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夢もよう・夢にっき

今は一瞬で過去になり、残る写真や日記もその時々で不思議もよう。まるで夢の中の出来事のよう

続・子ども・・・消費

2008-02-16 | 気になる記事生き方
           キャラ商品、広告はんらん
             ビジネス市場の規制ゆるく
 国勢調査によると、05年に15歳未満の子どもは約1752万人(全人口比13.7%)で、10年前に比べ約250万人も減少した。
 それに対し、子ども関連ビジネスの市場は拡大している。
民間調査会社の矢野経済研究所(東京)によると、07年が11兆9451億円予測で、01年の11兆5112億円から約4%増加している。

 同研究所研究員向畑さんは「子ども専用美容室や子ども連れを対象にした旅行など、子ども関連の美容室や子ども連れを対象にした旅行など、子ども関連の新しいビジネスが次々と登場している。少子化で市場規模全体は高止まりだが、子ども一人に対して、周囲の大人が投資する金額は今後も増加するだろう」と言う。

 子供向けのマーケティング(市場戦略)もどんどん高度化している。
しかし、日本は欧米諸国に比べて、子どもを未熟な消費者として守る体制が立ち遅れているようだ。
 「子どもへの誘惑がいっぱいで、我慢させるのが大変」日本に一時帰国する会社員はこぼす。

  <中略>
 武蔵大学社会学部教授の山下玲子さん(社会心理学)は
「テレビのキャラクターが企業の商品を宣伝することで過剰な購買意欲を子どもにかきたてる。
また、現実とテレビの仮想世界があいまいになり、子どもの発育にも影響が出ることもある。米国では約30年前から規制があるが、日本ではホストセリングという言葉さえも知られていない」と指摘する。

企業は儲けることが目的なのだからなあ
いかに宣伝してあおりたて購買欲をかきたてるかにかかっているのだ

一種の暗示や催眠のようなものだろう
あおりたてられ、何度も聞かされ、はやしたてればその気になってしまう
人間は弱く、すぐ周りに影響される
子どもには今、とても身近で、簡単で入りやすくて、現実と仮想の世界が区別できなくなるのだろう
どんどんエスカレートするばかりだから、規制するしかないのだろうか?
信号機の役割をルールを作るということかな?
「危険!」「徐行」などの標識が必要ということだろうか?
でも、やっぱり左右確認して、判断しハンドブレーキ、フットブレーキをかけるのは自分だ!消費者だ!!
周りの車がいくら挑発しようとも、観客がはやしたてようとも最終的には自分の責任なのだ。
助手席の人の命をもあずかっていることを肝に銘じて・・・

子ども・・・消費

2008-02-14 | 気になる記事生き方
読売新聞朝刊より
  子ども・・・・・・・・・・ 消費
      部屋はおもちゃの山   時代反映 つい買い与え
 少子化時代の子どもは多くの大人に囲まれて生活している。
国勢調査によれば子ども一人に対する大人の数は6人。子どもと取り巻く環境は大きく様変わりをしている。

 博報堂の調査によると、一人の子ども(0~9歳)に物が買い与えられる回数は年間平均で約120回。
特別な日だけのプレゼントではなく、3日に一回、誰かに何かをもらっている計算だ。
子ども一人当たりに年間に消費される金額は平均で約43万円。
働く父親の小遣いに匹敵する。
 
 こうした子供向けの消費を支えるのは、複数の「ポケット(財布)」から繰り出される資金だ。
ポケットの数は両親と祖父母の計6つだが、最近はおじおば、両親の友達などが加わって7つ、8つあることも珍しくない。

<ある家庭のおもちゃの数、ミニカーが292個、電車のおもちゃが113個、カルタやパズルなど706個、本が148冊。
もう一軒は、引越しの際かなり処分したというが、おもちゃ200個、漫画と本が230冊。
他家は、おもちゃ類334個、本が179冊。
担当記者
10歳女児=おもちゃ387個、漫画と本188冊、
8歳男児=おもちゃ166個、漫画と本206冊
6歳男児=おもちゃ603個、本299冊>

 「現代は、昔のようにお金がないから買えないという時代ではない。子どもに欲しいと言われて『買いません』と親が言い続けるのは大変」
そう、大変だから記者も買い与えてしまう。
「子どもが仲間はずれにならないように」
「親が共働きで寂しいだろうから」などと言い訳しながら。

 現役の子育て世代は、高度成長期やその後に生まれ、祖父母世代より豊かな時代を生きてきた。
そして今の子どもたちは、親世代以上に多くの商品や情報に囲まれて育っている。
現代の子どもたちはどんな消費者に育っていくのだろう。


おもちゃがあふれている家の中に物があふれている!
数えてチェックしてみることはいいことだ、自分では中々気付かないから自覚が出来るだろう

子どもが買っているのではない、欲しがっているのではない
すべて大人がおカネを出して大人が欲しがっていたのだ
子どもに欲しいと言われて『買いません』と親が言い続けるのは大変?
親が、大人が誘惑に負けないで我慢すればいいだけのことでは?
企業戦略に簡単に乗っているのは大人
なぜ買わなくてはならないのか?何が必要なのか?
必要のないものは買わない、それはおもちゃに限らない
それを子どもに伝える。
取り巻く環境のせいにして責任逃れしていてはいけないのだ
子どもがどんな消費者に育つかは、親がどんな消費者であるかによって決まるのではないだろうか
親の考え方や生き方は子どもは見ていないようでしっかり見ている。

自分の役割を導く

2008-02-12 | 気になる記事生き方
読売新聞朝刊より
よみうり堂          ビジネス 5分 道場
    【教訓】全体像から自分の役割を導く
                    三神 万里子   ジャーナリスト、漫画家
 北海道の羊蹄山に近い林に、東京ドームのグラウンドが収まる巨大な穴がある。
廃棄物の最終処分場だ。
4年前、ここのゴミを見下ろしながら処理事業者に話を聞いた。
当時、廃棄物処理業界は不法投棄が絶えず風当たりが強かったが、この経営者は設備投資を続け、分別を徹底していた。
 「牛乳パック一つでも表面にはインク、内側にはプラスチックがある。
これと紙をはがす時、日本の産業がどれだけ複雑に絡み合っているかを感じます」
 モノやサービスをシンプルにするのは一筋縄ではいかないから、自分は埋め立て量を最小限にすることを考えているのだと語った。
 
 米国の文明評論家ジェレミー・リフキン著『水素エコノミー エネルギー・ウェブの時代』(NHK出版)には、この経営者の感覚と似た記述がある。
豊かさの指標とされる国内総生産は、人間の力では復元不可能な規模の秩序を環境から搾取し、文明と称してモノやサービスに置き換えているだけだというのだ。
 職業を問わず、社会の全体像を考える人は、現状のこうしたビジネスモデルの限界を見抜き、自分の役割に落とし込む。
具体的な行動に繋がる点で使命感は、単なる罪悪感とは違う。
 
 津本陽著『商人龍馬』(日本経済新聞出版社)は、基礎から社会を再構築しなければならなかった明治維新に向け、坂本龍馬がどう動いたかを追っている。
町人から郷士になった坂本家で、龍馬は商業感覚を育んだとし、藩や身分制の範疇でしか発想できないほかの士族との差を描く。
龍馬は、日本の面積が世界の200分の1以下という全体像の把握から入り
米国の政治と軍事力を調べ、国内における艦船一隻の製造原価と運航にかかる人件費、製造技術の現状を研究する。
そこから物価と流通を安定させる海軍の必要性を見抜き、貿易で国を富ます将来像に達する。
そして情報を得るため脱藩した。

 全体像を見据え、既存の枠組みを超えて動く人は各産業にどれだけいるだろうか。
農林水産業や環境、ODAなど生命に近いインフラ産業には、昨今、こうした人々が出始めている。

まさに、豊かさは、人間の力では復元不可能な規模の秩序を環境から搾取し、文明と称してモノやサービスに置き換えている…
文明の進化も、資源にも、人間の能力にも必ず限界があるのだ
そこをわきまえた上で、何をしたらいいのか、何が出来るか考えられればいいのだが・・・自分が一番正しいと主張し要求する、自分が、今が良ければいい
毎日のように起こっている凶悪な信じられないような事件
全体を見据え将来を見据えることは難しいということか
欲望のおもむくままに豊かさを追求しては人間は幸せにはなれない・・・

電気ブタナマズ

2008-02-11 | 気になる記事生き方
2008.2.10読売新聞朝刊   Y&Y日曜版より
不屈のひみつ
        ダサい僕 かき消したギター
                 ロック・ミュージシャン ROLLYさん
 大阪・高槻の電気店に生まれた待望の跡取り息子。
両親は期待をこめて「一雄」という男らしい名前を付けた。
ところが、本人は、野球やサッカーには、まるで興味なし。
マレーネ・ディートリヒとマリリン・モンローに魅せられ、女性の服を着て、鏡の前でうっとりする少年だった。

 「勉強は出来ないし、駆けっこはビリ。気弱で陰気なうえに女装趣味ときたら、周りからはすっかり変体扱い」
 「人に迷惑をかけたらあかん」という母の教えを、かたくなに守っているにもかかわらず、いつも異端視される。
いいしれない孤独を物心ついたころから味わっていた。

 小学3年生の頃、いじめが始まった。
小太りで強度の近視、おまけにうっすらヒゲが生えている。あだ名は「電気ブタナマズ」。
 「ずる休みする度胸もない。風邪を引けば休めると、おなかを出して寝たことも」。
そんな息子を母は「そんなん放っておき。いじめられたお陰で人より強くなれると思えばええんや」と励ました。
その底抜けの明るさが、唯一の救いだった。

 中学一年の時の夏休み、兵庫県の母の実家でギターとであった。
「いとこのお兄ちゃんにいくつかコードを教えてもらったら、すぐにうまくなって。うれしくて、夏休みの間ずっと練習してたなあ」
ギターが上達するにつれて、自信が育っていった。

 20代半ばには、過酷なダイエットで20キロ近く減量。
「電気ブタナマズ」の面影は、もうなかった。

 デビュー時のバンド「すかんち」解散後は、シャンソンやジャズ、ミュージカルなどへと、活動の幅が広がった。
4月には、1昨年結成したバンド「The卍(ザ・マンジ)の初アルバムのリリースを控えている。
 
 順風の中にいるが、そんな時ほど、なぜか心細くなる。
「神様のわなかと疑ってしまう。すべて夢で、目が覚めたら何もかも失っているんじゃないかと」。
 「小太りで弱虫の一雄は消えた訳じゃない。今も僕の中にいるんです」。
どこまでも「孤独」や「不安」と共に進むしかないと、覚悟している。(飯田裕子)

「いじめを恐れて個性を抑えるのではなく、むしろ伸ばせばそれがウリになる。変なやつほど磨けば光るのだから」

スパロウ船長を観たときにも思ったけど、ひょうきんな顔する時ジョニー・デップに似てる気がするんだよな(ちょっと細身だけど)

ギターに出合えて良かったねえ、出合いをどう生かすかはその人の才能だろう

だれも皆「孤独」で「不安」なんだけど普段は気付かないだけ、忘れているだけ、逃げているだけ
人生は無常なり、同じ状態は続かない
過ぎてしまえばみんな夢の中の出来事かもしれない・・・

笑うということ

2008-01-06 | 気になる記事生き方
2008.1.5(土)読売新聞朝刊
 日本の知力!より
          第1部 最前線で考える ③
       笑いは進化の証し
 アクリル板に囲まれた実験室に突然、興奮したような大きな声が響いた。
「ハッハッハッハッ」。
愛知県犬山市にある京都大霊長類研究所。
声の主はチンパンジーのアユム(7歳)。
母親のアイ(31歳)とじゃれ合いながら、口を弛緩したように開け上あごから白い歯をのぞかせている。
 「今のが、笑いの表情です。遊びながら、太ももやわきの下をくすぐると笑い声も上げます」と松沢哲郎所長(57)。
一息吸って笑い続ける人間と違い、「ハッ」の1音ごとに息を吸って吐き
歯茎をむき出しにしないのがチンパンジーの笑いの特徴だという。
 同研究所では2000年、アユムが睡眠時に微笑むのを確認した。
人間の「新生児微笑」と同じものと考えられ、アユムはやがてアイと見つめ合って笑う「社会的微笑」も見せるようになった。
ニホンザルにも新生児微笑は見られるが、社会的微笑には発展しない。
遺伝的にチンパンジーのほうが、より人間に近いことを示しているといえる。
 
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは
「動物の中で笑うのはヒトだけである」と定義したが、松沢署長によれば
「人間は最もよく笑うサルである」ということになる。
         ■
 フランスの哲学者ベルクソンは著書『笑い』の中で
滑稽を「純粋理智に呼びかけるもの」ととらえた。
 「人間は知力で笑う」。そう話すのは落語家の桂文珍さん(59)。
「知識、経験、想像力のすべてを動員して笑う。つまり、知力を高めるほど、人生を楽しめるということ」
 「笑いがなければ、人間は言葉も獲得できなかった」というユニークな「笑い進化論」を唱えるのは関西大の木村洋一教授(59)(コミュニケーション論)。
         ■
 元同時通訳者の松村増美さん(77)によると
1985年のジュネーブ会談の際、レーガン米大統領(当時)は、旧ソ連のゴルバチョフ書記長(同)のことを「ディスアーミングな人」と評したという。
「軍縮の」と「敵意を失わせる」の二重の意味。
その後、米ソは歩み寄り、核軍縮が進んだ。厳しい外交の場にこそユーモアが必要であることを、レーガン氏は心得ていたようだ。
 「人は、笑った瞬間、追い詰められた現状を抜け出し、新しい方向を見出すことが出来る」と劇作家の井上ひさしさん(73)。
「人生には死と絶望が待ち構えている。だからこそ、自らの手で笑いを作り出し、他人と分け合わなくてはならない」。
劇場や寄席を「精神を温めてほぐす銭湯」と呼ぶ井上さんは「笑うことで、観客は擦り切れた心を洗い流し、生きるエネルギーを取り戻す。世界との一体感を持つことが出来る」と語る。
 チンパンジーが笑う姿に、どこか人間的なものを感じてしまうのは錯覚ではあるまい。
笑いこそヒトが獲得した最も豊かな「知力」ではないだろうか。


なるほど笑いは知力か!
漫才やお笑い、落語にしても寄席にしても、それぞれの知識や経験、想像力によって理解できるから共感し笑えるのだろう

笑うことで一時的にしろ緊張緩和しリラックスした気分になり、不安が減ることは事実。
怒りなどのほかの感情から気がそれる
自然治癒力、免疫力も高まると言われるのもうなずける。

新生児微笑から社会的微笑に発展する
微笑みかけること、微笑んだら微笑み返すことでコミュニケーションが取れるようになるのではないだろうか
くすぐったい時、嬉しい時、楽しい時、面白い時に笑う。
共感し、共に笑う。
ひょっとしてこれが赤ちゃん時代から出来ていない場合、親子関係がうまくいかなくなったり、社会生活に馴染めなかったりするのではないだろうか?
笑いはそれほど大切なものだったんだ・・・

動いてなんぼ

2007-12-10 | 気になる記事生き方
2007.12.9(日)読売新聞朝刊   くらし■健康・医療より
も言わせて 
      「健康」動いてなんぼ
         徳島県医師会糖尿病対策班長(徳島大名誉教授)島 健二さん

 徳島県は、糖尿病による死亡率が昨年、人口10万人あたり19.5人で14年連続で全国ワースト1位です。
糖尿病は肥満と密接な関係があり、徳島県民は肥満率も高い。
大きな原因は運動不足です。

 阿波おどりで有名な徳島ですが「踊るアホウ」はそれほど多くありません。
 県民が一日に歩く歩数は、全国平均より一日1000歩少ないといわれています。

 歩かないのは車の影響です。
都会の人たちは車をもっていても、電車に乗るために結構歩きますが
地方では、車に乗るのはドア・ツー・ドアが常識。
車で5分程度なら都会では「じゃあ歩こうか」と考えますが
地方では必ず車に乗る。頭の中に「歩く」ということがない生活文化になっています。

 もうひとつは「食べ過ぎ」です。
徳島県は味付けが濃い傾向があり、元々カロリーが高い。
肥満と糖尿病の予防には、運動不足と食べすぎという二つの生活習慣を変えていくしかありません。
 家庭や職場で動くのを含めて一日に7000~8000歩は歩いてほしいですね。
 糖尿病患者の増加は、世界的な傾向です。
 人類が地球上に現れてから数百万年。
その歴史はほとんど飢餓との闘いでした。
飢餓に耐えて運動するのに適した遺伝子が伝えられてきました。
我々の体は、過去の生活にあった設計図を持っているのです。
 それなのに、動かずに食べてばかりとなると、変調をきたすのは当然。
それが生活習慣病です。
我々の体は“動いてなんぼ”の体なんです。
 すでに糖尿病になった患者でも、30分歩くだけで、すごく体調がよくなります。
病気にならないためにも、とにかく運動。
通勤手段を車から自転車に変えるだけでも全然違ってくるはずです。
                (聞き手 徳島支局・松本航介)


そう、確かに歩くことがないし動かなくてもすむようになっている
最近は自転車にも乗らなくなった
買い物は近くても、5分の所でも荷物が多いからと必ず車。
10年前では考えられなかったことだ(いや5年前かな)
私が車の運転を気軽にするようになるなんて・・・
考えてみると不思議な気がする

 私には向いてない、無理だと思っていたのに
運転をする人はすごい、私には夢のようなことだと思っていたのに
不便でも自転車で行けるところは行き、どうしても無理な時は人に頼んで乗せてもらっていたのに
仕事で車の運転をしなくてはならなくなり、嫌々し始めた
お陰で退職した今では、車が足とまではいかないが、自分で便利に使っている。

気付くと、とても車なしの生活は考えられなくなってしまっている

 昔はエンストもよくしていた
坂発車が苦手だった
今ではクラッチあわせなんて出来なくても、ペタルを踏むだけで前に進む
なんと簡単な車の運転
私でもできるようになった
便利ではあるが、あまりに簡単になり逆に怖いものになっている
下手でも簡単に動かせるため、自信過剰になり凶器になるという自覚が薄れ事故も起こしやすくなっているのではと危惧する

 大量生産大量消費が進み、田舎では大人の数だけ車があるうちも多い
車が増えすぎ、便利な分、維持費も排気ガスも事故も増えている
とてもエコな生活とはいえなくなっているということだ

 人間はその便利さにあぐらをかき、どんどん横着でわがままになっている
経済の発展にうかれ、気がつかないうちになまけものになり肥満になり病気になっているということではないか
 現代は、飢餓の歴史があったなんて信じられないほどの飽食の時代
大量生産大量消費にうかれている
食べたいものを食べたい放題、バイキングや、大食いが流行っている
地球上の資源をすべて食い尽くす勢いだ
その一方、日本社会には食べ物が捨てるほどにあるのに、その陰で餓死する人がいるのも現実。
毎日三食、食べていけていることに感謝しなければいけないと思う。

簡単便利さに慣れ、どっぷりつかっている今、それを使わないことは容易ではないし
美味しいものを我慢するなんてことも難しいだろう
しかし何でも過ぎることはいけない

わざに商魂たくましい運動器具を買ったり、作られたサプリメントを飲むのではなく、生活の中で動き回り、自然の中で、人間本来の知恵と体力をこまめに使うべきだ!
体を使うことを尊重しよう
動けなくなる前に気付いて動こう
健康であることを、動けることを、食べられることを感謝して
技術を、体力を、知力を、持っているものをどう使うか、工夫することを取り戻そう。
脳のためにも身体の為にも精神のためにも
一刻も早く気付いて、生活習慣を変える努力をしなくては!!
肥満、糖尿病、生活習慣病に過ぎた贅沢にさよならしよう!

不便の中の豊かさ満喫

2007-11-29 | 気になる記事生き方
2007.11.25 読売新聞朝刊
    楽しむより
    伝統の知恵 四季と共生

 京都・上木屋町。ここに、帝塚山学院大教授でタレントのジェフ・バーグランドさんが居を構える町家がある。
京都に住んで約40年。
木造建築のぬくもりにひかれ、7年前、かつて料理旅館だった築160年の2階建ての町家に移り住んだ。
 路地の奥。
中央の坪庭から陽光が差し込む内部は狭さを感じさせない。
裏には眼下に鴨川が流れ、その背後に大文字山をはじめとする東山三十六峰。
「手間暇かければ、あと200年でも住める」と屋根をふき替え、自ら土壁を塗り替えながら、町家の暮らしを楽しむ。

 しっかりとした柱や梁で重厚感のあるたたずまいの古民家が見直され
京町家も趣ある外観や風情から今、注目を集めている。
だが、ジェフさんは「金銭的にも精神的にも覚悟が必要。憧れだけでは住めない」と言い切る。
 夏の酷暑、冬の底冷え・・・
そんな京盆地の町家で快適に過ごすには、打ち水をして涼を誘ったり
おくどさんでご飯を炊いて部屋を暖めたりといった工夫が欠かせない。
おまけに、維持費もかさむ。
 さらに、隣家との間が壁一枚の町家では、近所同士が迷惑をかけぬようにする必要もある。
 
 「町家暮らしの極意は、不便さの中の豊かさにある」とジェフさんは言う。
四季の移ろいを敏感に感じ取り、共生する。
そんな町家スタイルには、最新技術で建てられた住宅よりも
少々使い勝手が悪くとも、長年蓄積された先人の知恵や工夫、地域の歴史と文化が詰まっている。
 
 ジェフさんは「ちょっと我慢することの大切さを町家はそっと教えてくれます」とほほ笑む。
みやびの中に、京の町衆が大切に守ってきたつましい暮らしが、そこにある。

 
 町家を構成するのは、木材や土壁、畳、ふすまと再生可能な自然素材ばかり。
「町家には、物を大切に使い続けるという発想があふれています」
「住んでこその家。町家は生きているんです」 

日本の昔の家は、自然素材で作られていて、丈夫でうまく使えば何百年も住めるんだ!
まあ、普通の安普請の家はそこまでは無理だろうが、それでもそれなりの手入れをすれば、かなりもつはずだ

不便な中でこそ、手間暇かけ、工夫して暮らすことで
四季を感じながら、ゆったりとした贅沢な豊かな時間が流れる

でもそこで暮らし続けるには、維持費はもちろん相当の手間をかける覚悟が必要だ
ずっとつましい暮らしに慣れていればそれほど不便は感じないのだろうが
現代の利器を使いつけて、便利に慣れ、ぬくぬくと四季を感じることのない暮らしに何も考えずどっぷりつかっているやからにはちょっと無理かもしれない
この町家暮らしを満喫しているジェフさんはすごい!(日本人顔負けやわ)

これこそ物を大切にするエコな暮らしの原点だ。
まず、自然に還る素材でりっぱな職人さんが作った家
丈夫で、身体にもいいし、環境にもいい
風を通し、こまめに手入れをして色々考えて工夫をし大切にする
そうすれば、愛着もわくし、何百年ももつ
すばらしい財産だ

いいところ探し

2007-08-29 | 気になる記事生き方
 くらし 学びより          
         こどもの心 * 小学校で⑥

 5年生を受け持った時の5月、T男がつぶやいた。
「僕はやりたくないなあ。だって、どうせ僕にはいいところなんてないもん」。
クラスの友達の「いいところ探し」をしようと提案した時のことだ。
 クラス替えをしたばかりで、まだ子ども同士の関係が深まっていない時期である。
 友達のことを知ってほしい、長所を見つける目を持ってほしい、という意図で提案した。

 「その人のいいところや、よさを見つけた場面などを書きましょう」と全員の名前を書いたプリントを配布した。
プリントを前に、ニコニコしながら書く子、友達の顔をちらちらと見て書く子、難しい顔で考え込む子など様々だ。
それでも表情を見ているだけで、子ども達が一生懸命友達の良さを見つけようとしている様子が伝わってきた。
T男を見ると、全く書けていない。小声で伝えた。
「T男くんの良いところを書いてくれている人がたくさんいるよ」「うそだー」
「うそじゃないよ。習字がうまいとか、係りの仕事をちゃんとやっているとか」。
聞いてまんざらでもないといった表情である。続きを翌週までに仕上げておくことにした。
T男も全員分の長所が記入できた。

 提出されたものをまとめ、冊子にして配布した。
自分の長所について書かれたものを読んでいる子ども達は、T男を含め誰もが
照れくさいけれどうれしい、といった表情だ。

 「いいところ探し」の取り組みは、この後も何度か行った。
学年末の3月、最後に行った時の冊子のページ数は、5月の倍になった。
その増えたページ分、子ども同士のかかわりが深まったとも言える。
そして自分に少しでも自信を持てるようになっていたらうれしいと思っている。(京)
 筆者は、小学校の女性教諭です。 8月27日(月)読売新聞朝刊より


「いいところ探し」いいアイデアだ。他人のことを気にかけるようにもなるだろうし、自分がほめられたらうれしいだろう。

いいところ、伸ばしてほしいところは誰にもある。
本当にほめられるとうれしくて、もっとほめられたいと思うだろう。
本当は自分自身のためなんだけど、周りに見られているから良いことをする、悪いことをしない、人の喜ぶことをする、もっと頑張るということにもつながるかもしれない

人との関わりを考えることにもなればいい。

他人の悪いとこばかりが気になると自分がしんどくなる。
どんなことでもそれぞれの受け止め方、考え方で全然違ってくる。
他人を評価し批判するばかりではなく、自分はどういう人間なのか自分自身を振り返るきっかけになればいい。
これは大人にこそ必要なことだが・・・
子どもはその姿を見て育つ。

大きくなってもそのまま「いいところ探し」が出来れば、犯罪やケンカ、戦争はぐんと減るだろうに
でも、競争社会だからな。うぬぼれず、嘘、おべんじゃら、嫌味にならないように、素直にお互いを励ましあいいつも認め合うというのは難しいことだ。

常に季節も、世の中の出来事も、環境も、人の心も変化する。
いつも同じ気持ちではいられない。

人間は、一人では生きられない。
どこかで誰かと関わり、世話になり、迷惑をかけることも、世話をすることも沢山あるだろう。

お互いの「いいところ探し」をたまにはしてみたら夫婦も親子も隣近所、友人の関係ももう少しスムーズにいくと思うのだが・・・最近のあまりにむごい事件にふとそう考える。

計画は悲観的に

2007-03-20 | 気になる記事生き方
2007.3.19(月)読売新聞朝刊
 今日のノートより
            計画は悲観的に
 事業であれ習い事であれ新しいことを始めるときは、期待を込めて高い理想像を掲げるものだろう。目標が緊張感を生んで好結果を招き寄せることもある。
 しかし、目標に至る計画は、手堅い予測の上に成り立たなくてはなるまい。
はなから相当な失敗の可能性をはらんでいるなら、練り直さなくてはいけない。

「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」と稲盛和夫・京セラ名誉会長が言っている。
 悲観的な計画とは、「どのくらい難しいのかを慎重に、小心に考え尽くすこと」リスクを見極めよということだろう。

 開港後1年の神戸空港では、関空と高速船で結ぶ「海上アクセス」が、利用見込みを大きく割り込み、神戸市は新年度、2億円余りの補助を出す方針だ。

 2700億円を投じて昨年暮れに開業した大阪市営地下鉄今里筋線も、開業1ヵ月後の利用者が、予測の3分の1以下だったと、先日の市議会で報告された。

 一ヶ月や一年で結論めいたことは言えない。
商売繁盛を祈っているが、予測という名の楽観的プランで、首が回らなくなった役所の事業が少なくないことをつい思い浮かべてしまう。
 期待に引きずられた計画を漫然と実行していては、目標にはたどりつけない。失敗のリスクを取るのは納税者だ。それを思って、事業者は時に厳しい「悲観」の目で振り返ることが必要ではないか。(田口 晃也)


個人的な失敗は、普通個人が責任を負っている。公共の事業の失敗は、どうなっているのか!
信じられないが日本のあちこちで楽観的に派手な構想で、甘い計画をし、楽観的に実行するハコモノを作り続けている。
スーパーモーニングにも取り上げられていたが、遊園地のように見える「大阪ごみ処理場」、ジャングルジムの「ビッグバン」、「私の仕事館」、「海の時空館」「アジアパーク」、「トルコ文化村」、「グリーンピア」などなど・・・
なぜ?
先のことは考えずとりあえず『派手にやりました』と見せることを目的としたと思われるものばかり。全国で廃墟同然となっているハコモノが大借金を残し国民に負担を強いているというのに…まだこりずに!
破たんを招いている多くの自治体は、自力ではなく国を(税金)をあてにして、期待を込めた楽観的な計画を右にならえ、負けじと実行してきた。
悲観的に計画をするということが出来ていなかったということはなぜか?
誰がそんなものを作ったのか?誰が望んだのか?誰がそれを許したのか?誰の責任なのか?
責任を取るものは実行した人たちではない、国民すべてなのだ。
現場のことはほとんど知らないものが構想していたのではないか?それぞれが自己の利益のために、楽観的な計画かどうかの判断できるものもなく実行に移してきたから?政治、行政が人間の欲望でいびつになっている。
それを止めるにはどうしたらいいのか?

自然破壊をやめ、限られた資源の中で、限られた時間を!物だけに頼らず心を取り戻してほしいものだ。政治行政にかかわる人はもとより、この世の人みんな!
欲望がエスカレートしていくと必ず破滅が待っている。

すべての道は老婆に通じる

2007-03-16 | 気になる記事生き方
2007.3.15(木)読売新聞朝刊より
景近
             老婆と老爺 何思う
                        北 連一(コラムニスト)

 「すべての道は老婆に通じる」(「すべての道はローマに通じる」のもじり)とは、自らの老いを実感した作家の金井美恵子さんの至言だ。

 この2月7日に65歳の誕生日を迎えた妻は、「高齢者」「お年寄り」のお墨付きをもらい、老婆への第一歩を踏み出した。

 金井さんのひそみに倣えば、女性が「老婆」なら男性は「老爺」(ろうや)で「牢屋」に通じ、さしずめ現在の私は、老婆の看守に拘束、監視されている老囚人ということになる。
我が家の場合は、私が主夫だから、主人役の妻が看守という図式になるが、定年後の夫と妻の関係は、夫が看守で、妻が囚人というケースも多々あるようだ。

 11月22日は、語呂合わせで「いい夫婦の日」だそうだが、昨年、この日に合わせてある生命保険団体が、40~50代の既婚男女にアンケート調査をしたら、定年退職で夫婦の時間が増えるのを、夫の48%は「うれしい」と答えたのに対して、妻は27%。「うれしくない」と答えた割合は、妻の方が夫の2倍近くに達したという。

 しかし、物は考えようである。
曽野綾子さんは、「仲の悪い夫婦のほうが晩年は楽だな、と思うことがある。夫婦のどちらかが死ぬと、自然に開放されるからである。しかし仲のいい夫婦は、どちらかが生き残って一人の生活をするようになっても寂しいのである」(「一冊の本」2004年1月号、朝日新聞社)とおっしゃっている。

 老婆と老爺の私たち夫婦も、お互い平均寿命まで生きるとすると、先は長い。
残された方がどう考えるかは、神のみぞ知る。

すべての道は老婆、老爺へつづく。
男も女も誰もすべて老いに向け、みんな生まれたときから死に向かって生きているということ。
何が楽なのか?しがらみは確かにある。
看守と囚人という関係も物は考えよう、受けとめ方次第といえど、夫婦の関係を牢屋、看守と囚人にたとえなくてはならないなんてなんと悲しいことだろう。
合う合わないはあるだろうし、受けとめ方や出来事で随分違うかもしれないが・・・結婚って何?夫婦って何?家族って何?ってことになる。
いやだいやだと長年我慢し続け、一人になると解放され楽になったと喜ぶのか
あの頃はよかったと過去を懐かしんで独りの寂しい思いをつのらせるのか…
どう感じ、どう考えるかはそれぞれの自由だけれど。

年をとるということは、子育てや仕事、肩書きなどの制約からひとつずつ解放されることであり、自分を縛るものから逃れ、のびのび楽しみ、そして死への覚悟をする時間が与えられるということなのかも。
仲のよい夫婦でも、悪い夫婦でも人間はもともと独りで生まれ、それぞれ独りぼっちで死んでいかなくてはならないのだ。
一瞬一瞬が大切で、嬉しくて、それだったら一番いいことをしよう、一番いい心の状態にしよう!