鎌倉を経た後の旧東海道は、三浦半島から上総に至る海路であった。
では、鎌倉市街地からどのように三浦半島(六浦か走水辺り)に至っているのだろう。
未だ明確ではないようだ。
小坪、大崎、披露山などの海岸沿いはあまりも険しい。
それらの崖を避け、光明寺の背後の山を越えて逗子へと進む道筋が比較的楽なようだ。
光明寺を抱くように山襞が続いている。南は小坪。
光明寺の背後は学校だが、かつては城壁のような山並みであった(光明寺開山の然阿良忠廟がある)。
北側の尾根に光明寺鎮護の秋葉山大権現社がある。
木々が茂っている今の季節では無理だが、稲村ケ崎まで見通せる環境。
この山襞は鎌倉の南の防御に役立っていたのだろう。
秋葉山大権現社