杉並からの情報発信です

政治、経済、金融、教育、社会問題、国際情勢など、日々変化する様々な問題を取り上げて発信したいと思います。

【主権在民】【反戦平和】を実現している「サンマリノ共和国」は日本と世界のモデル国となるだろう!1/2

2014年03月22日 16時05分20秒 | 政治・社会
 いつもお世話様です。
                      
【杉並からの情報発信です】【YYNews】【YYNewsLive】【市民ネットメデイアグループ】【インタビュー&トーク】【ネットメデイアと主権在民を考える会】【市民シンポジューム】【若者討論会】【日本国憲法・一人一冊運動】【7.21運動】【山崎塾】【憲法勉強会】【歴史研究会】主宰の山崎康彦です。

本日土曜日(3月22日)午後2時から放送しました【YYNewsLive】の詳しい台本です!

★情報遮断と情報操作で世論誘導する高額受信料強制徴収と高額報酬の【NHK】を見ずに毎日午後2時ー3時放送の真実と事実を追求する無料の国際放送【YYNewsTV】を見よう!http://p.tl/LTEn

★【座右の銘】宮沢賢治の言葉

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。

★【座右の銘】西郷隆盛の言葉

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この
始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)をともにして国家の大業は成し得られ
ぬなり」

★New1【座右の銘】ガンデイー七つの社会的罪

マハトマ・ガンディーは1925年10月22日に雑誌『Young India』(英語版)にて、「七つの社会的罪」(Seven Social Sins) として次の7つを指摘した。

理念なき政治 (Politics without Principle)

労働なき富 (Wealth without Work)

良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)

人格なき学識 (Knowledge without Character)

道徳なき商業 (Commerce without Morality)

人間性なき科学 (Science without Humanity)

犠牲なき信仰 (Worship without Sacrifice)
                
●この放送台本は二つのブログ【杉並からの情報発信です】【杉並からの情報発信です2】に全文アップされますので是非お読みください!

1)ブログ【杉並からの情報発信です】:http://blog.goo.ne.jp/yampr7

【杉並からの情報発信です】
                                   
2)【杉並からの情報発信です2】:http://7614yama.blog.fc2.com/

【杉並からの情報発信です2】

●【YYNewsLive日本語】の放送開始は毎日午後2時からです。

The japansese broadcasting of 【YYNewsLive】starts everyday at 13:00.

●【YYNewsLiveフランス語】の放送開始は毎週土曜日午後8時からです。*現在休止中!

L'emmission televisee de【YYNewsLive】en francais commence tous les samedis a 20:00.

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The english broadcasting of【YYNewsLive】starts every wensday at 20:00.

■【主権在民】【直接民主主義】【反戦平和】【人間の尊厳尊重】【友愛】を実現している人口3万人の「サンマリノ共和国」は日本と世界のモデル国となるだろう!本日土曜日(3月22日)午後2時から放送しました【YYNewsLive】です!

1)No1    30分 http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/47569313

2)No2   4559 http://twitcasting.tv/chateaux1000/movie/47576982

☆(1)今日のメインテーマ:【主権在民】【直接民主主義】【反戦平和】【人間の尊厳の             尊重】【友愛】を実現している人口3万人の「サンマリノ共             和国」は日本と世界のモデル国となるだろう!


【ブログ記事再掲】:「世界一国民が幸せな国」を実現している「サンマリノ」は日本の           モデルとなるだろう

2012.12.03 「杉並からの情報発信です」

http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/df3ce19126a09363b62f05a7c10cdbe3

先週木曜日(11月29日)午後10時からNHKが放送した「地球イチバン」では人口3万人の世界最小共和国「サンマリノ」を紹介していた。この国が「真の主権在民」「直接民主主義」「反戦平和」「他国民の受け入」を戦前から実現しているとは全く知らなかった!

「世界一国民が幸せな国」を実現している「サンマリノ」は日本のモデルとなるだろう。
【特徴】

①職業政治家がおらず60人の国会議員は全員別の仕事を持っている。

②二人の国家元首は60人の国会議員から選ばれるが任期は6か月。国家元首が2人いるのはひとりの人間が利権を手にしたり独裁者になることを避けるため

③国家元首が就任すると必ず行われるのがアレンゴと呼ばれる市民会議の制度。市民が直接元首に請願書を出し国会で審議を求めることができる。これは約1000年前から行われている直接民主主義の制度。請願書は国民なら誰でも提出することができ衆人環視のもとひとつひとつ読み上げられる。

④軍隊を持たず600年間戦争をしていない【反戦平和の国】

⑤暴力による死者がイチバン少ない国。ここ10年間殺人事件はない。

⑥救いを求める外国人を受け入れる国。

【番組紹介】

http://www.nhk.or.jp/ichiban/backnumber/b07/index.html#bn

▲地球でイチバン小さな共和国 サンマリノとは

イタリア半島、中東部に位置する61平方キロメートルの小さな共和国サンマリノ。その大きさは世田谷とほぼ変わらない。陸地にある共和国としては、地球でイチバン小さな国。人口約3万人。公用語はイタリア語。

サンマリノは、現存する共和政体を採用する国としては世界でも最も古い共和国として、ヨーロッパに留まらず世界中の国々から尊敬の念を持たれている。かのナポレオンからも、信義を通し、共和制を守る独立国として賞賛され、領土を与えようとされた逸話は有名。(サンマリノはこの時、丁重に断った)

冷戦終結後の1992年には国際連合と国際通貨基金(IMF)に加盟し、2008年には「サンマリノの歴史地区とティターノ山」としてUNESCOの世界文化遺産に登録されている。

▲小さいけれど、独立国

サンマリノは、クルマで平均時速50キロで横断しても、わずか20分。ティターノ山と呼ばれる険しい岩山のぐるり半径5kmが国土のすべてだ。サンマリノでイチバン速い軌道系公共交通機関はロープウェイ。中心街はロープウェイの終点にある山の上で、中世の街並みが残る世界遺産の旧市街地区。ここに国会議事堂や省庁など政府の機関が集中している。また国の紋章にも描かれる3つの塔など、中世の街並みが残るこの地区は観光客に大人気で、年間およそ200万人が訪れる。

そんな観光客に、最も人気が高いのが切手。日本や中国など世界中の名所をデザインとした切手や、レア物で希少価値の高い切手があり、コレクターにも大人気だ。
山の上にはテレビ局もある。小さな国なのでスタッフは少ないが、カメラマンが一人何役でもこなす。国立サンマリノ大学は、工業デザイン学科が人気。優秀な教授を集めて、イタリアに留まらずヨーロッパ中から留学生が来ている。

▲サンマリノの歴史

4世紀初め(伝説では西暦301年)、聖マリノと呼ばれる石工の職人が、ローマ皇帝の迫害を逃れてこの地にこもり、キリスト教徒の小さなコミュニティーを作ったのがこの国の始まりと言われる。1253年には最初の法典が作られ(現存していない)、他国に認められることはなかったが、実質、ひとつの国家となる。

しかし、中世のイタリア半島は、小国が群雄割拠しており、サンマリノは周りを強国に挟まれ、常に危険にさらされていた。14世紀、山側の国(モンテフェルトロ家)と同盟を結んでいたが、領土拡大を狙っていた海側の国(マラテスタ家)から山側の国との同盟を破棄して、自分たちと同盟を組むよう持ちかけられる。しかし、サンマリノは市民会議(アレンゴ)をした結果、山側への信義を貫くため、海側の国の提案を拒否する。
こうした外交姿勢が評価され、サンマリノはしだいに、周りの国々から一目置かれる国になっていく。

しかし1861年、イタリアは英雄ガリバルディ将軍によって統一される。サンマリノも統一される危険を孕んでいたが、驚くべき外交術でその危険を逃れる。それは、ガリバルディに名誉国民証書を送るというもの。

ガリバルディは、統一運動の中でサンマリノにかくまわれた恩義もあり、この国民証書に対して、丁寧な礼状を送った。小さな国が、血を流すことなく、平和的な方法で独立を守り通した。

▲サンマリノの政治制度

サンマリノには国家元首(正式名称は執政)が2人おり、国会議員60人の中から議員同士の選挙で任命される。世界で国家元首が2人いる国はサンマリノだけ。国家元首が2人いるのは、ひとりの人間が、利権を手にしたり、独裁者になることを避けるため。任期は半年で、それぞれ4月1日~10月1日、10月1日~翌年4月1日まで。就任式にはパレードが催され、山の麓から国会議事堂まで練り歩く。さらに、元首が任期を終えるときには、きちんと任務を全うしたか特別裁判が行われる。この元首の制度は800年前から続いている。

サンマリノには、職業としての政治家はおらず、みな別の仕事を持っている。取材した前元首のイタロさんは、本職は教習所の教官。

そして、国家元首が就任すると必ず行われるのが、アレンゴと呼ばれる市民会議の制度。市民が直接元首に請願書を出し、国会で審議を求めることができる。これは約1000年前から行われている、直接民主主義の制度。請願書は国民なら誰でも提出することができ、衆人環視のもと、ひとつひとつ読み上げられる。サンマリノは、政治を国民全員が担う究極の民主主義国家だ。

▲サンマリノの裁判制度

サンマリノにいる裁判官14人のうち、9人が外国人。サンマリノでは人口が少ないことから裁判をやると、親族や知り合いを裁く可能性が高い。身内に甘くならないよう公平性を保つため外国人に裁判委ねている。外国人裁判官は、全てイタリア人の裁判官だ。

▲サンマリノのもうひとつのイチバン

WHOの統計によると、サンマリノは、暴力による死者がイチバン少ない国。ここ10年間、殺人事件もない。

さらにWHOの統計では、戦争による死者も、日本と並んでイチバン少ない国。サンマリノは、600年近く戦争をしていない稀有な国だ。歴史的にも職業軍人を持ったことがなく、軍隊のない国として有名。現在は周りを囲むイタリアとの同盟関係によって、実質的には守られている。

▲受け入れることで守られてきた国、サンマリノ

サンマリノには、いまは使われていない鉄道トンネルがある。ここに第二次世界大戦中、サンマリノは避難してきたイタリア人をかくまった。当時サンマリノは中立を宣言していたが、10万人のイタリア人(当時のサンマリノ人口の8倍)が、空爆をのがれるために国境を越えてきた。サンマリノ人は自分の食べる分を減らして、パンを分け与えた。軍隊を持たない小さな国が10万人の人命を救ったという逸話は広まり、サンマリノはまた世界各国からの尊敬を集めた。

そして、現在。サンマリノの人口の約1割が外国人。国籍もさまざま。自由の地サンマリノは、昔も今も変わることなく人々を受け入れ続けている。

【関連情報】

▲イタリアの中のサンマリノ共和国|その独立を守っている政治システムとは
サンマリノ共和国は周りを全てイタリアに囲まれています。

ブログ「新婚旅行~ヨーロッパ|世界遺産を巡る旅」より転載

http://yo-roppatabiannai.seesaa.net/article/316520507.html

場所はイタリア半島の中東部にあり、世界で最もっとも古い現存する
共和制国家です。
首都は国名と同じでサンマリノ市。
周囲は全てイタリア、世界で5番目に小さな国です。

中世時代に数多くあったイタリアの都市国家は、
時代が経過するにつれて周辺の大きな国に吸収されています。
そして、19世紀にはイタリア共和国という統一国家になりました。

その中で現在も独立を守っている国が、イタリア半島の
もうひとつの独立国、断崖の上にあるサンマリノ共和国なのです。

人口は3万人、消費税がないということでたくさんの観光客が
ショッピングにやって来ます。
で、一番の人気はサンマリノの切手、この国の重要な国庫収入
となっています。

サンマリノの起源は伝説では西暦301年。
聖マリノが迫害から逃れるためにこの地にやって来たのが始まりとされています。
以来、人々は聖マリノが言った言葉を大切に守って独立を維持し続けてきました。

聖マリノは”あなたたちを何者からも解放する”と言いました。
つまりは”自由である”と言うことです。

現在も中世から続く政治システムが今も守られています。
それは国の代表である執政官が2人、6ヶ月毎に選ばれるのです。
《この体制は独裁を許さない仕組みだそうで、
 13世紀の文献に既に記載されています。》

サンマリノでは執政も国会議員もプロの政治家ではなく、
他の職業を持つ普通の国民です。

執政官に選ばれると『閣下』という称号で呼ばれ、
6ヶ月間は仕事を休職して政治に専念するのです。

何故この国が何世紀にも渡って独立を守ってこれたのか?
それは、機会が何度もあったのも関らず、領土を拡大する野心を
持たなかったからと言われています。

サンマリノ国立公文書図書館に18世紀末のナポレオンから送られた
手紙が保管されています。
サンマリノが戦略的に重要と考えた、ナポレオンは接近するために
手紙をサンマリノ執政官に送りました。

その手紙には

『私はあなた方の小さな国に素晴らしい提案があります。
あなた方は私に税金を払う必要がありません。
また、フランス人と同じ権利が与えられます。
さらに、大砲4台、10万キロの小麦を差し上げます。
尊敬と友情をこめて。
ナポレオン・ボナパルト』

とありました。

しかし、サンマリノはナポレオンの提案をきっぱりと拒否します。
何世紀もの間、サンマリノが独立を維持してこれたのは、
他の国から狙われなかった為です。

いわば”目立たないよう”にを徹してきたからなのです。

サンマリノの人々が求めたのは土地の広さではありません。
小さいけれど自由で独立していることだったのです。

その後はイタリアをはじめ、周辺のヨーロッパ諸国も歴史を持つ
サンマリノに敬意を表し、あえて併合や従属を求めませんでした。

こんなエピソードもあります。
20世紀、第二次世界大戦の時、イタリア半島ではドイツ軍と連合国軍が
激突していました。

サンマリノはその時も中立を表明しました。
各家の屋根に白い十字マークをペイントして、空爆されないように
中立であることを示したのです。

サンマリノにはイタリアからおびただしい数の人々が戦火を
逃れてやって来ました。
人々は自宅や教会等を開放して難民を受け入れました。
また、家に入りきらない難民を鉄道トンネルに収容しかくまったのです。

この国の人口は当時13000人でしたが、流れ込んできた難民は10万人にも
及んだそうです。

サンマリノでは自国民に配給する小麦を1日50グラムに押さえました。
そしてトンネルの難民にも同じ量の小麦を配給したのです。
そして、状況が好転すまでの数ヶ月の間、10万人もの難民を養ったのです。

サンマリノは小さくても平和を求める国家です。
高台に国があり、アドリア海を一望できます。

※ちなみにサンマリノは日本と並ぶ長寿国。2006年の統計では平均寿命81.7歳でした。

(転載終わり)

☆(2)今日のトッピックス

①3月11日放送のTV朝日【ニュースステーション】特集【子どもが甲状腺がん 母が苦悩を告白】が伝える福島の現状は、広島、長崎原爆投下後に米国支配層が行った徹底的な情報隠蔽と被爆者管理と全く同じシステムが福島で稼働していることがわかる!(続き)

▲【原爆傷害調査委員会ABCC】の【表の顔】と【裏の正体】

【ABCC―原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission)について】より抜粋

http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/ABCC.htm

【表の顔】

・広島・長崎での遺伝的影響調査は有名な「原爆障害調査委員会(ABCC)」によって行われたが、ABCCは自らについて「真実の性格はとかく誤解されがちであるが、実際は全米科学アカデミー・学術会議と日本の国立予防衛生研究所との純粋な学術的事業である」と一貫して主張してきた。

【裏の正体】

・ABCCの設立は原爆投下直後の広島・長崎で原爆の破壊力のうち、とくに人体への殺傷力に重点を置く調査にあたったいわゆる「日米合同調査団」を指揮したアメリカ陸軍および海軍の各軍医総監がマンハッタン計画の推進時から密接な協力関係にあった全米科学アカデミー・学術会議に対し、長期的な、したがって当初から軍事的計画日程に入れられていた原爆障害研究に関する包括的契約研究の一環として、広島・長崎の後障害、放射線による晩発的影響研究の組織化を要請して開始されたのである。両軍医総監はそのため全米科学アカデミー・学術会議に、「原子障害調査委員会(ACC)」と呼ばれる組織を結成させた。もちろん同委員会のメンバーは、軍やアメリカの原子力委員会と密接な関係を持つ人たちで組織された。

・「放射線被曝」に対する市民の恐怖感が拡散することをもっとも恐れたのは、核エネルギー開発を進め、これを人類の「エネルギー革命」の中心に据えようとしていた当時のアメリカの支配層だった。マンハッタン計画で生じたヒバクシャ(特に兵器級プルトニウムを製造していたワシントン州ハンフォード工場や兵器級ウランを製造していたテネシー州のクリントン工場での兵士・労働者たち)の存在をよく知っていただけに、彼らこそ当時放射線被曝の恐ろしさをもっともよく知るものたちだった、と言わねばならない。

・「核によるエネルギー革命」を推進するものに取って、放射線(電離放射線)の影響は、出来る限り最小限でなければならなかった。ましてや一般市民が放射能に対して恐怖感をもつなどはもってのほかだった。

▲【原爆傷害調査委員会(ABCC)とは?】(Wikipediaより)

原爆傷害調査委員会(げんばくしょうがいちょうさいいんかい、Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)[1]とは、原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録するために、広島市への原子爆弾投下の直後にアメリカが設置した機関である。

米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した[2]。

施設は、広島市の比治山の山頂に作られた。カマボコ型の特徴的な建物であった。

ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。
ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった[3]。

1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された[3]。

沿革

1945年8月 広島・長崎に原子爆弾投下
9月  アメリカ陸軍・アメリカ海軍の軍医団は、旧陸軍病院宇品分院に収容された被爆者から陸軍医務局、東京帝国大学医学部の協力で、都築正男博士、Dr. Oughterson、Dr.Warrenによる日米合同調査団を編成、約1年間の被爆調査が行われた。ここでの収集資料の解析に日本の研究者の参加は認められず、全調査資料が米国に送られ、アメリカ陸軍病理学研究所に保管された。[4]

1946年11月 原爆放射線被爆者における放射線の医学的・生物学的晩発影響の長期的調査を米国科学アカデミー-全米研究評議会(NRC)が行うべきであるとするハリー・トルーマン米大統領令が出され、10日後に4人の専門家が広島入り

1947年3月 広島赤十字病院の一部を借り受けて原爆傷害調査委員会(ABCC)開設
1948年1月 厚生省国立予防衛生研究所広島支所が正式にABCCの研究に参加、ABCCが広島市     宇品町旧凱旋館に移転
3月 主要遺伝学調査開始
7月 長崎ABCCを長崎医科大学附属第一医院(新興善小学校)内に開設
10月 主要小児科研究プログラムを長崎で開始
1949年3月 主要小児科研究プログラムを広島県呉市で開始
   7月 比治山で地鎮祭を行い、研究施設の建設を開始
1949年8月 ABCC被爆者人口調査開始
   11月 長崎ABCC、長崎県教育会館へ移転
1950年1月 白血病調査開始
   8月 成人医学的調査を広島で開始、その後長崎でも開始
 10月 国勢調査の附帯調査として全国原爆被爆生存者調査を実施、全国で約29万人     を把握
   11月 比治山研究施設工事が完了、移転開始
1951年1月 胎内被爆児調査開始
1952年1月 死亡および死因の試行調査開始
1953年12月 広島ABCC施設内に10床の病室設置
1955年9月 剖検に協力した被爆者の第1回追悼法要(広島市寺町徳応寺)
11月 アメリカ原子力委員会(AEC、現エネルギー省)と学士院、学術会議でつくる     「ABCCに関する科学的再検討特別委員会(フランシス委員会)」が研究計画の     大幅見直しを提案、固定集団を基盤とする「統合研究計画」を勧告
11月  第1回ABCC日本側評議会を開催(東京)
1958年7月 成人健康調査開始
8月 国立予防衛生研究所(予研)と寿命調査に関する同意書が交わされ、日米共同     研究体制の基盤が確立
1966年6月 第1回ABCCオープンハウス(長崎)
1975年2月 米国科学アカデミー視察団来訪、のち3月26日付でABCCに関する科学的再検討     特別委員会の報告を作成
4月 広島・長崎で放射線影響研究所開所式、広島で第1回理事会開催[5][3]

(抜粋終わり)

☆(3)今日のスクープ情報

①(北朝鮮を逃れた人々:2)思想統制 絶対忠誠、ほころぶ兆し

2014年3月20日 朝日新聞

写真・図版北朝鮮で9日にあった最高人民会議の代議員選挙で投票を終えた有権者。朝鮮中央通信が配信した=朝鮮通信。投票率は99・97%、賛成率は100%。投票せずに脱北が発覚することを恐れて帰国を試みた脱北者もいた

 ◇朝日新聞・東亜日報共同調査から

3万5千。北朝鮮に存在する金日成(キムイルソン)主席の銅像の概数だと韓国政府関係者は話す。脱北者たちは国家の行事から自らの結婚式まで、銅像に花束を捧げて忠誠を誓ったと明かす。幼児が銅像を珍しがって指さすと、親が叱って諭すという。「両手のひらを上に、恭しく差し出しなさい」

2003年に脱北した高政美さん(53)は幼少期、最初に習った言葉が「敬愛する金日成元帥さま、ありがとうございます」だった。「金日成」という字を書き損じると、教師からひどくたたかれた。

一方、1990年代に起きた食糧難の時代、餓死者のうち、遺書に「朝鮮労働党万歳」という言葉を書き残した人々がいた。2001年に脱北した60代の男性は、「残された家族が党から危害を加えられないためだ」と説明する。

生まれてから死ぬまで、北朝鮮の人々につきまとう思想統制の影。生きている間は定期的に学習会や講演会で思想を学ぶ。

南北朝鮮を分ける軍事境界線近くで軍に勤務した男性(49)によれば、毎日必ず行われたのが2時間に及ぶ「政治思想教養作業」だったという。「命をかけて最高指導者を守る」思想の徹底が目的だった。

今は大阪府で暮らす高さんは「北朝鮮の人は思想教育で奴隷になる。私は日本に来て、本物の人間に戻れた」とも語る。

来年には党創設70周年を迎える北朝鮮指導部が、経済破綻(はたん)と並び、最も恐れているのが、この思想統制システムの崩壊だ。多くの脱北者が「韓国ドラマを隠れて見た」「日本のラジオも聞くことができた」などと証言。07年に脱北した男性(69)は「金日成の銅像がウサギのフンで汚されているのを目撃した」と話すなど思想統制のほころびはすでに始まっているようだ。

金正恩(キムジョンウン)第1書記は2月25日、党思想活動家大会で「思想活動では特殊を絶対に許してはならない」と訴えた。だが、北朝鮮メディアが伝える正恩氏の妻、李雪主(リソルチュ)氏は洋装の際、北朝鮮の住民が強制される「金日成・金正日(キムジョンイル)バッジ」を着用していない。
☆(4)今日の注目情報

①【ラジオ放送】福島を最終処分場にして日本は再び原発大国になる
  京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏

2014.02.23 ブログ「とある原発の溶融貫通(メルトスルー)」より転載

小出裕章さんの発言:

・そうです。これまでにも候補地として狙われていた所はたくさん日本中にあるわけですし、その内のどこかに、また白羽の矢を今度は国家の側から強制的に執行してくるという可能性はあると思いますし、私が今心配しているのは福島です。

広大な土地が放射能で汚染されてしまっていまして、その内の15平方キロメートルを国有地化するというような方針をこないだ自民党の政権が出してきました。

15平方キロメートルというのは、埋め捨ての場所を取る時に必要な面積にほぼ近いですので、そういう所を国有地化した上で、放射能の最終的な処分場もそこに押し付けようという魂胆かなと私は疑いました。

・皆さん、きちっとやはり物を考えていただきたいと思います。こういう言い方は良くないと承知の上ですけれども、「愚かな国民には愚かな政府」という言葉がありましたけれども、国民自身が賢くならなければ今の酷い時代、これからどんどん酷い時代に向かっていくという流れを止められないんではないかと私は大変不安に感じています。

(ラジオ放送書き起こしはじめ)

石井彰:
経済産業省が昨年の12月6日、ちょうど特定秘密保護法案。私に言わせれば、不特定秘密隠蔽法案の可決のどさくさに紛れて、総合資源エネルギー調査会基本政策文化会が新エネルギー基本計画というのを発表しました。

これは、原発を重要なベース(基礎)の電源として考えていこうと民主党政権が打ち出した2030年代に原発を0(ゼロ)にするという目標をさらりと撤回して、むしろ原発を活用していこうという方針を出しました。

これが閣議決定をされたり、そのいろんなことになってきているんですが、まずこの原発を主要な電源・重要な電源とするっていう理由なんですけれども、

・「安定供給」
・「コスト低減」
・「温暖化対策」

この3つの理由で、原発をベースにするんだっていうふうに経済産業省は言ってるんですが、小出さんはどうお考えですか?

小出さん:
まったくマンガのような話ですね。安定供給って、今電源が困ってると言ってるのは自民党なんですね。

原発全部止まっちゃってるわけで、なぜ止まったかといえば、彼らが絶対安全だといってきた原子力発電所が実はそうではなくて、巨大な事故を起こしてしまうものであったということを事実が示したから、今原子力発電所は全部止まっているわけですし。だから、電気が足りなくなったら大変だとか言って、節電要請をしたりしているわけですね。

安定供給なんていうものをもし目指すのであれば、原発はやっぱりやってはいけないと思わなければいけないと思います。

「コスト低減」なんていうのもほんとにお話にならないほどのことですね。もともと原子力発電所というのは、電力会社の有価証券報告書を使って計算すると一番高い発電方法でした。

ですから、やらないにこしたことはなかったわけですし、ましてややってしまって巨大な事故を起こして、本当であれば東京電力なんか何回倒産しても足りないほどの被害が出ている。

そして、もっとちゃんと保障しようと思えば、日本の国家が倒産しても贖(あがな)いきれないというほど酷いことが起きているわけであって、コストの問題をいうならもう原発なんて話にならないほど失格です。

「温暖化対策」ということでも私自身は地球温暖化というのは、二酸化炭素が原因だということにはかなり疑問を持っていますし、地球温暖化を防ぐというのであれば、一番良い方法はエネルギー消費を抑えるということですので、これから原子力をどんどんやってエネルギーを供給するという、そういう考え方そのものをまずは改めなければいけないと思います。

石井:
なるほどね。それとですね大変気になるのは、この計画のまだ素案ですけれども。素案しか私は見ておりませんが、原発の再稼働を推進するだけでなくて、どうも新設するということもですね匂わせてる。

あえて、この計画の中に盛らないことによって、入れないことによって、新増設の可能性を含ませてるんじゃないかなっていうの、これは僕の穿(うが)った見方でしょうか?

小出さん:
いえいえ、必ず、そうだろうと思います。今止まってる原子力発電所も安全性を確認して再稼働させるとまずは言っているわけですね。冗談は私は言わないでくれと思います。

これまで自民党政権が安全性を確認したと言って、日本で58基もの原子力発電所にお墨付きを与えてきました。もちろん、福島第一原子力発電所の1号機・2号機・3号機・4号機もみんな自民党政権がお墨付きを与えた原子炉ですけれども。

それが事実として事故を起こしてるわけですから、まずは自分達のやったことが間違いだったと反省しなければいけませんし、私自身は犯罪だと思っていますので、犯罪を犯した人間をまず処罰をしなければいけないと思っています。

それなのに、また「安全性を確認して」というようなことを言う人達がいるのですね。ほんとに困った人達だと思いますし、さらには、新設・増設ということも彼らが考えてるはずですし、その先には原発の輸出ということももちろん考えているわけです。

石井:
それとですね、やっぱり気になるのは、原発から出る使用済み核燃料のいわゆる高レベルの放射性廃棄物の最終処分場の選定についてですね。これまでの自治体による応募方式。それは、どこも応募なんかしないわけで。応募方式から、政府が候補地を示す方式に転換するというふうに盛り込みましたよね。これは、今後どういうふうになると予想してらっしゃいますか?

小出さん:
要するに、ほんとは埋めてはいけないゴミなのです。残念ながら、私達が原子力に手を染めてしまいまして、核分裂生成物という放射性物質を膨大に作ってしまったのですが、それを私達人間が無毒化するという力を持っていないのですね。

ですから、どこかに隔離をしなければいけない。それは、確実なのですけれども。日本の政府は、それを地面の下に埋めてしまえばいいという、そういう方針でこれまでやってきたのです。

しかし、埋めてしまったところで、一体そこに何年間じっとしておいてくれればいいかといえば、10万年とか100万年という時間の長さなのです。そんなもの科学が保障できる道理がないわけであって、いや、本来やってはいけないやり方だと私は思ってきました。

で、私自身は国とそういう論争を続けてきたわけですが、一昨年の9月の11日になって、日本学術会議という、いわゆる学者の国会の組織が「埋め捨ては正しくないから、1から考え直せ」という答申を出したのですね。

私は、「なんで今まで黙っていたのか」と半ば半分、学術会議に対して文句を言いたくなりましたけれども。でも、学術会議の言ってること自身は正しいことだったと思います。

それを受けて本当であれば、埋め捨てにするという方針を変えなければいけなかったはずなのですが、埋め捨てにするという方針自身は全然変えないで、これまでどこか手を挙げてくれるのを待っていたけれども、それではダメだから、国の方で強権的に今度は押し進めるという、そういうやり方に打って出てきたわけですね。ほんとに酷い政権だなあと私は思います。

石井:
当然ですね、今いくつか候補地がですね、噂の段階ですが出ております。こういう所に対してお金でですね懐柔(かいじゅう)するか。あるいは、最後は強制代執行というようなですね、力ずくでいくか。つまり、なんらかの形で最終処分場を作らなければ、もうこれ以上、原子力発電はできないわけですから、彼らは遮二無二やってきますよね。

小出さん:
そうです。これまでにも候補地として狙われていた所はたくさん日本中にあるわけですし、その内のどこかに、また白羽の矢を今度は国家の側から強制的に執行してくるという可能性はあると思いますし、私が今心配しているのは福島です。

広大な土地が放射能で汚染されてしまっていまして、その内の15平方キロメートルを国有地化するというような方針をこないだ自民党の政権が出してきました。

15平方キロメートルというのは、埋め捨ての場所を取る時に必要な面積にほぼ近いですので、そういう所を国有地化した上で、放射能の最終的な処分場もそこに押し付けようという魂胆かなと私は疑いました。

石井:
は~、そういう動きがあるんですか。

小出さん:
はい。

石井:
なるほどねえ。絶えず、私達は大きなニュースにばかり目を向けてしまう。どうしても福島原発事故のことがですね、忘れられがちになる。あるいは、その一方で私達も毎日暮らしていかなければならない。そういう中で、どうしても忘れている間にヒューヒューヒューっと、こうなんていうのかな。悪政が堂々とまかり通っちゃってることを小出さん、どうやってこう変えていけるっていうか、食い止めるっていうか…

小出さん:
皆さん、きちっとやはり物を考えていただきたいと思います。こういう言い方は良くないと承知の上ですけれども、「愚かな国民には愚かな政府」という言葉がありましたけれども、国民自身が賢くならなければ今の酷い時代、これからどんどん酷い時代に向かっていくという流れを止められないんではないかと私は大変不安に感じています。

石井:
私達が少しでも賢くなっていくためにですね、引き続き小出さんからですね、こうやっていろんなお話を伺っていきたいと願っております。今日はどうもありがとうございました。

小出さん:
ありがとうございました。

(終わり)

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