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ナビゲーターは魂だ

宇津保物語より

2014-01-30 | 箏のこと
ーーー俊蔭(としかげ)は 容姿端麗、才幹身にあふれ、十六歳の時、遣唐使の一人として、唐土に留学を命ぜられることになった。

両親は、一人息子の俊陰が 夕方ちょっと帰宅が遅くても 涙を流して心配したのに、
この度 はるかに遠い唐土へ渡ってしまったら、もう二度と会うことはできまいと、毎日額を集めては 血の涙を流した。

さて 遣唐使一行の船は、途中台風に遭って 三隻のうち 二隻か難破し、多くの人々が 海底の藻屑と消えたが、
幸い 俊陰の乗船は 波斯国(はしこく[ペルシャ])に漂着した。

俊陰は 見知らぬ国の浜辺に打ち上げられて、不安と悲しみに 涙を流し、
「俊陰が 七歳の時より信仰し奉る 本尊現れたまえ」
と 一心に 観音の本誓(ほんぜい)を念じていると、不思議や 鳥獣さえ姿を見せぬ海辺に、
鞍を置いた 白馬が 忽然と現れた。

白馬は俊陰を乗せるや否や 飛ぶように走って、はるかかなたの清く涼しい 栴檀(せんだん)の林に至り、
俊陰を降ろすと何処ともなく消え去った。

栴檀の木陰には 三人の男が 虎の皮を敷き、琴を並べて弾いていたが、ぼんやりと たたずんている俊陰を見つけて、
「あなては誰ですか」と問うた。
俊陰は、「日本国王の使い、清原俊陰と申す者です」と 名乗り、
今日までのことを一部始終ものがたった。

三人の男は、「それは お気の毒に。しぱらく宿をお貸ししましょう」と、木陰に更に一枚の 虎の皮を敷いた。

俊陰は 生来 琴が大好きであったが、この三人の男も 終日 琴ばかり弾いていた。
俊陰は 花の露や 紅葉の雫をなめながら、三人の男と いっしよに暮らすうち、
彼らの 琴の曲をひとつ残らず習い覚えてしまった。

その翌年の春頃から、林のはるか西方に当たって、
斧で木を切り倒す音が聞きこえるようになった。
「よほど遠方かららしいが、ものすごい響だ。
高く響く木もあればあるものだ」と いぶかりながら、
俊陰は 毎日琴を弾き、詩を誦(ずん)じていてが、この伐木(ばつぼく)の響きは 三年間絶えることがなかった。
しかも 月日がたつにつれて、その響きが 俊陰の弾く琴の音によく調和して聞こえるようになった。
俊陰は、「ここからは 山一つ見えず、ほかに世界があるとも思えないのに、
琴の音に通う 伐木の響きがするのはなぜだろう。
響きの在処を訪ね、その木で琴を作りたいものだ」と 考えて、
例の三人の男に暇を請い、伐木の響きのする方角に向かって、山越え谷越え、一心に走り出した。

その年も暮れ、その翌年も暮れ、三年目の春 やっと ある大きな峰にたどり着き、

そこに登って見渡すと、天を突くばかりの 険しい山が はるか彼方にそびえていた。
更に 勇を鼓(こ)して 駆け走り、やっとその山に至って見渡せば、驚くなかれ、
千仞(せんじん)の谷底に根を張り、梢は雲に届き、枝は隣国にまで広がるという
ものすごい桐の大木を切り倒している男があった。

それは 阿修羅であった。
その頭髪は剣を立てたように さかだち、顔は 燃え盛る焔(ほのお)のように赤く、
手足は鋤(すき)や鍬(くわ)のように堅く、眼は金椀(かなまり)のように きらきら輝き、全くすごい形相であった。ーーー


浦城二郎訳