の削減率(全体を足し合わせると5.2%の削減)
・日本:-6% 米国:-7% EU:-8% カナダ:-6% ロシア:0% 豪州:+8%  NZ:0% ノルウェー:+1%

排出量取引とは、温室効果ガスを削減した結果、国連が削減量に対してERU(クレジット)を発行する。このクレジットを、先進国間の排出枠として企業や国が売買する制度。
「排出権取引」とも言う。
温室効果ガスの排出量を一定量削減するための費用は、国や産業種別によって違いがある。
例えば、未発達の技術を用いて経済活動をしている発展途上国では、すでに先進国で使われている技術を導入すれば温室効果ガスを削減できるので比較的小さい費用ですむ。
一方、これまでも環境負荷を低減するために努力してきた先進国では、さらに削減するためには新しい技術やシステムを実用化する必要があり、多大な投資が必要となる。
排出権取引の制度を導入すると、削減しやすい国や企業はクレジットを売ることで利益を得られるので削減に対するインセンティブが生まれ、より努力して削減しようとする。
これによって、社会全体としての削減費用が最も少ない形で温室効果ガスを削減することができると期待されている


最近、日本が発展途上国から排出権を買い取るということをニュースでよく耳にする
二酸化炭素の量を減らし、環境の悪化、温暖化を食い止めることが目的なのだが
国内では出来そうにないから、他の国の排出権を税金で買い取るということらしい。
が、よく解らない
先進国は、開発途上国から削減割合を買取、削減したことにして数値合わせをするということ?
開発途上国に最新の技術を教えてあげるから削減枠(目には見えない)数を分けてもらうと世界全体的に見ると削減できたことになる?
ホント?なんか変じゃない?
やったことにしてそのままエネルギーを使い続ける?

削減って?資源を削って減らすこと??
矛盾だらけだ
目先のことだけではなく、50年、100年といった長期を見据えた全世界的な取組を数値あわせではなく本当にしなくては意味がないのに・・・

90年95年が基準ならそのレベルに戻せばいいのでは?(単純すぎる?)
経済発展して便利で豊かになることが幸せになることとは限らない
人や動物も含めて共存するためには戦うのではなくお互いを認め合い譲り合い
程よい距離をもって環境を再生を促し共存共栄を考えなくてはならないのではないだろうか

何にでも限りがあるのに、欲望は留まることを知らない
無くならなければ分からないのだろうか

騙されてはいけないⅢ

2007-11-27 | 環境
アメリカは今多くの人が肥満に悩んでいるらしい

より太る安い飼料を与え太らされた動物達
店にはスーパーサイズのスナック菓子、清涼飲料水とともに肉が大量に安く売られている
大量に食べ続け、太り過ぎ、そしてダイエット商品を次々買う
しかし、甘やかされた人間にはしんどいことは続くはずもなく、食欲は止まらない、我慢なんか出来ない
そのうちに病気になり保険はパンクする。

アメリカには日本の国民総保険、国民健康保険制度のような制度はなく
民間の医療保険は、高額で国民の4割近くがどの保険にも入っていないといわれている
保険もなく医療費は高額なため中々病院にかかれない人が多く大きな社会問題になっているそうだ(格差ははっきりしている)

 異常な食欲は、大量生産大量消費に拍車をかけている
肥満になればダイエット製品や薬がよく売れる
これって?企業、保険会社や製薬会社、国などの戦略や、政策に
まんまとはめられているんじゃない?
気付かないうちに儲け主義の餌食になっている・・・
何を信じていいのか分からなくなっている

 儲けと共に食欲は止められないのだろう

安いから、美味しいから、好きだから、ストレスのはけ口として安い偏食をし続けている
大量生産されるスナック菓子にしても、清涼飲料にしても、肉にしても
見栄え、味に重点を置かれ、どんどん濃い味になり、身体への影響より儲け中心
いつもそればかり食べていれば中毒状態になって(猛毒ではないが、多量に摂取し続ければ毒になるだろう)
まさに依存症、病気になっているのだと思う
そこまで深刻になっているとは本人も気付いていないだろうが・・・

何でも過ぎること、偏ることはよくないのだ
儲け主義は格差を広げるばかり
とはいえ、企業戦略にはまるかどうか、抜け出すかどうかは自分次第のところもあるのでは?

危機感を持ち、しっかり自覚して、他人に頼らず、他人のせいにせず、賢く自制心を取り戻さなくてはならない
自己コントロールが出来るかどうか
食生活だけではなく、生活全般にも言えることだろう
決してアメリカだけのことではない

飲める水

2007-11-09 | 環境
2007.11.7(水)読売新聞朝刊より

          水とっても貴重
                   UNDESD 環境プロジェクト
                    神奈川・海老名市立有鹿小
 明日の地球環境を考える「ずっと地球と生きる 学校プロジェクト」の
出前授業が行われた。
 「水道の発展が、町を栄えさせてきたんですよ」
文明は古来、豊かな水のそばで発達してきた。
でも、十分に水を使えない国も地球上にはある。
1年間に国民一人が使える水の量は学校のプールだと約10杯分、3383立方メートル。
1リットルのペットボトルでいうと、338万本分。
 世界各国で一人が使える水の量を並べた表を基にし、5色に塗り分けてみる。
十分な水がないことを示す茶色や、オレンジ、黄色で塗られた国が、意外と多い。
 「世界の人口の3分の一以上が、水不足でこまっているんですよ」
「水が十分な地域でも、安全な飲み水が手に入らない場合もあるんですよ」
 世界の人口の5分の一がきれいな飲み水に恵まれず、水が原因で亡くなる人は、毎年、1000万人に上るという。
 たとえば、東南アジアで一番大きな湖、トンレサップ湖があるカンボジア。
一人当たりの使える水は多いのに、きれいな水を手に入れることのできる人は100人のうち40人しかいない。
 生活用水や家畜の糞尿などがそのまま湖に流されているためで、湖の水を濾過式の浄水器でこして飲んでいるという。
しかし、現地を訪れ水を調べたら、安全な水とは言い難い結果が出た。
 「あまり感じてこなかったかもしれないけど、水はとっても貴重なもの。大切さをかみしめて、大事に使って欲しいと思います」

 日常生活の中で、どんな場面でどのくらいの水を使うのか考えさせた。
「トイレは?、洗濯機は?」実感がわかないようだ。
「じゃあシャワーを1分間出しっ放しにすると、どれぐらい水が出るのか試してみよう」
蛇口を開き、シャワーから勢いよく水がほとばしる。
1分たつと、10リットルの水が水槽にたまっていた。
 続いて、同じシャワーを使って、マネキンの髪の毛を洗う実験が始まった。
シャンプー、リンスをする間にどのくらいの水を使うのか調べてみる。
30~50リットル。
次に、水を出したり止めたりしながら洗った。
結果、使った水の量は12~21リットル。
半分以上減った。
 トイレで一回に流す水の量は13リットル
4人家族の家庭が食事一回分で食器を洗うと60リットル
お風呂一回は200リットル。
一日に家庭で使う水の総量を計算させた。
 平均レベルの500リットル~1500リットルまで様々な答えが出た。

 「水の消費量を減らすため、自分達ができることを見つけて家族一緒に実行して欲しい。将来きっと、その結果が目に見えて地球環境に表れるはずです」


         飲める水 たった0.01%
 地球上に存在する水のうち、98%が海の水だ。
飲める水はたったの0.01%しかない。
2000年の世界人口は60億人。
50年には90億人になるとされ、水を手に入れられなくなる人は40億人に上るという試算もある。
 「頼りになる〝水がめ〟は、海洋しかないんです」
すでに、熱した海水を冷やして真水にする方法や、濾過膜で塩分をこしとってしまう技術が実用化されている。
 しかし、現在の淡水化能力のうち56%を中東の豊かな産油国が握る。
淡水化施設の運営には、膨大なお金がかかり、経済的な余裕のない国には維持が難しいからだ。
 「淡水化技術は、濃縮した海水を海に戻すため、やりすぎると、海洋環境に悪影響を与えかねない」
 命綱と考えられている淡水化技術も、魔法のような技術ではないことを忘れてはいけない。
  

何気なく毎日当たり前に使っているけど、とても貴重なものなんだ。
自然を壊しながら手に入れた便利で快適な暮らし
どんどん欲望はエスカレートしていく
一方では飲み水すらなくて死んでいる人たちがいる
何にでも限度がある、終わりがある
自然の摂理にのっとり、共存共栄は望めないのだろうか

微々たることⅢ

2007-11-04 | 環境
ちょっとしたことでも嬉しい、有り難いなと思える方が幸せ

確かに
電気はどこの部屋も付けたらつけっぱなしだったなあ
お風呂の水もいつも8分目くらいは溜めていたなあ
止め忘れて流しっぱなしになっていたこともあった
歯磨きも水を出しっ放しにしていたな
洗剤はあまり使わないようにしていたけどたっぷりのお湯で流してた
電気ポットで沸かしていつでも使えるよう保温にしていた
レンジ、エアコンに温風ヒーター、PC、DVD、食器乾燥機、洗濯乾燥機
ホントに便利に快適になっている

今までホントに何にも気にしてなかった
便利さの中で何も考えずのほほんと暮らしてた

ポットにはお湯が沸いていていつでも手軽にお茶が淹れられる
台所だってお風呂だって蛇口をひねるだけでお湯が出て
トイレも洋式になり座ると便座も暖かく、お尻もお湯で洗える
我慢することも忘れ、暑ければクーラー、寒ければすぐヒーター

すっかりそんな生活に慣れ当たり前に思っていた
なんと便利で快適な生活が出来ているんだろう
恐ろしいもので、無意識に慣らされている
どんどん機械化され自動化され、人間が動かなくなっている
これって進歩?進化?

無意識に使っているが、快適さにはすべてエネルギーが必要なんだ
その生活レベルをこれからも維持するためには莫大なエネルギーが必要となる
物のありがたさ、貴重さを再認識したい

それぞれの家庭でわずかでも省エネを心がければ
チリも積もれば・・・いやチリを積まないように、ゴミは少なくなるように意識したいものだ

微々たることⅡ

2007-11-03 | 環境
居間や台所の電気はつけっ放しにしない
テレビはダラダラと見ない、見るもの決める
歯を磨く時、水を出しっ放しにせず、コップにためすすぐ
お湯はガスで沸かし、魔法瓶に
お風呂に溜める水は少なめに
炊飯は朝7時までに
食器洗いは、残り毛糸で作ったタワシで洗剤をなるべく使わずに
流す水は少なめに
冷蔵庫内はギュウギュウ詰めにせず(詰め込みすぎは電力を余分に使うし、奥のほうにしまっていると忘れている)
買い過ぎない、使いきれるだけ買う
エコバックは、いつもバックに入れておく
風呂水は洗濯に(ちゃんとホースが洗濯機についていたことにやっと気付いた)
でも水の節約にはなるけど、吸い上げる電力がいるかあ・・・
遠出のお出かけ時は水筒でコーヒー、お茶持参(自販機使わない)
古布、古タオルはゾウリに、使い捨て雑巾に

など、8月からちょっぴり気にしているのだが、けっこう成果が出ている
まだまだ改善の余地を残しているのだ・・・頑張り過ぎない

ガスと電気のメーターを毎朝、どれくらい使っているのか書きとめる
それだけでも、違うんだ意識が


 同じものを食べてもお腹がすいて食べるとより美味しく感じるように
普段質素にしていると、ちょっと奮発すると喜びもより大きくなる
企業戦略にのせられないようにしながら…
喜びを感動を充実感を得るために、頭を働かせひと工夫、意識して心の張りを持ち動き回ろう!
人間のエネルギーで出来ることはこまめに使い動こう(動けることに感謝)
微々たることだけど、出来ることを意識しよう
決して、度を越さないよう、ストレスにならないよう、極端にならないように
程々にエコ生活を愉しもう

騙されてはいけないⅡ

2007-11-01 | 環境
 挽肉偽装のミートホープの社長が逮捕された
「消費者が安さを望んでいた」と悪びれずに言っていた社長

高いものを安く売り商売が成り立つわけはないのであって
安いにはそれなりの理由があるということだろう
大量生産の安いものには特に気をつけたほうがいい

この偽装はあまりに故意的で救いがたい悪質な犯罪である
あまりに消費者を馬鹿にして、平然と儲ける悪徳企業
急成長した会社は怪しいと思った方がいい

利潤優先の競争社会だからといって、そういうことが当たり前として
まかり通ってはいけない
消費者が簡単に乗せられないようにしなくては・・・

 「赤福」の偽装も儲け優先のためだが、ミートホープよりは救いがあるように思う
「売れ残りを出さない」との方針で売れ行きを予測し生産量や出荷量を管理していたというのはいいことである
多く作り冷凍保存しているのはいいのだが、店頭に出して売れ残ったものも
製造日をつけ変え再加工して販売していた
再利用の精神は生かされているのだが偽装したのでは・・・
嘘をつくということは騙していることで信頼を裏切ることになりすべてに不信を生む


より多くの儲けを追求せず(多くを望めば何でもありと不正するしかない)
残して再加工する手間を考えれば大量生産するより
売れ切れを良しとする、欲張らない

 「残るほど作らない」大量生産をしない、限定生産
「売り切れは自慢だ」売り切れるほど人気があるということ
「売り切れることはあって当然」捨てることはない
程をわきまえる、儲けすぎない(競争社会では無理か?)
ブランドとしての技術と自信を忘れないで!信頼を裏切らないように!

微々たることⅠ

2007-10-26 | 環境
       ドレッシングの赤や黄色い蓋

ずっと以前から気になっていたことだけど
何のためについているのか?
だって買ったらすぐに外の蓋は捨てる
中の小さなネジキャップだけで事足りている

何のためにか分からないけど、必ず付いている不思議な蓋
無駄なもの・・・
過剰包装の典型
こういう格好だけなんて無駄なもの許せない、それこそ資源の無駄使い!!

でも、美味しいからつい買ってしまった・・・
駄目じゃん!こんなん買っちゃあ
「買わない、増やさない」エコのモットーに外れてしまう

ついつい簡単に使えるものを買ってるねえ
すっかり加担している・・・てことか
難しいね、無駄なもの買わないということは(ていうか忘れてる
買い物の時はエコ袋持参だけでなく「無駄なもの買わない」と意識しなければ

限度

2007-10-22 | 環境
  リサイクルとは、資源の有効利用および環境汚染防止のために、廃物を原料として再生し利用すること。
資源再生。リサイクリング。 まだ使える不用品を他の人に提供して、活用をはかること。
 
 リサイクルは大きく、マテリアルリサイクル(素材としての再利用)と
サーマルリサイクル(熱としての再利用)がある。

 しかし、リサイクルされるかどうかは、リサイクルした時に儲けが出るか否かである。
 なので、「微価物・無価物の輸送費」を少なくしないと、廃棄にまわってしまうのだ。
 
 ペットボトルは現時点での技術では困難であり、リサイクルすることにより石油・コストがより多くかかってしまう。多くのエネルギーを使う再生紙にしても同じだろう

 資源を節約するはずなのにより多くのエネルギーを使うというのは考えさせられる。

 ペットボトル等の回収された資源のうち97%は燃やされているらしい。
 一概にリサイクルは環境によい「リサイクル=環境に優しい」とは言えない。
だからといってリサイクルしないほうがいいともいえない・・・リサイクルしなければゴミとして廃棄されるわけだし・・・

 もちろん投棄などせず、分別しなくてはならないのは当然だが、分別しリサイクルしさえすればいいと安易に考えてはいけないということでもある。

 大量生産大量消費は大量のゴミを出すということで、リサイクルより前に
ゴミを出さない、作らないということなのだが簡単にはいかない

 資源のある国、ない国、先進国、利潤追求を最優先するばかりに国と国との利害関係も複雑なようだ
大量生産大量消費は大きな経済効果を生んでいることは間違いないが
その代償はあまりに大きい

近代化と環境保護は相対していて難しい。
限りある資源、なんでも限度がある。
しかし、人間の欲望には限度がないのではないかしら
程ほどにしないとどんどん暴走して大変なことになる
どこかで止めなくては・・・手遅れにならないうちに