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鎌倉八百ヶ谷戸

鎌倉の街はそのものが環境遺跡

善財 一 写真集

光明寺の裏山で

2021-07-12 07:37:00 | 環境遺跡 鎌倉の谷戸

《鎌倉八百ヶ谷戸》Web写真集

 

鎌倉を経た後の旧東海道は、三浦半島から上総に至る海路であった。

では、鎌倉市街地からどのように三浦半島(六浦か走水辺り)に至っているのだろう。

未だ明確ではないようだ。

小坪、大崎、披露山などの海岸沿いはあまりも険しい。

それらの崖を避け、光明寺の背後の山を越えて逗子へと進む道筋が比較的楽なようだ。

 

光明寺を抱くように山襞が続いている。南は小坪。

光明寺の背後は学校だが、かつては城壁のような山並みであった(光明寺開山の然阿良忠廟がある)。

北側の尾根に光明寺鎮護の秋葉山大権現社がある。

木々が茂っている今の季節では無理だが、稲村ケ崎まで見通せる環境。

この山襞は鎌倉の南の防御に役立っていたのだろう。

秋葉山大権現社