1年前、義母が介護認定を受ける時、病院で認知症の検査をした。
モノの名前を4つ覚えておいて、他の話をして、何だったかを聞いていたが、ほぼ覚えていた。
100から7を引いていくのは、正確ですごく早いのでびっくりした。
先生からすぐには認定が下りないかもしれないと言われたくらいだった。
しかし、義父は義母の事を「呆けた、呆けた」「つまらんようになった」とひどく言う。
よくモノを忘れる、日にちや曜日が分からなくなる。モノを探さなくてはならない。
ガスもつけたまま忘れて、鍋を焦がして危ないなどなど・・・
それって、私もある!
模様替えをすると、必ずどこに片付けたのか分からなくなるし、鍋も焦がす。
鍵を掛け忘れるどころか、掛けたかどうかが分からなくなったり、ゴミ出しを忘れていたり、洗濯物を干すのを忘れていたり・・・
86の義母は順調な呆け加減ではなかろうか?でなければ私はどうなる?恐ろしいことだ・・・
それはそれはしっかりモノの義母、義父はすっかり頼っていたから許せないのだろう。
義母は持病だけでなく心臓も悪くなってきて無理が出来なくなっているのだが。
義父が4年前、腸捻転で手術した時は、すっかり弱気になっていたのだが、今はすっかり元気になり
今まで以上に畑仕事をバリバリしている。
心臓が悪くなっている義母にもそれを求め「いつまで寝とるんなら!!」と怒ったり。
寝ていて治るものではないのだが・・・・・動くとしんどいのだ。
畑の草取っとけとか用事を言いつけて自分は気ままにパチンコに行く。
義母が元気だった頃は草取りなど仕事のうちにも入らないのだろうが
今は「肩が痛い、にがって寝られん」と病院に行くという事を繰り返すのだが
義父は「無理はさせとらん!」義母も「無理なことなんかしていない」と同調する。
義父には逆らえないから仕方ないのだが・・・・・
楽しんで食べられるだけ野菜作りをすればいいのに・・・義父は几帳面で徹底的にしなくては気がすまない性格が年とともに激しくなっている。
それも何でも大量に作るから大変なのだ、食べきれないのに・・・
畑を遊ばせておけないから植えなくてはならないという。
白菜も大根も広島菜も大量に漬物に。
それも食べきれなくて結局は次の年の漬ける時期には捨てる
の繰り返し。
漬物がない家は恥ずかしいことだと。
漬物が漬けられない嫁など考えられない!昔はもっと大量につけていたそう
長年、長男の嫁として舅、姑に仕え、看送り、3人の子育てもして、夫を支え商売をし、近所付き合いもしてきた。
今は義父だけに仕えているのだが、自由はないままというか、それが当たり前になっている。
今更一人で好きなところに行って好きなことをすることは出来ない。
字もきれいだしおしゃべり好きでにぎやかな人だったので、外に出たら多くの友だちも出来、色々出来たのではと思うが。
外に出してもらえなかったのだ。
嫁いでからは舅、姑に、商売に、子育てに縛られ全く自由はなかった。
子供も巣立ち、やっと年寄りからも解放されても、義父が外に出ることを嫌い家に縛っていた。
奴隷化していて、おかしいと感じることもなく
自分で何かをしようとかどこかに行こうとかは思えないようになっていた。
今は昔話の出来る近所の人も少なくなっている。
少しでも義父から開放してあげたかったから、週一日でもとディサービスにお願いしてよかったと思うのだが
ちょっと遅すぎた気はするが、仕方ない。
しかし、最近義父が、いい時はいいが、さっきの事も分からなくなることがある言い出し、今まで要支援だったのが、10月から介護1に認定が上がったことにびっくりした。
今までも遠まわしな言い方、謙虚な物言いだったのであまり変わったような気はしないのだが。
ずっと一緒にいないのだから分からんだけだと言われればどうしようもない。
今回の「置き薬」の件はそういうことだろうか?
モノの名前を4つ覚えておいて、他の話をして、何だったかを聞いていたが、ほぼ覚えていた。
100から7を引いていくのは、正確ですごく早いのでびっくりした。
先生からすぐには認定が下りないかもしれないと言われたくらいだった。
しかし、義父は義母の事を「呆けた、呆けた」「つまらんようになった」とひどく言う。
よくモノを忘れる、日にちや曜日が分からなくなる。モノを探さなくてはならない。
ガスもつけたまま忘れて、鍋を焦がして危ないなどなど・・・
それって、私もある!
模様替えをすると、必ずどこに片付けたのか分からなくなるし、鍋も焦がす。
鍵を掛け忘れるどころか、掛けたかどうかが分からなくなったり、ゴミ出しを忘れていたり、洗濯物を干すのを忘れていたり・・・
86の義母は順調な呆け加減ではなかろうか?でなければ私はどうなる?恐ろしいことだ・・・
それはそれはしっかりモノの義母、義父はすっかり頼っていたから許せないのだろう。
義母は持病だけでなく心臓も悪くなってきて無理が出来なくなっているのだが。
義父が4年前、腸捻転で手術した時は、すっかり弱気になっていたのだが、今はすっかり元気になり
今まで以上に畑仕事をバリバリしている。
心臓が悪くなっている義母にもそれを求め「いつまで寝とるんなら!!」と怒ったり。
寝ていて治るものではないのだが・・・・・動くとしんどいのだ。
畑の草取っとけとか用事を言いつけて自分は気ままにパチンコに行く。
義母が元気だった頃は草取りなど仕事のうちにも入らないのだろうが
今は「肩が痛い、にがって寝られん」と病院に行くという事を繰り返すのだが
義父は「無理はさせとらん!」義母も「無理なことなんかしていない」と同調する。
義父には逆らえないから仕方ないのだが・・・・・
楽しんで食べられるだけ野菜作りをすればいいのに・・・義父は几帳面で徹底的にしなくては気がすまない性格が年とともに激しくなっている。
それも何でも大量に作るから大変なのだ、食べきれないのに・・・
畑を遊ばせておけないから植えなくてはならないという。
白菜も大根も広島菜も大量に漬物に。
それも食べきれなくて結局は次の年の漬ける時期には捨てる
の繰り返し。
漬物がない家は恥ずかしいことだと。
漬物が漬けられない嫁など考えられない!昔はもっと大量につけていたそう
長年、長男の嫁として舅、姑に仕え、看送り、3人の子育てもして、夫を支え商売をし、近所付き合いもしてきた。
今は義父だけに仕えているのだが、自由はないままというか、それが当たり前になっている。
今更一人で好きなところに行って好きなことをすることは出来ない。
字もきれいだしおしゃべり好きでにぎやかな人だったので、外に出たら多くの友だちも出来、色々出来たのではと思うが。
外に出してもらえなかったのだ。
嫁いでからは舅、姑に、商売に、子育てに縛られ全く自由はなかった。
子供も巣立ち、やっと年寄りからも解放されても、義父が外に出ることを嫌い家に縛っていた。
奴隷化していて、おかしいと感じることもなく
自分で何かをしようとかどこかに行こうとかは思えないようになっていた。
今は昔話の出来る近所の人も少なくなっている。
少しでも義父から開放してあげたかったから、週一日でもとディサービスにお願いしてよかったと思うのだが
ちょっと遅すぎた気はするが、仕方ない。
しかし、最近義父が、いい時はいいが、さっきの事も分からなくなることがある言い出し、今まで要支援だったのが、10月から介護1に認定が上がったことにびっくりした。
今までも遠まわしな言い方、謙虚な物言いだったのであまり変わったような気はしないのだが。
ずっと一緒にいないのだから分からんだけだと言われればどうしようもない。
今回の「置き薬」の件はそういうことだろうか?
最近、気温高く暖かいですよね。11月になったというのに・・・
10月の初旬の冷え込みが嘘みたい。
畑の作物は順調に育ち
畑の周りに、びっちり張り巡らされた網
随分大きくなっていると思っていたけど・・・採り難くて
そろそろ採ってももいいぞとと言われても、どこから入ればいいの?
どうやって採ればいいの?ホントにいいの?という感じでした。

上にも中にも周りにも・・・・
これを、取り外すのを手伝いました。汗かきました。
義父のこまめさ几帳面さには感服です。
昨年の入院手術が嘘のように、今年は特に丁寧に、大量に作られていた。
元気になって嬉しくて頑張ったんだろうと思っていたら
商工フェスのバザーに、2年続けて出していたので、今年はより頑張ってたらしいのですが
申し訳ないことに、私も子ども達も予定があり出なかったのです。
水菜などはもう大きくなり過ぎ、バシバシになって食べにくくなっています。
早いんです成長が・・・・・
白菜も大きくなり、根元が腐り始めているのがある。
もっと早いうちに、スプラウトや間引き菜で
柔らかいうちに、食べたら美味しいかったのになぁ・・・
天候の所為もあるのでしょうか?
カブは外見はきれいなのに中が黒くなっていて食べれないのがかなりありびっくり!

サツマイモも早く食べなければ!
大学芋にしたり、天ぷらにしたり、チップスにしたり・・・
大根やカブの葉も炒めて食べたり、春菊も煮びたしにしたり
おかげさまで野菜三昧。
毎日、いっぱい頂いています。
義父母は小食なのに・・・

あれもこれも、早く食べなくちゃ!
食べきれない・・・
10月の初旬の冷え込みが嘘みたい。
畑の作物は順調に育ち
畑の周りに、びっちり張り巡らされた網
随分大きくなっていると思っていたけど・・・採り難くて
そろそろ採ってももいいぞとと言われても、どこから入ればいいの?
どうやって採ればいいの?ホントにいいの?という感じでした。

上にも中にも周りにも・・・・
これを、取り外すのを手伝いました。汗かきました。
義父のこまめさ几帳面さには感服です。
昨年の入院手術が嘘のように、今年は特に丁寧に、大量に作られていた。
元気になって嬉しくて頑張ったんだろうと思っていたら
商工フェスのバザーに、2年続けて出していたので、今年はより頑張ってたらしいのですが
申し訳ないことに、私も子ども達も予定があり出なかったのです。
水菜などはもう大きくなり過ぎ、バシバシになって食べにくくなっています。
早いんです成長が・・・・・
白菜も大きくなり、根元が腐り始めているのがある。
もっと早いうちに、スプラウトや間引き菜で
柔らかいうちに、食べたら美味しいかったのになぁ・・・
天候の所為もあるのでしょうか?
カブは外見はきれいなのに中が黒くなっていて食べれないのがかなりありびっくり!

サツマイモも早く食べなければ!
大学芋にしたり、天ぷらにしたり、チップスにしたり・・・
大根やカブの葉も炒めて食べたり、春菊も煮びたしにしたり
おかげさまで野菜三昧。
毎日、いっぱい頂いています。
義父母は小食なのに・・・

あれもこれも、早く食べなくちゃ!
食べきれない・・・
次々と事が起きた
義父が突然激腹痛で病院に駆け込んで、小腸が腫れて腸閉塞を起こしているからと手術をした。
開腹したら、小腸ではなくS字結腸がねじれ腸捻転、腫れて閉塞しかけていたらしい。
それが、1月の終わり
もう2ヶ月が過ぎようとしているのだからとっくに退院していてもいいのだが
まだ、抜糸が出来ないでいる。
最初は順調かと思いきや、傷口が膿んでいて切開して出し、よく分からないが膿を出すために少し残して縫っていたらしい。
しばらくすると腹圧を掛けすぎて?(当然のような気がするが…)
割けて腸がはみ出して再手術。
そんなことが2回。
抜糸をし掛けていたのにまた・・・ウインナーのような腸がはみ出たのをを見たと義母。
義母は毎日病院に行って、ほぼ一日中ついていたのだ。
糖尿病で傷が治りにくい体質ではあったのだが・・・
そのうえ点滴が入りにくい血管で看護婦さん泣かせ
やっと食べれるようになっても、小食で傷口のもりが悪く
今までのこともあるし、抜糸が中々出来ないでいるらしい。
おまけに院内感染で腸炎になって、また・・・

義父が突然激腹痛で病院に駆け込んで、小腸が腫れて腸閉塞を起こしているからと手術をした。
開腹したら、小腸ではなくS字結腸がねじれ腸捻転、腫れて閉塞しかけていたらしい。
それが、1月の終わり
もう2ヶ月が過ぎようとしているのだからとっくに退院していてもいいのだが
まだ、抜糸が出来ないでいる。
最初は順調かと思いきや、傷口が膿んでいて切開して出し、よく分からないが膿を出すために少し残して縫っていたらしい。
しばらくすると腹圧を掛けすぎて?(当然のような気がするが…)
割けて腸がはみ出して再手術。
そんなことが2回。
抜糸をし掛けていたのにまた・・・ウインナーのような腸がはみ出たのをを見たと義母。
義母は毎日病院に行って、ほぼ一日中ついていたのだ。
糖尿病で傷が治りにくい体質ではあったのだが・・・
そのうえ点滴が入りにくい血管で看護婦さん泣かせ
やっと食べれるようになっても、小食で傷口のもりが悪く
今までのこともあるし、抜糸が中々出来ないでいるらしい。
おまけに院内感染で腸炎になって、また・・・

先日、義父母が二人で車で買い物に行った時のこと。
店で近所の人と出会ったので、義母が話し込んだ(おしゃべりな義母は話し出したら長い)
義父は買い物を終え、車へ。
義母は、話がすんで駐車場へと行ったら車がない!
「怒って、おいて帰られた」と思い、どうしようかと仕方なく歩いて帰ったそうだ。
しかし、家には義父はいない。
しばらくして義父が帰ってきた。
「なにゅうしょうるんなら!帰っとるじゃないか!」
義母は、「車がなかったけえ」と・・・
「そがにワシが信用できんのか!」とすごい剣幕だったらしい。
確かに、置いて帰るなんてありえんと思うんだけど・・・
置いて帰られたと思うほど信用されていない義父、普段の我侭が原因では?
働き者でしっかり者の義母。
「おじいさんが怒ってとも怒ってとも。探したんじゃがのぉ。わしゃしんどいのに歩いて帰ったのに」
と。
自分が見つけなかったことが原因だと思っていないように聞こえる・・・よほどしんどかったのだろうが。
それとも義母のボケが始まっているのか!?
店で近所の人と出会ったので、義母が話し込んだ(おしゃべりな義母は話し出したら長い)
義父は買い物を終え、車へ。
義母は、話がすんで駐車場へと行ったら車がない!
「怒って、おいて帰られた」と思い、どうしようかと仕方なく歩いて帰ったそうだ。
しかし、家には義父はいない。
しばらくして義父が帰ってきた。
「なにゅうしょうるんなら!帰っとるじゃないか!」
義母は、「車がなかったけえ」と・・・
「そがにワシが信用できんのか!」とすごい剣幕だったらしい。
確かに、置いて帰るなんてありえんと思うんだけど・・・
置いて帰られたと思うほど信用されていない義父、普段の我侭が原因では?
働き者でしっかり者の義母。
「おじいさんが怒ってとも怒ってとも。探したんじゃがのぉ。わしゃしんどいのに歩いて帰ったのに」
と。
自分が見つけなかったことが原因だと思っていないように聞こえる・・・よほどしんどかったのだろうが。
それとも義母のボケが始まっているのか!?
以前から父に習おうと思っていてのびのびになっていた
「わらぞうり」
よく老人会の行事で小学校に教えに行っているというのを聞いたことがあった
それは、藁で編んで作るのだが布で作ったら履き心地良いのではと思っていた
数年前からタオルで作るぞうりというのがはやりだして
それは私のアイデア!って・・・(考えることは一緒か)
実行が伴わない、机上の空論が得意な私
昨日やっと習った
が、スムーズにいかない
よくわからない
本当に小学校で教えていたの?まあ十年以上前だった・・・
やはり年のせいかしら?
大まかなことは覚えているのだが細部になるとあいまいになる
「まあ、やり方だけわかりゃええが」
「藁ならみやすいのに、タオルじゃけえむずかしいんよ」
「まあやってみて、自分で考えてするんよ」
以前作ってもらったのをもらったのが家にあるのだが
「それがあるんなら、それをみりゃわかるが」
見ただけでわかって作れるものなら誰も教えてなんて言わないがな
こりゃ駄目だ・・・
ほどほど聞いて退散だ
老いを自覚させることになってしまったかも
まあ誰でも何でも使わなければ忘れるから仕方ないことなんだが
思い出せればいいんだけど・・・
これは頭と手と足を使うからボケ防止にも良いはず!
今度行った時には薦めてみよう
帰ってネットを調べたら「布ぞうりの作り方」というのがあった
いびつなんだけど何とか出来上がった
使い古したタオル2枚で出来たけど、こりゃあ足雑巾だな

布ひもがたくさんとってあったので小さいぞうりを作ってみた
誰かはいてくれるかな?
「わらぞうり」
よく老人会の行事で小学校に教えに行っているというのを聞いたことがあった
それは、藁で編んで作るのだが布で作ったら履き心地良いのではと思っていた
数年前からタオルで作るぞうりというのがはやりだして
それは私のアイデア!って・・・(考えることは一緒か)
実行が伴わない、机上の空論が得意な私
昨日やっと習った
が、スムーズにいかない
よくわからない
本当に小学校で教えていたの?まあ十年以上前だった・・・
やはり年のせいかしら?
大まかなことは覚えているのだが細部になるとあいまいになる
「まあ、やり方だけわかりゃええが」
「藁ならみやすいのに、タオルじゃけえむずかしいんよ」
「まあやってみて、自分で考えてするんよ」
以前作ってもらったのをもらったのが家にあるのだが
「それがあるんなら、それをみりゃわかるが」
見ただけでわかって作れるものなら誰も教えてなんて言わないがな
こりゃ駄目だ・・・
ほどほど聞いて退散だ
老いを自覚させることになってしまったかも

まあ誰でも何でも使わなければ忘れるから仕方ないことなんだが
思い出せればいいんだけど・・・
これは頭と手と足を使うからボケ防止にも良いはず!
今度行った時には薦めてみよう

帰ってネットを調べたら「布ぞうりの作り方」というのがあった
いびつなんだけど何とか出来上がった
使い古したタオル2枚で出来たけど、こりゃあ足雑巾だな

布ひもがたくさんとってあったので小さいぞうりを作ってみた
誰かはいてくれるかな?

食後の義父母の会話
義父の5種類も6種類もある薬を、朝昼晩ときっちり分けている(普通は義母が用意していた)
その日は義父が自分で出して、さらに薬を出していた。
まだご飯を食べていた義母それを見て「わしのを出してくれよるんね」と言っていた(義母が具合が悪くなったので気を利かしているのだろうと思っていた)
そうこうしているうちに義父「お茶飲むんか」とか言いながらパクッ!
義母が「ありゃ、わしの薬は?どこにあるん?」と言った。
義父「なにゅうようるんなら!お前は、今飲んだじゃろうが!」
義母「お父さんは今のみょっちゃたが、わしゃあ、まだのんどらんが」
義父「わしゃしらんよ・・・」
義母「お父さんが出してくりょっちゃったんじゃないの、どこにあるん?」
義父は義母の分まで飲んだらしい
義母はまだご飯を食べ終わっていないのに食後の薬はどこにもない
「おかしいことよの・・・」義父は中々認めたくないらしい。
やれやれ、先が思いやられるw…
確かに多くの薬、三度の食事ごと、さらに食前食後があれば飲み忘れや、間違えるのも不思議ではないのかもしれない
薬の副作用というか弊害がなければいいが…
義父の5種類も6種類もある薬を、朝昼晩ときっちり分けている(普通は義母が用意していた)
その日は義父が自分で出して、さらに薬を出していた。
まだご飯を食べていた義母それを見て「わしのを出してくれよるんね」と言っていた(義母が具合が悪くなったので気を利かしているのだろうと思っていた)
そうこうしているうちに義父「お茶飲むんか」とか言いながらパクッ!
義母が「ありゃ、わしの薬は?どこにあるん?」と言った。
義父「なにゅうようるんなら!お前は、今飲んだじゃろうが!」
義母「お父さんは今のみょっちゃたが、わしゃあ、まだのんどらんが」
義父「わしゃしらんよ・・・」
義母「お父さんが出してくりょっちゃったんじゃないの、どこにあるん?」
義父は義母の分まで飲んだらしい

義母はまだご飯を食べ終わっていないのに食後の薬はどこにもない

「おかしいことよの・・・」義父は中々認めたくないらしい。
やれやれ、先が思いやられるw…
確かに多くの薬、三度の食事ごと、さらに食前食後があれば飲み忘れや、間違えるのも不思議ではないのかもしれない

薬の副作用というか弊害がなければいいが…